泣きたいわけじゃない。誰かに迷惑を掛けたいわけじゃない。
私はただ……。
―――ただ?
ただ、なんだろう。

「ごめ、ごめんなさい……っ」

自分がどうしたいのか、どうすればいいのか分からなくて、私は乱暴に袖口で涙を拭った。

早く泣き止まなきゃ。
人様の前で泣くなんて失礼すぎる。これ以上空気を壊してどうしたいんだ。

早く、早く。

「―――あのさ」

不意に腕を掴まれ、両手は膝の上に戻されてしまった。
私の腕を掴むのは由貴先輩だ。
突然の行動に目を丸くする。

「あんたが謝る必要、ないよね。ましてや泣いてはいけない理由も」
「で、でも、由貴先輩も私に泣かれるのは迷惑だって……」
「そりゃ、校舎裏で一人めそめそ泣かれるのはね」

由貴先輩はそう区切ってから、深い溜息を吐いた。

「………あまり口に出して言いたくはないんだけど。
俺たちの前でなら、いくらでも泣いていいよ。誰も咎めたりしないし、俺たちを、泣き場所にすればいい。簡単なことでしょ」
「………」
「我慢せずに泣けばいい」

“慰めてあげるから”

不覚にも最後の台詞に、やられてしまった。

私は誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない。味方になってもらいたかったのかもしれない。
ずっと傍にいてくれる人が欲しかった。
友達でも、恋人でも、家族でも。
家庭内に居場所がなくて、学校でもうまくいかなくて、唯一隣にいてくれた隆太にばかり依存していた。

けれど、あまつさえその隆太にまで見捨てられて、私の居場所は今度こそ無くなってしまったんだと思ってた。

「うぅ……っ」

先輩たちがどうしてこんなにも私に優しくしてくれるのかは分からないけど、そっと差し出された手に、思わず縋り付いてしまった。
先輩たちはよしよしと頭を撫でてくれたり、背中を擦ってくれたり。各々がしばらく泣き続けた私を慰めてくれた。

温かい、な。
人の温もりはこんなにも心地よいものだっただろうか。

嗚咽も止んだ頃、誰に促されるわけでもなく私はぽつりぽつりと身の上話を始めた。

「………私。孤児、だったんです。物心つく前から施設にいて、そこで四年間暮らしていました」

脳裏に過ぎる施設での思い出の数々。
あの頃は幸せだった。優しい先生がいて、似た境遇の仲間に囲まれて。これ以上ないくらいにとても穏やかな日々を過ごせていた。

けれど。

「状況が一変したのは、小学二年生の時です。私を引き取りたいと言ってきた人たちがいました。それが今の養親です。彼らは施設に多額の寄付金を申し出てくれていたので、私は施設の人たち総出で見送られました」

先輩たちは静かに耳を傾けてくれる。
この先を話すのは、少し憂鬱だ。

「最初は優しい方々だったんです。でも、養父が連れて行ってくれたパーティで粗相をやらかしてから、私に対する反応は変わってしまった」

昔のことだからあまり正確には覚えていない。
ただ、とある有名企業の社長が開いたパーティで、私はお偉いさんの子供にとんでもないことをやらかしてしまったらしく、養父が床に頭をついて謝り倒していたことだけは克明に覚えている。
子供のおいたでは済まされなかった。先方は構わないとの態度だったけど、家に帰ってからの養父は散々に私を罵倒し、しまいには暴力を振るってきた。
一言、怖かった。

「“ごめんなさい”を繰り返しました。許してくれるまで、何度も。………だからかもしれません。何かあるとすぐに謝るのが癖になってました」

自分の所為だということは分かってる。私が馬鹿な真似さえしなければ、養父が豹変することもなかったはずだ。

その日を境に、養父の暴力は日常化した。
養母は見て見ぬふりだ。家庭内で助けてくれる人はいない。引き取られてからの数日が都合の良い幻想だったかのように悪夢の日々が続いた。

隆太に出会ったのはそんな時期だった。養父に家を締め出され、公園で一人途方に暮れていた私に話し掛けてきたのがきっかけ。
聞けば一人ぼっちでいる私を前々から気にかけてくれていたらしい。
隆太の第一印象はとにかくキラキラで、正義感の強い男の子、だった。

「中学生になってからは養父の暴力もすっかり鳴りを潜めました。代わりに、私の存在を無視するようになりましたけど」
「………身勝手な里親だねー。僕だったらいちかちゃんをデレデレに甘やかして育てるのになぁ」

末次先輩が頬杖をついて茶々を入れる。「お前は黙ってろよ」との森本先輩の突っ込みは意に介していない様子だ。
私はそうですね、とは同意できなかった。

あの家庭で無事にここまで育ったことは限りなく奇跡に近い。我慢の賜物、と言うべきか。何をされても抵抗しなかったから、養父は気味が悪そうに私に手を出すことをやめた。
養親たちの外面の良さは天下一品で、私も誰かに告げ口をしたこともなかったから、十年近くの間にわずかたりとも家庭内の虐待が明るみに出ることはなかった。それもまた、ある意味で奇跡のようだ。

そして、現在に至る。

「そこまでいくと、まるで共依存だね」
「共依存、ですか」
「そう。普通は虐待なんて嫌がるものでしょ?でもあんたは何も言わず我慢していた。それって、暴力を受けることでしか自分の価値を見出だせないみたいだ」
「………」

共依存。確かにそうかもしれない。
暴力は嫌いだった。
痛いし、怖いし、苦しいから。
なのに……いつでも機会はあったはずなのに、私は逃げ出さなかった。

居場所がなくなることが怖かったんだ。
暴力よりも、誰からも必要とされないことの方が怖かった。

「私、どうしたら良かったんでしょう」

暗澹たる気持ちで言葉を紡ぐ。

「変わればいいんじゃない」

対する由貴先輩の返事は至ってシンプルなものだった。

「もっと我儘になって、逆に周りを困らせてやればいい。辛いなら辛い、嫌なら嫌。はっきり言ってやればいいんだよ」
「………」
「俺たちだって、あんたの我儘なら喜んで聞いてあげる。……主に末次がね」
「うへっ、僕!?」

ここで自分の名前が出てくるとは思わなかったのか、末次先輩は非常に間抜けな声を上げた。
いや、うん、まあーいちかちゃんならいいけど、と唇を尖らせながら仕方なさそうに私を見てくるので、苦笑を漏らすしかなかった。

「なんだか、」

そう。なんだか、おかしな気分だ。
昨日まで赤の他人も同然だった彼らとゲームをしたり、慰められたり。

「なんだか、お兄ちゃんができたみたい」

小さな独り言はきちんと皆に聞こえてしまっていたらしく、証拠に由貴先輩の私を撫でる手がピタリと止まった。
さ、流石に、お兄ちゃんは図々しかったかな。

「………まあ、今はそれでもいいけどね」

今は?
とりあえずお兄ちゃん発言は許してもらえたのだろうか。恐る恐る由貴先輩を見上げると、ムッとした顔でデコピンされた。

痛い。
けど、ちょっと嬉しい。

やばいな。私、マゾじゃないのに。






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