似た顔の話



どんよりと重たい雲が空いっぱいに横たわっている。

白く濁った街並みは、ラジオの予報によるとそろそろ灰色に染まるらしい。仕事場である道の上で、伊佐貫は愛車と共に目的もなくうろついていた。呼び出しはかかっていないし、予約もない。
今日はどこへ行こうか。

通り過ぎる景色に人はまばらで、しばらくは駅辺りの客引きするか、と早めに進路変更の指示を出した。
市内には特に煩いのが居る。当りゃァしねえのにしつこく追ってくるんだよな、と視線をやった路地の先に、その煩いのの筆頭、見慣れた緑が過ぎった気がした。

信号で止まる。
普段なら後方から追ってくるそいつが徒歩で何を。
もしかしたら気のせいか、もしくは人違いかともう一度人混みを見ると、元後輩がやはり歩いていた。制服姿だが険しい顔をして、どうやら眼鏡を壊しているらしい。が、視力が弱い割にはすいすい人をよけて歩いていく。

また路地の向こうに消えていったのをなんとなく追って、ちょうど変わった信号に倣って車を出した。

あの方角には本人のアパートがある。家に戻るのだろう。

ぽつりとフロントガラスに雨粒が落ちた。
雨足が強まるのは夜かららしい。



‐‐‐‐‐




「どうして死んでしまったんでしょうね、先生」

片づけをしていた赤髪の青年はポツリと呟いた。会が始まる前に運び込んだガラクタたちは全て紙幣に化けていて、後は掃いたら帰るだけだ。閉め切った部屋に残っているのは二人だけ。

「鷹辻伯父の事か」

はい、と床から目を離そうともしない赤髪に、机に向かったまま帳簿をつける先生こと綾鷹は、自分も手を進めながら知らんと気の無い返事をした。トントンと紙幣を揃えて封筒にしまう。ああ、額面が揃った、しばらくは集会も無い、と告げると元気よくハイ、と返ってくる。忙しなく掃除していた赤髪のほうも、もう終わりますよとごみをまとめはじめた。窓の外はそろそろ赤く染まり始めるだろう。
話題の上っている彼、鷹辻は、雪兄妹の伯父である。訪問を告げる封書が届いていたが音沙汰は無く、数日前荒川城砦で変わり果てた姿になっていたと連絡が入っていた。

「先生、彼に余計なこと言いませんでした? 日置さんに」
「……言ったな。そろそろ実家に戻らないといけない、伯父が手続きの書類を持って来る、……くらいか」
「彼は一番過激な方じゃないですか。迂闊ですよお」
「あの豚へ三綾さんを嫁がせるだなんて大層な事を言い出したモンだからな」
「まだ十四なのに名家の方は大変ですねえ」

パンパンと埃を払って立ち上がった青年へコロ助、と咎めると、申し訳ありません、へらりと笑った。コロ助も自分も、日置もそうだが綾の縦糸という宗教団体に所属している。あくまでも運営側として。
綾の縦糸は簡単にいえば、信者相手にガラクタに無い効用を謳い売りつけるカルト集団だ。以前はもう少し血なまぐさい組織で、その頃から日置という男は妄信的だった。やり口が彼でしたよぉと笑うコロ助は慣れてしまった様子で鍵を取り出す。
さて、と立ち上がると部屋は綺麗に片付いている。団体で所有しているこの建物の名義は匣屋のものだった。鍵を返しに彼へ会いに行かねば。

「あんな人間が特高だとは世も末だ」
「どちらのことです?」
「さあな」




‐‐‐‐‐



夜といえどもまだ蒸し暑い。
冷房の切られた署内、早朝から長時間の拘束で痛くなった体を引きずりながら見慣れてしまった部屋を後にした。
既に暗くなった窓の外ではぽつりぽつりと波紋が広がっている。小雨くらいならとそのまま自分の机に置いてあったヘルメットを引っ掴み、鍵の束を握り締めた。

