呼び名の話



晴天、抜けるような青。
空には雲一つない。暑い。真っ赤になっているであろう首元をさすりながら、垂れてきた汗を手の甲で拭って、到着を待った。
光は斜めに差し込んで、屋根の下にいても日差しは身を焼く。もう少しすれば赤く染まっていくだろう。そろそろ終業の時間になる。
やがて目の前に停まった車から、見知った顔がのんきに笑った。おお、やっぱりお前かと。

「入道、今回もよろしく頼むばい」
「お久しぶりです」
「こっちも暑かなァ」

玄関で出迎えた上司は、車で来たというのに額の汗を拭っている。
ごくたまに地方からやってくる年嵩の彼は恰幅がよく、大雑把だが朗らかに笑う人だ。初めて会った時に上司とは知らず「入道」を名乗ったあと訂正をしなかったせいで男扱いされるが、彼が研修の名目で出張してくるのは三日ほど。基本的に出先へ連れて行くだけなので不便もない。
九州出身で、彼の名は鷹辻と言う。

「年寄りにばっかい出張さすっとだいけん。西京は遠か」
「そうですね」
「今日は荷物持ってきただけだいけん、手伝ってもらってよかか」
「はい」

車のトランクから出てきたのはそう大きくない鞄で、仕事用の分厚い書類が入っているのだろう重さがした。勝手知ったるという様子で署へと入っていく鷹辻を追いながら、付き添いに渡されたスケジュールに目を通す。確かに今日の予定は何もない。
用意してあった机へと荷物を運ぶと、鷹辻はほかの署員に挨拶しているようだった。彼の挨拶は短い。そのうち帰るから送ってくれと言われるだろう。
クーラーの真下に陣取りながら、にこやかに笑っている鷹辻を見る。先輩というより年齢差は父と子。帰りはいつも同じホテルへと送るが、彼の話ではその近くに親戚の子供が居るという。本懐はそちらで出張はついで、ようやっとそれが叶う地位まで出世したったいと笑っていたのは前回来た時だったか。
入道、頼むばい。
挨拶が済んだらしい鷹辻に言われ、分かりました、と車のキーを手にいつものホテルですか、と返す。そやんね、ああ一本よかか。はい。ごそごそと鷹辻が取り出したのは煙草で、喫煙所ができたんですよと案内する。
道すがらお前は吸わんとかと鷹辻に言われ、ええ、と生返事をしてしまった。

「ここです。私は嗜まないので」
「格好つかんじゃなかな? 一つ買うてやるけん吸ってみなっせ」
「はあ……」

外に設えてある喫煙所には自分たち以外に人影はない。夕日に照らされながら大らかに笑う鷹辻に、唯一見知った銘柄のボタンを押した。


‐‐‐‐‐


土産を買いたいと言う鷹辻とデパートへ行った後自分の買い物を済ませて戻ると、自宅の玄関前には既に人影があった。バイクから買い物袋を下ろしていると、遅ェよと声がかかる。
ジャリ、と踏み消した煙草は足元に数本落ちていた。

「すみません。予定外の仕事が入ったもので」
「んなこったろうとは思ったけどよォ、連絡くらい入れろ」
「上司と一緒だったんです。ちょっと持っててください」

袋を押し付けてから鍵を探す。じゃらりと束になっているそれは貰い物のキーホルダーやら実家の鍵がついているが、目的のそれは同じものが二つ付いていた。
開けてからどうぞと半身をズラすと先に行けよと促され、はあ、と先にブーツを脱ぐ。袋を受け取ってから今日はカレーにしますと告げると、ああそう、とそっけない返事が戻ってきた。
居間に通して材料の準備をする。じゃがいもと人参と玉ねぎ、ルーと牛肉。前に教えて貰った手順の途中でルーを入れればカレーになる、と同僚に教わってから、じゃあ次はこれを作ろうと決めていた。
復習の意味も兼ねてやってみようと、とりあえずは袖まくりをしてから米をとぎ始める。
先輩といえば、今日は落ち着いて雑誌を捲っていた。


‐‐‐‐‐


出来たてのご飯と辛口のカレー。見た目はちゃんとしたカレーに仕上がったのだが、少しだけ匂いが気になる。謎のテカリを発するルーは、それでも一応はカレーだった。
一口食べて怪訝な顔をした先輩は、今日は入れすぎだろ、お前ホント極端だよ、とだけ口を開く。
水を出してから、自分も倣って口に含むと確かに余計な味がする。

「……? 教わった通りにやったんですけど」
「カレーは教えてないだろ」
「いえ、先輩じゃなくて、課の子に」

だったらそいつに食わせりゃいいだろォと悪態を付きながらも咀嚼していくスピードは変わらない。復習ですからと、首を伝う汗を拭ってから水を口に含んだ。

「先輩ね」

はあ、と一つため息をついてから、いい加減なぁ、と大きな目が細まる。ぐり、とよく動く黒がこちらを見据えていた。
昔は呆れ気味にしょうがないなとそんな目だった気がする。
しかし、今は。


‐‐‐‐‐


そういえばこれを。
帰り間際に差し出した煙草の銘は昼間買ったものと同じである。一本だけ吸ったから開封はしてあるが、まだ湿気ってはいないはずだ。
そしてもう一つ、これもどうぞと差し出したのは何もついていない鍵。

「なにこれ」
「煙草と鍵です。煙草の方は貰い物なんですが必要ないので。鍵はこれのです」

カツンと玄関を叩けば、いいのかよこんなもの、そう露骨に嫌そうな表情を浮かべる。
言いたい事があるのならば言えばいいのだ。対価を渡せば諾々とこなしてはくれるが、それだけで。元先輩というだけでどこまで頼っていいものかはかりかねている。

「先輩、どうかしましたか」
「それいい加減やめね? 先輩って呼ぶの。何年前の話だよ」
「はあ……、じゃあ何と呼べば」
「普通に」
「普通にですか」
「そう」

大抵の相手は名前で呼ぶが、それだとまた嫌がりそうな気がして、とりあえず伊佐貫さんでと答えるとまァそれでいいわと扉の向こうへ消えていった。
遠のく足音はこの間と変わりない。普通と言われても、始まりがそうじゃなかったのにどう過ごせば。
引いてくれるし、よほど近づかない限り大丈夫だろうと鍵をかけた。


‐‐‐‐‐


鷹辻が消えてから一週間後の昼に知らせが入る。
彼は城砦の中、匣屋と呼ばれる店で発見されたままの状態で保管されていた。
被疑者は後夜日奈子。彼女とデパートで買い物をし、共に車へ乗り込んだ姿が目撃されているが、それを最後に鷹辻は忽然と姿を消していた。


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