狼は羊に二度喰われる
とうとう今日が最後の登校日となってしまった。
相澤の車に同乗させてもらったリンは心臓をドコドコ暴れさせながら学校へと赴く、会話はポツポツと話す程度だったけれど気まずさはなくお互い自由に喋っていた。
「ありがとうございました」
相澤に退学届を手渡して頭を下げて職員室を退室するとその後ろに続いて相澤も廊下へと出てきた。
「帰ったら少し話そうか」
待ってて、なんて耳元で小さく囁くその声は低く、男性特有の骨張った喉仏が捕縛布の下から目に入りリンはつい息が震えてしまった。
話したいこと…、そんな前もって言うほど重要な件なのかと少し身構えてしまう。それに帰ってからだなんで今はまだ午前だからリンはこの後何時間もそわそわしながら過ごさなければいけないということだ。
もしかしたら自分にとっていい話かもしれない。なんて昨夜の熱を帯びた瞳を思い出して、期待してはいけないと思いつつリンは期待してしまう。
「…はい」
しぼりだした声は緊張から情けない程に震えていて、蚊の鳴くような声とは正にこの事だと恥ずかしくなった。
とにかく自宅に帰って自分の荷造りを済ませたら夕方には相澤の家に戻ることを伝えて足早に家路へと着く。
荷造りは学院へ入学するにあたって学科寮に入寮する為のものだ。あちらに一通りの家具は揃っているので持っていく物はほとんど無い。衣類と個人の雑貨さえあれば十分に生活ができる。
そしてこれを機に家と土地を売却することにした。
思い出のあるこの家にはもう住めない。残していても人の住まない家は傷むのが早く、だからといって定期的に手入れをするにも手間が掛かってしまうからだ。これからは忙しい日々が続くだろうから尚更そこに手を掛けれるとは思えない。
父のことは自分が覚えていればいい。わざわざ『ここに居た』という過去を残していても会えるわけではないのだから。
こうやって家のことを考えると父に思考が繋がるから鬱々としてしまう。それもあって手放すことに決めたのだ。しかし気持ちの問題は時間が薬だから当分の間こうなるのは仕方ないと思っている。
寮には明日荷物を運び込んでそのまま暮らす予定になっていて、新学期が始まるまでには1年生の基礎科目を終わらせておかなければならない。
早く修了するには必要なことだ。先のことを考えれば考えるほどやることが積み重なり、新しいことを学べる楽しみもあるがそれを上回るほどの焦燥感に駆り立てられてしまう。
必要な物を巻き物に詰めて最後に一部屋づつ見回って見落としがないか確認する為に歩き回った。処分したり売れる物は売ったのでもう家には何もなく、すっからかんになったリビングはこんなにも広かったのかと感動さえする
相澤の部屋で世話になっていなければリンはこんな順調に片付けることは出来なかっただろう。ひとつひとつの決断を出すのにもっと時間が掛かっていたに違いない。
そして今日限りでお別れになってしまうことに気分が下がる。
会いに行く口実すらないのが絶望的だ。相澤もいい年齢だから結婚も意識するだろうし、自分のいない間に彼に求婚していたジョークと発展してしまう可能性もなくは無い。
相澤には年齢差が開い自分になんて論外かもしれないと思うとリンは16歳にして人生を挫折しそうだった。
愛する人の幸せが自分の幸せなんて言葉を聞くが、その相手の幸せが自分のことならばどれだけ幸福だろうか。
リンはそうなる為に今できる最善の行動をしてあとはただ祈るしかできない。
「赤井さん残念だったけれどあの特命医科から声を掛けられるなんてやっぱ普通とは立ってる場所が違うわね」
赤らんだ顔を隠すように駆けて行ったリンを見送ってデスクに戻るとマイクとミッドナイトがたった今退学してしまった少女の話題に触れている所だった。
「スカウトでしか生徒の受け入れしない学科なんだよなぁ…特命医は幻ってぐらい数少ないし」
相澤に気がついたマイクは「おう戻ったかイレイザー」なんて軽く言っているが自分の受け持ち以外で唯一気に掛けていた生徒が去ってしまった事にその表情からは哀愁が漂っている。
「ストロングガールだぜ赤井ちゃんはよぉ。傷心中に新しい環境へ行く決心できんだからスゲェよホント」
言葉に頷く。ミッドナイトも共感したらしく頷きながらも授業の準備をするために自分のデスクへと戻って行った。
ギィ、と背もたれに身体を預けたマイクが相澤を見ながらコーヒーをチビチビ飲んでいる。
「でも惜しいよなぁ、雄英でもあそこまで優秀な子なかなか見ないからどんな成長してくのかスッゲェ楽しみにしてたわ」
「……」
「これからもっと美人になんだろうなぁ楽しみだなぁ……ア?コレセクハラ?」
「……」
