肉人形と兄貴2

「ねぇ」
「ん?」
「ワタシと取引しないか?」
大いに媚を孕んだ表情で。上目遣いに。物欲しげに。せいぜい艶かしく。甘えるように持ち掛ける。
「何だい?取引って」
男が応える。その胸にしなだれかかる肉人形を、奈落の底のような瞳に映しながら。

イルミはソファに深く腰掛けて半分寝そべるような形で背もたれに体を預けている。彼の膝に乗ってなお、フェイタンの視点はイルミのそれより幾分低い。
二人が視線を交わそうとすると、イルミが顎を引いてフェイタンを見下ろす形になる。
その高さが丁度フィンクスと同じであることに気付いて、フェイタンは胸の底を突き刺すような、煮え滾るような感情を覚えた。
暴発しそうなそれを押し殺しながらも淫蕩な笑みを浮かべ、努めて悩ましげに囁いた。
「気持ちいいコトしてあげる」

(――最悪だ)
こんな奴相手に、自ら体を開こうとするなんて。
腹立たしくて仕方ないが、今はなりふり構っていられない。
逆らえないのなら。力で敵わないのなら。籠絡するより他にない。
逃げ出さねば。得体の知れない呪縛を断ち切って。
そのためには自分の体であれ何であれ、利用できるものは使わなくてはならない。

(……気味の悪い顔。見れば見るほどよく似ている)
宇宙人じみた大きな目。艶の濃い黒髪。僅かに黄みがかった生白い肌――カルトと同じ遺伝子を持つ顔に吐き気を催しながらも、フェイタンはわざと尻が密着するようイルミの太股に跨がり、右手で彼の股間をまさぐりながら、媚びた視線を向ける。

「でも取引って言うからにはタダじゃないんだろ?一体オレに何してほしいわけ?」
フェイタンの心中を知ってか知らずか、イルミはきわめて無感動に、フェイタンの手首を掴み、股間から引き剥がしながら要件を訊ねる。
「ワタシのコト解放してほしいね。ワタシに仕込んだモノも解除する」
「……」
「それから二度とこんなコトしないよう、カルトによく言ておくね」
「注文が多いなぁ。お願い3つとセックス1回じゃ、どう考えても釣り合わないよ」
「一度だけなんてシケたコト言わないね。お前が望むなら何度でもOK」
「ふぅん」
顎に手を当てて唸るイルミに向けて、フェイタンは更に言い募った。
「これカルトのためでもあるよ。こんなコト、クモのメンバーに知れたら大変ね。あいつ殺されるかもしれない。ワタシのお願い聞いてくれたら今回のコト誰にも言わないよ」

はじめから誰にも話すつもりはない。
新入りに拉致され手籠めにされたと、生き恥を晒すなんて真っ平御免だ。
フェイタン自身が早く忘れたいと思っている。
取引するまでもなく、ここでの出来事は、犬に噛まれたと思って水に流すつもりだ。

「ね、イヤか?」
駄目押しとばかりに囁くフェイタン。暫しの沈黙のあと、イルミが口を開く。
「ま、要するにだ。君はオレに体を売って、脱出の手引きをさせようってわけだ」
そして淡々と言葉を続ける。
「せっかくだけど交渉決裂だな。約束したのカルトの方が先だし。君も聞いてたよね?『フェイタンに手出したら殺す』って。オレまだ死にたくないしさー。弟の悲しむ顔も見たくないんだよ」
にべもなく断り、フェイタンを己の膝から下ろしてソファに座らせるイルミ。末弟を恐れながらも気遣うような台詞とは裏腹に、その声音にはなんの感情も含まれていない。

