一難去って
震えたスマホの通知を見てリンはしつこい人だなと呆れつつ今回で2桁目となる断りの定型文を貼り付けて返信をした。
職場体験はエンデヴァーの事務所に行ったリンだったがどうやら先方にいたく気に入られたようで、体験終了後はよく食事に誘われている。
太いパイプを持つ為にもいいかと軽い気持ちで1度顔を出したのが運の尽き。その時はなぜか彼の息子である轟焦凍が同席しており、しかも不服そうな様子がはっきりと顔に出ていて気まずかった。それもそのはず、中二といったら反抗期思春期真っ只中なのだから。
「君のストイックさは聞き及んでいる」
個室の料亭で互いの紹介から始まり、個性の話や体育祭での活躍、職場体験での出来事など無難な話題が続く。「焦凍はやる気が足らん。君の爪の垢を煎じて飲ませたい」と真剣に言われたときには冗談として笑いとばしていいのかわからなかった。
高校は雄英に入ると決めているらしい。エンデヴァーの意思か本人の意思か、リンはそのへんが曖昧だが人に言われてやるのは続かないので大丈夫かと少し心配した。
息子が気のない返事をするたびに「焦凍ォ!」と喝を入れるのでリンは自分の父親を思い出した。どこの親も子供の行動にはこんな干渉するものなのかと。
「大丈夫。高校に入れば環境でいろいろ変わりますよ」
たぶん、と心の中で付け足しそれからもリンはのらりくらりとその場をやり過ごして無事に帰ることができた。リンを入学後のお世話係にでもしたいのかエンデヴァーは未だにしつこく息子に会わせたがるので少し煩わしく感じてきているのだ。
「先生今日も合理的にいきましょう」
「おお…すまん」
ありがとうね、と見た目に合わず愛らしい感謝の言葉をもらってリンが相澤に渡したのは弁当だ。
ある昼休憩の時間、職員室を訪ねたリンがデスクでゼリーを吸っている相澤の姿を見て「それだけだとお腹空きますよね」と何気なしに投げかけた言葉が発端だった。
相澤が「まだある」とひとつの引き出しを開けて見せた中には栄養調整食品の列。恐らく相澤はまだあるから大丈夫と在庫を見せただけにすぎないがリンにとっては違った。
毎食これですませてるんですかと普通に聞くリンに相澤はほぼそうだとこれまた普通に答える。
「先生、私、合理的なことを自由にやらせてもらいますね」言葉に力が篭り、雰囲気の変わったリンを不思議に思いながら意味もわからず肯定の返事をした。
そうして今の弁当があるということだ。最初は勿論教師と生徒での物のやり取りは良いものではないと断られたが「先生の栄養面が心配で勉強が手につきません」「なにも手につきません」つきませんつきませんと駄々をこねて最後に「具材が余った日だけ」と言えば仕方ないとばかりに折れて弁当を受け取ってくれた。
しかしリンはふと気がついた、もしかしてこれってエンデヴァーと同じくしつこいことをしているのではないかと。
「赤井さん先生に弁当渡してるの?」
若干沈みながら教室へ戻っている途中で犬耳を生やしたクラスの男の子に声を掛けられた。
リンがこの犬男に声を掛けられるのはこれが初めてではない。体育祭の個人戦決勝でこてんぱんに勝たしてもらってからなにかと話す機会が多い。彼は常に笑顔でいるが細められた目が笑っていないというか、這うような視線を感じるのでリンは毎回気分が悪かった。
「あー、お弁当つくり始めたから余った日は食べてもらってるだけだよ」
「自分で作ってるんだ!すごいね、相澤先生が羨ましいよ」
「あはは」
曖昧に笑い話を切り上げて進んでいた方向へ足を向けると、彼も同じように歩き始めた。隣に並んでニコニコと不躾にこちらを眺めてくるのでとても嫌だ。
教室に着いて離れて行ったと思いきや、ロッカーからお弁当を取り出すとまたもや犬男が話しかけてくる。
「よかったらお昼一緒に食べようよ」
「いや、人と食べるの苦手だから」
「そうなの?じゃあ僕で克服しようよ」