「でもよぉ、あんな子が世に解き放たれちゃったらどうなんの?危なくネェ?赤井ちゃんがパートナーになったらなに不自由なく養うからずっと家にいて欲しいわ」
「……違いないな」
「オッッ」
すごく共感できた言葉に相澤が一言返すとマイクの目がこぼれ落ちるんじゃないかというぐらいに開いている。
こういった類の話は冗談すら返さず毎回無言で流すだけの男が反応したことに驚いたのだろう「まさかウソでしょ」「マジで言ってる?」「ショータクン」「ヤベェ、感動と混乱で人格崩壊しそうなんだけど」「ジョークなのか分っかんネェヨオイ!」なんて、気を使って小声ながらも矢継ぎ早に放たれる言葉に相澤は片眉を上げて一瞥する。
「ひょぉぉ…お前いくつだっけか」
「お前と同じだよ」
「ちょうどひと回り…いや、ウゥン…未成年…生徒じゃなくなるし問題はないのか?…ウゥン…」
「…問題ない」
「ヤダ〜調査済みぃ〜?」
「クネクネするな髭剃るぞ」
「自分の剃ってから来いって話」
と言いつつ気になるのか自分の髭をねじねじと弄って守っている。本当に剃るわけないだろと思いながらその行動を見ていると今度は両手で髭を隠してしまった。だから剃らねぇよ。
その後もいつも通り問題なく時間が過ぎていく。
果てのない業務を進めているが、そわそわと何度も時計を確認しているのでこんなにも捗らなかったことは未だかつてない事だ。
普段よりも少しだけ早めに切り上げて帰り支度をしつつ、気休めだが小綺麗に見えるように気をつけて髪を結んでみるも結果は言わずもがないつも通りの見た目だ。
髭も剃っていこうと思ったが整えすぎても歳下相手に必死になりすぎて気持ち悪いと思われるのは嫌なのでやめた。
自宅へ近づくにつれて深呼吸する回数が増えるも相澤は冷静に安全運転を心がける。悩み抜いて出した自分の言葉を早く伝えてしまいたい。
いつも通りきっちりと駐車し、エレベーターに乗り込んで自室の階へ登る。鍵を開けて靴を脱いでから部屋にあがると帰った音を聞きつけたリンがリビングへと続くドアから顔を出した。
「お疲れさまです」
はにかむ表情に相澤は癒される。仕事から帰るといつも控えめに出迎えてくれるのでそれだけでも疲れが吹っ飛ぶというものだ。
「好きだ」
ここで言うつもりでは無かったのに顔を見たら抑えきれず伝えてしまった事に自分が一番驚いている。
リンが一瞬呆けてから絵に描いたようにハッとして、そんな可愛い仕草に若干頬が緩んでしまうがなんとか引き締めもう一度ゆっくりと自分の気持ちを口に出した。
「赤井が好きだ」
「 あの…、私もすきです…」
「年は離れてる。俺と付き合ってくれるか」
「、はい。…はい、もちろんです。」
ゆるゆると相澤に近づくリンはチクチクと髭の生える両頬に手を添えて緩く引き込んだ。そのまま2人の唇が合わさってすぐに離れた。
今度は相澤からついばむように軽い口づけを何度も落とす。そして少しの隙間も許さないほど強く、リンの腰を抱き込むとその分口づけも深くなっていく。
「…ん、…せんせ、」
小さく口を開けて誘い込むものだからつい誘惑に負けて舌を絡ませてしまう。リンはそのまま受け入れて相澤の頬に置いていた手を首裏に回して抱きついた。
「赤井、」
「…なまえで呼んでほしいです」
甘えた喋り方でとろけるようなお願いに収まらないほどの愛おしさを感じて首筋へ顔を埋めると、体温と混じったあまい香りが鼻腔を直接刺激して相澤はそれ以上の行動を起こしてしまいたくなる。
「あー…リン、あまり誘惑しないように」
元気になった下半身がバレないようにそっと身体を離す。さすがに18歳にもなってない子に手は出せない。相澤の気持ち的には全然出せるが誠実に付き合いたいし、なにより大事にしたいと思っている。
こんなおあずけ状態になるのは2回目だった。
1度目はリンが謹慎中に個性被害にあった時、あの時は本当にしんどかった。リンの秘部が当たっていた場所は隠せないほどに濡れていてほのかに性的な、わかる人なら反応するだろう匂いがついていたからだ。
その日は普段は首から外さない捕縛布を手に持ちその場所が見えないよう誤魔化して早急に帰宅した。
帰宅してすぐコスチュームを洗濯につっこんで煩悩と戦ったのは相澤にとって忘れられない出来事だ。
「先生、私いつでも先生とひとつになれますよ」
こちらの思考が分かっているかのように艶っぽく細められた瞳は欲情の色を含んでいて、もしかしてこれは俺が喰われる側ではないかと自覚したと共にこれから相当の忍耐力が必要だと覚悟した瞬間だった。
END.
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