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ていんていん、とゴム製のボールが転がった。
それを追い掛けたのは幼い頃の私で、あぁ、これは夢なんだな、と瞬時に理解した。
写真に残っているままの幼い私が、とてとてとオレンジ色のボールを追い掛ける。
ボールは、とある人の磨かれた革靴にぶつかって跳ね返り、その靴の持ち主によって拾われた。
───ティモ、だ。
ストライプのスーツに身を包んだティモが、きょと、と目をまあるくして首を傾げる私に、そっと拾ったボールを差し出す。

「君のかい?」
「うん」
「じゃあ返してあげよう」


おいで、と柔らかくティモが笑む。
───あぁ、そうだ。
これは、ティモと初めて会ったときの記憶だ。
遥か遠い昔のように感じる、確かな私の過去。
私が焦がれた、過去。

「ありがとう」
「いいえ。どう致しまして」
「おじいちゃま、だあれ?」
「私はティモッテオ。君の名前は?」
「しずくー」
「しずくちゃんか。良い名前だね」


しゃがみ込んだティモが幼い私の手にボールを乗せる。
幼い私はそれをしっかりと受け取ると、何を思ったのかティモに近付いた。

「どうしたのかな?」
「えー」
「うん?」
「テモ、う? ティモテオおじいちゃま?」
「ティモッテオ、だよ」
「うー?」


幼いからこその舌っ足らずさではティモの名前は発音しにくい。だって今の私だって発音怪しいし。
わかんない、と口を尖らせる幼い私の頭を撫でてくすくすと苦笑するティモに、幼い私はある提案をする。

「ティモおじいちゃまー?」

そう。
今の私のその呼び方を。
そう呼ばれたティモは一瞬だけ固まって、くすくすと今度は楽しそうに笑った。

「そうだね。ティモおじいちゃまだ」
「遊ぶー?」


子供って単純だ、本当に。
ボールを拾ってくれた人。名前を教えてくれた人。イコール、いい人。
だから遊んでもらえるなんて、本当に単純だ。
そして警戒心が全くない。

「しずくちゃん。おじいちゃまにボールでの遊び方を教えてくれるかい?」
「う?」
「あー、えと、うん。一緒に遊ぼう」
「んっ!」


小さい子供にもわかりやすい言葉に変えたティモは、ボールを握りしめた幼い私をひょいと抱え上げて、車道から離れた場所へ歩いていく。
今思えば、この時から大切にされていたのかもしれない。

「しずくちゃんに大切な人はいるかい?」
「つなよしー」
「! ツッ君かい?」
「そう、つなよし」


そう言えば、この頃から私は綱吉の名前をちゃんと発音していたなぁ。
思わず和んで笑ってしまえば、後ろから手が伸びてきた。
レースをふんだんに使った裾から覗いた手は大きく、男の人のもの。

「フィー?」
「そう、俺」

名前を呟いた後、後ろから伸びていた手は引っ込められ、とん、と隣にフィーが立った。
ふとフィーを見上げれば、フィーはくつりと喉を鳴らす。

「この後だ」
「え?」
「この後お前は『雪』に選ばれる」
「………そう、だっけ?」
「そう。正しく言うなら、この一週間後、お前はボンゴレ九世から『雪』を預かるんだ」

視線を再び幼い私に向ける。
楽しそうに笑い合っているのを見ると、ただ単に仲の良い祖父と孫だ。
───そうこの時から、

「早く大人になりたい。───お前は昔からそう泣いていた」
「………うん」

そう、大人になりたかった。
だって、だって。
ぐらりと視界が変わる。
フィーに腕を引かれるように、一度地から足を離した。
とん、と次に地に足を付けた時、幼い私はベンチに座っていて、ティモはその目の前で跪いている。

「ティモおじいちゃま?」
「君には、多くの未来がある。それを、私の我が儘で潰すわけにはいかない」
「う?」
「おいで」


膝を付いていたティモは、この間とは違うスーツに身を包んでいて、柔らかい笑みを浮かべて両腕を広げた。
そんなティモに、幼い私は嬉しそうに笑って飛び込む。

「君を、私の故郷に連れて帰れない」
「なんで? 一緒にいられないの?」
「出来ることならずっと一緒に居たいね」


幼い私を抱えたままに立ち上がったティモは、今度はベンチに腰を降ろした。
そして当たり前のように幼い私を膝に乗せる。
きゅう、とティモにしがみついたまま動かない幼い私の背を、ぽんぽんとティモが叩いた。

「ちょっと難しいかもしれないけど、ちゃんと聞いてくれるかい?」
「うん、」
「傍に居るだけが、一緒に居る事じゃない」
「?」
「ずっと一緒じゃなくても、私は君の傍にいるよ」


頭がぐらぐらする。
あぁ、そうだ。あれはティモの台詞だ。
口を閉じて過去の映像を見る。
ティモは瞳を揺らして再びきゅう、と幼い私を抱き直した。「君はまだ、幼い」

ゆっくりと静かに告げられたそれに、私は目を閉じた。
そう。
そう言われたから。
だから早く大人になりたかった。
大人になって、イタリアに行きたかった。

「お前は最近背伸びし過ぎ」
「フィー………」
「幼い頃から、頑張りすぎたんだ」
「そんな事ない」
「ティモッテオからの手紙が来なくなっててんやわんや、大騒ぎしてたのは誰だっけ?」
「大騒ぎはしてないし………」

思わずムッとなって言い返せば、こつん、と額を叩かれた。
その刹那、過去の映像は消えて、上には空が広がり、下には地が出来る。
地は、春を思わせる草花に埋もれて居たけれど、ちらりひらり、空から白い六花が降り出した。

「………ゆき?」
「そう。これは俺の世界。お前の魂に寄生した『俺』が喪わなかった能力(ちから)」
「フィー、の?」
「でなければ、過去の記憶なんて見るものではないだろう?」

くつくつと意地の悪そうに笑うフィーに、むすりと口を尖らせた。

「原点へ戻れ」
「『原点』?」
「お前はまだまだ庇護され、擁護され、愛され、慈しまれる14の幼い小娘にすぎない」
「──────」
「今回のように泣きたければ泣けばいいし、怒りたければ怒ればいい」
「っ、」
「お前が『大人』になるにはまだ早い」

ぐしゃっと髪をかき混ぜられ、目を細める。
それでも、───それでも。

「早く大人になりたい」
「同様にティモッテオも年を取る」
「それは、」
「だから今のウチに盛大に甘えろ。それに、背伸びしたところでガキはガキだ」

フィーの言葉が深く深く突き刺さる。
言っていることに間違いがないように聞こえてくるから尚更悔しくて、私はきゅ、と唇を噛んだ。

「この際キャバッローネの倅でもいい」
「へ………?」
「甘えるだけ、甘えとけ」

しんしんと降り積もる雪の中、微笑んだフィーはそのままとん、と肩を押してきた。
はっと目を覚ました私が見たのは金色の長い睫。
がっちりと私をホールドしてソファーに眠っているのは、穏やかな表情(かお)をしたディーノさんだった。

「だ、ちょ、」

なんつー寝方をっ!! と、口から零れそうになった悲鳴を飲み込んだ私は偉いと思う。



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