フー・ファイターズが怪物なら、フランケンシュタイン博士は誰だろう? 彼の言葉が確かならホワイトスネイクだろうか?
 そう思うと、あの謎の男への興味がむくむくと湧いてきた。ラコステは今フー・ファイターズの処遇について――彼を受け入れるか否かについて――決められずにいたが、男を調べることで判断の糸口がつかめるかもしれない。調べておいて損はない。
 その日の午後、ラコステは早々に業務を切り上げて管制室に向かった。監視カメラや囚人の電話の音声を記録しているところだ。職員のタイムカードと名簿のデータを保存している部屋でもある。
 ラコステが持っているホワイトスネイクの情報は、「トーマス・バーバリーという名前の内勤看守」だという一点だけだ。それが本当かどうかも知らないが、その真偽も含めて名簿を調べに行った。厳重な囚人管理で名の知れた水族館は情報の管理も決して緩くはないが、そこはまあ、立派なライオンの皮を被って突破した。ラコステは“ロッコバロッコ”だったから。滅多に使わない手法ではあるが。
 しかしそこまでしたにも関わらず、収穫はなかった。いや、“トーマス・バーバリーという名の看守は水族館にいない”という情報を収穫とするなら、ライオンの皮を被った甲斐があったことになるが。
 ホワイトスネイクは、看守でないのだろうか? それとも、看守ではあるが、偽名を使ったのだろうか?
 トランシーバーはホワイトスネイクからの受信があるだけで、ラコステからは掛けることができなかったし、看守名簿の顔写真を一つ一つ見ていくのは全くやりたいと思わなかった。囚人の入所記録も同様だ。水族館に一体どれだけの人間が出入りしていると?
 しかしそれでは、どうやってホワイトスネイクを調べればいいのだろう。

 考え事をしながら廊下を歩いていると、誰かとぶつかった。見ると女囚だ。ラコステは何も言わず彼女を睨め付けた。紳士的な態度ではないが、看守は囚人に謝ってはならない。なめられるからだ。
 女囚の方もラコステを見た。少しの間視線がぶつかり合う。女囚はラコステがぶつかってきたこを罵るでも、どこかへ逃げるでもなく、こう言った。「あんた、ここに来たってことは、そういうことよね」
 ラコステは返事をしなかった。発言の意図が分からなかった。
「…………グッド!」
 女が頷いて、ズボンのポケットを探って紙切れを取り出す。
「今やってるのは、そうね……女子監看守の“黒豚女”がダイエットを成功させるかどうかと、来週Aランチが何回出されるか、来週の選挙でどっちが勝つか……このへんは大したことないわ。黒豚も選挙も結果が分かりきってるもの。大穴狙いでもいいけどね。オッズが高いのは男囚サッカーの勝敗と……」
「おい、待て、お前ブッキー(賭け屋)か? それとも胴元?」
 女は怪訝そうにメモから顔を上げた。そしてラコステの表情を見て、しまったという顔をする。
 この人通りの少ない――というか、ほとんど人のいない――静かな通路で、女は賭博の台帳をつけていたのだ。ラコステを客だと勘違いした。
「……沈黙は肯定だって、学校で習わなかった?」
「習わなかった」
「じゃあ、あたしが悪いのね」
 女はそう言うやいなや、またポケットをまさぐって、出したものをラコステに渡そうとした。ラコステはそれをはね除ける。つい最近見たばかりだったから反応も早かった。
「君らは札束を丸めるのが好きだな。財布を使おうとは思わない?」
「そんなの……価値があるのはドルであって、革の布じゃあないわ。でも困ったわね。あんた、違うんだ。客でもないし、“普通の”看守でもない」
 なんでこんなところにいるの? と女囚が聞く。この通路は“そういうこと”によく使われているらしい。賄賂が横行している水族館の中でも特に盛んに。
 ラコステは何も知らなかった。ただ帰る前にワニの様子を見ていこうと思って、適当に道を選んだだけだ。
「どうしようかなァ……あたし、困るのよ。本当に困るの。ツイてないわ。今賭けたら全部負けそうってくらいツイてない……もしあたしがしょっぴかれたらどうなると思う? いろんな人が困るのよ。それで、いろんな人があたしに怒るってわけ……」
 ゆったりとした口調の女囚は、その無表情とも相まってあまり困っているようには見えなかった。
「本当に困るのよ。ねえ、黙っててもらえない? なんならあんたの欲しいものプレゼントしてもいいわ。何か欲しいものあるでしょう? 一つくらいは……大抵のものは揃えられるツテがあるの。ホラ、水族館の囚人っていろんなとこから来るから……で、どう? 何が欲しい?」
 何が欲しいかだって? 決まっている。ホワイトスネイクの情報が欲しい。
「……? よく聞こえなかったわ。何の情報だって?」
「…………いや、いい。賭博のことは黙っておくから、早く房に戻れ」
「えっ?」
「僕は湿地帯の看守だ。建物の中のことは管轄じゃあない」
「……あんたって、真面目な方の看守? それとも不真面目な方?」
 どうもこの女の質問は意図がはっきりしない。ラコステがしかめっ面をしていると、女囚は輪ゴムでとめた札束を手でいじりながら「だって」と付け加える。
「真面目な看守だったら管轄じゃあないからなんて理由で見逃したりしないわ……かといって、お金で便宜を図ってくれる不真面目な看守でもない……」
 どっちなの? パチン、と輪ゴムがドル札に打ち付けられる。女囚はラコステが信用できないようだった。それもそのはずで、囚人と看守の間に信頼関係が築かれるのは賄賂が土台になっているときだけだ。
「僕の管轄で……湿地帯と農地でいざこざを起こさなければそれでいい。他のことには関わりたくないし、お前に興味もない。それに今急いでる」
 パチン、パチンと女囚の指が輪ゴムを弾いている。
「お前が賭博をやっていることで所長に言いつけることはないが、これ以上無駄に時間を食わせるならお前の仮釈放を三ヶ月延ばすよう進言してやってもいい」
「………あっそ! じゃあこれは仕舞っとくわ。お時間を取らせてごめんなさいね……」
「全くだ」
「……賭けに参加したくなったらいつでも言って」
「したくならない」
 パチン、と最後の音がした。ラコステは踵を鳴らしながら先を急ぐ。
『ホワイトスネイクの情報が欲しい』ともう一度言っていたら、彼女はそれを用意しただろうか? したかもしれない。けれどこれ以上女囚と話をしたくなかった。金、金、金。みんな金。何をするにも全部それ。だから人間は嫌いだった。俗世のものは自分が卑小な存在に思えてくるから嫌だ。それに染まっている人間も嫌だ。それを作った人間ももちろん嫌だ。つまるところ人間の全部が嫌だ。
 品性がないのだ、宇宙の知性を宿した存在としての。野生動物の方がずいぶんと良い。ワニを頂点として、全ての野生動物は品性に満ちた生を送っている。それを思えばワニの成分があるだけフー・ファイターズの方がよっぽどマシだった。たとえ彼がフランケンシュタインの怪物じみた命であったとしても。
 そう、フー・ファイターズの方がよっぽどマシだった。


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