始まりの終わり

気がついたら、病院の一室にいた。
真っ白な壁に囲まれた部屋の中・・・ベッドに横たわる強子の腕には、点滴で血液が絶えず送り込まれている。


「(―――あれ、私・・・生きてる?)」


死柄木に刺されたはずの心臓部を撫でつけ、傷痕ひとつないのを確認する。そして、


「―――・・・思い出した」


死柄木と邂逅した強子は・・・奴に、殺され―――そして、奇跡的に生き返ったという事実を。
あれは・・・まさしく奇跡だ。幸運にも、あらゆる条件が強子に味方したおかげであった。

例えば、死柄木の気まぐれで、ナイフを使って強子を殺そうとした点。ナイフではなく個性を使っていたら、強化すべき身体が崩壊させられ・・・強子の起死回生はなかっただろう。
それに、治崎やクロノとの戦いの中・・・あるいはトガとの攻防の中で、強子は “治癒強化”を幾度と繰り返していた。矢継ぎ早に“治癒強化”をし続けたおかげで・・・身体が、脳が、いつでも“治癒強化”できるよう基盤を固めていたんだろう。
それから、エリの、巻き戻す個性。個性が暴走したエリを抱きかかえた瞬間、強子は“巻き戻される”感覚を味わった。あのとき、強子の疲労も、失血も・・・八斎會と戦う前の、完全無欠な状態にまで巻き戻されたのだと思う。そうでなきゃ、死から復活するほどの力は強子に残されてなく、あのまま死んでいたはず。
いくつもの好条件が偶然にも重なったからこその、奇跡の生還であったのだ。

・・・とはいえ、結局は血を流しすぎて倒れたため、強子は病院へと担ぎこまれたわけだ。
いや、強子だけではない。八斎會との戦いで負傷した、多くの者たちが病院へ運ばれたはずだ。


「っ・・・!」


ガバッと、強子が勢いよく起き上がった。そして彼女は、腕に刺さる点滴の針を乱暴に引き抜いてベッドから飛び下りると、焦った様子で病室から駆け出した。







「―――ナイトアイはっ!!?」


治療室に駆けこむと、深刻な表情の医者と、センチピーダーにバブルガール、それとリカバリーガールが驚いたように強子に視線を向けた。


「こらっ、身能!アンタはまだ安静にしてなきゃ駄目だろう!?」

「もう起き上がったのか!?無理をするな、病院に運ばれてから まだそう経ってないんだ」


肩で息をする強子に、リカバリーガールからは怒号が飛び、センチピーダーからも忠告を受けるが・・・そちらは気にもとめず、強子は部屋の奥へと意識を向けた。
そして、視界に映った彼の姿に・・・強子の瞳が 揺れる。
仰々しい医療器具に囲まれて、横たわるナイトアイ・・・彼の腹部には、生命維持のため、数多の管が挿入されていた。
かろうじて生かされている――その痛ましい姿に、胸が詰まるようで、喉元から何かがせり上がってくる。


「っ・・・・・・ナイトアイ、」


ぽそりと声をもらし、強子はふらふらと彼の傍まで歩み寄った。
彼の病床、その傍らに立つと、彼がゆっくりと口を開いた。


「・・・・・・そう、情けない顔を、するな・・・」


掠れた声で告げた途端、彼が苦しげにゼェゼェと呻きながら身体を痙攣させるので、何事かと驚いたが・・・どうやら、彼は、笑っているらしかった。


「お前には・・・初めから、こうなる“未来”が見えていたんだろう・・・?」


確証を得たような声色で、静かに問うてくるナイトアイ。
それが なんだか、叱られているみたいで・・・強子は肩をすぼめ、俯いた。


「私の見た “治崎が逃げおおせる未来”を・・・緑谷がねじ曲げた、その結果―――“治崎を負かし、エリちゃんを救け出す未来”だ」

「・・・」

「そして・・・私が、己の『予知』した通りに、死にゆく未来・・・」

「っ、」


ナイトアイが口にした、“死にゆく”という言葉。
本人の口からこうもハッキリ言われると、現実として突きつけられる。その現実を、本人がこうもハッキリ自覚しているというのも、残酷な話に思えてならない。
カッと目頭が熱くなって、強子は唇を固く一文字に結んだ。


