「う゛お゛ぉい、チビ姫ぇ」
「あ、すぴるべ」
「だからオレの名前はスペルビだっつってんだろうが」
「………すぴるべ?」
「だぁもういい。で、書けたのか?」
「書けたよ」
「………よし、スペルミスも何もないな」
「ん」
「偉そうに頷くなぁ。………ほら」
「んーん。平気」
あの日、オレの差し出した手を取らなかった幼子は、あの時の面影を残したまま少女に成長をしていた。
初めて会ったのは『ゆりかご』から一年───傷が完全に治った頃だったが、ボスが凍ったことからのショックからは這い出ていなかった。
その時だ。あの命を受けたのは。
ボンゴレからの、オレ名指しでの任務。暗殺でも護衛でもなく、ただ、幼子への手紙を手渡しし、その返事を貰ってくること。
なんつー任務だ、と思いつつも、ボスの氷を溶かせる人間なんて少ない。否、ただ一人、ボンゴレ九代目だけだ。
そんな九代目からの任務が、日本へ行くことだった。
約束の場所───並盛神社に行けば、小さい身体を更に小さくしてしゃがみ込んだ子供がいた。
ぺし、と紅葉のような小さな手で地面を───違う、蟻を叩いていた。
「何してんだ、ちびすけぇ」
「だれぇ?」
子供特有の高い声にぎくりと肩を揺らす。
仕事は暗殺だ。子供なんかの扱いはまったくわからない。
「あ、ティモのお手紙配達人だ」
「っ、」
「ティモのお手紙ー」
すちゃっと立ち上がってオレに手を伸ばした幼子はきらきらしい目でオレを見上げてきた。
「ほらよ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げた子供は、その後嬉しそうに笑ってきゅう、と九代目の手紙を抱きしめた。
「よく来るのかぁ?」
「ティモのお手紙? よく来るよー。だから頑張ってお返事書くの」
境内前の階段にちょんと座った子供は慣れた手付きで封を開け、二枚に渡る手紙を子供らしからぬ真剣な瞳で読み始めた。
途中、イタリア語になりきらない発音で単語を読み上げ、首を傾げる。それから傍らの赤い鞄から分厚い本を取り出した。───辞書だ。
初めて会ったときの彼女の印象は、子供のわりには生真面目だということだった。
それから、子供───静玖に手紙を渡す任務は2ヶ月続いた。
正直に言うなら、まぁ楽しい任務だっただろう。
人の名前をアイツが覚えなかったのもこの際水に流す。
だが、
(オレを忘れてるってどういうことだぁ、あのバカ!)
手を取った時、アイツの温もりを初めて知った。
だがそれ以前に苛立ったのは、ぽかんと呆けたアイツの顔。
そしてなにより、不信人物を見るような瞳。
初めて会ったわけでもあるまいし、と思ったのも束の間、本人も口を動かしたことに気付いていないだろうと思われるほど小さく、「だれ」と動いた。
そりゃあ確かに毎日会っていたわけではないし、アイツからすりゃあオレと会うよりも九代目からの手紙を受け取ることが目的だったとしても!
何も忘れる必要はなかったじゃねぇかっ。
「なぁ、マーモン、アイツ異様に燃えてね?」
「うん、鬱陶しいぐらいにね。………でも、レヴィのそれとはちょっと違うような気もするけど」
「はぁ? イミわかんねーし」
「君はまだお子ちゃまだってことだよ、ベル」
「サボテンにすんぞ?」
「だからお子ちゃまなんだよ。───スクアーロ!」
「なんだぁ」
同僚に声を掛けられ振り返る。
マーモンはベルの頭に乗ったまま、口を山形にした。
「君の懸想している相手は異性だよね?」
「それがどうかしたのかぁ?」
「君まで同性にべったりだったらヴァリアーは崩壊するよ」
「───あぁ、あれは異性だぁ」
そういうには些か幼いが、アイツは女で、オレからすれば立派な異性だ。
「何が何でも思い出してもらうぜぇ………!」
冷たく冷えた指先に口付けた温もりは、未だこの唇に残っている。
「ふぇっぷし!」
家光のおじ様が食い散らかし飲み散らかししたものを綱吉と片付けているとき、ふるりと背筋が凍ってくしゃみをした。
「大丈夫?」
「ん、平気。………風邪、かなぁ」
「だったら家へ帰りなさい」
「ビアンキさん」
ふわっと背中に私には大きめのカーディガンを掛けられる。
薄い桃色のそれは、間違いなくビアンキさんのだろう。
「うん、暖かいや」
「ちょ、静玖、本当に大丈夫?」
綱吉の手が額に触れる。
あ、暖かい。
思わず目を閉じれば、ぺん、と額をそのまま叩かれた。
「痛いよ、綱吉」
「ん、いや、風邪じゃないみたいだったから」
「まぁ、綱吉と違ってパンツ一丁で走り回ってるわけじゃないし」
そう言えば、綱吉は顔を真っ赤にして何か言い訳をしている。
聞き取れないのは、冷静になった綱吉がパンツ一丁で街中で闘い、そして軽く去なされてしまったことの恥ずかしさを思い出したために赤面して、まごまごとしか話せないからだ。
うんまぁ、確かにあれは恥ずかしいもんなぁ。
「冗談だよ、綱吉」
「お前なぁ………!」
ぽんぽんとその肩を叩けば、むっとした綱吉にぺんっ、と軽く叩かれて弾かれた。
綱吉は未だに耳まで赤い。可愛いなぁ。
最後の空き缶をビニール袋に詰めて、よいしょ、と立ち上がる。
肩に掛けてもらったカーディガンをそっと外してビアンキさんに返した。
あら、と言われてからまた肩にかけられそうになったので、ビアンキさんの手に手を重ねてそれを制した。
「どうせ隣の家だから大丈夫ですよ。お気遣い、ありがとうございます」
「そう?」
「はい」
「………気を付けてね」
ビニール袋を綱吉に渡して、私は沢田家を出た。
ふと空を見上げる。
秋が深まった空は、赤い赤い夕陽に染まっていく。
何事もなければ良い、なんて無駄な願いであることはわかってる。
それでも祈らずにはいられない。
(綱吉の『心』が傷つきませんように)
大空(そら)に願うのは、ただ、それだけ。