「由岐、またこんなところにいたんか」
さざめく波の音に耳を澄ませていた私は、その声にふと意識を引き戻す。
気づかなかったな。
水平線の彼方に夢中になっていた私も私だけど、気配がまるでしなかったぞ。
「郁ちゃん」
「まだ海の季節とちゃうで。こんなところに長居しとったら風邪引いてしまう」
「平気だよ」
「何言っとんのや。ほれ、肌がすっかり冷えてるやないか」
手首に触れられた郁ちゃんの温もりに、私は自分がどれだけ冷たくなっていたのかを思い知らされた。
「………別に、これくらい平気やし」
なんてことはない。
つい先日も、ひがな一日中同じように潮風を浴びていたが、特に体調に影響はなかった。
田舎人なめるなよ。
「平気とかそういう問題やなくて、体に悪い言うてんねん」
「もうちょっとだけ。ね?お願い、郁ちゃん」
「アカン。由岐に何かあったら俺が嫌や」
く、頑固者め。
あと少しの余韻に浸るのも許さないつもりか。
「郁ちゃんのばぁか〜〜」
この景色も今日で見納めなのに、郁ちゃんには琴線に触れる何かがあったりしないのだろうか。
私は名残惜して惜しくて、町を離れると決まった日から何度もここに足を運んだというのに。
薄情な男だ。
「俺はこんな町より、だんっっぜん由岐のことの方が大切やし。ワガママ言わんで帰ろうや?な?」
「ワガママと違うし……」
「向こう行ったって休日には帰ってくればええ話やん。もちろん俺も付き合うし、それで不満ないやろ?」
そういうことじゃないんだけどなぁ。
郁ちゃんにはこれ以上何を言っても無駄らしい。
そう判断した私は渋々重たい腰を上げ、差し出された郁ちゃんの手を握った。
不承不承、だ。
「郁ちゃーん。私もう子供とちゃうねんけどな……」
「何言うてんの、由岐は子供や。子供は大人しく俺に守られときぃ」
いつの間にか大きくなった骨ばった手のひら。
私の幼馴染みは、いつからこんなにも成長していたのだろう。
逞しいその背中が私をなんとも言えない気持ちにさせた。
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