「私の身体が貫かれたときの、お前の顔・・・それを見た瞬間、ようやく理解したよ―――お前は、初めから・・・“私”を救けようとしていたんだ と」


もちろん、“エリ”を救けるのが、今回の作戦の最優先事項だ。
でも 同時に・・・強子は、ナイトアイを救けたかった。エリと同じくらい、彼に、明るい未来で生きてほしくて、必死だった。
エリならば強子がどうこうしなくとも、無事に救け出されることを知っている。けれど、ナイトアイは・・・他の誰でもない、強子が動かなければ救けられないと思ったから。


「お前の言ったとおり・・・未来は、変えられる。現に、緑谷は変えてみせた。きっと、誰かが強く望む、そのエネルギーが未来を成しているんだ。未来は、不確かなものなんだ」

「・・・でも、私は・・・っ」


私は―――未来を変えられなかった。
強く、強く望んでいたのに・・・私は、あなたを 救えなかった。
あの医者や、皆の表情を見ればわかる。ナイトアイは、もう、手の施しようがない状態なのだと。今なお生きているのが不思議な程、危うい状態だと。当の本人さえも、その事実を認識して、受け止めている。


「(私は・・・こんなの、嫌だよ。納得なんて、できないよ)」


心のどこかで、“もしかしたら”って、期待をしていた。
何か、強子が起こした些細な変化が・・・彼の未来を変えるキッカケになって、奇跡を起こすんじゃないか、って。
でも―――


「(・・・私のせいだ)」


彼女の脳裏によぎるのは、穴へ落下していく強子に向け、手を伸ばすナイトアイ。彼は強子の腕を掴むことに気をとられ、背後から迫りくる鋭利なトゲに 気づけなかった。
・・・強子のせいだ。強子の不注意がキッカケで、彼の『予知』した通りの未来になってしまったんだ。


「もし・・・もしも、あのとき 私が・・・っ!」

「傲慢な考えを、するんじゃない」


強子の言葉の続きをわかっているような顔で、ナイトアイが強子の言葉を遮る。


「私の死は、私自身の責任だ。未来を変えようとする、私の意志が足りなかったせい・・・未来は変えられると、心の奥底まで信じ切れず、疑念を捨てきれなかった 私の失態。お前が負い目を感じる必要は、ない」

「っ・・・だけど!」


彼の言葉には、素直に頷けない。
だって、これは・・・もう、取り返しがつかないこと。
死んだら・・・おしまいだ。どれだけ叶えたい夢があったって、実現させたい未来があったって・・・どんな未練があったって。普通の人は 死んだら生き返らない。何もかもが、そこで強制終了。
後悔の波が、どっと胸の内に押し寄せて、埋め尽くす。喉の奥がぎゅっと詰まって、何も話せなくなる。


「・・・私の“死”を変えられなかったことが、そんなに悔しいか?」


答える代わりに、ぐっと唇を噛みしめた。


「後悔、しているのか?」


そんな、わかりきったことを、訊くなよ。
これまでは、“本来の物語”を大きく変えないよう神経をとがらせてた人間が、ようやく、変える気になったんだ。ついに、覚悟を決め、“本来の物語”に抗おうと決心したんだ。
他の誰にも頼れないという、孤独を抱えて。抗っていいのか、抗えるものかもわからないという、不安を抱えて。人知れず苦悩しながら・・・“本来の物語”で死ぬはずの貴方を、本気で、救おうとしてたんだよ。

それなのに―――救えなかった。

強子の決意を嗤うように、強子の努力を虚仮にするように・・・“本来の物語”の通りの結果に収束してしまった。
こんなの、悔しくないわけがない!後悔しないわけが ないだろ!!


