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システムのリセット。
システムの初期化。
なるほど、静玖さんは本質を知らない間に気付いてしまっていたのでしょう。
沢田さんに抱きしめられたまま浅い呼吸を繰り返す静玖さんを見て、そう思いました。
沢田さん………この時代の沢田さんは仮死状態。
アルコバレーノを復活させるためには、私が命を―――魂を捧げる。
白蘭は、沢田さんが倒す。
この世界のトゥリニセッテを守る『大空』たち全員、一度死を迎えるのだ。それが本当であれ、偽りであれ。
なるほど、確かにリセットですね。きっと、沢田さんが過去に帰ってからシステムが一新されるのでしょう。
ふぅ、とため息を一つ。あまり大きくしてしまうと、γも沢田さんも静玖さんも心配するから、とても静かに、静かに。
そうして思い出すのは、私が幼い頃から視た景色。
怪我をした皆さんとこの地で語らう姿。
これから世界を賭けた戦いが始まること。
――――――私が、彼女を殺しかけるところ。
ずっとずっと、視てきた。
ゆっくりと目を閉じる。
コートの中、アルコバレーノたちのおしゃぶりに密かに炎を渡していく。誰にも知られないように、密かに、密かに。そうしながら、静玖さんにもフィーにも許可を取らずに、勝手に彼女と私を繋げて、僅かに炎を貰っている。
これは、私の罪。他でもない、まだアルコバレーノですらない彼女をアルコバレーノの私に付き合わせる、私の罪。

「静玖、どうかな」
「…………………」
「びっくりしたね」
「うん」

フィーに引きずられて、知らないはずのことまで知っているかのように振る舞えてしまうのは私の所為。
だけれど、それを静玖さんは知らない。
言ってしまえれば良かったのだけれど、それを言うには、フィーからの炎を借りていることを言わなければならない。それを言ってしまうと、アルコバレーノのおしゃぶりに炎を貯めていることを言わなくてはならない。
―――それは出来ないから。
これは、たぶんリボーンおじさまやラルさんには気付かれているだろうけれど、他の人に気付かれるわけにはいかない。
白蘭に、悟られるわけにはいかないのです。
ゆっくりと静玖さんが沢田さんから離れたのが見えた。
視線をあちこちへと走らせ、それから。

「ちょっと一人になりたい」
「は? 駄目だろ」
「綱吉」
「『大丈夫』じゃないのは自分が一番よくわかってるのに」
「ありがと、綱吉。でもちょっとだけ」

すぐに戻るから。
なんて言って笑う静玖さんに、沢田さんは二の句が告げないでいた。
そんな沢田さんにぎゅっと抱き着いた後、素早く離れた静玖さんは、

「んじゃ、そういうことで。すぐに戻るからね!!」

念を押してそう言った後、水の入ったペットボトルとタオルを片手に私達から少し離れていってしまった。

「あっ、静玖!」
「ツナさん、待って下さい!」

追いかけようと立ち上がった沢田さんに待ったを掛けたのは三浦さんだった。
なに、と首を傾げた沢田さんを安心させるように、三浦さんもまた微笑みながら、口を開く。

「女の子には、男の子に言えない秘密があるんですよ? だから、追いかけるならハルが追いかけます。ツナさんは少しでも休んでいて下さい」
「ハル…………。……………………………頼んでも大丈夫?」
「! はい、ハルにお任せ下さい!」

三浦さんの顔色を見て、沢田さんは意を決してそう告げる。
それは間違いなく、信頼の証だった。
そうでなければ、静玖さんのことを頼んだりしないのだろう。
三浦さんもその沢田さんの信頼に気が付いたのか、先程までの笑顔を三倍ほど輝かせて、静玖さんの後を追った。
―――女の子には秘密がある。
えぇえぇ、まさしくその通り。
そっと胸元にあるおしゃぶりに触れる。
おばあちゃん、おかあさん、ユニの決意を、見守っていてください。
そう祈って、おしゃぶりを握りしめた。










ハルは決めたんです。
あの時―――平然と自分自身を差し出した柚木さんを見たときに、自分がどうしたいのかを考えて、考えて、たくさん、考えて、その間にあった色々なことを飲み込んで、それでやっと答えが見つかって。
だからちゃんと、彼女と話をしようと思ったから追い掛けてきたのに。
ランタン型のライトで柚木さんを照らす。
耳を疑うような咳の音と、びしゃり、音を立てて吐き出される血。
木の根本で蹲って苦しそうに呻きながら血を吐く柚木さんの姿を見て、頭の中が真っ白になる。
吐きながら、ハルの姿を見とめると、眉を寄せて、困ったように笑うのだ。

