流水落花 | ナノ
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 昨日、任務終わりで解散する前に、ケイセツに指定された集合場所は受付所に一番近い噴水広場の前。
 一番乗りはメイロ。次にトウリが着いたが、時間になってもコカゲは来なかった。
 少し遅れてケイセツが現れ、

「コカゲがしばらく任務から外れることになった」

と短く説明し、コカゲの長期不在を二人に告げた。

「怪我でもしたんすか?」
「どうだろうな。俺も詳しくは知らないんだ。ただ上から、コカゲは任務に出られないと通達があっただけでな」

 上忍師であるケイセツにすらも伝えられていない。奇妙な話だが、ケイセツが知らぬ以上、詮索しても中忍のトウリたちには分かる術はない。

「ということで、本日より当面の間は俺たち三人で任務をこなすぞ。メイロ、真面目にやれよ」
「真面目にやってますよー。ちゃんとパンツは二枚履いてきたんで。これなら川に落ちても、着替えはばっちりっす」

 大きなことを成し遂げたかのように、メイロが腰に両手を当て言う。
 先日の任務のあとで、メイロは川に落ちた。身軽が基本のため着替えの類は持っておらず、濡れて気持ち悪いと連呼していたメイロへ、ケイセツは対策をしておけと説いた。メイロは考えた末に、予備の着替えを『持参』することに決めたらしい。

「履いてくるのは一枚でいい! 予備だっていうのに、履いてきてどうする? そもそも、忍なら水に落ちない対策をしろ。落ちる前提で対策するな!」
「いやぁ、水がオレを呼び寄せちゃうっぽくて。『水も滴るいい男』ってやつっすかね、これ」
「違う。家に帰ったら辞書を引いてみろ」
「うち、辞書ないんすよねぇ」

 頭が痛いとばかりに、ケイセツが自身の額に手を当てる。メイロ本人は悪気がなくふざけているつもりもないことこそが、ケイセツにとって最も悩ましい事実なのだろうと、トウリは思わず上忍師に同情してしまった。



 コカゲが一時的に班から外れて一週間。
 一人欠けた班は不自由も多かったが、振り分ける任務を融通してくれているのか、三人でも無理のない内容ばかりで、トウリたちへの負担はさほどない。
 とはいえ、一人抜けただけでもやはり穴は大きく、コカゲの不在は自分たちにとって痛手には変わりない。
 そろそろ戻ってきてもらいたいと、三人で話したあと解散し、トウリは自宅のあるうちは地区の門をくぐった。
 見慣れた家。見慣れた人々。経年劣化などはあれど、西に傾いた陽に当てられた景色は、移り住んだときから何も変わらない。
 歩き慣れた道を進んでいくと、人が集まっていた。夕方の人影は黒く、数名ほどが塊となって、ぽつりぽつりと道の端にたむろしている。
 親しい者同士で集まり、立ち話をすることは珍しくないが、窺えるその表情はどれも険があり、交わす声も密やかだ。
 一体何なのか。電柱の近くに立つ、母と親しい女性を見つけ、トウリは走り寄って声をかけた。

「おば様」
「あら、トウリちゃん。今帰り?」
「はい。何かあったんですか?」

 周囲の妙な雰囲気をぐるりと見回しながら問うと、女性がトウリの耳にそっと口元を寄せた。

「余所に居たうちはの子が、こっちに引き取られてきたらしいんだけどね」
「余所に居た?」

 そんなことあるのだろうか。トウリがまず抱いたのは、素朴な疑問だった。
 九尾事件以降、うちは一族はこの地区に集められた。誰ひとり例外はなく、里外の駐屯地などに派遣されていた者も半ば強制的に里に戻され、この地区で暮らしている。

「ほら、あの子がそうらしいわ」

 女性が指差した先には人影が一つ。夕暮れの通りの真ん中に、置き去りにされたように突っ立っている。
 遠くからでも、うちは一族特有の濡羽の黒髪がよく目立った。
 薄い体から伸びる、ひょろりと細い四肢。
 俯いた顔の半分を隠すような、重たい前髪。

「コカゲ……?」

 信じられなかった。
 視線の先に立つのは、しばらく会っていないコカゲだ。
 自身の目を疑い、何度も瞬きをしても、その姿はトウリの知っているコカゲ本人に違いない。
 トウリはコカゲに向かって小走りで駆け寄った。後ろから自分を呼ぶ女性の声が聞こえたが無視し、二、三歩ほど距離を空けたところで足を止める。