「・・・だからこそ、次は、変えられる」

「え?」


意表をつかれた強子が、顔をあげる。


「多くの後悔を積み重ねてきた、お前だから・・・失敗の経験を土台に、悔しさをバネにして―――次こそは、未来を変えられる」


これは・・・以前、強子からナイトアイに送った言葉じゃないか。
未来は変えられないと思い込み 縮こまっていた彼に、強子の口から投げかけた言葉。


「あきらめず、何度でも・・・たとえ確率が1%以下であっても・・・あきらめない限り、可能性ゼロにはならない。そうだろう?」


・・・皮肉なものだ。
未来は変えられると、ナイトアイが心の奥底から信じた 今・・・今度は強子のほうが、未来は変えられないのではと疑っているのだから。


「大切なのは・・・次、どうするかだ」


ナイトアイと初めて話したとき、彼が強子に辛辣だった理由が、今なら、わかる。
「未来は変えられない」と絶望してるときに、こうも無神経に自分の考えを押し付けられては、喧しくてしょうがない。
ナイトアイからの口うるさい説教に、不服そうに眉を寄せる強子だったが・・・けれど、彼女は彼の言葉に反発するでもなく、話半分に聞き流すでもなく、ただ 真摯に耳を傾ける。
彼とこうして言葉を交わす機会は―――もう、これが、最後だから。


「なあ、身能・・・」


酸素マスク越しに、掠れた声で語られるナイトアイの言葉。一言たりとも聞き逃さないよう、強子は息をひそめて耳を傾けた。


「・・・“未来”と違い、“過去”は もう変えられない。過去に起きたことを、無かったことには出来ない」


未来を変えられるか、という点はともかく・・・でも、そう、強子が彼を救けられなかったという過去は 無かったことには出来ない。


「しかし・・・過去の、解釈を変えることはできる。お前が・・・私の死を土台に、次こそ、“誰かが殺される未来”を変えてくれるなら・・・悔しさをバネに、この先、多くの人々の“悲しい未来”を変えてくれるなら・・・」


そこで言葉を区切ると、ナイトアイは、ふっと 柔らかな微笑みを浮かべた。


「・・・私の死も、無駄ではないと思える」

「っ!」


ナイトアイが強子に穏やかな笑みを向けたことも衝撃だが・・・それより、とんでもないことを託された気がして、強子は訝しげに眉を押し上げた。


「・・・ただの“凡人”に、期待しすぎでは?」

「そうだな・・・私の期待に応えられなければ、やはり君は“凡人”だったと思うまでだ」


・・・まったく。最期まで、ひどい人だ。
いつぞやの、強子を“凡人”だの、“有象無象の一人”だのと揶揄した、ナイトアイの言葉――それを撤回させたければ・・・未来を変えてみせろ と?
自分だって出来なかったことを、他人に押し付けるなんて ひどいじゃないか。
それでも、


「・・・やれるだけ、やってみますよ」


彼の期待を無下にすることはできず、強子は渋々と頷いた。
そして強子は、彼から距離をとるよう、後ろに一歩さがった。すると、強子と入れ替わるようにナイトアイの傍らに立ったのは、


「ナイトアイ・・・!!」


彼が心から敬愛する“超人”――オールマイトだ。
その背後には、未来を捻じ曲げてみせた 緑谷もいる。
緑谷は強子と目が合うと、一瞬、不自然に動きを止め、それから ぎこちない動作で強子から視線を逸らした。
言葉はなくとも、緑谷との間に漂う、ぴりついた空気を肌で感じ取る・・・まるで、期末試験前の二人の関係に戻ってしまったみたいだ。
強子は神妙な顔でため息をこぼしながら、部屋を出ようと、そっと踵を返した。
彼らには 彼らの、折り入った話があるだろう・・・ここに強子がいては、きっと邪魔になる。


「・・・身能 強子、」


部屋を出る間際、ナイトアイの掠れた声が強子を呼び止めた。
足を止め、くるりと彼を振り返れば、


「―――笑っていろ」


強子に向けて優しく告げられたその言葉に、息をのんだ。


「お前の笑顔は、皆に、力を与えてくれる。だから・・・笑って、未来に 立ち向かえ」

「っ!」


とても、笑える気分じゃないってのに・・・。
だけど・・・死んだことのある強子は、死に際の人間の気持ちもわかってしまう。
死に際に、その人が願うのは・・・残された人々の幸せである。己の死後、残された人たちが笑って過ごせるかが、存外 気がかりなものなのだ。
その感情を知っているからこそ、強子はナイトアイに向け、ニッと精一杯の笑顔をつくってみせた、のだが・・・・・・はたして、うまく笑えていただろうか。










