小さな世界は渦となる(雇われ魔王の喫茶店)

 帰宅の途についたアイメリッタは、ただただ釈然としない。
 戻るとは言え魔法を使えば一瞬の事、それも最近はヴァンシュタインが率先して彼女の分も引き受けるので勢いに甘えてしまっているが――いやいや、それではなくて。
 何時もは終始温和である。なのでアイメリッタも礼を告げて宛がわれた自室に戻り易い。だが今日に限ってどうした事か、形の整った眉目は険阻なまま突き通されており。
 人が変わったような顔付きに、普段の表情を見慣れた彼女の心は違和感どころか彼の背負う肩書きの所為で若干の恐怖すら沸き起こらんばかりであった。
 それもこれも、全てテオが魔王等を呼び寄せて店を出てからである。こちらをほっぽって一体どんな密談を交わしたか知らないが――聞いてはいけないと察して自然と足は遠のいていた――何を話せば傍目に人畜無害なテイルファーゲン国王がピリピリと痛い空気を纏うのだろう。もう此処は彼の居室前なのに。

「あの、魔王様……?」

 声が上擦らなかっただけ、感情をそのまま音に出すよりは良かった。内心ヒヤヒヤしているが、この人の事だから酷くはならないと信じている。
 ――ほら、その通り。彼は僅かに目をぱちくりさせて彼女を見下ろす。

「……どうしました? リッタ」

 あの険悪な雰囲気が一言で彼方へ飛ばされる。覗き込むようにしていたアイメリッタが瞳に映った途端、彼はふわりと丸みを帯びた笑みを返す。名を呼ぶ声もそれに合う、柔らかなものだった。
 安堵して何事もなかったように礼を述べると、足早に背を向け。小荷物という名の書類を挟んだファイルを両腕でしっかと抱え直し、階下へ急ぐ。今日も今日とて新作を一人練るのだ。
 気持ちは既にそこに囚われ、アイメリッタは自室に辿り着くやいなや、仕事の合間に書き溜めたアイデアを机に散らばらせた。

*************

 不平不満などではない。思い巡らせていたのだ、つい先程受けた宣戦布告について。
 テオは彼女についてただ“大切な人”としか明言しなかった。
 それがすぐさま恋愛感情と断定されるのは早計というもの。しかしあの場面と話の流れからして導き出せる解答――つまりあの発言は彼の彼女に対するどういった思いからなされたのか――は、己の知っている限りの情報からどう考えてもそれのみが候補に残るのである。
 消去法よりも単純な、根拠のない確実性を秘めた直感。わざわざどう思うのか確認するのだから、向こうもある程度はこちらの答えを読んでいたのだろう。それを確実にして、手を打つ気か。

「初対面の態度でまさかとは思ったが……いやはや」

 その先は紡がない。口にしようとしまいと、現状は変わらないのだから。

「さて、明日の予定でも確認しましょうかね」

 テオがアイメリッタの過去を自分より知っていようと、彼の方が彼女と共有した時間が多かろうと。そんなものはかすり傷にもならない。かと言って、その余裕に胡座をかく気もない。
 選ぶのはアイメリッタだ。テオでもフィリーでも、まして自分でもない。彼女の意思が固まるまでは急いてはならないし、何より彼女には目標がある。それが叶えば、彼女も周囲の好意に向き合えるだろう。

*************

 アイメリッタは、一人で店にいる僅かな時間が好きである。ただ静かで、枝葉末節好きなように雑念を働かせられるからだ。

「さて、お湯を沸かしてっと」

 勿論その合間には茶が付きものである。数々の茶葉の中から、今日は一番好きなオレンジティーを選んだ。金色の缶を取り出し、匙に掬う。そこで、この時間には珍しい別の気配を感じた。

「お早うレディ」
「あ、アルセールさん!」

 一体どうして。ヴァンシュタインと同じ高貴な金糸を揺らしながら、トレードマークとも言える真白のマントを靡かせた彼は、彼女が営む喫茶店の事など知らない筈。ともかく紅茶の用意を急がねば。