「……コカゲ?」

 名を呼ぶと、コカゲの肩が大きく震え、トウリの方を向いた。
 長い前髪の隙間からわずかに見えた目が自分を捉えた瞬間、トウリの背に悪寒が走る。一度たりともまともに合わなかった目は、冴え冴えとした黒だ。

「コカゲ……うちはの子だったの……?」

 訊ねる声が、知らず震えていた。何に対する感情がそうさせるのかトウリには分からない。

「そうだよ……。オレにはお前と同じ、うちはの血が流れてる」

 覇気のない声が肯定する。

「でも、コカゲは……」

 トウリが知るコカゲは、幼い頃に里の保護施設に引き取られ、アカデミーに通い、卒業してからは宿舎に一人で暮らしている。
 引き取られた時期や経緯などは知らないが、うちはの血を引いているとは一切聞いていない。それにうちはであれば、九尾の事件後に必ずこの地区に集められたはず。

「オレの母さんは、オレが腹にできた途端、うちはの男に捨てられたんだ。母さんが、うちはじゃないからって」

 驚き、トウリの心臓が一際大きな音を立てた。
 一番近くに立っていた大人たちの耳にもコカゲの声は届いたようで、顔を見合わせぶつぶつと喋っている。

「『うちははうちはとしか子を成さない。だから腹の子は殺せ』と……母さんに迫ったんだよ。母さんはオレを守るために、男に嘘を言って逃げて、里を出て……知り合いのいない村で、ひっそりとオレを産んだんだ。うちはでも何でもない、ただの子どもとして」

 ぽつりぽつりと、庇から落ちる雨水のようにコカゲは続けていく。

「オレが七つの頃に、母さんは死んだ。オレには忍の才があるからと、村長が木ノ葉に言って、身寄りのない子どもとして里に引き取られて、アカデミーに入って、下忍になったんだよ」

 欠けていた情報が、コカゲ自らの口によって埋められた。
 トウリは、コカゲに両親がいないのは戦争で他界したからだと思っていた。大戦中はそういった子どもは珍しくなく、アカデミーに通う生徒の何割かは、里の施設で育った。恐らくコカゲもその内の一人なのだろうと、トウリだけではなくメイロもそう解釈していた。

「どうして、ここに?」

 なぜ今頃になって、うちはに引き取られたのか。
 純粋な疑問に答える前に、コカゲは震える両手で顔を押さえた。

「この目のせいだ」

 細い指が、長い前髪ごと目元に食い込む。眼窩から目玉を抉りかねない力の入り方に、トウリはまるで自分がそうされているかのように錯覚し、恐ろしくなった。

「この目を見られた。この目で、オレがうちはの血を継ぐ者だとバレた。うちはならうちはで暮らせと、里がオレをうちはに押し込んだんだよ!」

 手を下ろし、怒りに満ちた声を上げるコカゲの、前髪から覗く両目は赤かった。
 薄暗い中で目立つ、発光を伴ったそれは、間違いなく写輪眼。一つ巴しか持たぬトウリと違い、コカゲは三つ巴をすでに有している。

「オレはちゃんと、黙ってたのに! 父親がうちはなんて言わなかった! 母さんが『黙れ』と言うから、『喋ったら殺される』と言ってたから、だからずっと黙ってた! 誰とも喋らないように、ボロが出ないように、ずっと黙ってたのに!」

 細い体のどこから出てくるのか、不釣り合いなほど大きな声は辺りに響き、様子を遠巻きに窺っていたうちはの住人がざわつき始めた。トウリたちから出来うる限り距離を取っているにもかかわらず、視線は無遠慮なまでに二人を突き刺している。

「この目だって、オレは見つからないように頑張った! 人と目を合わせたらだめだ、人に目を見られたらだめだ。知られるのが怖くて、ずっと俯いて生きてきた!」

 足を上げ何度も地を蹴り、空を殴るように腕を振るう。頬は紅潮し、癇癪を起こした幼子のような様子に、普段の大人しいコカゲの面影はどこにもない。

「それなのに! それなのに! こんなところで生きなきゃならないなんて……!」
「『こんなところ』って……」

 黙ってコカゲの叫びを聞いていたトウリだが、自身が暮らす場所を見下げるような言葉に、小さな反発心が湧いた。
 しかし、コカゲの赤い両目から獣のように睨みつけられ、続きそうだった言葉は結局、胸の半分までしか上れず散る。

「里の人間に、父親だっていう奴の家に連れて行かれた。でもあっちは、オレなんて知らないってさ。そいつ、お前と同じくらいの子どもがいるんだぜ……。ちゃんとした、うちはの女と作った、うちはの子どもが。母さんを弄んでおいて、腹に宿ったオレを殺そうとしたのは、うちはを守るために仕方ないことだったんだって……一言も、謝りもしなかった……!」

