少女の五進一退

 
「いや、事務所は構えてない。今は教師として正規で雇用されてるからサイドキックにもなってないよ」
「えぇ!?」

 馬鹿丸出しのふざけた返事をしたのはこれが初めてだった。

 体育祭後、大量に貰った指名の中から相澤が所属している事務所を聞きに職員室へと赴いたリンは予想のしていなかった返答に頭が回らなかった。

 ヒーローは全員が事務所に所属しているものだと勝手に思い込んでいたので碌に下調べもせずお気楽能天気な日々を過ごしていた自分にショックを受けている。晴天の霹靂とはまさにこの事、自分の甘さに目眩を感じた。

「私は相澤先生にご教示いただきたいと思います。雄英は職場体験を実施していないのですか?」
「学校の職場体験となると教育実習とほぼ同じだからな…。教師を目指してるのか?」
「確定ではありませんが、いずれは未来ある若者達を導く立場として尽くす事も視野に入れています」

 嘘だ。全く視野に入れていなかった。
 他人に指導するのは得意ではないし、自分が教師に向いているとも思っていない。しかし相澤に近づくと言う意味では教員を目指すのも一つの手なので完全に虚言を吐いたわけでも無い。ただ動機が不純なだけだ。

 教鞭を執る人達の思想はリンは理解し難かった。自身も教師から教えを乞う身なので社会や組織を築くために必要不可欠な存在だというのは分かるが、なぜ他人の成長を楽しみながら知識と技術を分け与える余裕があるのか。リンは秘密にして常に周りよりも優位に立っていたい。これは自信の無さからくる焦りだと自覚していた。

 それに人を育てるには多大な労力と自己犠牲の上に成り立つもので、それ故に師は人格者であるというのがリンの認識だ。どう足掻いてもこんな自分が人格者だとはお世辞でも言えない。なんせ器が小さすぎる。

「なるほどね…まぁ、教員免許を取る過程で教育実習も絶対やるから。今回は縁繋ぎも兼ねてヒーロー事務所に行くのが妥当なとこだろうな」

 もう一度よく考えてみなさい。と職員室を追い返されてしまった。事務所名がギッシリ書かれたプリントを読むでもなくただ見つめながら歩みを進める。

 (これは、かなりの痛手…)

 確かに相澤は一般的に認識されているヒーロー業を第一に活動しているわけではないのは知っていた。
私達というヒーローの卵を育てる為に、学校内で生徒の指導に重きを置いていたのだ。どう考えても自分の情報不足、考え不足。浮かれすぎてて思考停止の脳内お花畑女だ。
 今の出来事がショックすぎたのか、手足の先も冷たくて貧血で倒れそうな気がする。なんならいっその事倒れてあわよくば記憶を無くしてしまいたい。

 仕方ないと割り切ってしまえれば楽だけれどそうもいかないのが人間の難しいところで、しかも慕っている相手ともなると尚更気にしてしまう。

 リンは相当期待していた分大きなショックを受けすぎてすぐには立ち直れそうになかった。まだ始まってもいない職場体験が憂鬱に感じていた。

 我儘を言ってしまえばなるべく相澤と離れたくないので出来れば学校周囲の事務所にしたいと思っているが、ざっと見た感じでは…まぁそんな都合の良い話がある訳ない。
 
 とりあえず光栄な事にビルボード上位の事務所から指名を頂いているのでそちらへお世話になろうと悲しみながら決定したのである。



 ▼


 「ずぅいぶん懐かれてんじゃないのぉ、相澤センセ?」
「…茶化すな」

 リンが退室する前から到底ヒーローと教師を兼業している立場とは思えないネッチョリした笑みを浮かべながら話を聞いていたマイク。めんどくさい事になりそうだと相澤が予想した通りにめんどくさい絡みをしてくる。


 彼女の家庭環境を詳しく知っている訳ではないが少なくとも家族関係が良好であったとは思えない。

 日頃から行動を抑えつけられる生活を送っていたせいか、やってみたい事はあるがやっていいのか決めかねていたり、行動を起こしたあとに不安そうな表情で相澤の反応を確認することが実技中に多々見受けられていた。

 そして自信がない癖してひとりで全て解決しようとするのも相澤の頭を悩ますタネだった。なぜ周りに頼らないのか問えば「自分のことは自分でやらないと…?」と質問の意図を図りかねると言う表情でそもそも助けてもらう概念が無かったようだ。
 人も動物も、自分以外との交流を経て生きる術を学んでいく。あの父親は随分と少女を箱入りに育てたらしい。

 これは根気よく自己肯定感を上げていくしかないなと頭に入れておく。そしてリンが迷う素振りを見せるたび「合理的じゃないこと以外は自由にやれ」と何度も言い聞かせた。

 その甲斐あってか予想以上の成長を披露して相澤を驚かせたのは先日の体育祭だ。

 短期間にしては大きすぎる伸び代、この調子で自分の道を作っていけば強い個性とそれを活かす頭脳を持つリンはいずれトップヒーローに名前を連ねるだろうと相澤はこれからの成長が楽しみになった。

「満更でもなさそうじゃね?」
「満更だろ。俺をクビにする気か」
「俺にも慕ってくれるかぁいこちゃんがいると仕事が捗るんだけどよ〜」
「あぁ捗るぞ。じゃお疲れさん」
「フィィイイイ!!」

 肩を叩いて席を立つと机に伏せてあからさまに悔しがるマイクに相澤は愉快だと喉を鳴らした。


 


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