東京から遠く遠く離れたところ。そこで俺は密かに息を、していた。
耳はもうほとんど聞こえなくて、自分の声を聞き取るのが精一杯、という状態だ。涙も、乾いた笑すらも、もう何もこぼれない。
新宿から、池袋から、東京から離れたのは何日前だったっけ.....?
それは随分昔のことのように感じられた。それほど、今俺が居る所はなにもなくて、そうそこにあるのは俺にとっての非日常だ、と独り呟いた。

結局東京から遠く離れた隠れ家に身を寄せた。ここはほとんど使ったことがないから、きっと波江もしらない。
大きな窓から朝日が差し込んで、眩しさのあまり瞬きを繰り返した。

太陽の光が、俺の良く知った金髪によく似ていると、素直にそう思って。何故だか無性に泣きたくなった。



今日もまた数時間の睡眠しかとらないまま、フローリングに足をつけた。さすがに冬に素足でフローリングを歩くのは、少しつらい。
でも、周りの音が遮断されている今、.........そうすることでしか、俺が存在していることを証明できなかった。


『シズちゃん......』


裸足のままベランダへと降り立ち、俺は池袋の喧嘩人形の名前を呟いた。それが実際に口にだしたものか、心のなかで呟いたものかは曖昧だけど、
何度も、何度も俺はシズちゃんを呼んだ。


俺はシズちゃんが嫌い、だ。
シズちゃんは俺の思い通りにならない。理屈も道理も通じないし、自動販売機を投げるとかコンビニのごみ箱をなげるとか、本当にバケモノだし。
俺は、人間全てが愛おしいのに。シズちゃんだけは愛せない。だから、シズちゃんが嫌い。そう、もういっそ殺したいくらいに。


と、いうのはあくまでタテマエだ。
俺はシズちゃんが、好きだ。そう、高校のときから、ずっと。
シズちゃんは馬鹿だから知らないけど、本当は好きで好きで仕方なくて。思い通りに動いてくれないのが悲しくて。
本当はシズちゃんにも愛してほしくて。
恋人になりたかった訳じゃない。ただ傍に入れたらそれでよかった。

好きと好きで繋がり合えば、その絆は確かに繋がる。でも、特定の人への恋慕など、所詮は儚いものだ。
その絆は深いけど、脆い。それなら別の感情で繋がれれば、と思って。


俺はシズちゃんを嫌いになった。あくまでフリ、だけどね。
シズちゃんが俺を心の底から嫌うようにいろんなこともやった。
好きな人を嫌いになるのは簡単だけど、嫌いな人を好きになるなんて、滅多にないだろ?
好きと好きで繋がれないならば、嫌いと嫌いで両思いだっていいじゃないか。

けど、

       さすがに、


__俺は手前が一番嫌いだ。


と、シズちゃんが眉間にしわを寄せた時は、ほんの少し、心が痛かった。



(シズちゃん、ねぇ.......)


君は今、どうしてるの?と風に乱される髪を押さえながら問いかけてみる。
届くことのない言葉は、風にかきけされる。目を閉じて思い浮かべる池袋が、恋しかった。


俺を見かけるたびに、いつも色んな事に巻き込んでるのにもかかわらず声を掛けてくれるドタチン。
その後ろには狩沢や遊馬崎もいて。狩沢は、いつも俺がどうとかシズちゃんがどうとか呪文じみたことを呟いて、その口を慌てて遊馬崎が塞いで。
昼間からギャーギャー騒ぐ二人を、ドタチンがため息をつきながら眺めて。

きまってそういう風に池袋でのんびりしてると標識やらごみ箱やらが飛んできて。
低い、地を這うような獣の声に俺は振り向く。高鳴る鼓動と、泣きつきたくなる感情を隠して、冷ややかに名前を呼ぶ。
馬鹿だね、シズちゃん。俺にかかわるといつも被害を被るのに。それでもずっとずっとシズちゃんは俺を追いかける。


殺す殺す....と物騒なことを呟くシズちゃんを尻目に俺はたまに思う。
どうせ、殺されるならシズちゃんがいいなぁ、なんて。


そう、死ぬならシズちゃんに殺されたい。
でも、きっと優しい優しい君は人を殺めるなんて、できないだろうから。


だから俺は、新宿から消えた。
シズちゃんが殺してくれないのに、ずっとあそこにとどまって独り朽ちてゆくなんてごめんだと。
聴力を失う、ただそれだけのことなのに。
俺はもうシズちゃんのチェスの碁盤の上には居ない。黒のキングは、白にチェックメイトされる前にひとりでに倒れたのだ。
シズちゃんは、馬鹿だから。倒れた駒に、とどめは刺さない。優しさは時に、残酷だよ。
いずれ噂は広まるだろうし、俺が聞こえないことを知ったらシズちゃんが本気で戦ってくれなくなることぐらい、予想がつく。

戦う価値もなくなった俺をきっとシズちゃんはもう見てくれない、から。
嫌い、という感情もきっと消え去ってそれは次第に無関心、になる。
それなら、消えちゃおうって。ただそれだけ。


あの時、新羅は珍しく真剣な顔で首を振った。
耳が聞こえなくなってもここに居ればいいじゃないか、と。困ることがあるなら僕が助けるから、と。
そんな新羅の声を無視して、俺は笑った。情報屋を消して。と。
シズちゃんの傍に居れないのに、シズちゃんの後ろ姿をただ見てるのはつらいと、笑う俺に新羅は呟いた。

昔も、今も。君の中心はいつでも彼だね、と。





『シズ......ちゃん.......っ』



名前を、呼んだ。もう二度と届かない彼の名前を。一度呼ぶと、涙がとめどなく溢れて来て、どうしようもなくて。
幼稚園児のように泣き喚いた。シズちゃん、シズちゃん...と名前を呼べば呼ぶほど、会えない現実が悲しくて。

誰も聞こえないことをいいことに、好きだと呟いてみた。本当は一番好き、でも、だから、傷つけてごめんね。
俺が居ない日常をシズちゃんは満喫しているのだろうと思うと、無性に悲しくて、また 涙が止まらなくなる。


『....っふ.....シ..ズ...ちゃ.........ひ、っく....ふ...ぅ、逢いたい、よ』


冷える体を抱きしめるように、体抱え込んだ。が、俺の涙は思わぬ形で止まることとなる。



『..........臨也。』



突如耳元で俺の名前を呼んだその声は。
俺の体を抱え込むような形で俺を抱きしめるその体温は。
視界の端で風に揺れる金髪は。




池袋に居るはずの、平和島静雄は、なぜか俺を抱きしめていた。


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次でラストです!(^^)!
........多分←



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