 普段のつっかえた口調など嘘のように、怒りに満ちて叫ぶコカゲに、トウリは恐怖で足が竦む。
 誰よりも近くでコカゲの憤怒を浴び、肺は怯えてかちかちに固まり、うまく呼吸すらもできなくなってきた。

「血でしか物事を計れないなら、オレだって認めろよ! うちはの血が流れるオレを! なにが『誇りある一族』だ! こそこそ陰口叩いて、野良犬みたいに避けて! オレだってお前らと同じうちはだ! うちはだって言われてここに連れてこられたんだ!」

 周囲にできるだけこの怒りが届くようにと、コカゲは何度も身を返し、激情を撒き散らす。
 辺りの一族は険しい表情ながらも、その場に留まって尚も遠巻きに見続ける者、厄介事に巻き込まれぬようにと逃げる者、コカゲの発言が癇に障って反論しようとする者、それを制す者といくつか分かれたが、コカゲへ一歩踏み出す者は一人もいない。

「どうしてみんな、オレを拒むんだ。村長も里もオレを捨てる。うちはもオレを受け入れない」

 燃え上がる炎のような勢いが、次第に細く絞られていく。地に膝や腕をつき、重ねた両手に額をつけると、丸まった背中はぶるぶると震え、すすり泣く声が漏れた。

「オレが何をしたって言うんだよぉ……」

 悲鳴のような声を上げたのを最後に、嗚咽が響き続ける。
 誰もコカゲの嘆きに寄り添う者はいなかった。トウリですら、かける言葉が見つからず、ただ茫然と、簾のようなコカゲの黒い髪に目をやるしかなかった。
 事態に気づいた数人の大人が、泣き続けるコカゲを引っ張り上げ立たせる。コカゲは抵抗することなく、洟をすすり呻きながら、そのままどこかへ連れられて行った。
 小さくなっていく背に、とうとう何も言えないまま、トウリは黙って見送る。
 無口だったのは、うちはの血を引いていることを漏らさないため。
 重たい前髪を作り、人と顔や目を合わせなかったのは、写輪眼に気づかれないため。
 すべてに合点がいき、ちっとも気づかなかった自分の不甲斐なさに、頭が下がった。



 翌日。任務はなかったが、ケイセツからの連絡を受け、火影岩の上の広場に向かった。
 トウリが着くより前に、すでにケイセツたちは来ており、メイロが手を上げて存在を示す。
 メイロは常と変わらず、独特の呑気な口調でトウリを迎えたが、ケイセツの表情はかたく、自然とトウリの顔も強張る。
 三人揃ってすぐに、ケイセツは「報告がある」と前置きし、

「この班は今日限りで解体することになった」

淡々とした物言いで班の解散を告げる。
 コカゲが任務から外れる旨を告げたときとは違い、どこか緊迫した雰囲気を伴っており、トウリはそっと目を閉じて唇を噛んだ。

「は? え? 何すか、解体って」

 驚きのあまり礼を欠いたメイロの態度を、ケイセツは嗜めなかった。上司に対する敬意云々と説く心の余裕などないのか、苦い物を堪えるような顔で、「そのままの意味だ」とだけ返す。

「私の……私たちのせいですか」

 下ろしていた瞼を上げたトウリが、ケイセツを見て問う。

「トウリ、何か知ってるのか?」

 怪訝な表情のメイロは、この場に置いて唯一何も知らない。コカゲの個人的な事情とはいえ、このまま何も知らされずに班が解体になるなど、メイロは納得しないだろう。
 どこからか話が伝わる前に、自分が説明するのがチームメイトとしての義理ではないか。トウリは昨日のことを、掻い摘んでではあるがメイロに話した。

「コカゲがうちは……コカゲが?」

 説明されても、メイロは一向に飲みこめない。
 トウリ自身も、昨日の今日で心の整理はついていない。一晩寝ても、頭の中にはコカゲの嘆く声が染みついて離れなかった。

「メイロ、トウリ。解体理由は、全員が中忍に昇格したからだ。これからは班単位ではなく、個人でマンセルや小隊に加わり、忍として成長してもらうため、この班は必要なくなった」