「少し、二人きりで話をしたいと思ってね」
「紅茶、どうぞ」
「有難う。良い香りだ」

 一口含み、人となりを表す柔和な弧を描く唇から、ぽつりと言葉が漏れる。

「レディにこんな事を訊くのは信条に悖るけれど……少し良いかい」

 些かの疑問も抱かず、アイメリッタは頷く。アルセールの顔は以前招待されたパーティーで見たものとは一線を画していた。

「僕がパーティーの招待状を手にヴァンシュタインの城に来た日を覚えている?」

 何だ、その話か。何の気なしに、勿論覚えてますよと笑って返すと。

「あれはね、招待状を渡すのも当然主題ではあったけれども、もう一つ意味があった」
「……い、み……?」

 真剣味のある声。数えるほどの彼との記憶では、一度も知らぬ音だった。不意に、本能か勘か、鼓動が耳に大きく響く。

「先の魔王会の、更に前。僕等魔王達は――度合いや意味はどうあれ、舞い込んだ情報に驚いた」
「情報……?」
「そう。近頃テイルファーゲンの箱入り魔王が、ある一人の民と触れ合っている、と」

 子供に物語を聴かせるように、急く事のない言葉。アイメリッタに飲み込ませようと言う意思がそこに見えた。
 一人でいても静かな空間は、二人でいても変わらない。息を呑む彼女の手元、カップの中身は一向に減らず。

「もう数か月前の事だが、その文面を見た瞬間を覚えている。皆はどうか知らないが、僕は懐疑的に且つ、デマかゴシップか、それが事実なら面白いと思った。その数日後、ヴァンシュタインの腐れ縁であるフィリーに尋ねてみた。ほんの僅かな好奇心で以てね。でも彼は知らないと答えた。“そんな存在は見た事がない”と」

 つらつらと饒舌に。その流れを止める事に、彼女は多大な勇気を支払って。

「あ、あの……」
「ん?」
「そ、その情報は、一体、どうやって……」

 訊ねても良いものか延々と逡巡して、ようやっと口に出来た疑問。アルセールは弾かれたようにああ! と声を上げ。

「それについて話すのを忘れていたね。ごめんごめん。これは月に1回各国の魔王に周知される、いわゆる“回覧板”から得たものだよ」
「回覧板……? 魔王様達にも、そんなものがあるんですね……」

 予想外の、些か庶民的な返答に親近感を覚えるも束の間。アルセールの変わらぬ表情に緩んだ心持ちが引き締まる。慌てて真面目さを取り繕うと、苦笑して彼は話を再開した。

「まあ昔からのシステムだからね。それで、話を戻すが――フィリーが知らないならと、もう一人の幼馴染であるマリリアにも尋ねた。結果は同じ。彼女も少なからず面食らったそうだよ」

 マリリア。その名に魔王会であまり触れ合えなかった事を思い出し、彼女は自分を良く思っていないのだろうかとの考えが脳を過ぎった。と同時に、それが捻くれた見方だとも。

「それには次回の魔王会開催の事項も載っていてね。そこで僕等は更に驚いた。“回覧板”が回った日の晩に、彼から連絡が来た事に」
「え……」

 連絡? 一体何の、と言いかけて、悟ってしまった。きっと、魔王会への参加かもしれない。

「夜更けに珍しいと中身を見て尚驚いた。“次の会に一人呼びたい者がいる”と。僕は、いや、僕等は直感で悟った。十中八九、触れ合っているという民だろうと」

 そうか。事前に通達していたのか。そうでなければ、皆がアイメリッタを“特例”だと知って話しかけてはこなかったろう。

「蓋を開ければその確信に近い予想は当たったよ。特例が君だとね。会には基本、魔王とその親族か側近しか参加できない。それ以外の者がその輪に入る事はまずない。だから彼は手紙を寄越して是非を問うた。皆気になっていたんだろう、誰一人反対はしなかった」

