「アホか」

負傷した手の甲に綺麗に包帯が巻かれる様子をぼんやり眺めていると、手当てしてくれていた山崎が溜息混じりにそう言った。

「しっつれいだなぁ、山崎め!私のどこがアホなのか、是非とも説明願いたいね」

二人きりの保健室。
養護教諭が不在のため、代わりに手当てにあたってくれたのは山崎で、一切の無駄のない動きにさすがと感嘆してしまう。

山崎は何をやらせても天下一品だよね。
器用というか、なんというか。

ぶきっちょで一本気な土屋先生とは正反対。

「手にこんな傷を負って、それでも及田春生に好意を持つあたりだろ。一度、あんたの思考回路がどうなってるのか、頭の中を覗いてみたいね」
「だって、本当に面白い人だよ。春生くん」
「……春生、くん?」

一瞬だけ、山崎が眉根を寄せた気がした。

「うん。だから、勿体ないんだよねえ。あんなに楽しそうなびっくり箱なのに、今回のことで退学処分とかになっちゃいそうで。どうにか助けてあげたいけど、生憎と証人が多いからなぁ……」

騒ぎが伝播して、今じゃ校内すべてに春生くんの不祥事が知れ渡っちゃってるし、私がどうこうできる様子でもなさそうだ。
残念すぎる。

「……あんたが助ける必要はないだろ」
「なんで?」
「知らないのか?及田春生の親は、ここの理事長だ。何を起こそうが……まあ極端な話、人を殺さない限りは、その他の問題なんてすぐに揉み消される。今までがそうだった。だから及田春生は、生徒から忌み嫌われているんだよ」
「へえ」

そうなんだ。
理事長の息子だなんて、初めて知ったぞ。
でも、春生くんに責任がなくなるのは嬉しい。

「ちなみに、この学校には及田春生の叔父もいる。誰だと思う?」

包帯を巻き終えた山崎が、意地悪く笑う。

春生くんの叔父?
年齢を鑑みるに、先生だろうか。
ハーフやクォーターの生徒は多少なりこの学校にいるけど、教師となると……それも浮世離れした容姿の春生くんに似ている人物なんていない。

私は早々に音を上げた。

「分からない。誰なの?」

すると山崎は私の右手をすくい、自身の頬へと近づける。

包帯越しに、触れる体温。

「……山崎?」
「いいか、玄野。あんたはもっと自分の体を大事にしなくちゃいけない。好奇心の塊であるあんたは、怖いもの知らずだからな」

私の右手の感触を確かめるように、そっと触れる山崎の指。

それはまるで、神様に懺悔する教徒みたいで。

私は、自分の心臓がいつもより早く脈打っていることに気がついた。

「無事で良かったと思う。あんたが負傷したと知らせを受けた時、寿命が縮まる思いだった。胸の奥がヒュッとしたよ。体の中の呼吸器官がなくなってしまったんじゃないかと勘違いしそうになるほど、息をすることが難しくなった」
「……」

それは。
心配してくれた、と解釈していいのだろうか。

あの山崎が……。

「あんたは時々、ひどく無謀だ。いつかその命にすら無頓着になるのではと、俺は気が気じゃない」
「ま、まったまたぁ、本当は清々するとか思ってたり?やだなあ」
「玄野」

真剣な瞳が私を射抜く。
まるで、諌めるような視線。

「……大丈夫だよ。山崎が私を必要としてくれるなら、大丈夫」

それは言い聞かせるような言葉だった。

山崎にじゃない。
自分自身に、だ。



三日後、自宅謹慎がとけて学校にやって来た春生くんを待ち伏せして捕まえた。

そう。
春生くんは殺傷沙汰を起こしたにも拘らず、退学などの処分は受けなかった。
あくまでも自宅謹慎の名目だけ。

山崎の言っていたことは、やはり事実だったらしい。

「また会えて嬉しいよ、春生くん!」

私は満面の笑みを春生くんに向ける。

途端にその綺麗なかんばせが嫌そうな表情に変わるので、参ったなぁと思う。
どうしようか、完全に毛嫌いされてるっぽい。

「何しに来たんですか。相応の処分を受けなかった僕に対して、謝罪でも求めに?」
「まさか。確かに人を傷つけることは世間のルールに違反することだけど、私は口だけの謝罪なんて欲しくないしね」
「……」
「今日は部活の勧誘。我が歓楽部へ、是非ともお越しくださいな!」
「歓楽部?」

正式にはボランティア部、ということになっている。
活動内容は地域に貢献し部員の意識と自主性を高める目的――ってことにしなきゃ申請が通らなかったので、そういうことになってはいるが、私がそんなつまらない部活を興すわけもなく。

私が創りたいのは、校内に蔓延る様々な“面白味のあること”に関わってゆく、通称“歓楽部”。

「今の歳でしか味わえない青春を、一緒に謳歌しようよ」
「……結構です」
「ええ!断るの?私これから、OK貰えるまでずぅっと春生くんに付き纏っちゃうよ?」
「はあ。また、傷を増やしたいんですか?」

春生くんの視線の先は、私の甲に貼られた絆創膏に向けられていた。

簡単に頷いてもらえないことは百も承知だ。
私はめげずに、言葉を続ける。

「そんなこと言わないでさ。私、春生くんのこと気に入ってるの」
「懲りない人ですね。不愉快です」
「ええ〜」
「そもそも、何故僕なんですか?相応しい人物は他にも数多いるでしょう。刃物を向け、負傷を負わせた相手にこうして無防備に接触してくる意図も分かりかねますね。普通は恐れ、避けるものでは?」

そうかもしれない。
普通の人だったら、そんな反応が似つかわしいのかもしれない。

けれど生憎、私は“一般”に括りつけられるのが大嫌いな人間だ。

「春生くんを知りたいと思ったんだよね。きみの考え、きみの行動、きみという人格を生成したすべて、生い立ちに至るまで、きみという存在を知りたいと」
「……」

それは、と春生くんが躊躇いがちに口を開く。


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