「ていうか、君はカルトの所有物だろ?主人を欺くようなことしちゃダメじゃないか」
イルミの瞳孔の闇が深まる。禍々しいオーラが渦を巻く。
咄嗟に飛び退こうとした刹那、フェイタンの肩関節が軋んだ。
見えていなかったわけではない。捕まる筈がない、難なく躱せるような動きだった。なのに反応できなかった。
イルミが手を伸ばし、フェイタンの手首を掴み、背後に捻り上げ、持ち上げるようにして背中を反らせる。脊柱が湾曲し、肺が圧迫されて、ぐっと息が詰まる。
おそらくは一瞬の出来事なのだろうけれども。フェイタンにはその一部始終が、まるでスローモーションのようにゆっくりと感じられた。
喉がからからに乾く。全身から汗が噴き出る。汗を吸い込んだ襦袢が皮膚に貼り付く。
痛みと恐怖に歪む顔を見下ろしながら、イルミはフェイタンを引き寄せて、耳元でこんなことを囁いた。

「いいかい?フェイタン。お前はカルトの肉人形だ。お前の全てはカルトのもの。自身は何も欲しがらず何も望まない。お前が幸福を覚えるとすれば、カルトに尽くして、彼の寵愛を受ける時だ」

(笑わせるな。何が寵愛だ)
(交渉に応じる気がないならいい。その手を離せ。気持ち悪い)
そう毒吐きたいのに声が出ない。代わりに、喉から「ひゅっ」という掠れた呼吸音が漏れた。
「カルトを愛せよ」
「カルトに尽くせ」
「カルトの喜びはお前の喜び」
「カルトの幸せこそお前の幸せ」
「カルトを裏切るな」
「カルトを欺くな」
「カルトに隠し事をするな」
「カルトの気持ちを踏みにじるな」
「カルトを傷つけるな」
「カルトの期待に応えろ」
人工音声のような抑揚のない声で淡々と紡がれる言葉。
その一つ一つが注射針のごとく大脳皮質に突き刺さり、注ぎ込まれ、じゅくじゅくと染み込んで、思考を侵食していく。

「余計なことは一切考えるな。幻影旅団のことも忘れろ。カルト以外の他人と親しくする必要はない」
反論したい。否定したい。だが、できない。
イルミの言葉が頭蓋の中で木霊し、反響して、脳髄の奥深くまで潜り込み、神経細胞の一本いっぽんにまで行き渡って、まるで血液のように全身を巡り、思考を塗り替えて支配しようとしているかのようだ。

カルトを愛せよ。カルトに尽くせ。
(カルト……)
カルトの喜びはお前の喜び。カルトの幸せこそお前の幸せ。
(いやだ。フィンクス)
カルトを裏切るな。カルトを欺くな。カルトに隠し事をするな。
(クロロ、助けて)
カルトの気持ちを踏みにじるな。カルトを傷つけるな。カルトの期待に応えろ。
(……カルト)

「いずれお前はカルトの子を産んでゾルディック家の一員となる」
「なぁに、心配ないよ。母親になれば嫌でも家族が一番大切なものに変わる。お友達との盗賊ごっこなんて自然と興味なくなるさ」
「分かったかい?フェイタン」

そんな筈はない。
そんなことがあっていいわけがない。
けれども――確かに、そうするのがいいのかもしれない。
隷属して生きていくのは今に始まったことではない。
自分には従うしか能がない。
旅団か、ゾルディック家か、属する組織が変わるだけで、やることは何も変わらない。
忠誠を誓う相手が変わるだけで、今までと何も変わらない。
どうせこの男には勝てない。ここから出られない。
ならばこの男の言う通り、せいぜいカルトに気に入られるようにするのが、自分にとって最善の選択なのだ。
カルトのために尽くす。カルトに尽くして、カルトの喜ぶ顔を見る。カルトの幸せが自分の幸せなのだ。
自分はカルトを愛している。
カルトのために生きて死ぬ。
カルトのためだけに存在する。
カルトが笑えば自分も嬉しい。
カルトが泣けば胸が張り裂けそうになる。
カルトが苦しめば息が止まる。
カルトの望みは何でも叶えてやりたい。
カルトが喜んでくれるなら、どんな屈辱にも耐えられる。
カルトに褒められればそれだけで天にも昇るほど嬉しい。
カルトが喜ぶならどんなことでもしてやる。
カルトが望むなら、子供だって何人でも孕む。
カルトが求めるなら、カルトに愛されるなら、カルトに奉仕するためなら、カルトのためなら――


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