「早野、……別れようぜ」


重々しい雰囲気の中、彼が口にしたのはやはり私の想像を裏切らない言葉だった。

彼、安藤隆太は、付き合って三年目になる私の彼氏だ。
いや、たった今別れを切り出されたのだから、正確には彼氏だった、の方が正しいのか。いずれにしても三年間そういう関係であったことは事実である。

隆太と付き合い始めたきっかけは、正直言って誰かに話せるほどロマンスに満ち溢れたものではない。
ただ、なんとなく。そう、なんとなくだ。周囲が私と隆太の距離感に敏感に反応する年頃になって、やたらと「付き合ってるの?」と私たち幼馴染みの関係に口出してくるために、辟易した隆太が一言。

「じゃあ、付き合うか」

………それだけ。

別にどちらかが相手を異性として好きだったわけではなかったと思う。私も隆太もお互いのことは大切だったけど、あくまでも幼馴染みという気心の知れた範囲内に納まっていた。

付き合うようになってからも恋人と言うよりはどちらかと言えば家族みたいだった。手を繋ぐことは幾度となくあったが、キスやそれ以上の行為はしない。傍から見れば、実に清純なお付き合いをしていたことだろう。

だから、高校に入って様々な人たちと交流していく中で、隆太にきちんとした“好きな人”ができるのは自然な過程であったし、魅力の欠片もない私が彼を引き止めるだなんて初めから無理難題な話だった。
それなのに私は、隆太に「別れよう」の一言を口にされるのが怖くて、必死に彼を繋ぎ留めようと無駄な努力をした。
色気もへったくれもない貧相な体をせめてよく見せるために美容には気をつけたし、胃袋を掴むために毎日料理の勉強もした。自分にできることは何だってやって、隆太が離れていかないように頑張っていたつもりなのに……。
そのすべて無駄だった。

「う、ん……」

喉がカラカラと渇く。たった二文字の返事をするだけなのに、それは世界を崩壊させる呪文のような苦々しさに満ちていた。

隆太の表情は変わらず、その瞳は何を考えているのかまったく分からない。
小さい頃は隆太の思うことはすべて当てられていたのに。高校に入ってからは、隆太はまるで人が変わったみたいだった。
ん……違うかな。隆太が変わったんじゃなく、私が変わらなさすぎたんだ。
昔のようにいつまでも隆太の後を引っ付いて回って、彼からしてみれば私はさぞ迷惑だっただろう。完全なるお荷物だ。

なんてことはない。
隆太はもう、馬鹿で鈍臭い幼馴染みの世話焼きなんてやってられない歳になってしまっただけ。

傷付いた表情を見られたくなくて俯く私に、隆太はため息混じりに呟いた。

「お前さ、本当……。何考えてんのか分かんねーわ」

気怠そうな声色。ああ、本当に私は隆太にとって邪魔者でしかなかったんだと痛感させられた。

大丈夫、大丈夫だと胸の内で繰り返す。
隆太が私を名前ではなく苗字で呼ぶようになってから、なんとなくこうなることは分かっていた。
だから大丈夫なのだ。
分かりきっていた未来に、涙を流す必要なんてない。

「ふ、……ぅ……っ」

隆太が去ってから、私は地面にへたり込んで泣いた。
覚悟は決めてたはずなのに、何故だか涙が止まらない。自分でも止めどなく溢れる雫に困り果てた。泣くなと思えば思うほど、体中の水分を奪う勢いで溢れてくるのだ。

想像していたよりもずっと、隆太の言葉は痛かった。痛くて痛くて、いっそこのまま死んでしまった方がマシなんじゃないかと思えるほどに。

これが、失恋かぁ……。

ドラマで見るのと実体験とじゃまったく違う。失恋の痛みで三日は喉も通らないと言っていたのは、案外大袈裟なものではないのかもしれない。だって、体中すべての活力が奪われてゆくんだもの。

初めは。
そうだ、初めは軽い気持ちだった。
隆太と同じで、変に詮索してくる周囲に嫌気がさしていただけで、隆太を幼馴染み以上になんて見れやしなかった。どう角度を変えたって私にとっては頼りになるお兄ちゃんでしかなくて。

でも次第に、変化が訪れた。
たくさんの女の子たちからモテるのに、いつも私を優先してくれる隆太に申し訳なかったはずが、いつの間にか私を一番にしてほしいと思うようになった。
紛れもない独占欲。隆太とデートをする度に、恋人ごっこをする度に、私は隆太を異性として認識できた。なんてことなかった手繋ぎが、妙に心拍数の上がる行為になった。

隆太が好き。

紛れもない私の初恋だ。

隆太が委員会に所属するようになって、部活やら勉強やらで私とのすれ違いが多くなった時は寂しかった。
電話を何度も掛けようとして、いつも寸前でやめていた。迷惑になってしまうと。教室にも会いに行けなかった。勇気が足りなかった。やがて寂しさを紛らわせるために、私は趣味に没頭した。

今思い返してみれば、きっと隆太はその頃から私と別れたがっていたのかもしれない。だから、忙しいからとなかなか会ってくれなかったのかもしれない。
そんなことにも気づかないで、月に数回のデートを心待ちにしていた自分が恥ずかしい。

ズズッと鼻水を啜って両手で涙をごしごし拭いた。

私に泣く資格なんてない。むしろ三年もの間、私なんかと付き合ってくれた隆太に感謝するべきだ。
こんな垢抜けない自分なんかと……。

いつまでも泣いてちゃダメだと、私は立ち上がる。今は放課後だからこの校舎裏は誰も通らないだろうけど、万が一の場合もある。変な噂が立てば、また隆太に迷惑を掛けてしまうだろう。それだけは避けたい。別れてからも火の粉を降り注ぐ女なんて最低だ。

腫れた瞼を冷やすために水道へと向かおうと歩き出せば。

あろうことか、人に出くわした。






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