やけに緊張した。 別れてから隆太と話すのは初めてだし、何より苗字で呼ばれなかった。 いちか。 隆太が口にすると響きが変わる。 『お前の両親が心配してたぞ!午後の授業もサボって……なんか、うるさくねえか?お前今どこにいる?』 「駅前の、えっと。ゲームセンター……」 『はあ!?なんで!絵美子さんたちがお前のこと必死に探してんのに、ゲームセンターなんかで遊んでたのかよ!?信じられねー!絵美子さんがどれだけ――』 絵美子さん、とは私の養母の名前だ。 矢継ぎ早に責め立てられ、私はなんと言っていいのか分からなくなる。 ごめんなさい。 そう言おうとしたところで、今まで静観に徹していた末次先輩に携帯を奪われた。 「え、先輩!?」 『は?いちか?』 「はいはーい、もしもーし」 軽快な口調で喋りだす末次先輩。隆太とは知り合いでないだろうに、やはり人見知りをしない質らしい。 というか、勝手に代わらないで! 「先輩っ、返してください!」 携帯を奪い返そうと試みるが、先輩の長い手に阻まれてしまう。 「心配かけたならごめんねぇ〜?いちかちゃん連れ回したの俺なの。だから彼女を責めないでくれる?」 『………誰だお前』 警戒しているのか、聞こえてきた隆太の声は低かった。 末次先輩はムッと唇を突き出す。 「先輩相手にタメ口とかなってなくない?いちかちゃんのことなら安心してよ、俺がきちんと家まで送り届けるから」 『おま―――』 「ばいばいー」 なんの躊躇いもなく。 先輩は通話終了ボタンを押し、電話を切ってしまった。 そして携帯を渡された私は唖然と彼を見遣る。 なんて無理やりな……。 「いちかちゃんの幼馴染み、ちょっとウルサイね」 「……心配してくれてたんだから、当然だと思いますけど」 「怒んないでよ〜。てか、心配?さっきの会話からだと、いちかちゃんをって言うよりいちかちゃんのお義母さんをって感じじゃん」 それは――― 私が沈黙する間に、鳴り出す携帯。 相手は隆太だった。 「出なくていーよ」 「困ります」 「誰が?いちかちゃん?」 「……隆太が」 ふぅん、と流し目がこちらを捉える。 少し居心地が悪かった。 あの目は、由貴先輩みたいだ。 こちらを値踏みするような、試すような視線。 ………苦手かもしれない。 「もし、もし」 私は上擦った声で応答した。 『いちか!?さっきの……』 「ごめん。えっと、迷惑かけたよね。本当にごめんね。今から帰って、お義母さんたちにも謝るよ」 『それはいいけど……さっきのやつ、誰だよ?』 「学校の、先輩」 『お前に知り合いの先輩なんかいたか?変な男にいいようにされてんじゃねーだろな』 「先輩はそんなんじゃないよ」 『どーだか。絵美子さんに迷惑かけんのもいい加減にしろよ』 「………うん。ごめん」 隆太は昔からお義母さんに懐いていた。 お義母さんも他所の子供に対してはいい顔をしていたから。 ―――お義母さんの裏の顔を知らないから、そんなことが言えるんだ。 私よりもお義母さんのことばかり気にする隆太に、暗い気持ちが芽生える。 「じゃあ、ね……」 返事を聞かずに携帯を閉じた。 隣では、末次先輩が「ほら、だから出なくていいって言ったのにぃ」と、まるでこうなることが分かっていたかのような口振りで言う。 隆太に私自身……“早野いちか”を心配してほしいなんて、自分勝手な願い事だろうか。 再び携帯が鳴ることはなく、自分から切ったくせに、それがやけに惨めだった。 末次先輩に送られ、家に帰ると、玄関には苛立った様子のお義母さんが仁王立ちしていた。 私に気づくとすぐさま鋭い眼差しで睨みつけてくる。お義母さんに睥睨されるのは日常茶飯事とはいえ、やはり慣れない。 ――早くお詫びしなきゃ。 謝るために走り寄ろうとしたところ、隣にいた末次先輩が私の手を取って止めた。 そしてそのまま、お義母さんの前に出て行く。 「あなた……?」 そこで初めて末次先輩の存在を認識したお義母さんは、慌てて笑顔を取り繕う。おっとりした、なんとも優しい“母”の顔を。 変わり身の早さは流石と言っていい。 「どーも。コンバンハ」 けれど、そんなお義母さんを末次先輩は冷めきった目で見ていた。 私の知る彼とは違う冷徹な表情。少しだけ驚いた。末次先輩は、こんな顔もできるのかと。 「……ええ、こんばんは。この子のお友達かしら?」 「友達以上恋人未満の末次湊でーす。どうぞ今後ともよろしくお願いしますね、いちかちゃんの“お義母さん”」 「……」 お義母さんが苛ついているのが分かった。同様に、末次先輩もあの人懐っこいえくぼを潜ませ怒りに耐えているのだと。まるで狐と狸の化かし合いだ。表面上は二人とも笑っているのだから。 お義母さんはともかく、私には末次先輩の怒りの原因が理解できなかった。 どうして彼は怒っているのだろう。どうして私の前に出て、お義母さんから守るように立ってくれているのだろう。 どうして……。 末次先輩の行動の理由を考えても、きりがない。 「そう、そうなのね。こんな子の遊び相手になってくれてどうもありがとう。今日も遅くまで付き合わせてしまったみたいで悪いわ。人の迷惑を一切考えない子だから、うんざりしたでしょう。その癖、根暗で俯きがちで、腹の底では何を考えてるか分からない。友達もいないらしくてね、私も手に負えないで困っているのよ。あなたもさぞかし大変だったでしょうね。けど、もう止めてほしいわ。この子には、多少のお金しか持たせてないのよ」 そうのべつ幕なしに紡いで柔らかく微笑むお義母さん。反対に口から飛び出てくる言葉の数々は、毒気に満ちていた。 ……まるで、末次先輩がお金目当てで私といるみたいじゃないか。 彼はそんな人じゃないのに。つい昨日今日出会ったばかりの人間が何をとは思うけれど、一緒にゲームをやって楽しんで、末次先輩の人となりはそれなりに窺い知ったつもりだ。 末次先輩がどういった目的を持って私なんかに構ってくれてるのかは分からないが、それでもお金目的でないことは断言できる。 私はいつの間にか、無条件に末次先輩を信用していた。 「……とにかく、今日いちかちゃんの帰りが遅くなったのは僕の責任ですから。彼女を責ないであげてください」 「ああ、優しいのね。この子を庇うなんて。なら優しさついでに、二度とこの子に関わらないでくださるかしら。……来なさい、いちか。帰るわよ」 おずおずと末次先輩の影から出てきた私の腕を、お義母さんが強引に掴んで移動させる。 その時、末次先輩の小さな囁きが耳を掠めた。 「ごめんね、いちかちゃん。マッキーから釘を刺されてるんだよね、あんまり余計なことしないようにって。だから僕ができるのはここまで。辛くなったら、電話ちょうだい」 パタリ、と。 申し訳なさそうに笑う末次先輩の姿を脳裏に残し、扉が閉ざされた。 お義母さんの容赦ない平手打ちは、直後に飛んできた。 しおりを挟む 感想を書く トップへ |