手習いの話




「どうされました?」

キョロリと視線をさ迷わせていた女性に声を掛けると、少しだけ編みこんでいる彼女はそのふわりとした濃茶をおさえながら振り向いた。柔らかそうな肢体に落ち着いた色合いのシックな服。反応の薄い表情を浮かべながら、大きな瞳はこちらを映している。

「手を貸しましょうか」

道の側溝に足を取られたらしい彼女は、ぶちまけた荷物をぼうっと眺めていた。白バイで帰投中、たまたま寄る場所があって、その時一部始終を眺めていた身としては見過ごすわけにもいかない。結果白バイに大きな紙袋を積んだ状態で声を掛けたのだが、そこに至るまで彼女はぼけっとしていた。路地裏のここには他に人は居ない。
もしかして心神喪失するような何かあったのだろうかと心配していると、いえ、と立ち上がった彼女は何事もなかったように荷物を拾い始めた。小さなウサギのポシェットに一つ一つ詰めていく。
駐禁区域では無いことを確認してから白バイをとめ、近くに落ちていたポーチを拾って渡してやれば、彼女はほんの少しだけ微笑んでからありがとうございます、と答えた。


‐‐‐‐‐


「それでどうしたんですかあ」

紙袋の中身、大量の和菓子を頬張りながら直純は興味の無さそうな声を上げた。今日助けた彼女はこの子に少し似ていた気がするな、と思いながら、直純の腕に巻かれた包帯に眉尻が自然と下がる。
ええと、と言葉を濁すと、直純の隣に座る伊純はそれで、と紙に大きく文字を記した。
追跡中に目測を誤ったのだ。結果として確保・連行は出来たが、民家の塀を大破させ直純に軽傷を負わせてしまい、その侘びにと和菓子を買い与えていた。
妹の伊純も呼んだのは、買ってきた結構な量の和菓子を一日で消費しようとする直純を止めるため。ただあまり意味は成していなかった。
無論始末書も回ってきたが、こちらはまだ猶予期間があるので大丈夫。

「ええそれで、同じ名前だったんですよね。彼女はひなどりの雛で。結構若い子でした」
「その子に?」
「えっと……、どうも……料理が出来無そうで……いや私よりはきっと出来ると思いますけど、一人暮らしと聞いて……しまって」
「限定のやつあげちゃった、んですね。他のもおいしいからいいですけどお」

ごめんなさい、と他に返す言葉が見つからない。怪我をさせてしまったから、と昼からの限定ものを買いに行っていたのだった。紙袋の中身はそろそろ半分ほどが彼女の胃に納まっている。
不意にペンを取った伊純がそれで、の下に文字を走り書いた。

『料理は出来たほうがいいと思いますよ年齢的に』


‐‐‐‐‐


111-1111-1111。
――おかけになった電話番号は。

繋がった試しがない番号に向けて小さく舌打ちしてから、しまっておいたはずの紙片を探す。目的の人物は懐中電話を所持していて、遠い昔に連絡先として番号を教えてもらっている。何も付いていない家鍵と一緒くたになった紙片は少し褪せていて、それでも見慣れた数字列はそこに記されていた。
ダイヤルを回すと今度は呼び出し音。

『……もしもし』
「もしもし、先輩ですか」
『あァ?……日奈子?』
「はい、ちょっといいですかね」

くるくると伸びた電話の線を指でいじりながら、目前の紙片を見つめる。いくつかの数字とこれまた見慣れた目玉が書いてあるだけの。

『お前が電話掛けて来るなんて何年振りだよ』
「さあ。用も無かったので……、それでええと、今晩暇ですか?」
『エッしかもお誘い?マジでどうしたのお前』
「いいから、夕食はご馳走します」

どうですかね、ああ飲みませんからと付け足すとようやくだったら、と返ってきた。
場所は、うちで。時間は、暮れた頃に。分かった、と切った後に一息吐いて、あまり使っていなかった調理道具を点検する。まあまあ使えそうなものが一式。
台所に並んでいるのは材料のみである。



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