親から子へ

リビングにあるテーブルの上に、学校から送付されてきたプリントが1枚置いてある。そこには、「全寮制導入検討のお知らせ」の文字が表記されていた。


「学校から、事前に連絡しております件ですが・・・」


粛々と切り出したのは、相澤だ。
身能家のリビングのソファーに相澤と、まだ見慣れぬトゥルーフォームのオールマイトの姿がある。
二人の教師と向かい合うように座っている強子は、その違和感のある光景に白昼夢でも見ているような気分になりながら、大人しく耳を傾けていた。


「ええ、プリントを拝見しました・・・全寮制の件ですよね」


相澤の話に、強子の隣に座っている母は笑顔でひとつ頷いた。そんな母親の横顔を見て、強子は緊張した面持ちでごくりと唾をのむ。
雄英が全寮制になるという内容のプリントに目を通した強子の両親が、強子の入寮に対して賛成なのか、反対なのか―――その答えを、まだ強子も聞かされていない。
先日のお見舞いに来てくれた際の会話の感じからすると、おそらくは この先も雄英で学ぶことを認めてくれるはずだが・・・強子の母は、父は、どう答えるのだろうか。


「―――ですが、その前にっ!」

「「「!?」」」


笑顔から一変、眼光を鋭くさせて教師たちを見据えた母親に、相澤もオールマイトも強子も、驚いて目を見張った。
この親、いったい何を言い出すつもりだ!?


「ひとつ、先生方からお聞かせ頂きたいのですが―――うちの娘は、プロヒーローとしての素質がありますか?」

「え・・・」


母の質問の内容に、唖然として言葉を失う。そんな強子に視線をやり、母は笑みをこぼす。


「強子は、この通り見た目も可愛いし、私に似て頭の回転も早いし、天才肌というか・・・やれば大抵のことはこなせるだけのポテンシャルがあります」


母の言葉に同意するよう、反対隣に座る父がウンウンと大きく頷いている。
・・・あんたら、二人して親バカかよ。いや、言ってる内容は事実なんだけど。


「ですから・・・“ヒーローになる”以外にも、娘が幸せになる道は 他にいくらでもあると思うんですよ」

「!?・・・お母さん、私はっ・・・」


黙っていられず口を挟もうとした強子だが、思いのほか真剣な目をした父親に制され、口をつぐむ。
父も、母も・・・強子のことが心配で、気が気じゃないのだ。


「娘は ヒーローになりたいと望んでいますけど・・・その道が、この子にとって最良の選択なのか。不安で、たまらないんです。もともと怪我することを厭わない子だったけれど、入学してからは 以前に増して怪我が多いですし・・・性格もこの通り、我が強くてすぐムキになりますし・・・」


怪我することに躊躇がないその性格も。
沸点が低くて、すぐムキになる性格も。
強子の場合、プロヒーローになるには・・・個性やら、体力や技術といった部分よりも・・・彼女のそういった性質的な部分が 妨げになるのではないか、と―――


「あげくに、娘がヴィラン連合に狙われているというじゃないですか。今年に入って、もう何度ヴィランに襲われたことか・・・!」


昔から、良くも悪くも 目立ってしまう強子だ。彼女がヴィランに目をつけられるのも、道理といえば道理ではある。 
ゆえに、彼女のこの先の人生は、仕事もプライベートも関係なく、常に何者かに狙われ続ける人生になるのではないか、と―――


「娘は・・・強子は、ヒーローに向いていますか?プロヒーローとして、立派にやっていけるんでしょうか・・・?」


―――親としては、気が気じゃないのだ。
“なりたい”ものと “なれる”ものは、必ずしも一致しないから。
“なれる”ものと “向いている”ものも、必ずしも一致しないから。


「(え?・・・え〜・・・?)」


しかし―――娘としては、この状況に複雑な心境だ。
親の心配する気持ちはわかるし 有り難いが、かといって、自分のやりたいことを阻まれるのは たまったもんじゃない。
そして気になるのが・・・教師二人の反応である。二人とも、なんと答えるつもりだろうか!?
場合によっては、強子の心に相当なダメージを負うどころか・・・最悪、夢みた未来を断念せざるを得ない、という事態もあるのでは・・・!?


