短編ログ | ナノ
その空白には祈りの色を塗るべきだ

これ続きの続々
※学生松

十四松からのラインの通知音に起こされた僕は、時計を見て慌てて仕度をした。寝坊した!なんでみんな僕を置いてったし。酷い。歯を磨きながらトイレに入って、十四松に起こしてくれてありがとうとラインして、顔洗って制服に着替えて家を出る。いってらっしゃいという画面の文字が疎ましい。朝飯がパンで良かった。

もうほとんど元気なのに、それでも学校を休まなきゃなんない。体を動かすのが好きで、じっとしていることなんてできやしない十四松には、家にいることが苦痛なんだろうな。だって、あいつは学校好きだし。

僕としては、正直…。昨日も思ったけど、やっぱり十四松が羨ましい。
だって、僕は学校嫌いだし。



昔から生き物の世話は好きだった。兄弟たちが面倒臭がってやらなかった夏休みのウサギの世話も、兄弟たちに押し付けられて替え玉みたいに僕がやったこともある。

あの時は、自分の夏休みの遊びの時間が削られるみたいで僕も相当嫌がったけれど、ウサギには罪はなかったから当番の仕事だけはやり切った。そんなこんなで、今では猫の魅力にどっぷりはまっている僕がいる。路地裏で自由気ままに生きている猫。無駄なことを話さないし、一緒にいて楽だし。何よりも、懐いてくれるとすごく可愛い。ほんとうに可愛い。僕の癒し。

野良でも飼い猫でも、猫は猫。猫はジャスティス。猫が僕に懐いてくれるまで、世話をする時間を惜しんだことはない。しゃがんで下を向いて餌をやったり、撫でてやったりすることが多かったので、気付けば僕は猫背になった。ぱっと見たとき、六つ子の中で一番背が低く見えるんじゃないかな。知らないけど。

学校は楽しくないし、勉強もとくに面白くない。ないない尽くしで、ついでにやる気もない。生きる気力もない。そんな気持ちが顔に表れてるんだと思う。僕は、ほんとうに死んだ魚のような目をしてる。目が合う人は、みんな僕から顔を逸らす。そうだよね。こんな顔、誰も見たくないよね。僕もおなじだよ。

どうして六つ子なのに、こんなにちがうんだろう。
おそ松兄さんには赤が似合うし、やっぱり僕ら六つ子のリーダーで、長男って感じがする。でも、この人は心底バカだ。たまに鋭いときがある。それはやっぱり僕らのことをよく見てるからかな、なんて思ったりする。そういえば、この前、なんか同級生の子に告白されてるのを見たな。つき合ったかつき合わなかったかは僕は知らないよ。だって僕、興味ないし。

次男のあいつは痛い奴。頭の中カラッポなくせに、その中に無理に気障なセリフを詰め込んで必死に自分を演じてる。飽きるのが早いくせに、兄貴面するなよ。どうぜちょっと突けばボロを出すんだから。今までは足並みそろえて仲良くおんなじひとまとまりだったのに。やめてよ。腹が立つ。でも、あいつ以外に青が似合う奴はいない。

チョロ松兄さんは、高校に上がった途端にひとりだけ真面目ぶるようになった。おそ松兄さんからの悪戯の誘いも断ってるし、あれだけ悪戯三昧だったのに、ほんと何があったの?って感じ。無理に常識人になろうだなんてしなくても、チョロ松兄さんの根底には覆し様のないクズの性分があるっていうのに。必死に優等生になりきろうって躍起になっててほんとおかしいよねぇ。あと、女の子がかかわるとほんとポンコツ。

十四松は、あんまり人の前で泣かなくなった。でも、その分ネジがぶっ飛んでしまったみたいで、底抜けに明るい風を装っている。バカなところはおそ松兄さんとおんなじで昔っから変わらないけど、うるさいなと思うこともある。十四松は、自分の影の薄さを気にしてるところがあったから、あんな風になったんだと僕は思う。本人がそれを楽しんでいるなら、僕は別にそれはそれで構わないけど、たまに心配になる。

末弟のトド松は、善くも悪くも本当に甘え上手。僕ら兄弟の中で一番世渡り上手いんじゃない?普通に女の友達とか作ってるし、そういう社交的なところとか、ほんとうに僕とは正反対だよね。でも、僕は、全然羨ましくなんてない。そうやって自分がチヤホヤされてないと生きられないのは、僕にとって重荷だ。相手の期待に応えられるような魅力が僕には…。



もやもやと違いについて考えながらの登校は、足を重たくさせるだけ。もう引き摺るレベル。眠いし、帰りたい症候群に襲われる。だって、今日も十四松いないし。元気なのに休みとか、ほんとお前ずるいよ。民家と民家の間の細い路地をのろのろと歩いていく。あ、ここのばあさん家の三毛猫元気かな。

校門が見えてくると、憂鬱さがさらに募る。溜息を吐こうとしたら、足元に気にしていたあの三毛猫が擦り寄ってきた。おぉ。朝からデレてくるなんてめずらしいな。思わずしゃがんでその三毛猫を撫でた。あー可愛い。あったかい。猫を撫でていると、学校とか勉強とか、どうでもよくなる。