部屋を出たあと、一人でトボトボと廊下を歩いていると、向かい側から青い顔をして走ってくる人物がいた。


「身能さん!!」

「・・・環先輩」

「いったいどこへ行ってたんだ!?身能さんが病室にいないって、すごい騒ぎになってるのに・・・!」


天喰の慌てぶりに、強子は乾いた笑いをもらす。
大量出血した患者が輸血途中で病室を抜け出したとなりゃ、確かに、病棟がえらい騒ぎになっていそうだ・・・。


「でも、どうしても・・・ナイトアイと、話がしたくて・・・」


ばつが悪い様子で、強子は小さく言い訳する。
ナイトアイと話もしないまま お別れなんて、したくなかった。自分の体調も、抜け出したあとのことも、全部どうでもいいから後回しにして・・・彼が旅立つ前に、話さなくちゃと思ったのだ。


「・・・それで、彼とは、話せたのか・・・?」


ナイトアイの容態のことは、彼もすでに耳にしているのだろう。天喰が気遣わしげに強子に問いかけた。
心配そうに強子の顔をじっと見つめてくる天喰の眼を、どうにも居心地悪く思いながら、強子は彼に向けて親指を立て、二ッと笑って見せる。


「それはもう、たっぷり話せましたとも!色々とアドバイスをもらえて、すごく勉強になりました。やっぱり、個性の性質上、人よりも先を見据えた考えを持ってるというか、オールマイトの元・サイドキックなだけあるというか・・・あ、でも、今はオールマイトと込み入ったお話をされてるんで、邪魔しないように私は病室を出てきたところですけど・・・」


ぺらぺらと口を動かし続ける強子に、天喰が怪訝そうに眉をひそめた。


「・・・身能さ 「っていうか、先輩もあちこち怪我してるんですから、病室に戻ったほうがよくないですか?」


やたらと人の機微に敏い彼は、いつだって、嫌になるほど強子の図星をついてくるし、核心をついた言葉で強子の心をかき乱してくる。
だから、彼の言葉を聞くのがなんだか怖くて・・・強子は彼に口を開く隙を与えないよう、再び言葉を続けた。


「そんな怪我でうろついてるのをリカバリーガールに見られたら怒られちゃいますって!私も、さっきガミガミ言われて超怖かったんですから。あの人が雄英の影の支配者って噂、マジなんじゃないですかね」

「身能さん・・・っ」

「あっ!そういえば他の皆さんの様子はどうで 「身能さん!!」


天喰が声を張ると同時―――力任せに、強子を抱き寄せた。
彼の力強い腕で、苦しいくらいに ぎゅうと抱きしめられ、彼の胸板に顔を押し付けながら・・・強子は状況がよくわからず、身を固める。


「(・・・・・・え?なにコレ?)」


混乱する頭で、どうにか状況を把握しようと試みるが・・・やっぱり、よくわからない。
女子に対する免疫皆無の あの天喰が、雄英のマドンナである強子を抱きしめている、だと・・・?
ちょっと女子と密着するだけでも凄まじい動揺ぶりを見せる天喰が、自ら、この超絶美少女と称される強子を抱擁している、だと・・・!?


「・・・君は、本当に・・・・・・」

「え?なになに!?なんなんですか!?いったい、どういう状況なんですコレ!?」


彼らしからぬ行動に焦りながら、強子の頭上でぼそぼそと喋る天喰に問い詰めるが・・・それでも彼は、強子を抱く腕をゆるめない。
彼の胸元しか見えない強子には、彼の表情を窺い知ることができず、それがますます強子の混乱をかき立てる。動揺して、はわはわと彼女が狼狽えていると、


「身能さんがそうやって饒舌になるのは、余裕がないときとか、感情が昂るときだってこと、俺は知ってる・・・」


その言葉に、思わず強子は口を閉ざした。
自覚はなかったが、そう言われてみると・・・思い当たるフシは多々ある。
そうして押し黙った強子を見下ろし、天喰は小さく息を吐きだすと、静かな声音で語る。