「私は、教師として まだ未熟な身ではありますが・・・」


口火を切ったのは、オールマイトだった。
強子はガバッと俊敏な動作で振り向き、オールマイトを見つめた。


「私は・・・強子少女は、ヒーローになるべくして生まれてきた、まさしく“ナチュラルボーンヒーロー”であると―――平和の象徴をやってきた者として、そう感じております」

「!?」


オールマイトの言葉に、あんぐりと口を開けた。


「これまでに、彼女の言動に救われてきた人々が 大勢います。彼女自身が気づいていなくとも、彼女の意図しないところで救れている者もいます。そして この先、プロヒーローとなった彼女に救われるだろう人も 数えきれぬほどいることでしょう・・・」


オールマイトの言う、“意図しないところで救れている者”とは、いったい誰のことを思い浮かべているのか・・・強子には見当もつかない。
でも、不思議と、彼の言葉には説得力があった。


「彼女が世間から 私の“秘蔵っ子”だのと言われているのも、なにも、検討違いのそらゴトというわけではないのです。現に、私は・・・強子少女が素晴らしいヒーローになると、心底期待をしている!平和の象徴なき 新たな時代で・・・強子少女の存在が “支え”となるときが 必ず来ると、私はそう信じております・・・!」

「っ・・・オール、マイト・・・」


強子は息をのんで、目をパチクリさせた。


「(―――どう、考えても・・・盛りすぎだっ!)」


ファンに対してサービス精神旺盛なことで知られるオールマイトは、生徒の親に対するリップサービスも一級品であった。さすがはNo.1ヒーロー・・・世辞ひとつをとっても、スケールがでかい!
その上・・・“秘蔵っ子”が、まさかの本人公認ときた。
お世辞であろうと、持ち上げてくれてすごく嬉しいけど・・・こんなとこを見たら 泣くぞ、緑谷少年が。


「・・・ぐすっ」


強子の隣からは、オールマイトの言葉を鵜呑みにした父親の鼻をすする音が聞こえてきた。
しかし―――我が家の母親のほうは、一筋縄ではいかない。彼女は視線を鋭く保ったまま、相澤へと問いかける。


「相澤先生・・・A組 担任のあなたは、どのようにお考えでしょうか?」


強子はガバッと俊敏な動作で振り向き、今度は相澤を見つめる。
オールマイトより、こちらがなんと答えるかの方が問題だ。
頼むから―――ツンデレの、“ツン”ではなく、“デレ”のほうにしてくれっ!ここでいつものような“ツンツン”な評価を言えば、入寮許可が出ないどころか、ヒーローになるのを諦めろと 親が言い出しかねない。
強子が内心ヒヤヒヤしていると、一瞬の間をあけてから、相澤が口を開いた。


「ヒーロー稼業は、簡単なものではありません。自分がヒーローに“向いている”か、なんて・・・現役プロヒーローでさえ、常々 自問自答していますよ。もとより、プロヒーローになること自体が狭き門です―――」


なんだか・・・雲行きがあやしくないか?
保護者を前にしても、世辞を言うでも忖度するでもなく、いつも通り辛口な相澤の様子に、眉をひそめる。


「そして、強子さんは、まだまだ未熟なところが多く、壁に衝突しては足留めされる日々の中で模索しており、半人前と呼ぶにも程遠いヒヨッコですし・・・“立派”どころか、むしろ 下らないことでトラブルを起こす問題児と言えるでしょう」


相澤の言葉に強子も、オールマイトすらも、あんぐりと口を開けた。
そんな・・・親の不安を増長させるようなことを言って、どうするんだよ!相澤の話しぶりじゃあ、強子はまるで見込みがない奴みたく聞こえるぞ!