真っ暗な部屋の隅、付けっぱなしになっていたテレビからは火事の中継が流れている。
帰り道は塞がっていないかと目をやれば、ブラウン管は煌々と見慣れた角と色と屋根とを映し出す。あれは。消防が囲っているのは築十年過ぎの割にはガタが来ているぼろアパート。半焼のテロップが流れるが、どう見ても端に位置していた自分の部屋は残っていなかった。
直ぐ次のニュースに切り替わったが、呆然と画面を眺めることしかできない。

小さな足音と、後ろから、帰らないのか、と今まで散々詰問してきた声が掛かる。
……帰りますよ。返した声は小さかったが、過ぎていった足音はどうでもいいと言わんばかりに遠のいていく。しかしこのままここに居るわけにはいかない。
大半が意味を無くした鍵の束をもう一度握り締める。帰らなくては。どこへ。どこかへ。

握り締めた鍵の中にはひとつだけ、使った事のなかった他人の部屋のものがある。
……今日は緊急事態だ。一日二日なら追い出される事も無いだろう。
本降りになる前にと急いで外に出れば、雨足はさっき見た時より少し強くなっていた。



‐‐‐‐‐



幸いな事に家主は不在だった。
鍵は手中にある。靴を端に揃えて、髪と服の水気を払ってからそろそろと上がり込むと、先週渡した煙草の匂いがした。
勝手知ったるというほど訪れた事もないが、大体の構造は把握している。この家には大きめのソファがあった、はず。そこを借りよう。
へくしっ、と小さいくしゃみを一つして身震いする。不法侵入をした身といえど、勝手に風呂まで借りるわけにはいかない。
寝室らしき部屋から一枚だけ毛布を拝借して、それにくるまりソファに座り込む。眼鏡をテーブルに投げ置いて、膝を抱えると睡魔は直ぐにやってきた。



がちゃん。
鍵の閉まる音と、ぼそぼそと家主の独り言が耳に届く。こんどは施錠をとく音。うっすらと浮上した意識は音だけを拾って、しかし体はまだ動かせないようで、身じろぎすらできない。

鍵忘れてたっけなァ。声が近づいてくる。パチンと電気をつける音がして、開かない瞼裏が眩しくなった。
は、と息を呑む音が聞こえる。なんでいるんだよコイツ。エェ?
ぶつぶつと独り言が止まらないのは昔からの癖だ。起きて事情を説明しなくては。
しかし体は変わらず動かない。

雨音が聞こえる。懐かしい匂いが濃くなって、そこでまた意識は落ちた。






起きたのか。
ぼんやりと霞掛った夢現が、目の前で大きな瞳を瞬かせた。おきましたよ。咄嗟にへんじした声は幾分か掠れている。はっきりとは覚醒できていないせいか、発音もおぼつかない。しかし事情だけでも、と船を漕ぎながら必死で意識をつなぎ止める。

お前なんでここで寝てんの。もえました。はぁ? 火事しってますか。ああ、今日あったな。あれお前ン家だったのか。はい。
ほかにいくあてもないんです。はしっこでいいから少しかしてください。
おねがいします、いさぬきさん。

もそりと身じろぎして毛布に頭までうずくまる。裸眼だと少しだけ眩しかった。

ああ、ともいや、とも取れない呻き声を勝手に了承と得て、ありがとうございます、と返せばあっちには入るなよと今度こそ明確な了承を得た。


気が抜けてたゆたう意識の中で、少しずつ言葉を紡いで渡す。

きょうは朝からかんづめさせられて。しんじんがきました。日置さんというなまえです。引継ぎなんかする日が来るとは思いませんでした。

……小さな棘をいくつか持っている。
普段なら隠してしまうそれを、当たり障りない会話の中に混じって渡してしまった。

へェそう。やり方は分かってるだろ。そりゃあ、あの時は気付きませんでしたけどね。つつがなく終わりました。
終わったんです。

そしてそれは今更渡しても遅いものだった。
大半の仕事は既に日置という新人に回されている。
自宅謹慎を言い渡されているから、もう取り調べ以外で署に顔を出すこともない。そのうちに懲戒免職の通達が来るだろう。

そして覚えの無い罪が確定して。


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