「・・・君が、他人に弱みを見せたがらない人だってのは 知ってる。弱音を吐くことは忌避して、前向きな姿勢を貫いて、いつも 少しだけ背伸びをする・・・そういう性分なのも 知ってる」


天喰が機微に敏い人だから、というだけではなくて。
彼は、強子のことをよく理解しているのだ。彼と強子は、他の誰とも違うような、濃い付き合いをしてきたから。


「強く、かっこいい人であろうと、身能さんが常に努力していることも知ってるし・・・俺は、そんな身能さんを、心から尊敬している」


強子が 彼の長所も短所も知るように、彼も、強子の長所も短所も知っているはず。
強子が 彼から学ぶことが多いように、彼も、強子から多くのことを学んだだろう。
職場体験の頃は、対極的な相手に、お互い苦手意識をもっていたはずなのに・・・職場体験以降はすっかり、“最高のサイドキック”だと、盲目的なまでに、互いを信頼しあっている。強子と彼は、そういう関係なのだ。


「身能さんは、凄い人だよ。だけど・・・―――」

「・・・先輩?」


言葉を区切って、じっと強子を見つめる天喰。彼の言わんとすることがわからず困惑している強子に、天喰は、意を決したような表情で口を開いた。


「―――本当につらいときは、つらいって 言っていいんだ」


はっとして、息をのむ。


「いつも弱音を飲み込んでしまう君は・・・たまには、弱音を吐いたほうがいい。いつも前向きなぶん、少しくらい後ろ向きなことを言っていいんだ。不安も、愚痴も、嘆きも・・・誰かに打ち明けたっていいじゃないか。苦しいときは、心の内に溜め込んだものを吐き出せばいい」


いったい何を言うのかと思えば―――弱音を吐け、と。
いつも後ろ向きな天喰らしい、後ろ向きな提案である。だけど、不思議だ・・・ここまで後ろ向きな言葉を並べられると、いっそ、前向きにすら聞こえてくる。
それに・・・どうしてだろう、後ろ向きで 情けない言葉のはずなのに・・・こんなにも、温かく聞こえるのは。


「身能さん・・・泣きたいときは、泣いたっていいんだよ」


真綿にくるんだかのような、信じられないほど柔らかな声に・・・強子の瞳が揺れた。同時に、目の奥からこみ上げてくる熱いものをぐっと堪え、口を開く。


「でもっ・・・」


情けなく、声が震えた。それを誤魔化すように、ぐ、と唇を強く噛んでから再び口を開く。


「でも!泣いたって、何も状況は変わらないじゃないですか!」


キッと目をつり上げて、語気を強めて言い放つ。
けれど、そんな彼女に天喰がビビる様子はなくて、「・・・うん」と静かに頷いて返しただけ。強子を抱きしめる腕がゆるむ気配はない。
強子は眼前にある彼の胸板を睨みながら、さらに声を荒げる。


「泣いて、状況が良くなるなら・・・ナイトアイが死なずに済むんならっ、いくらでも泣きますけど!もう、今さら何をしたって、あの人の運命は変わらない!!」

「・・・うん」

「凄いヒーローってのは、笑ってなきゃ駄目なんですよ!笑ってる奴が、一番強いんだからっ!私は、強いからっ!!」

「・・・うん」

「だいたい、私は、泣いていい立場じゃないんですよ!私はナイトアイ事務所じゃなくて、よそ者なんだから」

「・・・誰かを想って涙を流すのに、立場なんて関係ないよ」

「でもっ・・・ナイトアイは、 “笑っていろ”って、私にそう言った!!」


だから、泣いたら駄目なんだ。笑ってないと、駄目なんだ。
絶対に泣くもんかと表情筋に力を入れる強子に、天喰は諭すように語る。


「・・・彼の言うことは、わかる。身能さんの笑顔は、勇気をくれるから。身能さんが笑っていると、街の人たちは安心するし・・・一緒にいる人間も、自然と前向きになれる」

「じゃあっ・・・」


やっぱり、笑ってないと駄目じゃないか!そう言葉を返す前に、天喰に先手を打たれた。


「でも 君はっ、うまく笑えてないじゃないか!!」

「!?」


突然の天喰の大きな声に、強子の肩がびくりと揺れる。


「つらいのを我慢したままじゃ、心から笑えないならっ・・・心から笑うために、一度くらい、“つらい”って、弱音を吐きだしてくれ!泣くのを堪える理由なんて、もう いいから・・・頼むから、泣いてくれ・・・!」


