勤務地

 
「おめでとう。よく頑張ったね」
「ありがとうございます」

 リンは自分をこの学院につれてきた恩師である教授手ずから渡されたライセンスカードをしっかりと受け取り頭を下げた。


 退学届を提出したあの日から目まぐるしく慌しい日々が続き、全てが終わった今ではあっという間と思えるほど早く4年の月日が流れていた。

 8年課程を半分に短縮させた生徒はリンが史上初であり、またその偉業は影分身を使いこなしたからこそできた事だ。

 日を追う毎にやるべきことが山のように積まれ、分身を使ってもなお徹夜三昧の日々。両手合わせても収まりきらない量の課題と論文と研究に加えて無慈悲にもどんどん進んでいく授業。リンは何度も心が折れそうになっていた。

 そして月に1度会えるか分からない相澤との時間だけが唯一の休みであり癒しであったが、未だ2人に体の関係はなく口づけは何度も交わしているがやはりその続きとなると話が変わってくるらしい。
 相澤は頑なに成人してからだと言って手を出さないのでリンはがっくりとうなだれた。

 つい3ヶ月前にやっと待ちに待ったハタチを迎えたのだが卒業試験の根詰めの為に解禁日からまだ1度も会えておらず、無事にライセンスを取得した今は1秒でも早く会いたい声を聞きたいとウズウズしている状態だ。


「それでね、病院ではないんだけれど一番穏便に済む場所を見つけてね。そちらは快く大歓迎とまで言ってくれたよ。」

ーーあぁやっと研修先が決まったのか。

 リンは小さく安堵のため息をついて教授に感謝を伝える。特命医は普通の医者と違って病院に勤務することはないが『医者』という括りは同じなので研修を受ける義務がある。
 
 私たちは医療行為が行えると同時に公共の場で個性を使うことを許されている。簡単に言ってしまえばヒーローと医者が合わさった救命のスペシャリスト。救助ではなく救命。
 治癒系のヒーローも存在するがほとんどは戦いを避けたり被害進行中の前線に出ることは滅多にない。
 しかし特命医は最前線で救命活動を最優先としながら戦闘にも参加する。これが特命医科が8年制度である所以だ。

 そして毎年合格者が出るわけではなく、ひとりでも合格すれば御の字というライセンス取得難易度の高さ。

 即戦力になる特命医はありがたいことに多くの病院から「是非うちに」と受け入れの打診が届いていて研修先には困らない状態だが、前回の合格者から随分と期間があいていたので猫の手も欲しい病院同士が互いに牽制しあって安易に決められないという異例の事態が発生していた。
 特に万年人手不足の夜間緊急からは所属医全員の署名と併せて母印がされていて鬼気迫るものを感じる。

「そこにお願いしようと思います」

 そう決まれば話は早く、先方も人手が不足しているので来れるならすぐにでもということで身一つで仕事のできる私は早速明日から勤務する運びとなった。
 これまで教授には随分とお世話になったので深々と頭を下げて礼を尽くし、和菓子が好きらしいので界隈で名の知れた老舗の品を渡してリンはその場を後にした。

 寮にあった荷物はすでに巻き物へとまとめていたのでここでやるべきことはもう無い。

 常にトーク履歴が1番上にある恋人にこれから家に向かう旨を伝えて呼んでおいたタクシーへと乗り込んだ。本当は建物の上を走って行けばもっと早く着くのだが随分前に注意されて以降大人しく公共交通機関を使っている。

 雄英は2年前に全寮制となってしまったが相澤はリンがいつでも来られるようにと住んでいたマンションは解約していない。
 リンが自分も家賃を折半せっぱんさせてくれと何度も頼み込み幾らか包んでいたが相澤も断固としてそれを受け取らなかった。

 倉庫みたいなものだから気にするなと言っているが実家の無いリンがいつでも逃げ込める場所を自分が作っておきたいというのが相澤の本音だ。

 そして自由に出入りしていいと合鍵を受け取っていたリンは相澤に会えない平日の夜に何度も息抜きを兼ねた仮眠をとりに来ていた。
 こまめに洗濯のされている布団は相澤が使う柔軟剤の香りがするのでにおいを嗅いでいると心が安らぐ。徹夜の睡眠不足も相まってストンと寝入ることができて短時間で質の良い睡眠ができるのだ。


