湿地帯でワニの様子を見終わったラコステは、農場の倉庫に帰ってきた。ガラガラとシャッターを開けると、水道のシンクからフー・ファイターズがぬっと顔を出す。「ラコステ」フー・ファイターズが名前を呼ぶ。
「君は……水が好きだな。水を飲んでいたのか?」
「そうだ。私の体はプランクトンと水で出来ているから、欠かせない」
 フー・ファイターズはそう言ったが、ラコステは全く別の理由を考えた。彼の中のワニの記憶が水を好ませるのだと。
 そう思えば思うほど、心の中の霧が晴れた。決めかねていたことが、今はきっぱりと判断できた。
「フー・ファイターズ、昼間の話だが。君は知性による生命のデザインを侮辱する存在なんかじゃあない。君は知性に溢れている」
 ラコステは水道に歩み寄って、縁に腰掛けた。フー・ファイターズはシンクの中を泳ぎながら少しずつ体を形成していく。ラコステを見つめる二つの目がだんだんと高さを増す。
「全ての生物には知性が内在している。プランクトンも例外じゃあない……それどころか、むしろプランクトンのような存在こそ、知性に溢れている。君たちは早くから地球に生息する知性の落とし子だ」
 シンクの中で溶けていた体は今や完全な固体となってラコステの隣に座っている。人間と似たシルエットだが、人間とは全く違う。ラコステは柔に目を細める。
「全ての生物は知性に導かれて誕生した……なのに人間はそこから逸れて、独自の道を歩んでいる。自ら知性と離れていってるんだ。自分の中の知性を踏みつけている。……フー・ファイターズ、君は原始の姿に近い。君の知性は僕よりも上だ」
 フー・ファイターズが目を見開いた。ように、見えた。少なくともラコステには。
「……その意見には、賛同しかねる。ラコステ、あなたはいろんなことを知っているし、私より頭がいい。とてもいい。あなたより私の知性が上とは思わない」
「フー・ファイターズ、知性と知能は別だ。僕は知性の話をしている」
 それでも無機質な顔は納得していないような表情をして、ラコステに反論した。
「……私にとっての知性は、おそらく、ホワイトスネイクだ。私は彼によって誕生した。知性によって誕生していないから、知性は宿らない」
 なるほど、彼もそのことに思い至ったらしい。ラコステは関心する。フー・ファイターズのこの賢さは一体どこから来るのか、それだけが疑問だった。
「確かに……見方によってはそうかもしれないが、でも、君はもともとワニとプランクトンなんだろう?」
 フー・ファイターズがおずおずと頷く。
「なら、材料は完璧じゃあないか。知性ある生命と知性ある生命を掛け合わせて、どうして知性が消滅する?」
 相手がひるんでいる間に、ラコステは続ける。
「それに、嫌悪すべきは怪物じゃあない。フランケンシュタイン博士の方だ。君に罪はない。生まれながらの罪など、君にはない」
 僕にはあるが。とは、言わないでおいた。旧約聖書で言うところの原罪ではない。アダムとイヴは無関係だ。ラコステは、「知性を踏みつけて独自の道を歩み続ける人間という種に生まれた罪」を言っている。神すなわち知性に背いているという点では同じかもしれないが、ラコステにとっては大きな違いだ。
「ラコステ、あなたは私を許すのか?」
「今言っただろ。あれで全部だ」
「………………」
 ありがとう、と小さな声がラコステの耳に届いた。相変わらず無機質なことに変わりはないが、その声色は昼間よりもずっと軽快で暖かみを帯びているように感じられた。おかしなことだ。ワニとプランクトンのハイブリッドがそんな感情の機微を見せるはずがない。ラコステは自分の気のせいだろうと処理する。
「君の知性は人間より上だ……」
 ラコステの声は沈んでいた。深い沼の中へ飲まれていくような低さだった。
 フー・ファイターズが羨ましくて仕方がなかった。彼はなんとすばらしい存在だろう。ワニとプランクトンだ。怪物は怪物でも完璧な材料で造られた怪物だ。腐敗した人間と比べるべくもない。
 いっそ自分も知性に溢れた生命と融合してしまいたい。怪物になって、死ぬまでひとりぼっちでも一向に構わない。知性という誇りを感じ続けられるのなら、このままでいるよりはずっといい。
 ラコステにとって人間である価値などなかった。ラコステはワニになりたかった。


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