「―――ですが、私は・・・見込みがないと判断した者は、その時点で即刻 ヒーロー科から除籍処分にしています」

「「(あ・・・そうでした)」」


相澤消太という人は、そういう奴だ。
実際、強子のひとつ上の学年では、1クラス全員がまるっと除籍処分になっているくらいだ。
そんな相澤が、今の今まで強子を除籍にしていないということは・・・つまり、少なからず強子に見込みがある と、相澤がそう判断しているから。


「まあ・・・まわりの人間に“素質がある”と言われたところで、結局は 本人次第。彼女が如何に努力して、彼女自身の力で勝ち取れるか否か なのですが―――」


不満そうに、わずかに声のトーンを下げた相澤が、そう前置きする。

―――身能、お前には圧倒的に“努力”が足りん



「強子さんは、本校に入学されてから・・・絶えず努力し続けて、目の前の課題を一つひとつ乗り越え、着実に プロヒーローたる素養を身に付けてきています」


以前と打って変わった相澤の評価に、強子は目を点にする。


「それは、彼女の―――弱き者を救けたいという信念と、負けず嫌いの気概があってこそ、可能なことでしょう」


自分が怪我することに躊躇しないのは、誰かを守りたい気持ちが強いから。
沸点低く、すぐにムキになるのは、誰にも負けたくない気持ちが強いから。


「そのどちらも、ヒーローを務める者に求められる素質である、と・・・私は考えております」


母の目をまっすぐに見て、相澤が言う。
強子には、ヒーローに求められる素質がある、と。
どこか不本意そうな声色ではあるが、彼は世辞でも忖度でもなく、本音で言っているのだと伝わってきて、強子の胸が熱くなった。


「ですが、“素質がある”だのなんだのといって、我々 教師は彼女に肩入れするでも、甘やかすでもなく・・・ただ 強子さんを立派なヒーローにするべく、誠心誠意、全力を尽くし、育てるまでです」


その力強く、説得力のある言葉に、強子は息をのむ。
それから・・・相澤とオールマイトの二人は、すっと頭を下げた。


「彼女が夢みる未来を、彼女自身の力で勝ち取れるよう、しっかり強子さんを育て上げてみせますので―――どうか、我々に任せてはいただけないでしょうか」


二人からの期待と熱意を感じとり、強子はむず痒く思いながら唇をきゅっと結んだ。
そして―――深々と頭を下げた二人をじっと見ていた母親が、ふっと口元を弛めた。


「お二人とも、顔を上げてください―――そんな頭を下げて頂かなくても・・・私たち、最初から娘をお預けするつもりだったんで」


―――・・・はあ?
強子はガバッと俊敏な動作で振り向き、衝撃的なことをのたまった母親を見つめる。


「っ・・・はあ!?なに?どゆこと!?」


最初から、全寮制には肯定的だったということ?あんなに重苦しい空気をつくりあげておいて!?
相澤やオールマイトに、強子がヒーローに向いているかだとか聞いた意味は・・・?


「せっかくだし、強子が先生方からどう評価されてるか 聞いてみたかったのよ」


悪びれる様子もなく飄々と答えた母親に、強子がキッと目をつり上げた。


「ちょっと!先生たちを試すようなこと言わないでよっ!先生たちに・・・私の親が変人だって バレちゃうでしょ!?」

「なによ、平凡な人間でいるよりも 非凡である方が美徳でしょう。それと、“変”ではなく“独創的”もしくは“前衛的”と言いなさい!」

「ほらもう、その切り返しが“変”と言われる所以だよ!」


やいのやいのと言い合いを始めてしまった二人を前に、呆気にとられている相澤とオールマイト。
呆然とする彼らに、まだ瞳を潤ませたままの父が笑いながら口を開いた。


「今でこそ、皆さまの前でもこんな態度ですけど・・・中学まで 娘は今よりもっと大人びた性格で、家の外じゃ いつも猫を何匹も被っていたし、他所様からは品行方正とか完璧超人とか、女神のような人だなんて言われていたくらいなんですよ」