 相澤は雄英の寮住まいなので基本このマンションに帰ってくることはなく、今日は会えない。
 残念だと小さく肩を落としながらタクシーを降りたリンは相澤の自宅に入ると途中で買ったサンドイッチをつまんで久しぶりの休みをゆっくり過ごすことにした。




 予報通りに晴れたいい天気。
 初出勤日に気持ちよく繰り出せるのはいいことだ、軽い足取りのリンは特命医科から支給されているコスチュームに身を包んで研修医としてお世話になる勤務地の門をくぐった。

 雄英高校を訪れるのは4年ぶりになるのでこの迷路のような広い校内をひとりで歩くのは少々不安だったが存外覚えているものだなとリンは少し楽しくなった。
 事務員に声を掛けると第二保健室と表札のある部屋に案内されたのでてっきりリカバリーガールの後ろをくっついていくと思っていたが説明を聞くとどうやら保健室を丸々担当させてもらえるようだ。できるだけ早く実績を積みたいリンにとっては嬉しいことだった。

 教授から雄英への研修を薦められたときは相澤と同じ職場なんて願ってもない申し出だと心の中で拳を握りしめていたが、歳の離れた彼には子供として見られたくないとの思いから社会人1年生の未熟な自分をさらけ出す環境に少し抵抗があった。
 しかし保健室をひとりで担当させて貰えるなら恐らくかなり早い段階で経験が積めるだろう。

 そんな向上心のある気持ちと同時に小躍りをしてしまいそうなぐらいリンの心は浮ついていた。
 相澤をどうにか驚かせたくて昨日から執拗に聞かれている勤務先についてうやむやに誤魔化してまだ教えていないからだ。どんな表情をしてくれるのかリンは昨晩から楽しみにしていた。


 職員室へ挨拶をしに向かっていると登校している生徒達がだんだん増え、廊下の人口密度が少々高くなっている中でリンは見覚えのある頭を見つけた。

( 火傷の痕、やっぱりそうだ。大きくなったなぁ)

 あの頃は中学2年生の成長途中、まだまだ男の子だった彼はもう立派に男性といえる体格をしていた。
 エンデヴァーの息子である轟焦凍は最高学年の3年生。彼は相澤が担任を務めるクラスに在籍していてリンとの会話にちょろちょろと名前がでる。その他にも緑谷、爆豪など問題児がいるんだと小さく笑いながら言うのでリンは少し嫉妬していた。
 たとえ男だろうと相澤の興味を引くものは面白くないというのがリンの気持ちだ。

 そして見慣れない人物が校内を歩いているのは目を惹くものでたくさんの視線を身に受ける。
 轟もその例に漏れず周りの注目に合わせてこちらを向くのでかちりと2人の視線が合ったがお互いに軽く会釈をしてその場は終わった。


 ようやく着いた職員室。事務員の後ろに続いて入室すると、すぐ近くに根津校長が立っていて可愛らしく手を上げながら「元気そうでなにより」と挨拶をしてくれた。


「やぁ諸君、そのままの姿勢で結構。 彼女は特命医科から研修医として我が校へ来てくれました。今日からリカバリーガールの補佐についてもらうよ!」

 根津校長がハリのある声で言い放つと、各々デスクに向かっていたり室内を移動している教師たちが一斉に手を止めてこちらに注目する。
 「補佐と言っても普通に保健医を担当してもらうけどね!では赤井さんご挨拶どうぞ」そう付け加えられて伸びきっていた背中をさらに伸ばす。

 室内を見渡しながら用意していた言葉を紡いでいる中で一層自分を凝視する顔を見つけてリンは心の中でほくそ笑んだ。
 その凝視している本人である相澤は一瞬呆けた顔をしたが頑なに勤務地を言わなかった理由はこれか、と納得した。小さく笑いながらため息をついてヒラヒラと手を振る。そんな様子にリンはこらえきれずついにっこりと笑ってしまった。


 


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