うちは地区内ですれ違うことがあっても会釈を交わすのみで、彼に声をかけることはなかった。
トウリのよそよそしい態度から適度な距離を判断したイタチもまた、自らトウリに声をかけることはない。
父親からは、族長の息子に粗相がないようにと言いつけられている。
ならば、必要以上に関わらなければよい。父から叱り飛ばされぬため、また、自らの心の安定を図るには、それが一番だと思った。
班を組んで数年。トウリたちは中忍に昇格した。
それに伴い、中忍になったことで意識が変わったのか、同じ班員であるトウリたちとも壁を築いていたコカゲが、ようやくその隔たりを崩し始めた。
重たい前髪はそのままだが、コカゲの顔はトウリたちの方を向くようになり、世間話もするようになった。
コカゲは両親がおらず、里に保護され施設で育った。アカデミーを卒業したあとは、里の宿舎で一人で暮らしている。
その辺りの事情は、チームメイトとしてある程度は知っているが、宿舎の内装やどんな人間が暮らしているのか、どういったルールがあるのかなどのこまごまとした話をやっと聞けるようになった。
里外での任務への出発前。大門近くで上忍師のケイセツを待っている間、部屋の壁は薄くはないが、浴室などは配管のせいでか余所の音がよく響く、とコカゲがメイロに説明する。
「そんなに音漏れすんの? オレが住んだら一日で追い出されるな」
メイロは自分の騒がしさを自覚しているのか、退去を迫られるだろうと言い、
「……うん。メイロは多分、追い出される」
コカゲは特に反論もなく肯定した。
「おいっ! こういうときは『二日は持つ』とか言うとこだから。ちょっと否定してあげる優しさ持つとこだから」
「えっ? あ、うん……二日は、持つんじゃない……?」
「まんま! まんまじゃん! アレンジ精神持とう?」
「あ、アレンジ?」
言われるがままに改めてフォローしたにもかかわらず、メイロがさらに要求を重ねるので、コカゲは対応に困り、宙を掻くように両手を泳がせる。
年齢も身長もコカゲが上だが、メイロの勢いに圧されるため、トウリは時々どちらが年上だったか忘れてしまう。
「メイロ、その辺にしておけ。コカゲも、全部真に受けなくていいぞ」
現れたケイセツは、一目見て事態を把握し、助け船を出す。メイロは間延びした返事をし、コカゲはホッと胸を撫で下ろした。
そばで見ていたトウリには、こういったやりとりも最近は見慣れたものになったことが感慨深い。
あのコカゲが、視線は合わないものの、トウリたちと向かい合って会話を続けている。
質問に答えているだけの場合が多いことは前と変わらないが、肯定か否定だけしか返ってこなかったことを振り返ると、大きな変化だ。
「お喋りはここまで。任務に集中するぞ」
ケイセツが真剣な表情で三人に言う。トウリたちは背筋を伸ばし、決して失敗してはならぬと気を引き締め、ケイセツの後を追い里の大門を後にした。
トウリたちの今回の任務は、山道を越える商人の護衛。運ぶ荷がなかなか高価な代物であるため、念を入れて木ノ葉の忍を雇った。
対象を守り通す任務は、常に神経を張っておかねばならないため、商人を無事に目的地の町まで送り終えた際には、肉体以上に精神が疲労していた。
時刻は宵の口。再び通る山道は舗装されており悪路ではないが、夜中の山越えは危険と判断し、そのまま町で宿を取った。
四人部屋で雑魚寝の素泊まり。異性が混じって寝るのに抵抗を抱く年頃ではあるが、班結成時から四人部屋が当たり前だったため、寝床さえ分けられていれば問題はない。
安宿に大浴場があると知り、ケイセツとメイロ、トウリはそれぞれ湯浴みに向かった。
髪や体を洗い、広い湯船に浸かって任務疲れを湯に溶かす。
ほかほかとした体で部屋に戻ると、コカゲが床に道具を広げ、荷物の整理をしていた。
「お……おかえり……」
迎えたコカゲは、すでにシャワールームで汚れを落としている。肉付きの悪い、ひょろりとした手足が、急いで荷物を掻き集めた。
泊まる部屋が四人部屋なのが当然のように、コカゲは他人と風呂や、川での水浴びを共にしない。前髪で目元を隠したがるほど内向的なコカゲにとって、裸の付き合いというのは致しかねるのだろうとトウリたちは納得している。
