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溢れる涙を無視して、ハルちゃんに告げる。
今の自分がどれだけおかしいのか。

「知らないことを知っているの。知らないのに、どうしてだか知ってるの。『知らない』ってわかるのに、わかっているのに、それなのに自分の知識として当たり前のように持ってるんだ」

フィーの知識なのかもしれない。でも、フィーが知ってることを私まで知ってるのはおかしい。
それは普通じゃないし、あり得ない話だ。
だって私は、フィーが後継者に選んだからと言って、『フィー』になるわけではないのだ。だから、フィーの知識の継承はないはずだ。
それなのに、知らないことを『知っている』。

「さっきだって、変なこと言ってた。あんなこと知らない。私はあんなことを言いたかったわけじゃない」
「さっきの………システムとか?」
「そう、それ。私はただ、バランスが悪いから持ち主にまで影響してるんじゃないかって、それだけを言いたかったのに」

結局、最終的にはわけのわからないことを口にしていた。
まさか呼吸しにくくなるなんて、思いもしなかった。
思い出すだけでゾッとする。背筋が凍る。

「少なくとも、こんなことは元の世界…………過去にいた頃はなかった」
「………………何かきっかけは無かったんですか?」
「きっかけ………?」

ハルちゃんに抱き締められたまま、背中を擦られる。
ほ、と安堵のため息を吐いて、それから彼女の言葉を考える。
きっかけ、きっかけかぁ………。
いつからこんなになってしまったのだろうか。未来(こっち)に来てからなのはわかるのだけれど、はて。
フィーの影響が………ノントゥリニセッテの影響があったのは最初からだけれど、こう知らないものを知っているのはチョイスぐらいからだ。
きっかけは何、と問われると、はっきりしないような………?
いや、いや違う。無いわけではない。
そっとハルちゃんから身体を離す。そうして、左手に視線を落とした。

「雪月さんに会ってから………?」
「ユヅキさん?」
「あっ、えっと、初代雪の守護者の人。夢と言うか、私の意識がハッキリしてないときに会った人。自分に違和感があったのはそこからな気がするけど」
「その前のユニちゃんに会ってるのは覚えてます?」

ユニに?
………………あぁ、そうだ。そう言えば、彼女に呼ばれているような気がしたんだ。
だから、スペルビたちの静止を振り切って会いに行った。
でも、覚えてない。彼女と会ったのは覚えているけれど、その後確か私、寝ちゃったんじゃなかったかな。
だから雪月さんと夢で邂逅した………で、その間私の身体をフィーが使っていた。
その流れの筈なんだけれど。

「ユニちゃんに手を引かれて歩いて合流したのは覚えていますか?」
「私がみんなと合流した時、『私』じゃなくって、『フィー』だった、よね………?」

そこでようやく、頬を伝う涙を拭った。
持ってきたタオルでも使おうかと思ったけれど、あれはあれで血を拭ってしまったので、今はもう使えない。
ふぅ、と大きめのため息を吐いて、木の幹に背を預けて座る。そんな私の隣に、ハルちゃんもちょこりと座った。

「はい。あの時の静玖ちゃんは、静玖ちゃんではなかったです」
「それは綱吉に聞いたから知ってる。………………うん、ユニに会えたことは覚えているけど、そこで何があったかはわからないなぁ」

あの時は眠たかったのもあるけれど、それと同じぐらい、兎にも角にもユニに会いたかった。そればかりが胸中に満ちていた。
…………いや、まさか。まさか、そんな。
思わず胃のあたりを撫でる。ハルちゃんが大丈夫? と顔を覗き込んで来たので、こくり、と頷いた。
だけど、身体を撫でた指が震えていることに気が付いて、これっぽっちも自分が大丈夫じゃないのだと目の当たりにしてしまった。

「静玖ちゃん」

そんな私の手に、ハルちゃんが手を重ねてくる。
お腹から手を遠ざけて、ハルちゃんが両手できゅうと、優しくやんわりと温もりをわけてくれるように握りしめてくれた。
その暖かさに目を細めて、私も彼女の手を握り返した。
………言って、いいのだろうか。許されるのだろうか。
わからない。
唇が震える。緊張と不安からか、背中に冷たい汗が伝った。

「静玖ちゃん、言いたくなかったら言わなくて大丈夫ですよ」
「………………うん」
「でも、言いたくなったら言わなきゃ駄目です。静玖ちゃんはもう、溜め込むのはなしです」
「………………………あのね、」
「はい」