父の言葉を聞き逃さず「“こんな態度”って何よ!」と文句をたれる。
・・・まあ、“理想のヒーロー”であろうとカッコつけていたのは確かで、それと比べると、雄英に入ってからの自分は、“等身大”なのかもしれないけど。
父は、憮然とした態度の強子の頭を撫で付けて、にこやかに微笑んだ。


「・・・嬉しいんです。この子が、自分の素の感情をさらけ出せる環境があって。雄英高校というレベルの高い環境だからこそ、強子は猫なんか被る余裕もなく 一心不乱になって、本性をさらしてるんでしょうから」


また「“本性”って何よ!」と文句をたれる強子の肩に、母が腕をまわして 彼女を抱き寄せた。


「心に余裕のない娘ってのも心配ですけどね・・・まっ、死ぬこと以外は かすり傷っ!怪我をしないに越したことないけど、怪我は治るものだし―――死にさえしなきゃ、人生どうにでもなる!」


あっけらかんと笑いながら言い放った母親に、「それはまた、極端な・・・」と強子は顔を引きつらせた。
この母親は 娘を心配するわりには、豪胆というか・・・楽観的とも言える。


「それに、ヴィランに狙われてるのだって・・・どうせ、この娘のことだから、“ヴィランに狙われるなんて、さすがは私!” くらいに思ってるでしょう」

「お・・・思ってないしっ!」


目をつり上げた強子が、また母親とやいのやいのと言い合いを始めようとした矢先・・・父が二人に優しく声をかけた。


「こら、二人とも・・・その辺でやめておきなさい。怒った顔もかわいいんだけどね」

「「っ!?」」


強子と母が、二人あわせたようにガバッと同時に振り向き、父を凝視する。
教師の前だというのに、なんとも恥ずかしいセリフを平然と言い放った彼に、強子も母も赤い顔でわなわなと震えている。


「二人とも、先生方に言うべきことがあるだろう?」


にこやかに父から促されて、強子たちは慌てて相澤とオールマイトの二人に向き合った。


「どうか、うちの娘を―――」


父のその声を合図に、家族三人、同時に頭を下げた。


「「「よろしくお願いします」」」


深々と頭を下げ、足元の床を見つめながら「うちの両親とも、変人なのがバレた・・・」と憂いている強子は―――相澤とオールマイトの二人が、内心で「この親にしてこの子あり」と いたく納得していたことなど、知る由もなかった。


「―――あの、先生・・・」

「?」


帰り際、相澤に向けて、強子がおずおずと声をかける。その “らしくない”強子の様子に、相澤は訝しむように首を傾げた。


「実は、その―――お願いが、ありまして・・・」


そして案の定、彼女の口から出てきた“お願い”は、学校やら警察やらプロヒーローやら・・・あちこちに根回しが必要な 非常にめんどくさくて非合理的な“お願い”であったため、相澤は眉間を押さえてため息をもらすのだった。










雄英高校の所有する車の中―――強子はそわそわと浮わついた気持ちで、その時を待っていた。


「・・・雄英生たる者、常に落ち着きをもち、冷静沈着でいられるよう心がけろ」


強子にそう苦言を呈したのは・・・マジで怒ったときには 人語も忘れて狂犬のように吠えたてる 、“猟犬ヒーロー”のハウンドドッグだ。我が雄英高校の、生活指導担当である。


「そう心がけては、いますけど・・・」


彼にそう答えながらも、強子はチラチラと車の外に視線を向けており、気がそぞろだ。
そんな彼女の態度を 嘆かわしいと言わんばかりに、ハウンドドッグがフンッと勢いよく鼻を鳴らした。


「あっ!」


強子の視線の先にあった、一戸建ての立派な家――その玄関の戸から、相澤が姿を現した。
それを見て強子はすぐさま腰を上げ、車のドアを開けて飛び出そうとしたのだが・・・


