◇美園由岐



海が遠い。

私の生まれたあの町ならどこにいようと潮の匂いがしたし、学校では水平線を目指す鳥たちの鳴き声も聞こえていた。
それほどに静かな町だった。
けれど、新しい住処はどうだろう。
朝は車の走る音で目覚め、外は四六時中排気ガスの匂いに満ちている。
少なくとも私のもといた町より人が大勢いて環境も整っているはずなのに、何故だか“豊かさ”に欠けてるような気がした。
……情緒がない。
幼馴染みにそう漏らせば、都会だからやろと一笑に付された。
ふん。郁ちゃんめ、さっそく毒されたな。

「由岐、ええ加減起きぃ。遅刻するで!」
「頭とお腹と目が痛いから無理」
「ただの仮病やろそれ。学校行きたくない病や」

引っ越しを終えてから早くも一ヶ月経つが、私は未だこの生活が慣れない。
こちらでも相変わらず同居人として一つ屋根の下で暮らす郁ちゃんは姑よろしく小うるさくてかなわないし、何より学校生活が億劫だ。
前の学校の方がずっとマシ。
あんな学校にあと二年と半分も通わなきゃいけないなんて、私確実に死んじゃう。

「郁ちゃんは私に、あの鬱々としたクラスで過ごして同様に鬱々化しろって言うてんの!?」
「鬱々化って何やねん。“向こう”と違って勉学に勤しむ向上心の高い生徒が多いだけやんか」
「ガリ勉〜〜〜!」
「由岐!折角俺がオブラートに包んで言ってやったのに!」
「机と教科書だけが友達なんて嫌やぁぁ」

布団に包まってグズる私に、郁ちゃんは深い溜息を吐いた。
そういえば郁ちゃん。
ここ私の部屋やん。
何当たり前のように入ってきて乙女の寝起き顔見てんの?
拝観料とるぞコラ!

「由岐ぃ、お前何が嫌なん?友達できんくらいで学校休むような繊細な心の持ち主とちゃうやろ」
「……郁ちゃんは私を何だと思ってんの」
「かわええ幼馴染みやけど?」
「………」

無駄無駄無駄。
郁ちゃんには何を言っても無駄。
呆れ返って二の句も紡げない私は、今度こそ布団の中へ全身を潜らせた。
まあ、居心地の良い防具は郁ちゃんに剥ぎ取られてしまったけど。

「由岐!これ以上駄々をこねるようなら俺も考えがあるで」

郁ちゃんがこう言う時は大抵ロクなことにならない。
すでに凄惨な目に遭った記憶を持つ私は過去に得た教訓に倣い、スバッと電光石火の勢いで起き上がった。
仕方がない。
今日は学校へ行ってあげようじゃないか。

「最初からそうしとけばええのに」

肩を竦める郁ちゃんの言葉はもちろん聞こえないフリだ。


私立西城高校。
それが私たちの通う学校の名前。

どうして私たちが転校を余儀なくされたのかというと、話はとても簡単だ。
私たちを我が子のように可愛がってくれた豊子さんが亡くなり、身寄りのない私たちを豊子さんの両親が引き取ってくれたから。
単純に里親の親が離れた場所に暮らしていたというだけである。

「由岐?どうしたん?」

学校に着いて昇降口。
シューズボックスの前で固まる私に、不審に思った郁ちゃんが声を掛けてきた。

「………何でもあらへん」

カラカラと喉が渇く。
郁ちゃんは今の学校をそれなりに気に入っているようだが、私は違った。
気に入らない。
というより、気味が悪い。
靴入れの蓋を開けた先にはやはり白い紙が一枚、上靴に被せて置かれていた。
―――ああ、今日も……。
郁ちゃんに気づかれないよう紙を抜き取り、乱雑にスカートのポケットの中へ突っ込む。
転入してから一ヶ月。
記念すべき六通目の差出人不明の手紙だ。
郁ちゃんも知らない、私の秘密。


首尾ハ上々、落トスマデ続ケロ

郁ちゃんと別れ自分の教室でクシャクシャになってしまった紙を被見すると、機械的な文字が中央に小さく印刷されていた。
はぁ。
憂鬱だな……。
この学校に来て何日か経った頃、靴箱に同じような手紙が入っていた。
差出人の表記はなし。
内容は以下の通りだった。

真城 透紀ニ接触シロ

真城透紀はクラスメイトの男の子の名前だが、意味の分からなかった私は誰かの悪戯だろうとすぐに紙をゴミ箱へ捨てた。
しかし、それから三日連続で手紙が届く。

真城 透紀ニ接触シロ
オ願イデハナイ 命令ダ
実行シナカッタ場合 オ前ノ大切ナ者ヲ殺ス

偶然にも四通目を貰った直後、郁ちゃんが頭に包帯を巻いて帰ってきた。
慌てて問いただせば、ただの事故だし額を軽く切っただけで大袈裟なと逆に笑われてしまったけど。
タイミングがタイミングなだけに怖くなった私は、その日のうちに自分の靴箱に手紙を入れておいた。

あなたは誰ですか?目的は何ですか?