「間に合ってますんで」
リンは瞬身でその場を離れて男子生徒に変化すると中庭に出た。弁当の容器もいつもと違って今日はたまたま相澤と同じ使い捨ての紙製にしていたのでバレる事はないはずだ。
中庭はチラホラと生徒こそ少ないが植物が多いので隠れるにはもってこいの場所だった。少しひらけた場所では多々良とその友人らしき数名のサポート科がドローンを飛ばして遊んでいる。
どの方向から来てもすぐ逃げれるよう校舎の角にある低木と大木に身を紛らして昼食をとろうと腰を下ろした。
リンはとりあえず一息つこうとお茶を飲んでいると左側のずっと奥の道に犬男らしき人物がちらりと見えた気がした。茂みの中から目を凝らすと間違いなく犬男。順調にリンの方角へ向かって来ている。鼻がひくひくと動いているわけではないがニオイを嗅いでるような素振りがある。これは隠れても無駄だと瞬時に悟った。
荷物を手に取って多々良たちの方へ急ぐ。
「多々良くん…!」
「オッ…? だれ??」
「シーー小声で話して、こんな姿だけど赤井」
「えぇ〜?どーゆーウソ?雑すぎだって」
「…待って変化解く」
「赤井さん!!」
「シーーー!!もうダメ今の声絶対聞こえたごめんけどジャージ貸して上だけでいいから早く脱いで、あと私の匂いつけるからちょっと我慢してほしい」
「うわあああああ」
リンは多々良の上着を無理矢理脱がし、いたるところに身体をこすりつける。急いでいるので多少強引なのは仕方ない。そして最後のダメ押しと言わんばかりに多々良の胸に頭をぐりぐり押しつけた。
「誰に聞かれても私の行った方向はあっちって言ってね。お弁当も聞かれたら私から貰ったって言って、あとごめん君の上着も貸して欲しい」
指をさした方向へ分身が走り出す。リン本体は多々良のジャージをかぶり、低木の前に友人のを乱雑に畳んでその横に弁当を置いた、そしてその低木の裏に隠れた数秒後に犬男が校舎の角から姿を現した。
キョロキョロと辺りを見回してそのまま多々良たちを通り過ぎると思いきや何かを感じたように足を止めた。
「…あー、キミサポート科の。個人戦ではどうも」
「あ、ども…」
「あのお弁当はキミの?」
「一応、貰い物だけど」
「ふーん…」
気のない返事をしながら犬男は多々良に近づいて服の匂いを嗅ぐ。
「いい匂いだね、柔軟剤なに使ってるの?」
「母ちゃんが洗ってくれてるから…ちょっとわかんない」
「そ、赤井さんと仲良いの?」
「うーん。まぁそれなりに良いと思うよ。おっぱいも触ったし」
「…………」
「…………」
犬男と友人の沈黙に耐えきれず多々良は騎馬戦の事故で頭に乗っかっただけなんだけどねと笑いながら付け足した。興醒めしたかのように「まぁいいや」とつぶやくと犬男は分身の走った方へ歩いていってしまった。
犬男が去ってもリンは顔を出さなかったので多々良たちは再度ドローンを飛ばし始める。そして3分後、犬男が完全に去ったと確信したリンは茂みからガサゴソと出てきた。
「ありがとう。おっばいの話ナイスだったよ。一気にこっちへの注目解けたから」
「そう?ならよかった。あの人なに、ストーカーされてるの」
「さぁ、絡みが気持ち悪いから逃げてた」
「えー気をつけてね。赤井さんタイマンであいつに勝ったから大丈夫だとは思うけど」
「うん」
ありがとう、と多々良の友人にもお礼を伝えてからリンはまた校舎の角付近の茂みに隠れてお昼を食べることにした。
「…お前ら付き合ってないの?」
「うぅん?なに?」
「こっちがなにだわ」
「よく高嶺の花と普通に喋れるな…すげぇわ」
「あー、高嶺すぎて逆に喋れるってやつ?」
「お前マジ天然超えて自然じゃね」
「なんだそれ」
ケラケラ笑う多々良に毒気を抜かれて嫉妬すら湧かない友人たちはまたドローンを夢中で操作するのだった。
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