「待て」

「っ!?」


ハウンドドッグに首根っこを捕まれ、強子は車中に引き留められた。


「お前はイレイザーの許可が出るまで、待機だ」


犬のような姿のハウンドドッグから「待て」と お預けを食うことも不服だけど・・・それ以上に、会いたくて仕方なかった“目当ての人物”がすぐ近く――相澤の後ろにいるというのに、こんなところで足止めを食うことが歯痒くて、酷くもどかしい。


「・・・先生ぇ〜っ!」


車までやってきた相澤を、しかめっ面で歯を食いしばり、懇願するように見つめている強子。
相澤はそんな強子を見て、少し悩むような素振りを見せたあと、どこか呆れの色を含んだ声で強子に言い聞かせた。


「家の方に 迷惑がかからないようにしろ」

「ハイ!」

「用が済み次第、すぐにハウンドドッグに自宅まで送ってもらうこと。寄り道は不可だ」

「ハイ!」

「・・・じゃあ、行け」

「ハイッ!」


強子はパッと表情を明るくすると、車から飛び降り、目標めがけてダッと一目散に駆け出した。
猪のごとき強子の勢いに、驚いて体をのけ反らしているオールマイトを通り過ぎて―――玄関の戸から 家の中へ戻ろうとしている“目当ての人物”の、その背中に向けて手を伸ばす。


「―――爆豪くん!!」


叫ぶように“目当ての人物”の名を呼べば、彼は、家に踏み入れようとしていた足を止め、くるりと振り向いた。
突然の強子の来訪に、爆豪が目を見開く。
それでもなお、強子は彼に向かって駆けるスピードを緩めることなく、


「っ・・・は!?」


勢いをそのままに彼へと飛びかかると、強子は両腕を爆豪の首へとまわして、ぎゅっと、しがみつくように、彼に抱きついた。
強子の飛びかかった勢いで、家の中まで押しやられた爆豪は、持ち前の反射神経とパワーでなんとか踏みとどまり、二人で無様に倒れることは回避した。
そうして気がつけば・・・爆豪宅の玄関にて、強子が爆豪に抱きついているという状況が出来上がっていた。
爆豪は口をあんぐりと開けて、困惑ぎみに放心していたが・・・少し時間をおくと、ようやく今の自分の状況を理解してきたようで、


「・・・・・・はあ!?」


威嚇するように、大きく声を張り上げた。
すぐさま「離れろっ!」と、爆豪が強子の腕をつかんで引き離そうとしたところで、強子が「爆豪くん、」と口を開く。


「もしかして・・・同級生女子に抱きつかれたくらいで騒ぐほど、異性に免疫ないの?」


爆豪の首に巻きつけていた腕をわずかに緩めて、ちらりと横目で爆豪の顔を見る強子は、どうにも彼を鼻で笑うような態度で・・・


「っな わけねーだろッ!誰に向かってクチきいとんだクソがぁ!!免疫あるわ!売るほどあるわァ!!」


未だに強子の“煽り”には免疫がつかない爆豪の答えなんて・・・当然、こうなる。
そして、言葉の信ぴょう性をあげるよう、強子の腕をはがそうとしていた手をあっさり離すと、“無抵抗です”とアピールするように 両手を上げてみせた。


「―――なら、」


強子は緩めていた腕にまた力を込めて、無抵抗な爆豪の肩口に、顔を寄せる。
それから吐息とともに「いいよね・・・」と小さくこぼすと、そのまま目蓋を伏せた。


鼻から息を吸えば、彼特有の、甘いアマレットのような 落ち着く香りがする。
一定のリズムを刻む 彼の呼吸が、強子の耳に届いて鼓膜を震わす。
平均より少し高めの 彼の体温が、服ごしにじわじわ伝わってくる。
トクトクと、いつもより忙しなく聞こえる 彼の心音が、触れる肌を通して響いてくる。