けれど私の問いに明確な答えは返ってこず、翌日の手紙には用件のみが記されていた。

真城 透紀ニ接触シ 奴ヲ落トセ

落とせ。
それが物理的なものか心理的なものなのか分からないほど、私も疎いわけではなかった。

「首尾は上々、なぁ……」

誰かに相談することも考えたが、結局私は手紙の指示通り真城透紀に接触してみた。
手紙を書いた主がどう反応するのか試した、とも言う。
結果はご覧の通り。
首尾が上々なのかはさておき、真城透紀が私に落ちるまで彼への接触は続けなければならないらしい。
落ちるとはつまり惚れさせるということだ。
手紙の主は、私に真城透紀と付き合えと言っているのだろうか?
そんな無茶な。

「私に誰かを虜にさせる器量があるわけないやろ」

自分のことは自分が一番心得ているのだから、そんな私に恋愛シュミレーションゲームのような真似をさせられても困る。
一年二年続けたって真城透紀が私に惚れるなんてあり得へん。
そもそも真城透紀は彼女こそいないが、不良という点を除けば十分女の子にモテるスペックの持ち主だ。
背が高く喧嘩も強い、ややつり目がちな顔も整っていることに違いなく。
一匹狼で辛口気味だが話してみればそれなりに楽しめる相手だし、女に困ることはないだろう。
私には無理や。
生まれてこの方恋愛遍歴のない私にどうしろって言うん、この手紙は!

「美園さん?何見てるのー?」

思わず手紙を地面に叩きつけそうになった時、クラスメイトの女の子が話し掛けてきた。
ので、慌てて手紙を隠す。

「な、何もないよ!」
「え?でも今何か……」
「あああそういや戸部さん、今日の一限目って何やったかな!?ど忘れしてもーて!」

肩に掴みかからんばかりの勢いで捲し立て、必死に話題転換。
かなり怪しく思われたかもしれない。

「す、数学だけど……」

ほら。
私を見る目がさっそく訝しげや。


「由岐ーーー!飯食べようや!」

昼放課にもなると、慣例の郁ちゃん特攻が押しかけてくる。
なんでも郁ちゃんは、せめて一日三食だけは私と共にするという勝手なルールを設けているらしい。
わざわざクラスにも迎えにくるくらいだ。
転入してから異様に女の子にモテまくる郁ちゃんのお迎えはみんなの視線が痛いから嫌なんだけど、かと言って止めてくれる人は誰一人としていない。
学校生活が憂鬱な一番の原因はあの手紙でも、郁ちゃんの教室押しかけ攻撃は二番目にくるかもしれんなぁと溜息を吐いた。

「郁ちゃん、ごめん。今日は一緒に食べれない」
「今日も、やろ?ここんとこ由岐は俺の誘い断ってばかりやん」
「あー、ほら。郁ちゃんもクラスの人たちと親交深めた方がええと思うで?」

なんて。
本人が頑張らなくても自然に人を惹きつけてゆくのが郁ちゃんなんだけど。

「何やそれ」

郁ちゃんの眉が苛立たしげに寄る。

「俺はクラスメイトなんてどうでもええ。由岐がおれば」

ざわ、とこちらの様子を伺っていたクラスメイト数名がどよめく。
うん、ちょっと。
場所考えような?郁ちゃん。
きみのそういう発言は周囲に誤解を与えるってこと、どうか分かって。

「私かて郁ちゃんは大切な幼馴染みやけど、他の友達も大切にせな。私、郁ちゃんには友達が多い方が似合うと思うんよ」

敢えて幼馴染みの単語を強調する。
私たち付き合ってませんよ〜ただの幼馴染みてすよ〜アピールだ。
郁ちゃんはムスッとしながらも、仕方がないといった感じで強張っていた肩の力を抜いてくれた。
大切な幼馴染み。
私の言うこの単語に、郁ちゃんはめっぽう弱い。

「じゃあ、明日こそはええやろ?あんまり友達ばっかになると、拗ねるで」

どこの彼氏やねん。
心の中で突っ込みつつ、自分の教室に引き返してゆく郁ちゃんを笑顔で見送った。
ふふ、今回は私の勝ちだ。
今朝の仕返しも兼ねて満足した私は、自分の弁当を持って教室を出た。


プレートに名前のない空き教室の扉をガラガラと開ける。
相変わらず立て付けが悪い。
全身全霊の力を込めて扉を閉め終えると、中にいた男子生徒と目が合った。

「何だ、来たのかよ。てっきりあいつと昼に行くのかと思ってた」

購買のパンを片手に胡座を掻いている彼こそ、くだんの真城透紀である。
金色に染められた髪に、緩く着崩した制服。
見るからに不良くんだ。
一週間前にここで昼を過ごしていることを知り、偶然を装って乱入した。
手紙の指示がなければ、自ら関わろうとは思わない相手。