ハルちゃんの柔らかな声に、縋りたくなる。
………もう、縋って、しまおうか。

「―――――――――ユニが、ユニがこわいんだ」

ほろり、溢れた言葉を取り返すことは出来ない。だからずっと、声に出すことは出来なかった。したくなかった。

「ユニちゃんが?」
「うん」
「………………どうしてって聞いても、大丈夫ですか?」
「わからないんだ」
「わからない」

そう、わからないんだ。
どうしてユニが怖いのか。それでも彼女の傍にいると安心するのは何故なのか。
どれもこれもわからない。

「彼女を見ると安心するんだ。彼女の傍にいると安らぐんだ。彼女が元気にしているととても嬉しい。それらは何一つ嘘じゃない。それなのにどうして、どうして…………ッ!!!」
「静玖ちゃんっ」
「同じぐらいに怖いんだ、ユニのことが。彼女に何かされたわけでもないのに、それでもどうしようもないぐらいに、怖くて、傍にいると苦しいんだ」

ハルちゃんの手を握る手に力が込もる。
今まで口に出来なかったものをするというのは、とても勇気も気力もいるものだ。

「こんなこと言っちゃいけないのはわかってる。でも、」
「………さっき、京子ちゃんのお兄さんに相談していたことですか?」
「………………うん」
「だったら、静玖ちゃんが否定しては駄目です。静玖ちゃんがそう感じたのなら、もしかしたら、何かあるかもです」

何か?
何か、あるのだろうか。

「静玖ちゃんも、ハルたちもみんな、ユニちゃんと静玖ちゃんの間に何があったかを知りません。―――知らない間に、何かあったかもしれません。何もなかったかもしれません。そこは静玖ちゃん本人にもわからないのです。………………………もし、もしですよ?」

そこで言葉を切ったハルちゃんは、少しだけ視線を反らして、だけれどまた私をしっかりと見て、口を開いた。

「何かあったとしたら、絶対にそこです。でもだからって、そこをユニちゃんに聞いても答えてくれないとは思います」
「どうして?」
「―――ユニちゃんにとって、不都合があるからです」

ぱちくり、と目を瞬かせる。
ハルちゃんは、何を言っているんだ。

「貴方に何かした。それを知られることがユニちゃんにとって不都合なことなのかもしれません」
「どうして、そう思うの?」
「だって、もしユニちゃんが貴方に危害を加える気のないことをしてしまって静玖ちゃんが苦しんでいるのだとしたら、たぶんあのユニちゃんなら謝ると思います」

短い時間しか接していないけれどそう思うのだと、ハルちゃんはそう言った。
ユニなら、謝る………? 確かに、ありがとうもごめんなさいも、ちゃんと言うタイプだとは思うけれど。

「えっと、チョイスの会場からこっちに帰ってきた時のことを覚えてますか?」
「うん」
「あの時、ハルたちはベースの中にいました。その時、こっちに戻ってきた衝撃で、ユニちゃんがランボちゃんを踏んじゃったんです。その時、ちゃんとユニちゃんは謝ってましたし、『踏まれたから俺っちも踏む』って言ったランボちゃんを、怒ることなく受け入れてました。そんなユニちゃんです。もし、誤って何かしてしまったのなら、彼女は謝ると思います」

そんなエピソードがあったんだ。それは知らなかった。私はその時、外にいたからなぁ。
ユニなら謝る、か………。確かにそんな感じがしてきた。
でも、だとしたら、

「ユニも何か抱えてる可能性が見えて来ちゃったなぁ………」
「そうですね」

困ったね、なんてハルちゃんと目を合わせて笑い合う。
………少しだけ呼吸がしやすいような気がする。どうしてだろう。後なんか、胃のあたりも落ち着いてきたような………?
やっぱり、口にしてみた方が良かったのだろうか。うぅんと、たぶんそうなんだろう。少し、気が楽になったともいうか。
否定しないでいてもらえたのはとても良かったし、これ以上一人で考えていたら、もっと煮詰まっていたかもしれない。

「どうですか?」
「え?」
「ハル、役に立ったでしょう?」

わざとらしくニマーと笑ったハルちゃんに、思わず吹き出してしまった。
あぁ、あぁ、どうしよう!
『役に立つ』だなんて、そんな言葉で君を讃えやしないのに!!

「君がいないと息が出来ないぐらいだよ!」
「はひ?!」
「あ、いや、ちょっと誇張表現かな。いやでも、ふふ、うん。君で良かった。君に………ハルちゃんとちゃんと話せて良かった。なんて言ったら良いのかな。あぁ、そうだ。ちょっとだけ、肩の荷が下りた。………………ありがとう、ハルちゃんのおかげだよ」

思わず口から飛び出た言葉があまりの発言だったから否定しまったけれど、気持ちとしては本当にそうだった。
ハルちゃんが私と話したいって思わなければこうはならなかった。それはとてもありがたいことだ。
…………て、アレ?

「ハルちゃん?」
「………………く、」
「く?」
「口説かれるだなんて思ってなかったです………」

口説いてはないですね………? あれ?
勢い余って口から出た言葉が確かに口説いていたな、と気付いた時には、ハルちゃんの顔は真っ赤に染まり上がっていた。











すぐ戻る、なんて言ったわりには結構時間をかけて帰ってきた。
のだけれど、

(あれ………?)