(今ならまだ引き返せるよな。)

本当に帰ってしまおうか。十四松には仮病がバレるかもしれないけど、急に腹が痛くなったとかって兄弟の誰か…チョロ松辺りにラインすればいいんだし。クソ真面目に授業に出なくたって、自分の責任だし、一日ぐらい休んでも…。溜息を吐いて、踵を返そうとしたその時、聞き覚えのある声で「あ、ほんとに松野いた」と言うのが聞こえた。

「おはよう、松野」

なんでここに彼女が居るの?遅刻ぎりぎりの時間なのに…。その声は苗字だった。しかも、おはようって朝の挨拶。なんという気軽さ!驚きの爽やかさ!僕は呼吸をすることさえ忘れて、苗字のことを目に映した。今日もまた、彼女は、僕だけに、笑ってる。片手を上げて、友だちにするみたいに。ひらひら揺れてる苗字の手の平が眩しすぎて目が潰れるかと思った。

一気に口の中が乾いた。ぼ、僕もおはようって、挨拶を返せばいいじゃないか。なのに、なのに。昨日と一緒で喉に声がつっかえて、その一言が言えない。ああ、変な間が空いていく。一歩、彼女は踏み出した。微動だにしない僕を振り返って、彼女は言った。

「どうした?一緒に行こうよ。目指してる場所はおんなじなんだし」

誘われた。すぐそこまでだけど。
でも、今の僕にはその数十メートルの道のりが、長いように思われた。しかも、完全におはようのタイミングを逃した。もう僕は彼女に朝の挨拶を返せません。会話終了。気まずい。というか、どうして今一緒に歩いてるんだろう。僕みたいなやつが隣りを歩いてるなんて、迷惑でしかないだろうに。

こんなの、兄弟以外では初めてだった。だれかと一緒に歩くのって、こんなに緊張するものなの?ちらりと盗み見た苗字は、普段通りの顔をして普通に歩いてる。緊張してるのは僕だけですか。やっぱりね。でも、彼女は嫌がってる素振りもないし、ほんとなんなんだこの人。

「昨日は届けてくれてありがとね」
「…べ、べつに、」
「十四松からライン来たよ『ありが特大ホームラン!』って」
「……そう、」

(十四松のやつ、兄弟の変なことを垂れ流しにしてないだろうか)

不安になったけど、この僕がそんなことをわざわざ彼女に聞けるわけもなく。十四松の話をする彼女の横顔をちらちらと見ながら歩いて行けば、なんとか下駄箱に到着。胸が苦しい。手汗も酷い。

靴を上履きと履き替える。当たり前と言えば当たり前なんだけど。出席番号が僕、十四松、彼女と続いてるから下駄箱のスペースが近かった。こんなに近所だったことに今気付くなんてね。

靴箱に自分の靴をしまって、上履きを取り出すとき、なんだか自分の踵を履き潰した汚いローファーがすごく恥ずかしくなった。ちらっと見る。ほら、彼女の靴の踵は踏まれてないし、何だかきれいに履かれてる感じがするし。ってか靴を盗み見してるとか、自分気持ち悪過ぎ。バレたら絶対引かれる。変態の烙印押される。もう喋ってもらえない。隣りを歩かせてもらえない。

「あ。私、今日…日直だから日誌を取りに行かないとだったわ」
「…ぇ」
「職員室に寄るのは遠回りになるよねぇ」
「……」
「日直じゃない松野を付き合わせるのは悪いから、先行ってて良いよ」

こ、このまま教室まで一緒に行くと思ってた。期待した。バカだ。自惚れるな松野一松。お前はゴミクズだぞ。でも、昨日に引き続いて今日もあっちから声をかけてもらえたら、ちょっとは期待するだろ。なんて恥ずかしい奴なんだ。勘違い野郎は青のクソ松だけで充分だっての!

「じゃあ」

彼女が僕の後を通り過ぎるとき、「教室で会おうね、松野」と言いながら背中をトントンして行った。

(う、わ…。まじかよ、クソッ!)

トントンとか反則技だろ!顔が熱い。むしろ、身体中が熱い。燃えてるみたいだ。立っていられない。動悸が激しい。僕は、片手を下駄箱につきながら、もう片方で髪の毛をぐしゃっと押さえながらずるずるとその場にしゃがみこんだ。ほんとうに、苗字はなんて奴だ。恐ろしい。気安く僕に触ってきやがった。もう無理。ほんと無理。涙出てきた。

もうずっと諦めてたのに。自分には無理だって知ったときから必死に押さえ込んで、気持ちに蓋をしてきたのに。期待値が大きければ大きいほど、裏切られたときのあの虚しさ切なさ悲しさ、絶望は、とんでもない怪物に育つというのに、どうして今になって…。

(期待、するな。しちゃだめだ。だって僕は…)

ああ、嫌だ。バカらしい。こんな風に自分ばかりが苦しくなって。きっと彼女は僕のことなんて、なんとも思っていないのだろう。だから、あんなに気安く触れてきやがるんだ。そんな彼女の気紛れに、僕はどうして、こんなにも、心を乱さなきゃいけないの?

::::
20160108
title by ゾウの鼻(http://acht.xria.biz/)

::193::

×||×
ページ: