「あ……」

一瞬、隆太かと期待したけれど、隆太ではなかった。
知らない男子生徒だ。青色の上靴を履いていることから、かろうじて三年の先輩なのだと推測される。
私はみすぼらしい顔を晒さないよう頭を下げ、いそいそとその人の横を通過した。

うん、したにはしたんだけど……。

「汚い顔だね」

背後から、呼び止められてしまった。
名指しされたわけでもないのに足が止まってしまったのは、十分に“汚らしい顔”の自覚があるからだ。さほど綺麗でもない顔を涙でグシャグシャにして、お目汚しにもほどがある。
私は一言、すみません、と謝った。

「なんで謝るの?」

しかし私の謝罪は相手に一刀両断。まさかのなんでと問い返された。
いや、汚いと言ったのはそちら様であって……ええと。
去るに去れない状況になり、私は言葉にも詰まってしまう。

「ねぇあんたさ、何なの」

ああ。大量の水分不足によって目が乾いてきた。

「何、と言われましても……」

アバウトすぎて答えられない。
この人こそ何なの?
私が傷心中であることは汚らしい顔から安易に判断できるはずなのに、にも関わらず私を引き留めるなんて相当性格が悪いんじゃないだろうか。
私は顔を顰めた。

「前も泣いてたよね。一ヶ月くらい前……だっけ?」
「え……」

驚いて面を上げると、酷く冷淡な目と視線が合った。
怖くて逸らせない。
蛇に睨まれた蛙の如く縮こまる私にお構いなしに、男の人は続けた。

「そういうの、やめてほしいんだよね。目撃する人の立場になってよ。すごく迷惑。どうせ泣くなら、誰もいない場所か家の中にしてくれる?それとも、誰かに慰めてほしくてわざとやってるのかな」

そして薄っすらと微笑まれる。寒気がした。どこか高圧的な笑みは、私に恐怖しか与えない。

「す、すみません……」

慌てて取り繕う謝意の言葉。
わざとでないにしろ、私の行為のせいでを不快な思いをさしてしまったのなら謝った方がいいだろう。それも一度ならず、二度までも……。本当に申し訳ない。

「だから、なんで謝るの?」

ところが、男の人は納得がいかないのか露骨に眉根を寄せた。訳が分からない。
私の謝罪なんていらない、ということだろうか。何だろう、慰謝料でも要求されるのか。

これ以上この人との会話を続けられないと判断した私は再び会釈して、逃げた。
怖かった。あんなにも直球に不快感を露わにしてくる人は珍しい。悪意があったのか定かではないが、ああもなんでと問われては居心地が悪い。

水道の水で顔を洗い、隆太がいないのを確認してから私は校門をくぐる。

隆太にはもう会えない。
ただの幼馴染みに戻ることもできないだろう。私は嫌われてしまったのだから、これでも身の振り方は心得ているつもりだ。今後一切話し掛けたりしない。……できない。
隆太に拒絶されたら、私は二度と立ち直れないもの。

はち切れそうな心を見ない振りして、もう泣かないと決めた。

「待って」

その時、パシッ、と。
誰かに手首を掴まれた。

振り返った先にはさっきの男の人がいて、びっくりした私は思い切り振り払おうとするのだけど、なかなかどうしてびくともしない。
こういう時、男女の差って不便だと思う。

「………何、ですか」

私の中で、彼に対する不信感がさらに募った。わざわざ追いかけてくるなど、どんな用件があってと言うのだ。
怖さよりも警戒心が勝り、なるべく眼に力を込めて見つめた。

「何って。まだ答えを貰ってないんだけど?」
「答え……?」
「なんで謝ったの。俺はそれが聞きたい」
「え」

ま、まさか。たったそれだけのことを聞くために私を追いかけてきたのか。なんたる行動力だ。

「その、悪いと思ったから……謝りました」
「本当に?」
「?」
「本当に悪いと思ったの?」

ええ……。まだ疑われてるの、私ってば。
やたらと質問の多い先輩を怪訝に思いながら、首を縦に振る。
すると、あろうことか舌打ちをされた。
なんで。

「ああ、そう。馬鹿だねあんた」

しかも罵られた。
流石の私も、初対面の人にここまで貶される謂れはないと反論する。

「何なんですか、あなた!さっきから人を汚いとか馬鹿だとか……ほ、本当のことですけど……」

言い方を工夫してほしい。ううん、オブラートに包んで言われたって嬉しくない。もっとこう、気を遣ってほしいのだ。今の私は精神的に参ってる。

「あのさぁ。俺、あんたのこと明らかに貶してたでしょ?どんだけ鈍いの、悪口言われて馬鹿正直に謝るなんて……プライドとかないわけ?」

そんなこと言われても……。

「あんたが謝る必要なんてないのに。怒ればいいじゃん。さっきの男との別れ話もそう、呆気なく受け入れて馬鹿みたい。その上一人で泣いちゃってさ、何。我慢している自分が健気だとでも思ってんの?」
「み、みみ見てたんですか!?」
「ああいう修羅場は是非とも校外でやってほしいね」

恥ずかしさやら怒りやら、様々な感情がふつふつと湧き上がってくる。
この人に何が分かる。物知らぬ第三者の発言だとは分かっていても、そう思わずにはいられなかった。

でも。
結局のところ。

「………以後、気をつけます」

いつもいつも、感情が爆発する寸前で歯止めが効く。

小さい頃からそうだった。私は一度も、人前で激しい感情を表に出したことはなかった。
長女だから、年上だから、仕方ないから。そうやって何かしらの理由で我慢して、いつしか物静かな子になっていた。隆太にだって、特別なわがままを言ったことはない。
手の掛からない子供だと大人が褒めてくれるのだけが、唯一のご褒美だった。

「面倒くさ……」

鬱陶しげに吐かれた台詞にびくりと肩が反応する。

聞き慣れた言葉だ。隆太の周りにいる人たちはよく、私のことを面倒臭いと言っていた。陰口だけでなく、面と向かって言われたこともある。
私は、面倒臭い女。隆太のお荷物だと。

「もういいや。話すだけ無駄」

彼もまた隆太たちと同じように私のことを面倒なやつだと認識したのだろうか。
少しだけショックを受ける。やはり誰が相手でも、傷付くものは傷付くのだ。

だが、彼は予想に反した行動を取った。
私の腕を引っ張り、どこかへ連れて行こうとするのだ。

な、なに!?

「あの!ちょっと……」
「黙ってくれない?うざいから」

ひぃぃぃぃいい。
私をどうするというの、この人は!







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