数週間ぶりに見かけたその人物は、折原臨也であってそうではなかった。
冷たく、時に視線だけで人を殺してしまうのではないかと思うくらい鋭い赤い目は、どこかぼんやりと焦点を定めることもなく宙をさまよう。
人通りが全くない、と言ってもいくらい薄暗い路地裏。黒いコートはやはり目立って、遠くからその姿を見つけた時一度名前を呼んだ。
臨也、と。けれどもそれに対しては何の返事もなく、俺に気づくこともなく、臨也は闇が広がる路地裏に向かって嘲笑う。壊れた、没人形のように。
そんな声など、聞きたくもないと気がつけば俺は臨也の手を取り、叫んでいた。数時間探してようやく見つけた、そいつの体を抱きしめて。




事の始まりは、数時間前にさかのぼる。
俺の仕事のない日、なのに、生憎、セルティは仕事。働いたり、闘ったりする彼女も好きだが私は家の中での可愛いセルティの方が好きだと
聞いてくれる相手もいないのに愚痴をこぼしていたとき、ふいに携帯が着信を告げた。


「.....はい?」

「...もしもし...」


臨也の秘書、と名乗る女は平生の特に感情の起伏も見られない声のトーンのまま衝撃の一言をつげたのだ。
臨也の聴覚が日に日に落ちていっている、という事実と今の臨也の状態を。
正直手の施しようがないから保護してくれとだけ告げて切れた電話を片手に、僕は数分その場で思考停止することになる。




そのまま携帯を片手に新宿まで赴き、臨也の自宅を訪ねるものの誰かいるわけでもなく。もしや、気づいていないだけかもしれないという淡い期待は同時に他の期待を裏切ることと知りながら、俺は目の前のドアノブに手をかけた。
がちゃり、と音を立てて開くドア。落ちて割れたまま放置されているであろうコーヒカップ。
いつもならば、ある程度整頓されているはずの資料も、手で引き裂いた痕が残っていた。


(あぁ、これは…….。事態はもっと最悪なシナリオを辿っているのかもしれないな。)


と、足元に落ちていた臨也愛用のナイフをそっとテーブルの上へと戻した。



再び臨也を探そうと思って、池袋へと戻る。が、運命とは時に優しく、時に残酷なものである。
この人に会いたいと思って会えるはずもなく、日ごろめったに動かさない体に鞭を打って、俺は走った。途中ですれ違った門田に、臨也の行方を尋ねてはみたが、それ以前に彼はここ数週間臨也を見ていない、と答えた。

数週間前、といえば臨也が静雄にごみ箱を投げつけられたあたりの頃だ。
自分の意志とは関係なくあがる息を不快に思いながら、臨也が聴力を失いつつある原因を考える、と、元凶はすぐに目星がついた。99%の確率で静雄、だ。


このことを静雄本人につげ、臨也を探させればおそらくすぐに発見できるだろうが、そうすることはできない。
いつも通りの、あの反吐が出るような性格の折原臨也であったら、自らの天敵の手によって聴力を失いそうになるのならば、ここぞとばかりに卑劣なあの手、この手を用いて何かしら静雄に仕掛けるはずだ。


それをしないところから見て、明らかに今の臨也は弱っている。
全てを拒絶し、拒絶されると事を恐れる子どものような彼を、放って置くことなどその時の俺にはできなかった。




「….臨也、とりあえずそこに座ってて、コーヒーでも入れるよ。」

「………」

「…….座って、臨也。」



つい、いつもの癖で手を引いて連れてきた臨也に普段の声の大きさで話かける。
もちろん、秘書の話通り臨也の聴力は確実に落ちているため、聞こえるはずもなく俺の声は静まり返った部屋に反響する。
それが無性に悲しくて、臨也の耳元で座るよう諭し、逃げるようにキッチンへと入った。


「はい、どうぞ。熱いからね。気をつけて。」

「ありがとう。……ねぇ、新羅。」

「…..なんだい?」

「俺の耳、もうどうにもならないんでしょ?」


目の前の黒を身にまとう男は目線は手元のコーヒーに向けたまま、俺が言いだせなくて、でもどうにかして言いださねばと、心の中で葛藤していたことについてさらり、と言ってのけた。
その表情は、悲しそうでも現実を受け入れているようでもなく、時折彼が見せる、見ているものを氷つかせるようなそんな笑み。

今にも壊れそうな心と、弱さを見せるまいと強気にふるまう口。
膝の上で握りしめられた掌は、小刻みに震えていた。


「….い、ざや…..」

「いいんだよ、自分でも分かってるから。でも….もうこんなんじゃ….」


シズちゃんと殺し合いなんてできないよね、と臨也は続けた。
今まで聞いたこともないようなか細い声で。ゆっくりと頷いた俺を見て、臨也は笑った。


「….できるかぎりのことはしてみる…」

我ながら苦し紛れの言い訳のように思えたその言葉に、やはり臨也は首を振った。
そして2、3度瞬きを繰り返したあと少しの間、目を閉じて、静かに口を開いた。



「ねぇ、新羅。頼みがあるんだ。」

「…….」

「そんな難しいことじゃないよ。ただ手伝って欲しいだけさ。」



______________『       』手伝いを


久しぶりに見る、自然な笑顔を浮かべて臨也は残酷な言葉を口にした。
返す言葉、などすぐに見つかるはずもなくただ首を振る俺に臨也は、俺の名前を呼ぶ。
新羅、と。

その声に、俺はようやく必死な思いで言葉を紡ぐ。それだけは嫌だ、と。


「新羅。」 「嫌だよ。」 「ねぇ、新羅。」 「……そんな、こと…..。一体どうして」


理由など、決まっているじゃないかと臨也は笑う。
そんな理由など、俺からしてみれば本当にくだらないものなのに、目の前の人物はそれに執着する。

結局このやり取りは日付が変わってもなお、続くこととなる。



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ちなみに、波江さんは何も言わず臨也には大きな声で話してました!(^^)!
これ、あと2話ぐらいで、おわる、はず......



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