図書室と告白と
前編







 肌寒い風が吹くようになった。裏庭の隅に植えられた紅葉なんて、もうずっと前から真っ赤だ。
 最近、図書室は暖房が入るようになって暖かい。うん、これはすごく快適。

 そんな、秋も終わりのことだった。

「ねぇ桜庭さん。オレと付き合おうよ」

 ――え。

 放課後の図書室で私は。
 本を貸し借りするカウンターを挟んで向かい合う図書委員の先輩を、まじまじと見つめた。

「おーい。聞いてる?」

「……え、あの、すみません私なんだか耳の調子が悪いみたいでっ」

 苦し紛れの言い訳を吐き出す。だって、だっておかしいじゃない。こんなの。
 先輩……橘なつき先輩は、図書委員だ。本を返したりする時、必然的に顔を合わせる。だから他の先輩よりもたくさん話はしたりするけど。
 でも、さっきみたいなこと、言うはずない。きっと聞き間違い。

「桜庭さんって面白いね。そんなに変顔しなくていいよ。それより、返事は待った方がいい?」

「待つって、あの、何のことだか、よく、」

「やだなぁ。オレとお付き合いしませんか、って話。……オレ、本気だよ?」

 なつき先輩は、カウンターに肘を突いて、柔和な笑みを浮かべる。背が高いからか、私と視線を合わせるように腰を少し折っている。
 染めているのか、いないのかよく分からないけど、先輩の髪は明るい茶髪。ブレザーの袖口からのぞく腕や手は、骨ばっていて、異性なんだと意識してしまう。
 部活は何してたんだっけ。運動部だったような気もするけど。それにしては、肌、私より白いんだよね。

 なつき先輩は、いわゆる『学校のアイドル』的存在だ。近くで見ると尚更かっこいい。
 彼女なんて選び放題なんじゃないかな。だから私につ、……付き合おう、なんて、言ってくるはずがないと思った。

 そういう私は私で、あの夏の日からずっと神無君に告白しそびれている。だって神無君には、好きなひとがいる。

『俺はいるけどね、好きな子』

 そう、言ってた。そんな風に宣言されたら、ね。


 とりあえず今は先輩のことに集中しよう。聞き間違いじゃないなら、勘違いかも知れないわけだし。

「ええと……。どの辺までお付き合いしたらいいですか? 新しい本の整理とかだったら、お手伝いできると思うんですけど」

「そういうのじゃなくて。デートとかキスしたりする方だよ」

「で、ででで!?」

 さらりと言う先輩は、逃げ腰の私の腕をさり気なく掴んでいる。
 こういう時に限って、図書室には私となつき先輩だけ。いつもならもう二、三人はひとがいるのにっ。

「ほっぺた、すごく赤い。可愛いなぁ桜庭さん」

「う、わぁぁ!? 近いです顔近いです先輩!」

 色気のない叫び声なんて、もうこの際気にしない。とにかく、この状況をなんとかしないと。
 私は自由な方の手で先輩の顔をぐいぐいと押し退けた。

「慣れてないの? ますます興味わいた」

「意味が分かりません!」

「心配ないよ。分からせてあげるから」

 とびきり甘い声と、優しく細められる色素の薄い瞳。
 心臓が、飛び跳ねる。
 頬の熱が上昇する。
 どうしよう、どうしよう。そういえば私、こういうスキルないんだった。

 その時。内心汗だくの私の耳が、希望の足音をとらえた。
 図書室の入り口には僅かな隙間。ここが静かだから、余計に周りの音が響く。誰かが、こっちに来てる。

「あの、先輩! ひとが来てますから! こういうのは……」

「桜庭さんは、誰とも付き合ってないんだよね?」

「それは、そうですけど」

「だったら問題ないよ」

 そう言って、なつき先輩は私の腕を引き寄せた。強制的にカウンターに身を乗り出す形。私は自分の身体を支えることに必死になる。
 あ、と思った時にはもう遅くて。やけに先輩の顔が近くにあった。

 瞬きをする暇もない。
 よけられた前髪。額に、感じたことのない、やわらかな感触と、温かい吐息が。

「――――!?」

 声が、うまく、出せなかった。
 喋り声と共に、図書室にひとが入ってくる。私はゆっくりと、そちらを向く。
 神無君だった。
 見なきゃよかった。

 神無君の隣には、見慣れない女子生徒の姿がある。同じ学年なのかな。遠くからでも美人だってわかる。 だけど、そんなことはもうどうでもよくなるくらいに、身体が熱かった。
 神無君の視線は私となつき先輩の間――まだ繋がっている手と腕に留まった。そして眼鏡の奥の真っ黒な瞳を細める。

 私は慌てて先輩の手を振り払った。けれどなつき先輩は唇に笑みを刻んだまま。満足そうに、この状況を楽しんでいる。

 何か、言葉を、何か。
 だめだ。
 何を言うつもりだ。

「……みちる」

 苦々しく、神無君が私を呼ぶ。
 まるでそれが魔法に必要な呪文だったかのように、私は言葉を取り戻した。

「これは、その、違うから! 別に私、先輩のこと何とも思ってるわけじゃなくて! ていうか今すごく嫌いになったし!」

「あ、みちるちゃんひどい」

「先輩は黙っててください! あと、どさくさにまぎれて名前呼ばないでください、何か鳥肌立ちました!」

 どんどん早口になる。
 止まらない。止まれない。
 無意識にスカートを握り締めて。

「事故……うん、そう。ちょっとした事故! だからね、つまりええと私何ていうか、ずっと神無君だけだから! …………あ?」

 …………。
 空気が凍った、ような気がした。
 え。ちょっと私何言っちゃってんの。何これ。
 あの飄々としていた、なつき先輩までもが、呆然としている。

「わ、ぁぁあぁぁ!?」

 絶叫。そして床を蹴っていた。
 神無君達が入ってきた入り口とは違う扉から、図書室を飛び出た。
 とにかく走った。廊下を曲がって、階段を降りて。ひたすら蛇行して走る。
 何人かの生徒とすれ違って、中には声をかけてくるひともいたけど、無視だ。恥ずかしさでそれどころじゃない。

 すぐに息が切れた。
 私は人気のない裏庭の隅で、ひとり蹲る。
 何あれ。
 神無君だけ、とか。
 我ながら重すぎる。
 笑っちゃう。
 やだな。格好悪い。
 膝を抱いた両腕に、頭を埋める。涙で制服が湿る。
 頭上を奔る風は冷たかった。






図書室と星座とback後編


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