アンバランスor――5


エピローグ
 「薬は飲まない」
 そう言って、僕はベッドにもぐりこんだ。夕食にスープとオートミールを食べたあと、痛み止めの薬を飲めと、アルジーが言うのだ。
 抜歯のあとの痛みはひどくて、ろくに食事もできないくらいだったけど、僕は我慢するつもりだった。
「絶対に飲まない」
「頑固だね」
 アルジーはため息をついた。
 そして僕の顔をのぞきこむ。
「まだ少し腫れているみたいだね」
「明日には治るから――」
 放っておいてほしい、と言おうとした。本当は喋るのだって辛いのだ。
 それなのにわずかに開けた口のなかに、アルジーが指を滑り込ませてきた。そして別の手でもっていたグラスのなかの液体をを自分の口に含むと、指を抜く。舌の上に何かのっているのがわかったけど、吐き出す間もなく、アルジーはくちづけするようにくちびるをふさいだ。口移しで水を注ぎ込まれて、そのまま飲みくだしてしまう。
「薬――?」
「さあ、どうかな」
「アルジー!」
 抗議の声をあげたけど、アルジーは相手にしない。
「いいから。おやすみ」
 そう言って、僕の肩を毛布でつつみこむようにした。
 痛み止めは麻薬のようなものだから、飲みたくないのに。我慢するつもりだったのに――
 腹が立ったけど、痛みはやんわりとひいていった。そのままうとうとしていると、アルジーがベッドにもぐりこんできた。
 僕と目があうと微笑みかけ、額に接吻した。ランプの光を小さくする。
「おやすみ、バート」
 そして目を瞑ってしまう。
 僕は暫くその顔を睨みつけていたけど、薬の効果かすぐにまた眠くなってくる。それでもまだ少し痛みはあったし、アルジーに対する腹立ちも消えなかったから、彼に背中を向けて眠ろうとした。だけと――
 アルジーに背中を向けると、痛い方の頬を下にすることになるのだ。三十秒ほどは我慢していたけど、結局痛みに負けてまた体の向きを変えた。
 目を閉じたまま。
 アルジーとはできるだけ離れて。
 そうして浅い眠りに誘われていくなか、僕は考えていた。
 時折――今回みたいに、僕が本当に困っているときには、優しい瞳で見つめて、手を差し伸べてくれるアルジーのことを。
 普段はとても意地悪いくせに、こんなときだけ、優しくされる。
 まるで小さな子を甘やかすみたいだ。
 ああ、そうか。
 クリスティナに。
 本当はあんなふうに、クリスティナに優しくして、微笑みかけていたいんだ。だけどクリスティナは、アルジーを拒んでいる。
 だから、アルジーは、僕に親切にする。ときどき。気まぐれに。
 僕にくれるのは、本当じゃない優しさなのだ。
 だから、優しくされても、気にしなければいい。何も考えずに、おいしいところだけ貰ってしまえばいい。本物でない優しさなら、利用しても平気なはずだ。
「アルジー」
 小さく呼んでみた。
 応えはない。
 ひょっとしたら眠っているふりをしているのかもしれない――
 そう思ったけど、僕は確かめなかった。
 もしも本当に眠っているのならば、彼が目を醒まさないように。
 目を瞑ったまま、そっと彼に身をよせた。
 痛みと、そしてたぶん痛みのせいで不安なのを紛らわせるために、彼の温もりを利用する。
 それできっと。
 僕とアルジーとの心は釣り合いがとれているはずだから。

end



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