うまく笑えないなら 泣け、なんて・・・これはまた、後ろ向きを通り越したことを彼は言ってくる。
・・・彼の言うように、思いっきり、泣き喚いてしまおうか?そうすれば、胸の内に渦まく 暗くて重いモヤモヤも、少しはスッキリするのだろうか?
でも、そうだとしても、この身能 強子が泣きはらす姿なんて、人目に晒したくはない――なんて、強子のつまらないプライドが邪魔をする。
そんな彼女の心情を察したのか、天喰が強子の背に回している腕に さらにぎゅっと力を込めた。


「・・・こうしていれば、俺以外の人には、身能さんが泣いてるなんてわからないから」


強子の鼻が痛いほどに天喰の胸に押し付けられ・・・確かに、これなら強子の顔が周囲の目に晒されることはないなと納得する。
けれど、


「(“俺以外”、って・・・)」


その“俺”には、強子が泣いたとバレてるどころか、無様な泣き姿を見られるわけだ。そうとわかっていながら、はしたなく泣き喚くなんて、抵抗があるんですけど・・・?


「俺は身能さんの、サイドキックだから」

「・・・?」

「サイドキックには・・・弱みを見せてもいいんだ」

「!!」


そうだ。天喰は強子の“最高のサイドキック”だ。
A組のクラスメイト(ライバル)たちとは違う。学校の先生やファットガムのような、“師”という立場でもない。
サイドキック同士は、同じ立場で、支え合い、協力し合う仲で・・・互いの長所も短所も、把握している間柄。

だから―――天喰には、短所(弱み)を見せて いいんだ。

彼の言いぶんを理解すると同時、強子の目頭がカッと熱をもつ。
視界がぐにゃぐにゃと歪んで、眉をくしゃりと寄せた。


「・・・ぅっ」


小さく嗚咽がもれたのを合図に、彼女の呼吸が乱れ、そして・・・


「っ・・・うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」


腹の奥底から、目いっぱいの声をあげて、泣き叫んだ。
感情のまま、子どものように恥ずかしげもなく、わんわんと思いっきり泣き声をあげる。
天喰の服に皺が刻まれるほど、強く握りしめて。


「・・・死んでほしくないのにッ!!」


どうしようもないことだ って、医者も、本人さえも認めていたって・・・強子は認めたくない。
大切なのは次なんだ って、前向きに考えようたって・・・ナイトアイの命は ここでおしまい、“次”はない。


「もっと、ナイトアイと話したかった!!」


彼とはもっと、色々なことを語り合いたかった。彼に伝えたいことも、彼に教えてほしいことも、たくさんあったのだ。
きっと、“未来”を知っていることで得られる優越感も、“未来”に対して抱く不安も・・・本当の意味で強子と分かり合えるのは、ナイトアイだけ。彼が、唯一の共感者だった。


「もっと、ナイトアイの笑顔を見たかった!」


彼の辛辣な態度に腹を立てたりもしたけど・・・それ以上に、彼のことを尊敬していた。
インターンを経て、最期に彼に穏やか笑みを向けられたことは嬉しかったよ。でも、本当は・・・病床ではなくて、健康なときの彼に、笑顔を向けてほしかったんだ。


「・・・私は、自分本位で、欲張りな人間だから・・・っ、こんなの満足できないよ!!」


強子のことを“自分本位”な人間だと、超人に憧れる“凡人”だと・・・そう言った彼の言葉を、まだ撤回させられてないんだよ。彼には強子の活躍をもっと見てもらって、考えを改めさせないといけないのに・・・!