「困ったなぁ………。一人になりたいって、言ったのに」
「柚木さん、いつから………………」
「不動産屋さん行ってからだから最近だねぇ」

けほ、と最後の咳をした後、ペットボトルの水で手を洗い、嗽している。濡れた手をタオルで拭いているあたり、とても冷静だった。
どうして、どうして!
ライトを柚木さんの傍に置いて思わず彼女をぎゅっと抱き締めた。さっき、ツナさんがやっていたように。
腕の中で柚木さんが目を瞬かせているのを感じる。
でもそんなの、気にしている場合じゃない。

「三浦さん………?」
「もう、全然大丈夫じゃないじゃないですか! なんでツナさんにも獄寺さんにも黙ってるんです?!」
「今、それどころじゃないけど」
「だからって、柚木さんがソレを隠す理由にはなりません!」

ハルが声を張り上げれば、戸惑った声が聞こえる。
どうしてそこで悩むのだろう。
素直に言えばいいのに。わざわざ隠すようなことではないはずなのに。
この人は無自覚に、無意識に自分を二の次にしているのでないでしょうか。
こんな、血を吐くなんて正常じゃないのに、それなのにどうして誰にも助けを求めないのだろう。
胸元に柚木さんの耳を無理矢理押し付ける。
三浦さん………? なんて戸惑った声でハルを呼ぶ彼女に、バクバクと鳴っている心臓の音を聞いてもらう。

「あのですね、柚木さん」
「うん」
「ハル、決めたことがあるんです」
「えぇと、それ、この姿勢で聞かなきゃ駄目かな?」

血がつくよ、なんて言う柚木さんを抱き締める腕に力を込める。
水で洗って、タオルさえ持ってきていたくせに、汚れるはずがないのに。

「ハルは、ツナさんが好きです」
「う、うん」
「だから、初めて会ったとき、柚木さんに嫉妬しました」
「………うん」

彼女のことが苦手だったのは、ずっと嫉妬していたから。
そのことから目をそらして、彼女にキツく当たっていた。それはハルが未熟だから。
でも、………でも、ハルは気付いてしまったのです。

「だけど、柚木さんがツナさんから貰っている『特別』は、ハルが欲しいものではなかったんです」
「………………………うん」
「確かに、ハルはツナさんの『特別』になりたいです。でも、柚木さんの立場になりたいわけじゃない」

ツナさんにとって柚木さんは『特別』だ。それは、柚木さんのお姉さん…………深琴さんでも彼女の代わりにはなれない。
たぶん、ツナさんから柚木さんを外したら、それはもうハルの好きなツナさんではない存在になると思うのです。
それに、ツナさんが柚木さんに向ける『好き』は、ハルがツナさんから欲しい『好き』では決してないのです。

「三浦さんは、綱吉が大好きなんだね」
「はい。ハルはツナさんに命を救ってもらったのです。きっかけはそれですけど、ツナさん、どんどん格好良くなるんですもん。ハルの心臓は保ちません」
「………………ふふ、」
「柚木さん?」
「綱吉は変わらないよ、ずっと。ずっと優しくて、ずっと強くて、ずっと格好良い」

嬉しそうな声に、どくん、と心臓が跳ねる。
たぶん、胸元に柚木さんの頭を抱えているから、彼女には聞こえてしまっただろう。
でも、でもそれでも構わない。いっそ、たくさん聞いてほしい。

「そう言えるのは、きっと柚木さんだけです」
「そうかな。そんなことないと思うのだけれど」
「いいえ。たぶんきっと、深琴さんでも言えないことです」

そうだろうか、なんて呟いた柚木さんは、それでも動かずハルの腕の中にいてくれた。

「それでですね、ハル、反省したんです」
「反省?」
「そうです。初対面の貴方に対して、すごく失礼な態度を取りました」
「それはお互い様だったから、お互いにごめんなさいしたよね?」
「はい、お互いにごめんなさいしました。でも、改めてちゃんと、ごめんなさいを言いたかったんです」

でも、ごめんなさいしたからってそれで終わり、では嫌だった。
ようやく、嫌だと思えたのだ。
彼女があの時ハルに冷たい態度をとったのは、先にハルが冷たく接したからだ。だからこれは、『冷たい態度をとってごめんなさい』と、『冷たい態度をとらせてごめんなさい』なのです。

「………謝罪はちゃんと受け取ったから、もう無し。ね?」
「はい」

よし、ここまでは大丈夫。
緊張からか、バクバクと心臓が早く鼓動を刻んでいく。
柚木さんを抱き締める腕に冷や汗をかく。心臓の鼓動は気付かれてもいいけれど、この冷や汗には気付かれたくない。

「そこで、柚木さん」
「なあに」
「ハルは、決めたことがあるんです」
「はは、そこに戻るのかぁ」

戻ります。戻りますとも。
ハルはまだ、彼女に宣誓していないのだから。

「ツナさんに、ハルのことを好きになってもらいたい。そうして、静玖ちゃんにも、ハルのことを好きになってもらいたい」
「…………!」
「そしてハルは、貴方の『特別』になりたい」
「へ…………………? 特別?」