「ただいま。先生とメイロはまだ?」
いつもであれば、トウリよりも男二人の方が早くに上がり、部屋で寛いでいるものだが、室内にはコカゲ以外の姿はない。
「戻ってきたけど……フルーツ牛乳が売り切れてたから、買ってくるって……」
「ええ? わざわざ?」
「メイロが、『風呂上りにはフルーツ牛乳を飲まないと眠れない』って言うから、先生が一緒に……」
大浴場の出入り口の脇には、瓶に入った様々な味の牛乳が販売されていることが多く、メイロは風呂上りに必ずそこで喉を潤している。どうやら今日は、目当ての牛乳は売り切れていたらしい。
こだわりがあるのも大変だなと、まだ湿り気のある髪を耳にかけながら、自分の背嚢に汚れた着替えを詰めていく。
「トウリ」
どう詰めようかと思案するトウリの背に、コカゲが呼びかける。会話は続くようになったが、コカゲから話しかけてくるのは珍しかった。
「なに?」
「トウリは……その……『うちは』なんだろう」
「え? うん」
何を聞かれるのかと思えば、自分の姓について。
トウリがうちはであることを、なぜ今更確認する必要があるのか。不思議ではあったが頷くと、コカゲは道具の整理を止め、トウリに向かい直した。
「うちはに生まれて、うちはとして育つって、どんな気分なんだ?」
黒く、長く、重たい前髪で目元の動きは分からないが、口の動きはどこかぎこちなく、緊張しているのが伝わってくる。
「どんな気分って言われても……」
いきなり訊ねられたところで、答えはすぐに言葉にできない。
コカゲの問いは、そう長くはない人生の総括を問われているようでもあって、まずは振り返らねばならなかった。
トウリはうちはとして生まれた。父も母も祖父母もうちはの生まれ。トウリには生粋のうちはの血が流れている。
父はうちはの生まれに並々ならぬ思いを抱き、トウリに対し『うちはであること』を常々説いている。
その父に黙って従う母はいわゆる従順な妻。いつも家の奥で過ごす祖父母は、一族以外の誰かと交流している姿を見たことがない。トウリの家を訪ねる者は、ほとんどうちはの者だった。
そんな環境で育ったため、アカデミーに入ってからトウリの世界は随分と広がった。
世界が広がると、うちはであることの生きづらさを感じ始め、まとわりつくような枷への混濁とした思いは年々増している。
写輪眼を得るために、父はトウリからおはじきを取り上げ砕いた。母は喜べと言い、砕けたおはじきの硝子片を跡形もなく片付けてしまった。
閉塞的で、一族の枠から外れることを嫌い、そのためなら手段を選ばない。
――けれど、うちはにはシスイのように開けた人もいる。うちはの存在意義に固執せず、視野を広く持ち、里の仲間からも信頼も篤い。
うちはの才を余すことなく注ぎ込まれ、生まれたと称しても過言ではないイタチも、現在ではなく未来に目を向け、次代を引っ張っていくような高潔さを持っている。
「ときどき、縛られるのがいやなときもあるけど……誇りある一族だよ」
うちはには父や一族の大人たちがいる。
同時に、シスイやイタチのような者もいる。
今のうちはを変える力までは、若い世代は誰も手にできないでいる。
しかし、未来はまだ手つかずだ。今は無力な子どもである、トウリやシスイたちが作っていく時代が来る。
きっとシスイが、イタチが、よりよいうちはを作る担い手になるだろう。彼ら二人は間違いなく、これからのうちはを背負う若者だと、トウリは誇らしく思う。
「そうなんだ……」
トウリの答えに、コカゲはぽつりと返した。重たい前髪の奥の瞳はよく見えない。
なぜそんなことを問うたのか、とトウリが訊ねる前に、メイロとケイセツが部屋へ戻ってきた。四本のフルーツ牛乳の瓶をカチカチ鳴らして上機嫌のメイロに、瓶はお前が返しに行けよとケイセツが言う。
二人が帰ってきたことでコカゲに訊ねる機会を逸したが、両親がいないコカゲにとって、一族という血で繋がる親類を多く持つ自分に興味が湧いたのだろうと、トウリはそう読み取って瓶の縁に口を付けた。