 上層部から通達されたのであろう解体理由は実に尤もらしく、昨日の一件がなければ、トウリもメイロもあっさり呑み込んでしまっただろう。

「先生。オレたちはチームなんすよ、チーム。何年もずっと一緒にやってきて、もう家族みたいなもんじゃないすか。家族にはホントのことを教えてください」

 メイロの怒気を孕む声を、トウリは初めて聞いた。
 常に陽気で、腹を立てたり落ち込むことはなく、喜怒哀楽の『怒』と『哀』が抜け落ちたような男がメイロだった。
 普段と様子が違うメイロの言葉を無碍にはできなかったのか、熟考したあと、ケイセツは重たげに口を開く。

「今のコカゲは忍として不適格だと判断され、療養が必要と上が判断した。新たに一人加えて班を再編成するより、解体する方に利があると結論が出たようだ」

 コカゲの処遇に、トウリの唇が引き結ばれた。
 あれからコカゲはどうなったか、トウリにはまだ分からない。大人たちに連れられ、どこへ向かったのだろう。
 コカゲやうちはの大人たちの話が正しいなら、里の者によってうちは地区へ連れてこられ、そのまま地区内に留まっているのかもしれない。
 療養しなければならないほどにコカゲの精神状態はよくないのか。
 あのとき自分が何か言葉をかけていれば、少しは変わったかもしれない。

「トウリ。あんま考え込むなよ」

 とん、と背中を叩かれる。心配そうなメイロの、やはり初めて見る表情に、トウリはうまく頷けなかった。



 ケイセツたちとの話が終わって家に帰ると、まだ陽も高いのに父が在宅していた。早番なら警務部隊の本部に、夜勤帰りなら寝ているだろう時間。どうやら今日は遅番の任務らしく、忍服に袖を通し、いつでも家を出られる格好をしている。

「余所から来たうちはの子とかいう奴は、お前の班員というのは本当か?」

 出迎えの言葉もなく、父が問う。トウリがコカゲに話しかけた姿は、母の知人はもちろん、集落の多く者が見ていた。父の耳に入らないわけがない。

「はい。でも……今日付けで班は解体になりました」

 口にすると寂しさが込み上げる。
 ケイセツ、メイロ、そしてコカゲ。四人でこなした任務や、野営を共にした日々が、次々と脳裏によみがえる。
 コカゲともようやく打ち解けてきた矢先に、こんなことになるなんて。メイロに言われたばかりだが、トウリは考えることをやめられなかった。

「当然だ。どこの腹から産まれたか分からん奴を、正統なうちはであるお前の班に置くなど言語道断」

 父は腕を組んで眉間を寄せる。苛立ちを目に見えぬ棘にし、辺りに撒き散らすのは昔からだった。

「あれは、うちはの名折れだ」

 トウリの内心など一切汲み取ることなく、苦虫を潰した顔で言い捨てたあと、父は玄関を通って外へ出て行く。
 トウリも自室へ向かい、行儀の悪さは承知の上で、障子戸を荒々しく閉めた。
 引手に指をかけ突っ立ったまま、体を戸に預ける。
――血系限界を守るため、うちはは同族間での婚姻を基本としているが、一族外との結婚を禁じているわけではない。
 濃すぎる血は災いを招くと古くから言われ、数十年前の乱世の時代では、戦火の中で行く宛てのない者を連れ帰り、子を成すことで余所の血を時折混ぜてきた。
 しかしトウリの父は、うちはの血を外部に漏らすリスクを極限まで避けることを第一と考え、同族間での婚姻や出産以外は認めない。一族外から嫁いできた女性に挨拶されても、一瞥もすることなく無視したほどだ。
 うちはにとって、写輪眼は命と同等。血族で固め、手の内に収めておく重要性も理解できる。
 しかし血を優先するばかりに、コカゲのような悲しい子どもが生まれていいのか。
 父親だという男が腹の中にいたコカゲを殺せと迫ったのは、うちは以外の相手と子を成してはならぬという、凝り固まった考えの結果だ。
 コカゲの人生は、うちはの閉鎖的な思想により翻弄され、孤独なものに歪められてしまった。
 そして自分は、そのうちはの血を濃く受け継ぎ、コカゲに何もしてやれなかった。
 連れて行かれるコカゲを目にしながら、見送るだけだった自分に、何より一番腹が立つ。

「――いたっ……」

 目の奥が針で刺されたように痛み、咄嗟に手で押さえる。ずくんずくんと、血管に流れる熱いものを感じ、冷や汗が止まらない。
 しばし経てば痛みはなくなったが、若干の違和感が残った。安堵して手を下ろし、鏡を取って顔を映す。
 知らず写輪眼が表に出ている。赤い光彩に浮かぶ巴は、二つに増えていた。



12 それはまるで産声のような

20201027
(Privatter@20201019)


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