翌日は特別な日だった。祝い事ではない。懲罰室の囚人が月に一度だけ、外の運動場に出される日だ。健康がどうとか人権がどうとかで州法によって定められているらしい。
 しかし本人たちはさほど喜んでいないようで希望者は少ない。一般の囚人は一日運動場が使えなくなるので不満がっているし、おまけに看守にしても違う管轄からわざわざ動員されるので、この日を心待ちにしている人間などラコステは見たことがなかった。誰も幸せにならない日なのだ。しかも今日は分厚い雲が空を覆っている上に小雨が降っていて、最悪のコンディションだった。一体誰がこんな天気で運動場を利用したいと思うのだろう。
 さて、ラコステの業務だが。番犬を二頭連れて、運動場の隅をうろつく。それだけだった。見張りの看守や付き添いの看守と比べたらずいぶんと楽な仕事だ。所定の位置でじっとしていなければならないわけでもないし、囚人の気分次第で懲罰室と運動場とを往復させられることもない。仮に囚人が問題を起こしてもラコステは何もしなかった。番犬にゴーサインを出すだけ。

 あまりにも暇なので、ラコステは昨日の会話を思い出していた。あのあとも少しだけフー・ファイターズと話をしたのだ。会話というよりは懺悔に近かった。
 彼の記憶が子ワニのものだと知ってから、ラコステはずっと謝りたかったことがあったのだ。彼をみすみす死なせてしまったこと。それをずっと後悔していた。
「すまなかった。助けてやれなくて。苦しかっただろう」
 日に日に弱っていく子ワニの姿は、それは痛ましいものだった。ラコステが介入するのは最後の手段で、それまでは自然に任せておきたかった。けれどその時を見誤ってしまったのだ。あのとき檻に入れておくべきだった。あと数日は大丈夫だろうなんて高を括るべきではなかった。
「謝る必要はない」フー・ファイターズは首を横に振った。「死んだときのことはあまり覚えていないが、苦しみはなかった」
「本当に? 君は病気だっただろう?」
「そうだ。だが、最後の瞬間は、体から魂が抜けていくようだった。何かに自分を引き抜かれていく感覚があった。それだけだ」
 フー・ファイターズは嘘をつかない。人間と違って、彼には意味のないことだからだ。だからその言葉も本心なのだろうと判断して、ラコステはほっと息をついた。
「……あと、もう一つ謝らなければならないことがある」
「なんだ?」
「僕は君の体をそのへんの囚人にくれてやってしまった」
「そのへんの囚人?」
「剥製にしたいと言ってきたやつだ。悪かった。ワニに心があるだなんて思っていなかったから。気を悪くしただろう……謝るよ。本当にすまなかった」
 フー・ファイターズはまた首を振ると、自分の胸を軽く叩いて言った。
「それもいい。私の体は“これ”だ。子ワニの体はもう必要ない」
 この体は便利だ、形が変えられるし、分裂もできる。フー・ファイターズがつらつらと利点を並べ立てる。
「それに、死体に戻りたいとは思わない。ゾンビは不便そうだ」
 至って真面目にそう言うので、ジョークではないのだろうが。それが却っておかしかった。ラコステは苦笑しながら頷く。
「なあ……君と最初に出会ったとき、『ママ』って言ったの覚えてる?」
「覚えている。初めに覚えた言葉だ。囚人が喋っていた言葉……短くて、覚えやすかった。なんとなく、母親のことを指しているのだと直感した」
「ママに会いに行こうか?」
 彼の前世だった子ワニを、かわいがっていた母親ワニに。
 母親ワニはフー・ファイターズのことが分からないだろうし――なにせ彼が『ママ』と叫んで飛びかかろうとしたとき、彼女は尻尾をぶつけて滅多うちにした――、それに野生動物は子供の死を引きずらないから、会っても元の親子には戻れないだろうが。
 それでもこんなことを言ったのは、罪悪感からだ。無意味と分かっていても口に出さずにいられなかった。純粋たるラコステのエゴだ。自分でそれに気づいて、苦虫を噛み潰した。こういうとき、ラコステは自分が人間なのだと痛感する。
 フー・ファイターズは賢いが、まだ相手の顔や声から感情を汲み取るという芸当はできないらしい。ラコステを見ても何も感じていないようで、ただ淡々と返事をした。
「大丈夫。それには及ばない。私はフー・ファイターズだ。もう子ワニではない」
 不思議なことだ。死んだはずの子ワニの記憶が、プランクトンの塊に移植されて、それで、こんなにも滑らかに動くとは。意思を持つとは。


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