―――生きている。

爆豪勝己は、生きている。生きて、今、ここにいる。
強子の五感が、彼の“命”を知らせてくれる。


そこにある存在を確認するよう、ぎゅうと、腕に力を込めると、彼の体がぴくりと跳ねた。
そんな些細な動きでさえ、彼が生きている証のように思えて、嬉しく感じる。


「―――おかえり、爆豪くん」


ああ・・・やはり、相澤に無理を言って、ハウンドドッグを護衛につけてもらってまで、ここに来た甲斐があった。
数日後の入寮まで待てる自信など、強子にはなかった。爆豪の無事を今すぐにでも確認しないと、生きた心地がしなかったのだ。
爆豪に抱きついてしまったのは、ぶっちゃけ ノリと勢いによる衝動的な行動だったけれど・・・それも後悔はしてない。
こうして、彼が生きてここにいるのだと、強子の五感で確かめられたのだから。


彼と君の 二人が狙われている状況で、君だけが助かって日常に戻ったように過ごしている――そのことに 君が後ろめたい気持ちになるのも、わかる

ああ、そうだよ―――後ろめたかった。引け目を感じていたんだ。
爆豪が拐われて、囚われている間に・・・強子だけは両親やクラスメイト、世話になっている教師やプロヒーローや先輩らと、日常の空気を味わっていた。
爆豪がつらい目にあっている最中、自分だけが安全な場所でくつろいでいた。


「(ごめん、ごめんね・・・爆豪くん)」


ダチが狙われてるって聞いても、何も出来なかった!しなかった!ここで動かなきゃ俺ァ ヒーローでも男でもなくなっちまうんだよ!

だとしたら―――爆豪が拉致される未来を知っていながら、何もしなかった強子は・・・果たして、ヒーローと呼べるのだろうか?
彼が拉致された後でさえ、自分のことを優先し、何もしなかった強子は・・・ヒーローどころか、彼の友だちを名乗る資格すらないんじゃないか?


「(ごめん、ごめんなさい・・・)」


ヴィラン連合に拐われた彼への被害は、後遺症どころでは済まない―――彼の“安全”も“輝かしい未来”も、雄英は保障できないでしょう

そう、なんだよな―――強子の知る“物語”が絶対だなんて、誰も保障できやしないんだ。強子の信じる通りの未来が訪れるなんて保障は、どこにもない。
私が行かなくたって、爆豪くんは大丈夫・・・なんて、根拠もなにもない、無責任で、勝手な希望だ。安請け合い 極まりない言葉だ。
もしかしたら、もしかすると・・・爆豪の未来を奪われるような可能性があったのでは?爆豪の命を奪われるような可能性だって―――・・・


「!?」


ぐるぐるとイヤな考えが頭を渦巻く中で、ふいに自分の背中に何かが触れ、はっと我に返った。
爆豪が、強子の背に 手を回したのだ。
爆豪とは思えないほど、優しい手つきで、やんわりと包み込むように強子を抱きとめるものだから・・・強子は混乱した。
自分を抱きとめる人物――つまりは自分が抱きついている人物は、もしや爆豪とは別人ではないか?え、間違えちゃった!?
しかし・・・一拍おいて、その人物が発した声は、間違いなく爆豪のものだった。


「お前・・・俺のこと 心配してないんじゃなかったのかよ」


爆豪の首に抱きついている強子からは彼の表情が見えないのだが、その声音から・・・こいつめ、ニヤついているなと察する。
そしてこの男が、強子を小馬鹿にするような笑みを浮かべる理由なら、先の言葉から あらかた想像はつく。

―――あ、あなたっ、爆豪くんのことが心配じゃないんですかっ!?

―――・・・爆豪くんを、“心配”?・・・ンなもん、する必要ない!