「真城くんこそ相変わらず一人なんやね〜」
「んなの個人の自由だろぉが」
「せやったら私がここに来るのも自由やん」
「……別に、来るなとは言ってねえだろ」

バツが悪そうに頭を掻く真城透紀は何気に可愛い性格をしていると思う。
あれだな、ツンデレ。
初対面の人には限りなく刺々しいくせに、気が置けない相手にはめっきり甘い。
たまに見せるデレが絶妙な味わいだ。

「罪な男やな」
「何言ってんだお前」

ツンデレ好きの女の子には堪らない男だろう。
そう頷く私に真城透紀は冷たい視線を向けた。

「つか、お前って一組の転入生と幼馴染みなんだな」
「知らなかったん?クラスで自己紹介する時言うたはずやけど。浅野郁実とは幼馴染みで親戚やって」
「親戚……」

堪忍な。
親戚って言うのは真っ赤な嘘だ。
同時期に同じ方弁を使う転入生二人というのは確実におかしいと郁ちゃんが言い出し、無難な理由として親戚だからとでっちあげた。
私も郁ちゃんも、同じ家で暮らすようになったいきさつを他人に根掘り葉掘り聞かれるのは堪らない。
それ故の嘘だったが、やはり人を騙すのだから罪悪感が胸を突つく。

「分かった。私の転入初日、真城くん学校サボってたんや」
「いや、いたぜ。ただ興味がなかったからな」
「うわ酷いなぁ。んー、なかったってことは、今はあるん?」
「………」
「だんまりや」
「……言葉の綾だバカ。今もない」
「そか」

郁ちゃんと違ってからかい甲斐のある人だ。
自分の発言が角度を変えればそう解釈できることに気付いたのか、恥ずかしさを紛らわせながらの否定。
思わず笑ってしまう。

「笑ってんじゃねぇよ」
「かわええやん真城くん。照れんといて?」
「照れてねぇ!」
「あはは」

私、この人を騙して惚れさせなきゃダメなのかぁ。
無理だ、と思うのと同時に、騙したくないなと思った。
できるなら友達になりたいのに。
何で私は彼を騙さなきゃいけないんだろう。

実行シナカッタ場合 オ前ノ大切ナ者ヲ殺ス

頭に過ぎるのは、あの不吉な一文だった。



あっという間に放課後になった。
いつも通り郁ちゃんが迎えに来て、肩を並べて下校する。

「なぁ郁ちゃん」
「何や」
「男の人を落とすには、どうしたらええんかな」
「はあ?」

突拍子もなく訊ねたら、思い切り眉を顰められた。
当たり前か。
恋愛のれの字の片鱗も見せなかった私が、突然そんなことを言い出すのはおかしいのだろう。
藪から棒に何やと言われたので、なんとなくと返しておいた。

「せやなぁ。由岐はただそのままでおればええんちゃう?」
「そのままって……答えになってないやん」
「自然体の由岐が一番魅力的ってことや。ほれ」

そう言って差し出された手。
子供のようにふてくされながらも、私は郁ちゃんの手をしっかり握った。
人目につかない帰り道はいつもこうだ。
そのうち同級生の誰かに見つかって、私たちが付き合ってるとの噂が出かねないんじゃないかと危惧してる。
ここは以前まで住んでいた町とは勝手が違うから。
一方の郁ちゃんは、それもええなぁ、なんて脳天気にのたまうだけだった。


家に帰ると豊子さんのお母さんである松代さんが出迎えてくれた。
おかえりなさい。
豊子さんに似た顔で、豊子さんに似た声で。
それだけは、一ヶ月経った今も慣れない。

「今日の学校はどうだった?」
「とても楽しかったですよ。でも、由岐が一緒に昼メシを食べてくれんかったんです」
「あらあら。流石に高校生ともなると、周りを意識しちゃうのかしらねぇ」

松代さんと和気藹々会話をする郁ちゃんの後ろに隠れるように、私はひっそりと佇む。
由岐ちゃん、とこちらに話題を振られる度に当たり障りなく笑顔で答えるだけで、積極的に会話に参加することはない。
こちらに来てからずっとだ。

「あら、もうこんな時間。そろそろ夕ご飯の支度を始めなきゃ」
「あ、俺も手伝いますよ」
「ふふ、ありがとう郁実くん」

松代さんが去っていった後、ポカリと郁ちゃんに頭を叩かれた。

「あからさま過ぎやろ」

―――だって。
あまりにも豊子さんそっくりで、どう接すればいいのか分からへんのやもん。
豊子さんが笑ってる。
そう考えるだけで、情けなくも私は体が硬直してしまうのだ。


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