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初めてその指先に触れた時、何故か僕は心満たされる心地を抱いたんだ。
それはたぶん、君に対する好意だったんだろう。

「………君もこれを?」
「あ、あぁ、うん」

こくん、と僕が首を縦に動かせば、はい、と彼女の手の内に収まっていたCDを渡された。
CDショップで同じCDを取ろうとし、それを譲られた。
彼女───柚木静玖との出会いは、そんな些細なものだった。
そこから何故だか交流があって(所謂意気投合だ)、今、僕は彼女の勉強を見ている。
当然、公営の図書館で、だ。
静玖ちゃんは特別頭が良いわけでもなく、悪いわけでもなく、所謂「普通」なんだと思う。

「正一くんは頭が良くて羨ましいなぁ」
「そう?」
「あ、でもその分頑張ったんだよね? 私にはそういう努力出来ないから尊敬できる」
「僕は、君のそういう竹を割ったようなところが尊敬できるよ」

静玖ちゃんはクラスメートの女子とは違って、特別騒ぐような子じゃないし、人を見た目で判断しない子だ。
飄々としているようでその芯はしっかりしてるし、掴みにくい性格をしているわけじゃない。
むしろわかりやすいと言うか、理解しやすいと言うか。
かりかりとノートに文字を書いていく静玖ちゃんは特別整った容姿をしているわけじゃない。でもだからって醜いわけじゃない。
所謂「日本人」と言われる容貌だ。

「正一くん、ここは?」
「ん? あぁ、そこはね」

とりあえず自分でトライしてみる静玖ちゃんの勉強に対する姿勢は嫌いじゃない。むしろそれは必要なことだと思う。
何がわからないのか、何故わからないのか、自身が把握しなければ意味はないから。

「問3の応用だから、まず問1の公式を当てはめて、このカッコ内の計算をするんだ」
「うん」

かりかりかり、真っ白なノートを黒く染めて計算する静玖ちゃんに、その視線が自分に向いていないからと細く笑んだ。
眼鏡掛けて勉強が出来る男子は基本的に「ガリ勉ヤロー」と認識されるけど、静玖ちゃんはそんな風に扱ったりしない。
僕の夢を聞いても、笑わなかった。
いや、嘲笑わなかった。
音楽とか、技術関連技工の話をしたって彼女はただ、うんうんと相槌を打つだけ。
最初ちゃんと聞いてるか疑ったけど、彼女はちゃんと聞いていた。そしてにっこりと笑う。
ロボットとか、細かい専門的な説明も聞いてくれた。
嘲笑(わら)うことなく一方的に喋り続ける僕に、彼女は笑って聞いてくれる。

「あ、ここでこの公式を当てはめればいいんだね」
「うん」
「なるほど………。ってことは、問5は問2の公式で計算してから、ってこと?」
「そうだよ。式が長くなるとわかりにくいけど、区切って一つ一つ計算していけば、実はわかりやすいから」

数分してから、出来た、と笑う彼女からノートを預かる。採点は僕の役目だ。
筆箱から赤いボールペンを出して円を付けていき、満点だったので最後に花丸を付けると、静玖ちゃんは少しだけ幼く笑った。

「はい、お疲れ様」
「ありがとうございました」

ぺこっと行儀良く頭を下げる静玖ちゃんに、僕も力無く笑った。
あぁ、どうしよう。
心臓が痛い。
赤くなりそうな頬を叱咤して、勉強道具を片付ける静玖ちゃんに倣って僕も出していたそれらを片付ける。
この後、外のベンチで話すのはいつもの流れだ。
本当は図書館内にいたいけど、声が響いて追い出されるから却下。そしてファミレスなんて、中学生のお小遣いじゃ、毎回行けるわけがない。
だから自動販売機の120円の飲み物を片手に世間話。
僕らにはそれぐらいがちょうど良い。

「ねぇ、正一くん」
「うん?」

自動販売機の前で飲み物を選んでいると、名前を呼ばれた。
いつも通り、いつも選ぶお茶のボタンを押せば、それはガコンという音とともに出てきた。
ひんやり冷えた缶が気持ち良い。

「正一くんは良いね」
「は?」
「騒ぐわけじゃないし、こう言ってはあれだけど、目立つような人じゃないし」
「それ、どういう意味?」
「えぇと、ほら。目立ちたがり屋じゃないって話」

ぴっと静玖ちゃんが押したボタンはペットボトルの水だった。これもいつも通り。
彼女は基本、水しか飲まない。なんでも、缶のお茶も紅茶も美味しくないらしい。

「友達に、目立ちたがり屋と言うか、ノリが良い子が居るんだけど、そっちも最近悪くないかなって思ったんだよね」
「うん」
「でもちょっと、そうじゃないんじゃないかなぁって気もしてきて」
「ふうん?」
「結局は、自分のペースを乱されるのが嫌いなだけかな、って」

でもそれって自分勝手だよね、と呟く静玖ちゃんに、思わず吹き出した。
そうやって自身を省みてる人間は、結果『自分勝手』になんかならないのに。

「そういう選定は誰だってしてると思うよ」
「そう?」
「つき合いにくい相手より、つき合いやすい相手を選ぶのは当たり前だと思う。だから僕だって、」

僕だって君と居るんだし。
なんて恥ずかしい台詞は口にできなくて、顔を赤く染めて口を閉じた。
く、空気読め、僕の馬鹿っ!
黙った僕にきょとん、と目を丸くした静玖ちゃんは、ぱちぱちとゆっくり瞬いて、それからぼふっとベンチに座る。
ぷしゅ、と缶の蓋を開けてから静玖ちゃんの隣に座れば、静玖ちゃんはじっと僕を見て来た。

「『僕だって』?」
「………君と、居るんだし」
「ありがとう、正一くん」

結局言わされた一言。
きっと静玖ちゃんは特に気にしないでその言葉を受け取るんだろう。
まぁ、確かにそんな深い意味はないけれど、少しむっとする。
もう少しこう、慌てたっていいのに。
くい、と眼鏡を押し上げから、僕は缶に口付けた。
冷たい液体がすぅっと身体に染みていき、ほぅ、と小さいため息が勝手に出る。
隣で喉をこきゅこきゅ鳴らして水を飲む静玖ちゃんを確認して、再びため息。

「正一くんにそう言ってもらえるのは嬉しいなぁ」

ペットボトルから口を離してすぐにそう言うものだから、危うく飲んでいたお茶で噎せそうになった。
ぽろっとあっさり言っているけれど、聞いた方としてはそれはむず痒い台詞だ。
こっちこそ、嬉しいのと恥ずかしいのと、そしてやっぱり嬉しいのだと思うと、身体がむず痒くなる。
火照った身体を誤魔化すようにもう一口お茶を飲んで、静玖ちゃんを見れば、静玖ちゃんはあっけらかんとしていた。
うんまぁ、そうだよね。
深読みしたところで、静玖ちゃんにそう言った意図はないんだし。

「前途多難だなぁ」
「ん? 何か組み立て中のロボットでもあるの?」
「機械より人間の方がよっぽど難解なんだよ、静玖ちゃん」
「ふうん?」

わかったようでわかってない静玖ちゃんの相槌に、僕は少しだけ痛みだした胃を無視した。

指先から広がる熱に、僕はどうしても抗えそうにない。



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