あの報道を、観たのだろう。
まあ、爆豪をとり返したあとも、強子とマスコミのやり取りは、神野の事件とセットのような扱いで繰り返し放送されていたし、爆豪本人が観ていたっておかしくはない。
・・・が、強子としては、こいつ(爆豪本人)にだけは 観られたくなかったんだが。


「・・・心配する“必要がない”と言っただけで、“心配してない”とは言ってない」


せめてもの抵抗をと思い、爆豪の言葉を訂正してみるも、「ハッ・・・屁理屈かよ」と、なんだか上機嫌な彼に笑い飛ばされてしまった。


「ったく、余計な心配してんじゃねーよ。俺はお前に気遣われるほどザコじゃねえ」


なんとも彼らしい、彼が言いそうな言葉だ。
けれど、彼の言葉にしてはずいぶんと優しい声色で・・・彼は強子に怒っているわけでも、拒絶しているわけでもないのだと、少しほっとする。
強子は深いため息をつくと、憂いげに表情を曇らせた。


「爆豪くんが強いのを知ってたって、信じて待つと決めてたって―――やっぱり・・・心配、しちゃうよ」


強子の心がまだ弱いせいだろうか。
彼の実力を知っていてもなお、不安にかられてしまうのは・・・心が未熟な証拠だろうか。


「(強く、なりたいなぁ・・・)」


それは、心だけの話ではなくて。
守りたいものを守れるくらいの“力”が欲しい。
何のしがらみもなく、救けたい人を救けに行けるだけの“立場”が欲しい。
自分自身も、こんな風に誰かに心配されることがないくらいに、“強さ”が欲しい。
そう願うように、祈るように―――強子は両腕に さらにぎゅっと、力を込めた。
すると、強子の背にまわされた爆豪の手にも力が込められ、強子の体が爆豪の体にグイと引き寄せられる。


「「・・・」」


互いに言葉はなく、ただ そこにある互いの存在を確かめるように抱擁をかわす。安堵に包まれるような、穏やかな空気。
心地よい時間が流れていく。

どれほどの時間を、そうしていただろうか。
しばらくして、何げなく目蓋を開いた強子は・・・視界に入ってきた光景に驚いて、目玉が飛び出た。
爆豪の両親――母の光己と、父の勝の二人が・・・うすく開いた扉のすき間から、じぃーっと強子と爆豪の様子を盗み見ていたのだ。


「ッ、わぁあ!!?」


叫びながら、今しがた抱きしめていた爆豪を突き飛ばすと、今度は強子のほうが“無抵抗です”とアピールするように両手を上げた。


「ご、ごご ごめんなさいっ!」


爆豪宅の玄関に勝手に押し入ったあげく、爆豪に抱きつき そのまま居すわるという、非常識かつ身勝手な行動だ。
相澤からも「家の方に 迷惑がかからないようにしろ」と念を押されていたのに!


「私ったら!よそ様の大切な息子さんに、こんなことして・・・っすいません!すみませんでしたぁ!」


取り乱したまま、あたふたと謝罪の言葉をつむぐ強子に、光己はニヤニヤと笑いながら強子と爆豪の二人を交互に見やる。


「ああ、いいのいいの!こっちこそ、いい感じのトコ 邪魔しちゃってごめんなさいねぇ」


“いい感じ”・・・その言葉に、強子の表情がピシリと引きつった。
これは、彼の両親から あらぬ誤解を生んでしまったかもしれない。いやまあ、玄関先で抱き合うなんて、誤解を生むような行動をとったのは強子なのだけど。
でも、あの抱擁は、仲間の無事を喜ぶハグであって・・・そこに“異性”だとか“恋愛”だとか、そういう意識は微塵もなくて!
いやでも、客観的に自分たちを振り返ると、年頃の男女が抱き合うとか、そういう目で見られて当然という気もするけどぉ・・・!
頬が熱くなっていくのを自覚した強子が、両手で頬を押さえていると、


「あなた、身能さんでしょ?テレビで見たよ、マスコミと言い合ってるところ!」


強子は頬に手を添えたまま、口をあんぐりと開けて絶句した。
爆豪の両親までもが、あの報道を観ていたなんて!あんなの観たら、どう考えても・・・強子に対する心象が悪いだろ!「ヴィランのばーか!」みたいな、馬鹿らしいことも言ってしまったし!
しかし、続いた言葉は、強子が思ってもみないものだった。


