私としたことが、授業を忘れてしまうほどゲームに夢中になってしまうなんて。頭を抱えて右往左往し、必死に教師にどう言い訳しようか考える。

なんて言えば納得してくれるかな。
頭が痛くて保健室にいました?でも、養護教諭に尋ねられたらすぐに嘘がバレてしまう。かと言って正直にゲームしてましたなんて話せば、内申に響くことは免れない。
うあああ。
私のばか、どうする。

「楽しかったねー。次、何するー?」

焦燥の色がまったく見えない末次先輩は、床にゴロゴロ寝転がった状態でさっそく次のゲームの話。まさか二限目もサボる気なのでは。
悪魔のお誘いを無視して、私はまた考えた。
そもそも私、どうしてゲームなんてやる羽目になったんだっけ?
マッキー先輩に誘われて、それで。あれ?財布の話はどこいった?

「マッキー先輩!私の財布は……」
「“マッキー”?」

真横にいる先輩に訴えかけたら、ギロリと睨まれてしまった。

まずい。
私なんかが末次先輩に倣って、気安くマッキー先輩なんて呼んじゃいけなかったんだ。

慌てて口を塞ぐけど、一度出してしまった言葉は二度と取り戻せない。

「うわ。末次、お前が変なあだ名で呼ぶから」
「ぷぷー!女の子にマッキーなんて呼ばれたの初めてじゃない?良かったね、マッキー!」
「バカ、煽ってんなよ!」

後ろから二人の会話が聞こえてくる。

「ご、ごめんなさい……」

一緒に楽しくゲームをやったからって、調子に乗りすぎた。私は酔いからさめた時のような肩身の狭さを覚える。

「はあ。あんたって、謝ってばかり。顔上げ なよ」

縮こまる私に、先輩は幾分和らいだ口調で呆れていた。刺々しさは相変わらずだけど、それが先輩のデフォルトなのだと分かってからは私の捉え方も変わった。

「………楽しかった?」
「え?」
「俺たちと過ごして、楽しかった?」

こくん、と頷く。

時間を、授業を忘れてしまうほど楽しめた。こんなにもはしゃいだのは久しぶりだし、プレイ中は昨日今日あった嫌な出来事がすべて吹き飛んでいた。暗い気分だったのも嘘のようだ。

「とても、楽しかったです」

この時間がもっと続けばいいのにって。叶いもしない願いを馳せるくらいに夢心地だった。

そう朗らかに言うと、先輩も少しだけ目を細めた。
貴重な笑顔だ。……笑顔と言っていいのか微妙だけど。

「そういえば、俺の名前をまだ教えてなかったね。俺は牧瀬由貴。あんたには特別に由貴って呼ばさせてあげる」
「ゆ、由貴先輩?」
「ん」

名前で呼ばないといけない気がした。威圧感というか、なんというか。俺に逆らうなよってオーラが全身から滲み出ている。
条件反射さながらの早さで由貴先輩と口にした私に、末次先輩の方から不満げな声が上がる。

「ちょっとー、いちかちゃん?僕ん時はあんなに渋ってたのに、差別じゃなーい?」

差別というより、区別?
率直なところ、末次先輩は一生セクハラ先輩のあだ名でも良かった気がする。本名よりしっくりくるもん。セクハラ先輩。うん、これだけでどんな先輩か分かる非常に優れた名前だ。

「心に大きな傷を負っちゃったよー、いちかちゃんのせいだよー。ということで、謝罪のキスを頂戴」
「アホ末次。お前、そんなんだからいちか嬢に嫌われてんだぞ」
「え?僕ちん嫌われてるの!?」
「ハ、今更。ゲーム中に何度か甲羅当てられてただろ」
「ひどいよっ、いちかちゃん!」

いや、投げた甲羅が末次先輩に当たってしまったのは、本当に偶然なんだけどな……。

末次先輩と森本先輩のテンポの良いやり取りに思わず笑みが零れ、その刹那、室内が静寂に包まれた。

しーん、と。

え、何。先輩たちが私を見て固まってる。
今はなんにもまずいこと言ってないよね?もしかして、笑っちゃいけなかったとか!?