ハルと仲良く手を繋いで帰ってきた静玖は、さっきまでと違って、さっぱりとした顔つきだった。
タオルを無理矢理丸めてあるのが少し気になるけれど、それぐらい。
それと、そんなにハルと仲良かったっけ? なんて首を傾げたけれど、仲が良いのは良いことなんだろう。

「遅くなってごめんね!」

なんて、元気に発言されて、言おうとしていた不満は飲み込んでしまった。
いや本当、元気になったね?
元気になったことも良いことだ。同じことを思っているのか、ユニも嬉しそうにしている。

「ツナさん、聞いて下さい! ハル、静玖ちゃんに口説かれました!」
「あぁ、まぁ、それはよくあることだからスルーしていいよ」
「よくあることなんですか?!」
「まぁ、静玖だし」
「そうだね、静玖だもんね」
「ちょっと綱吉、深琴ちゃん。それはどういうことかな」

ハルがやんわりと頬を赤く染めて言うので、思わずそう言ってしまった。
ただ、そう考えたのは俺だけではなくて深琴もそうだったみたいで、うんうんと頷いている。
あ、京子ちゃんも頷いてる。待って、静玖。京子ちゃんまで口説いたの?! いつ?! 京子ちゃんに何言ったのさ!

「え? お前、クロームのことナンパしたんだろ?」
「いや、それはそうなんだけど………あれ、くーちゃんナンパしたの言ったっけ?」
「クロームが言ってた。前に言ってたの、クロームのことだったんだな」
「あー………。あれ、やっぱりくーちゃんもナンパと受け取ったかぁ」

いやまぁ、あれはナンパだよなぁ、なんて笑う静玖はさっきよりずっと顔色がいいし、なにより『辛そう』じゃない。

「ナンパ、ですか………?」
「おい、姫の教育に良くねぇんだが」
「別に綱吉がしたわけではないし………。いや、私がするのも大概なんだけど」

なんてγの発言に対して前置きをした静玖は、ハルと手を繋いでいない反対側の手の人差し指をぴんと立てた。

「初対面の女の子があまりにも寒そうな格好していたので、喫茶店に入って、二種類のケーキを半分こして、別れ際にマフラーとホッカイロをあげたって話なんですけどね」
「ナンパだ」
「ナンパですね、凄い」
「うーん、誰も彼もにするわけではないんだけどなぁ」

なんて言う静玖は、顎に添えて悩み出した。
まぁ、確かに静玖は誰も彼もをナンパすることはないし、口説くわけではない。
静玖が持ってる『可愛い』の基準を飛び越えられた人だけが対象だ。それはなかなか存在しない。
なんせ静玖にとっての『可愛い』の基準は深琴だからね。

「可愛い子が寒そうな格好しているのを放っておくわけにはいかなかったからね、あれは仕方ないんだよ」
「仕方なくでナンパ………」
「うわぁ」

うわ、太猿と野猿に引かれてる。いや、初対面はそうなるよね。
獄寺君も渋い顔してる。あ、バジル君はきょとんってしてた。静玖がナンパって、まぁ、なかなか結びつかないからなぁ。

「静玖殿が、ナンパ、ですか? する側ではなく、される側では?」
「えぇ、私が? されたことないよ」

バジル君は面白いこと言うね、なんて笑う静玖を見て、バジル君はちら、とこちらに視線を向けてきた。
え、なんでそんな縋るような視線をこっちに寄越すの、バジル君。
いや、えっと、静玖は女の子だからね。ナンパはされる側ではある方なんだけど………。
思わずバジル君の隣に走る。そうして、静玖には聞こえないよう声を小さくして、

「静玖さ、されたことないから、そういうとこ無警戒って言うか、『自分がされるわけない』って思ってるっていうか、」
「えぇ、そうなのですか………。いやでも、正直、ディーノ殿やスクアーロの対応見れいれば、ちゃんと『女の子』として見られておられるかと」
「そういうとこ疎いんだよなぁ………」
「それは、沢田殿としては心配なのでは」
「うん」

俺からすれば、静玖も深琴も、両人とも魅力的な女の子なのに、どうして静玖は自分を蚊帳の外に置くんだろう。

「いつか、静玖殿がわかるといいですね」
「へ?」
「彼女がちゃんと魅力的な女性なのだと、静玖殿がわかる日が来るといいですね」

うーん。
いや、でも、

「それはそれで寂しいかな、しばらくはあのままで良いかなぁ」
「沢田殿」

そう思ってしまうのは、あいつがいつだって俺を優先してくれているからだ。いつだって俺を『特別』にしてくれていた。
だから、だからまだ、

(あいつの特別でいたいと思うのは、俺のわがままなのかな。………なんだろうなぁ)

いまだハルの手を繋いだまま、先程までよりずっといい顔色でにこにこ笑っている静玖を見て、そう思うのだった。



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