「こんなのっ、嫌だッ!!」


今さら、過去を嘆いたって、何も変わらないってわかっていても、


「なんでよ!なんで、こうなるの!?」


今さら、過去を悔やんだって、何も変わらないってわかっていても、


「もし・・・あのとき私が、穴に落ちていなければ・・・!」


今さら、過去を変えることは出来ないって わかっていても、かなわないタラレバを考えてしまう。
治崎の拵えた穴に強子が落ちなければ、ナイトアイがトゲに刺されることはなかったのに、と。


「ううん・・・あのとき、エリちゃんの力を借りていれば・・・!」


エリの個性が暴走したとき、エリを彼の元に連れていっていたら・・・彼女の“巻き戻す”個性で、ナイトアイを救えたんじゃないのか!?


「・・・いや、それ以前に、音本の拳銃にビビッて動きを止めなければ・・・!」


あのとき強子がクロノをぶっ倒していれば、相澤がやられることなく、治崎に勝てたはず。
色々やりようはあったはずなのに・・・どうして、何一つ、うまく叶えられなかったんだよ。
なるべくしてなったとでも言うのか?まるで、こうなる運命だったとでも、言われてるようじゃないか。
だけど、もしも・・・治崎との戦いで、“誰か”が死ぬことを免れない――そういう運命だったのだとしたら・・・?


「そうだよ・・・私が、ナイトアイの代わりに刺されば良かったんだ!!」


強子なら、死んでも、『身体強化』の個性で復活できただろう。そしたら、誰も死人は出なかったのに!


「もし、私が・・・私がっ!」


ナイトアイには「傲慢な考え」だと言われたが―――それでも ずっと、強子の頭にあるのは、同じことばかり。
私がもっと、強ければ。
私がもっと、賢ければ。
私がもっと、努力をしていれば。


「・・・・・・足りなかったんだ」


足りないものを数えたらキリがない。
彼を救いたかったけど・・・彼を救うには、至らなかった。


「私が、もっと、頑張っていたら・・・奇跡のひとつでも起きたかもしれないのに」


奇跡でもなんでもいいから彼を救いたかったけど・・・奇跡なんて、なかった。


「・・・」


はあ、と口から大きく息を吐きだす。
心の内に溜め込んでいたものをぶちまけ、少し、頭が冷えたようだ。
ほんの弾みで本音を口に出してみたら、自分でも驚くくらい ぽんぽんと言葉が出てきてしまったが・・・こんなのは不毛だと反省する。
こんな風に駄々をこねたところで、事態が好転することはないんだから。
天喰も 八つ当たりのように泣きつかれて迷惑だろうと、申し訳なくなった強子が居心地悪そうに身じろぎすると、


「身能さんは・・・よく、頑張ったよ」


頭上から降ってきた優しい声に、思わず動きを止めた。


「頑張った・・・君は十分に、最善を尽くしたよ」


強子を宥めるように、天喰が優しく言い聞かせる。
強子がじっと動かず、彼の言葉に静かに耳を傾けていると、天喰は少しばかり迷う素振りを見せてから、重々しく口を開いた。


「・・・身能さんが、それだけ頑張っても どうしようもないってことは・・・たぶん、誰にも、どうにも出来ないことだったんじゃないかな・・・」

「っ・・・!」


天喰の言葉が、核心をついたような気がして、息が止まる。
やはり、強子が危惧していた通りなのかもしれない。
強子の知っている“物語”は、どれだけ頑張ったって・・・誰にも、どうにも出来ないことなんじゃないか、って。
“物語”で起きることは、決して誰にも変えられない、運命なんだ。
“物語”とは異なる結果にしようと足掻いたところで、何か――人知を超えた強制力のようなものが働いて、本来の結果に収束させられるに違いない。
・・・そもそも、“物語”に登場すらしていない身能 強子という人間(つまりモブ)に、“物語”を変えるだけの力があるとも思えないけど。


「(私がナイトアイを救えなかったのも、“物語”で決まっていた運命だから、変えられるはずが無かったってことか・・・)」


これこそ、不毛というものだ。
あんなに躍起になって、運命を、未来を捻じ曲げようとしていたのも、すべて無駄な足掻きだったのだ。
強子が自嘲気味に笑みを浮かべると、ふと彼女の耳に、短い言葉が飛び込んできた。


「―――今は」


・・・ん?
一瞬、頭上から降ってきたその言葉の意味を理解できず、頭をひねる。
“今は”?・・・何が?
いったい、何の話をしてたっけ?なんて思考をめぐらせる彼女に、天喰が言葉を送る。