「勝己のこと・・・信じて待っててくれて、ありがとう。身能さんの言葉、嬉しかったし、私たちも心強かったよ・・・なっ、あんた!」

「うん、そうだね」

「!」


爆豪の父母から笑顔で告げられた言葉に、強子の心がホワホワと温かくなる。
爆豪を信じて待っていた時間は・・・苦しくて、もどかしいものだったけれど、その苦痛が報われたような気がした。
マスコミとのやり取りだって、無意味な水掛け論のように思えたけれど、今なら無駄ではなかったと思える。


「雄英には、勝己のことを ちゃんと見てくれてる人がたくさんいて、安心したよ」


人の良さそうなニコニコ顔で強子を見て、そう告げた彼は・・・とても、爆豪の父とは思えないほど穏やかな表情だ。


「気は短いし、意地っ張りだし、素直じゃないし、しょうもない奴だけどさ・・・これからも、勝己と仲良くしてやってね」


一方こちらは、爆豪とそっくりな容姿で、誰がどう見ても爆豪の母だとわかる。
そんな彼女からも屈託のない笑顔を向けられ、強子も、力一杯の笑顔で彼らに返す。


「もちろんです!」


すると彼女がチラッと爆豪を見て、いたずらにニヤリと笑った。


「なんなら身能さんに、ウチの愚息をもらってくれると有り難いんだけどね、生涯の伴侶として・・・」

「え!?いや、それは・・・」


結構です、私の手には負えませんので―――と、そう答える前に、強子は爆豪に力強く引っ張られ、


「用が済んだらとっとと帰れや!アホ女!!」


そして・・・ゲシッと思いきり背中を蹴られて、玄関から放り出されてしまった。
その衝撃で、先ほど強子の背に添えられた彼の優しい手の感触がかき消された。もう強子の背には、じんじんとした痛みしか残っていない。


『勝己ぃ!あんた、お友達になんてことしてんの!!』

『うっせババア!!“お友達”とか言ってんじゃねーよ気持ちワリィ!』


閉ざされた玄関の扉の向こうで、けたたましい声が響いている。爆豪らしい・・・いや、爆豪家らしい 騒がしさである。
さて―――用は済んだ。強子も、我が家へ帰ろう。
苦笑をこぼすと、強子はその騒音に背を向け、ハウンドドッグの待つ車まで戻ったのだが、


「・・・雄英生たる者、男女交際は、節度と品位を守るように心がけろ」


思わぬ伏兵からの追い討ちを受け、強子は再び赤くなった顔を、車窓へと叩きつけた。










==========

久しぶりの出番ですよ、爆豪くん!一瞬でしたけどね。でも、ご安心ください!次回は爆豪視点のお話ですから、出番ありまくりです。

それよりも出張ってきてるのは、夢主の両親ですね。好きなんです、彼ら。そして実は細かい設定も考えてます。
ざっとご紹介します。が、読み飛ばして頂いて結構ですよ。


◆父親プロフィール
身能 強助(きょうすけ)
個性:物質強化。手で触れた物の強度を上げる。
イケメン。夢主のアイドル系容姿は、父親ゆずり。
その整った容姿から、若い頃はスカウトとかされてたらしい。そして人たらし。人心掌握がお上手。老若男女問わずモテる。

◆母親プロフィール
身能 視捕子(しほこ)
個性:身体把握。視た相手の身体機能を把握する。
野心的で、天才肌の人。自尊心は高め。夢主の勝ち気な性格は、母親ゆずり。
「私、失敗しないので」とか素で言っちゃう系の医者。誰に対しても、歯に衣着せぬ物言いとか率直な行動をとるので、敵を作りやすい人。


強助はモテすぎるあまり、世の中の人間をなめてた時期がありましたが・・・視捕子と出会い、自分に興味を示さない彼女に打ちのめされて、改心。
その後、強助が彼女に猛アプローチして振り向かせた、というドラマがあるのです。
二人とも、今は娘至上主義の、親バカです。



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