口元を手で覆い隠して息を止め、出て行った笑い声を呼び戻す。が、当然、時間が巻き戻るわけもなく。
………気まずい。
誰も話そうとしないのだ。やたらとうるさい末次先輩でさえ、私を見てポカーンとしている。

「うわ……」

彼の口からようやく出てきたのは感嘆詞だった。
うわだって、うわ。

「なんか、いけないもの見ちゃった気分」

訳の分からないことを言って、末次先輩は体ごと後ろを向いた。
続けて森本先輩も、ゆっくりと私から視線を逸らす。

「………」

ちょっと。
いけないものって、私っ?なんか酷い。
それより、どうしよう。空気を白けさせてしまった。

「ま。バカ二人は置いておいて、早野いちか」

そんな中、由貴先輩は一人平然と口を切る。

「あ、はい」
「あんた、自分が今のままでいいと思ってる?」
「ええっと、どういうことでしょうか?」
「どうって……別に、そのままの意味だけど」
「?」

話の意図が分かりかね、小首を傾げた。

すると、おかしな沈黙から復活した末次先輩がいきなり抱き着いてきて、私は口から心臓が飛び出そうになった。

「な、何するんですか!」

肉!お腹周りの贅肉をつままれた!

「いちかちゃん、意外とここのお肉が……」
「ひいっ」

それは私にとって非常にデリケートな問題だ。
執拗にウエストの辺りを触ろうとしくるセクハラ先輩をどうにかしたくて足をばたつかせていれば、見事に先輩のお腹に一撃が決まってしまい、先輩は丸まりながら床に沈んだ。
わざとじゃないんです。でも、自業自得だ!

「ぐ。こういうことだよ、いちかちゃん」
「何言ってるんですか……」

鳩尾に入ってしまったのか、思いの外痛そうにのた打ち回る末次先輩。後輩に蹴られたというのに満足そうな表情をしていて、若干引いた。
悶える彼の代わりに、森本先輩が分かりやすく教えてくれた。

「あー、末次の言いたいことがなんとなく分かった。つまりな、いちか嬢は今はやられたらそれなりの抵抗をしてるけど、いつもはほら。あの幼馴染み野郎やその取り巻きに何言われたって抵抗しないで受け入れてるだろ?牧瀬の言った今のままの自分でいいのかって意味は、そういうことだと末次は言いたいんだよな」
「流石、僕の森もっちゃん!よく分かってるぅ」
「ざけんな。俺はお前のじゃないし、森もっちゃん呼びもやめろ」

起き上がろうとしていた末次先輩を、また森本先輩が沈めていた。………柔道の袈裟固めで。痛そうだな。
森本先輩が手加減をしていないのは明らかで、末次先輩は空いた片方の手で床を叩きながら「ギブ!ギブギブギブ!」と連呼している。ゲーム内での闘争が、現実でも起こった。

………にしても。
森本先輩の言う“幼馴染み野郎”って、隆太のことだよね?先輩たちが隆太のことを知っている事実に驚きだ。

「どうして隆太を知ってるんですか?私のことも……」

そうだ。初めて会ったときから、末次先輩なんかは私の名前を知っていた。偶然とは考えにくい。
ここぞとばかりに改めて疑問を呈すると、由貴先輩の眉が僅かに反応した。ピクリ、と。
お世辞にも、あまり良い反応とは言えない。

「“隆太”、ね……」

心なしか由貴先輩の纏う空気が黒っぽく見える。
身の危険を感じた私は、ゆっくりと後ずさった。

「別れたのに、まだ名前で呼んでるのか」

呆れたように森本先輩が言った。末次先輩へのお仕置きは未だ続いている。叫び声がうめき声に変わっても、やめる気はないらしい。

「小さい頃から名前で呼んでたので……その、名前呼びに慣れてしまっていて」

考えてみれば、隆太を苗字で呼んだことなんて一度もなかった。隆太は隆太であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
隆太が私を「早野」と呼ぶようになってからも、私だけは変わらず名前呼びを続けていた。私と別れたいという隆太の意思表示に気づかずに……。

『―――早野、……別れようぜ』

あの時の隆太は何でもないような顔をしていた。
私に別れを切り出すなんて、朝飯前だと言うように。
きっと彼には、息もできないほど惨苦に泣き叫んだ私の心の中なんて毛ほども理解できないだろう。

だって、彼は。
隆太は。
初めから終わりまで、私のことなんて好きじゃなかったのだから。

隆太との別れ際を思い出し、私は目から溢れる涙を止めることができなかった。
ポロポロと滴る雫。

「え……、いちかちゃんっ?」





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