「身能さんは、普通は不可能だと思うことも、努力で、可能にしてしまえる人だから・・・今の身能さんには出来ないことだったとしても、君なら、いずれ叶えられる」


まるで「今日の夕飯はカレーだよ」などと当然のことを言うような口調で、確信をもったようにきっぱりと彼は言い切った。普段の自信なさげな天喰からは想像つかないくらい、堂々とした話しぶり。
それに虚を突かれた強子が、ガバッと顔をあげると、


「大丈夫」


強子と視線を交えた天喰は、にこりと優しく笑って、そう告げた。
そんな、無責任な言葉・・・彼の言葉に、根拠なんか無いはずなのに。彼は、なんの事情も知らないまま、状況を楽観視しているだろうに。
それでも―――誰かに、笑顔で「大丈夫」って言ってもらえるだけで、こんなにも心強いなんて。


「奇跡だなんて、不確かで曖昧なものをアテにしなくたって・・・身能さんなら、君自身の力で、守りたいものを守れるし、君が望む未来を掴めるはず。だから、また次も頑張ればいい」

「・・・なんで、そんなこと・・・」


あまりにポジティブなことばっかり言ってのける天喰を信じられず、唖然としていれば、


「君が、凄いヒーローだってこと、俺は知ってるから」


穏やかな笑みを浮かべた天喰は、何ひとつ疑いようがないと言わんばかりに、自信満々にそう言い切った。
彼の言葉から、彼の表情から、強子への信頼の感情が、これでもかと伝わってくる。
そうだよ―――彼は強子のサイドキック。
他の誰とも違う、濃い付き合いをしてきた彼は、強子のことをよく理解しているのだ。短所も、長所も含めて。おそらく、強子自身が理解している以上に。
だからこそ、彼の言葉はこんなにも心強いのだ。
天喰の言葉だからこそ、彼の言葉はストンと強子の中に入り込んで・・・大丈夫なんだと、強い気持ちになれるのだ。
というか、それよりも・・・だ。


「・・・・・・かっ、」


眼を見開き、あんぐりと口を開けていた強子の口から、思わず言葉が漏れ出た。


「(かっこよすぎか!!?)」


これを言及せずにはいられない。
だって、彼のまとう雰囲気が、いつもとは違って・・・年上の余裕というか、先輩ならではの威厳・・・いや、ビッグ3の風格めいたなものを思い知らされるようだ。
いつもはノミの心臓で気弱なネガティブマンのくせに、ここぞという時だけビシッと決めちゃって!なんなの?どういうつもり?ギャップで萌え殺させる気なの?


「ぁ、えっと・・・身能さ、ん・・・?」


かと思えば、自分はなにか失言してしまっただろうかと、不安そうに顔を青ざめさせてオロオロする天喰。うん・・・これは いつも通りの天喰だ。
それを見て脱力すると、強子は泣きはらした顔を 彼の胸元へぽすんと沈めた。
それから・・・なんだか、彼が垣間見せた格好いい一面が だんだん悔しく思えてきたものだから、憂さ晴らしをするように、天喰の服にグリグリと顔をこすりつけてやった。
これで、彼の服は強子の涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったことだろう。ざまあみろ!


「(・・・・・・“次”、か)」


ナイトアイ、それに、天喰も・・・大切なのは“次”だって、“次”は大丈夫だって、ずいぶんと勝手な希望を言ってくれるけど、


「(この先・・・私に、なにが出来るんだろう?)」


それは、誰にもわからないこと。
不安でしょうがない。でも・・・ナイトアイと約束したからには、強子はこんなところで立ち止まるわけにはいかないのだ。
だから今は、このまま もう少しだけ泣いて・・・この涙が渇れたら―――そのときは 笑って、彼の信じた明るい未来に向かって進もう。
そう心に誓い、強子は天喰の胸で再び涙を流したのだった。










==========

暗い話が続いてごめんなさい。
ナイトアイとの会話は夢主にとって必要不可欠だと考えております。そして、夢主のモヤモヤはここで発散させないと、さすがに前に進むのがキツイだろうと思い、先輩に甘やかしてもらいました。

きっと次からは、明るいお話になると思います。




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