「は?」
「私、勉強は大っ嫌いだけどさ、そのことを抜きにして見れば、今回の補習はめちゃくちゃ有意義だったってことになるんだよね」
「……何を言ってるんだ?あんた」
「う〜ん、だからね。悩みはあったけど、ついさっき解決したってことかな」
「はあ?」

今度こそ、訳が分からないとでも言いたげに、思いきり眉を顰める山崎。

気持ちは分からないでもない。
私が山崎の立場であっても、言われている意味のほとんどが理解不能だと思う。

つまり。

「だって、私の悩みって、どうやって先生と二人きりの時間を作れるか、ってことだったもん」

「―――、」

その時の、先生の表情と言ったら。
傑作だった。

見事に虚を衝かれたらしい山崎は、瞠目したまま固まって、数秒後に復活したかと思えば、わざとらしく咳払いをした。

「何言ってるんだ、あんた」

でも、どこか呆れを含んだ声色だったから、もう少し動揺してくれたらいいのになんて、ちょっとだけいじけたくなる。

「そのまんま。先生と話してみたかったんだよねー。どうしたらいいんだろうって悩んでたら、テストにまで影響しちゃったみたいで、この有様でさぁ」
「……」
「でも、そのおかげで先生と二人で話す機会を得れたし、悩みは昇華。私も満足。テストについては、耳が痛かったけどね」
「あんたなぁ……」

ポリポリと頭を掻く山崎は、至って先程通りの調子で、万が一にも私が恋慕の類を持ってこんな発言をしているとは思いもしていないようだ。

まあ、そうだけどね。
私だって、先生を口説くために二人きりになりたかったわけじゃない。

単に、山崎というこの男を、知りたいと思ったからだ。

「理由は?」
「……」

思い返されるのは、今から一週間前の出来事。

テスト週間であるその日、私は下校途中に学校に忘れ物をしたことに気がついた。

別に、そのままでも良かったんだけど、この日はなんとなしに取りに戻ろうと決めた。
ゆっくりと来た道を辿り、学校に着いた私は、さっそく教室に向かう。

そこに、壮絶な修羅場が待っていようとは思いもせずに―――。

『なんで!?先生!』

教室の扉を開けようとした私に待ったをかけたのは、女の子の悲痛な叫びだった。

これは只事じゃないぞ、と流石に恋愛スキル皆無な私でも分かるような、そんなセリフ。

だって、今。
女の子は「先生」と言った。

詰問するように、縋るように。

あ、まずい場面に出くわした……それはきっと、猿でも分かることだった。

『先生っ、お願い!一度だけでいいの!一度だけ、私を抱いて――』

ごふっ。
そのセリフに、思わず噎せてしまう。

幸いにも教室内にいる人物たちには気づかれていないようだが、そもそもこんな話、校内ですることじゃない。
いつ、誰に聞かれてしまうか分からないのに。

人様の恋愛事情にとやかく言うつもりはない私であるので、ここはさっさと退散しようと思う。
人の恋路の邪魔をすると、馬に蹴られてしまうからね。

と、踵を返しかけた私だったけど。

『離してくれ』

続けて聞こえた低い声に、意図せず足が止まってしまう。

だって、この声は。
女子の言う「先生」は。

地味で、目立たない、現社の教科担任である山崎だったからだ。

なんで、山崎先生が?

日本史の土屋先生ならまだ分かる。
あの人はもうすぐ三十路手前になるけど、その美丈夫は衰えを知らず、むしろ大人の色気が増すばかりだ。
不機嫌そうに眉間に深く刻まれたシワも、女子生徒たちからすれば魅力の一つに過ぎないようで、常に噂の的だ。
教え子に「抱いて」などと言われることも、少なくないだろう。

でも。
実際にここにいるのは、モテ男の代名詞とも言える土屋ではなく“あの”山崎である。

周りの教師たちに言いように使われ、有象無象に埋没してしまう、目立たない人物でもある山崎。
それが、どういうことだろう。

蓼食う虫も好き好きとは言う。
確かに、中には山崎のような男がタイプの女の子もいるのかもしれない……しかし、私が納得しきれない理由は、その女子生徒の方にあった。

由利宮慶子。
由緒正しき家柄のお嬢様で、品行方正、容姿端麗、文句のつけ所のない大和撫子だ。

お金持ちの家の子なんてドラマの中では嫌な役でしかないので初めは何かと敬遠してたけど、彼女の人柄の良さはまさに聖人君子そのもので、私はすぐに彼女のファンになった。
下級生にも多く慕われ、難攻不落のモテ男である土屋先生の唯一の対抗馬とも言われ、彼女が告白すれば百発百中だろうとまで謳われている。

にも関わらず、絶佳の彼女の想い人が、華の欠片もないあの山崎だなんて――!

あまりにショッキングな出来事だ。
彼女は本当に品性の良い子で、間違っても自ら「抱いて」などと口にする人ではない。

つまり、そんなことを言ってしまう状況に追い込まれるほど、彼女は山崎を本気で慕ってるということだった。

……これ以上は、聞いてはいけない。

二人は既に付き合っているのか、それとも今が大胆な告白現場であるのかは分からないけれど、とにかくこれ以上はダメだ。
私は脱兎の如く逃げ出した。



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