あの時の柚木さん―――深琴さんとの人質交換を言い出した静玖ちゃんとその周りの人たちを見てて、気付いたとがあった。
彼女は、自分を蔑ろにする判断を誰にも相談していないということだ。
今だってそう。自分が苦しいのに、誰にも言っていない。隠していた。たぶんきっと、ハルが来なかったらずっと誰にも言わないで隠したまま。
そんなの、そんなの………寂しいから。

「ハルは、誰よりも一番に、貴方の弱音を聞ける存在になりたい」

苦しいのなら、苦しいと言ってほしい。
寂しいのなら、寂しいと言ってほしい。
助けが必要なら、そう言ってほしい。
何も出来ないかもしれない。でも、何かが変わるかもしれない。

「弱音?」
「はい。………でも、弱音じゃなくったって良いんです。なんでも、なんだって。ただ、貴方が本音を話せるモノになりたい」
「本音」
「本音」

相変わらず、困ったままの声色だ。
わからなくはないのです。たぶんきっと、ハルがこんなことを言い出すとは思ってなかっただろうから。
これでもハルは、いっぱいいっぱい考えたのです!

「ツナさんにも、ディーノさんたちにも言えない、そんな本音を吐き出せるような、そんな立場になりたいです」
「えっと、」
「もちろん、今すぐではありません! たぶんきっと、時間が掛かると思います。でもまず、知ってほしいのです」
「知る?」

少しだけ身体を離して、静玖ちゃんがハルを見上げてきた。
血を吐いたからか、顔色は当然良くなかった。

「ハルは、静玖ちゃんのことをよく知りません。だからこそ、もっともっと知りたいのです。そうして、ハルのことも知ってほしい。何が好きなのか、何が嫌いなのか、苦手なものがあるとか、ないとか、そんな些細ででもとても大事なことが気兼ねなく話せる、そんな友達になりたいのです」
「………………………」
「きっと、クロームちゃんの方が『役に立つ』のだと思います。でもだからこそ、ツナさんやクロームちゃんには話せないことがあると思います」
「っ………!」
「何も出来ない、何も知らないハルだからこそ、話せることを聞いてあげたい」

彼女の助けになりたい。
一人で先に行こうとしてしまう彼女を、引き止めることが出来ないのなら、一緒に歩いていくしかない。
静玖ちゃんはきゅ、と唇を噛み締めた後、ぽすり、ハルの胸に頭を預けてきた。

「静玖ちゃん?」
「……………………ハルちゃんはなんで、どうして、そういう決意を?」
「ちゃんと静玖ちゃんと、向き合いたいって思ったから」
「私と」
「そうです。他でもない貴方と」

他の誰でもない、静玖ちゃんと、ちゃんと向き合いたいと思ったから悩みました。
次々と起こることに対応しながら、それでもずっと、頭の端で考えていたこと。
………………あぁ、やっぱり。

「名前で呼べば名前で返してくれますね!」
「うん?」
「獄寺さんのこと、名前で呼んでてずるいって思ったんです。ついさっきまで『獄寺君』だったのに。だから、まず最初にハルの名前を呼んでもらおうって決めてたんです」
「……………………………」
「静玖ちゃん?」

胸元で、静玖ちゃんが笑っている。少しは元気になったのだろうか。
それとも―――………。
思考がまとまる前に身体が固まってしまった。
ハルの背に、静玖ちゃんの手があるからだ。

「静玖ちゃん、何だって良いんです。吐き出す場所に、ハルを使って下さい」
「…………何でも?」
「はい、何でも。………解決は出来ないかもしれない。でも、自分の中だけで溜め込むのは身体に良くないです」
「………………うん」
「静玖ちゃんが血を吐いちゃったのは、心が限界だからです。心が疲れちゃってるんですよ」
「…………………心が?」
「そうです。いっぱいいっぱい溜め込んじゃうから、もう心が限界だったんですよ。心の不調は身体に出るし、身体の不調だってて心に影響します。それに、身体はとっても正直ですから、ここで静玖ちゃんに休めって言ってるんです。ハルはそう思います」

本当の原因は他にあるかもしれない。でもハルは、そう思うのです。
血を吐くのは正常じゃない。それをきちんと、静玖ちゃんに理解してほしい。
そう思っていたら、ハルの背に回してあった手が離れて、身体も離れていく。

「――――――――――!」

ぽたり、ぽろり、静玖ちゃんの目から涙が溢れる。
静玖ちゃん、と彼女の名前を呼べば、静玖ちゃんは涙を拭うことなく、そのまま口を開いた。

「ハルちゃん、私、おかしいんだ」

未来に来てからずっと、おかしいんだ。

そう言って涙する静玖ちゃんを、また抱き締めることしか出来なかった。



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