 全会一致でアイメリッタの参加は認可された。ヴァンシュタインが何処か嬉々としていたのは、それが嬉しかったからなのだろうか? 話は彼女の思いを他所に続く。

「単純な興味は魔王にもあるからね。兎に角、そこで改めて、事前に得ていた情報が正当なものだと知った。少なくとも嘘ではない。どういう触れ合いかは無関係だし気にしない。ただ、見極めてやろうとは思っていた。一国の魔王と関わるのはどんな魔族か、無害な人物か。君は見事その眼鏡に適った。じゃなきゃ、その後放置しないだろう」

 成る程。時折厳しい視線――主にマリリアから――を感じたのは、見定められていた故に。『無害な』とは、つまり迷惑をかけない事だろうが――誰に対してだろう。ヴァンシュタインか、もしくは他の魔王にか。
 思案する時間が惜しいので疑問は溜めたまま、アイメリッタはアルセールの空になりかけたカップに新しく茶を注いだ。彼はさらさらと流れるように言葉を紡ぐのを止めない。

「会では訊けずじまいで、僕はいずれヴァンシュタインに直接訊ねようと城に向かう事にした。タイミング良くパーティの予定もあったし、誘うついでに。フィリーに先を越された気もしなくもないが気にせず赴いて、着いた頃には少し戸惑った」
「……戸惑う?」

 素直に反芻し問いかける。久々に口を開いた気がして、喉の奥に乾きを感じた。アルセールは頷いて先を言う。

「確かに、ヴァンシュタインには仲の良い庶民がいる事は解った。その貴賎や職業などは無視して。でも個人的に、どういう関わり合いをしているか、もっと言えばどうして知り合うに至ったのか知りたくなって出向いた。フィリーがいて望みは達成出来そうになく、結局そのままになったけれど」

 彼はより一層声を潜めて、アイメリッタの瞳を見つめる。

「僕はね、予想外だったんだよ。その触れ合っている庶民――君が、まさか王と同じ場所、城にいたなんて。しかも、ぎこちなさはあれど、そこに馴染んでいる。私物らしき物もあったろう? 昨日今日城に来たのではないなと推測した。当の主は君がいる事を当然のように見ているし」

 何も言えなかった。どう返したものか、正しい反応が解らず彼女はただ黙っていた。それに拘らず、アルセールは更に続ける。
 そこはかとないざわつきが、彼女の精神を支配する。一際心臓が跳ねた。

「君が何時からあの城にいるのかは知らないが――普通、魔王の城に使用人でもない一般人が何日もいる事はない。しかも一人だ。争いに巻き込まれた人々を匿う事は歴史上何度かあるが、それですら精々一週間が関の山。異性となると、親族以外で考えられるのはパーティーの来賓か、いずれ妃となる娘に限られる。が、それもやはり数日程度。しかも貴族の令嬢だ。歴史書など見ると、二三人ほど、稀に庶民を娶る王もいたようだけれども……。だからこそ、君が城に鎮座しているのは滅多にない、いや、立場上“有り得ない”訳だ」

 有り得ない――自分があの場にいる事が、今になってはっきりした「間違い」だと、アイメリッタは確信を得た。

「嗚呼、そう怖い顔をしなくて良い。ただ、一つ訊こう。城にいるよう決めたのは誰だい」

 不思議と怖い。優しく問う言葉、柔らかい声が。アイメリッタは焦りを露わに口を開いた。必死に、あるわけでもない誤解を解こうと。

「わっ、私は、ただ……魔王、様に、そうしろって、言われて……それで……」
「ヴァンシュタインが? 直々に?」
「そ、そう、です……」

 音は小さく、か細く。彼が黙りこくったのを良い事に、いや、堰き止める存在が途切れた事に酷く怯えて、矢継ぎ早に。

「もっ勿論、私も最初は断ったんです! そこまでしなくても良いって、でも……」
「どうしても、と、押し切られた?」
「う……はい」

 彼女の切羽詰まった声音にまずいと思うでもなく、アルセールは淡々と目的を遂行する。魔王の双眸の深淵がより深くなった事に、赤みを帯びた茶色の眼は気付かない。
 新緑の瞳を細め、内心で魔王仲間に呆れを帯びた嘆息を漏らしつつ、彼はより感情を抑えて。

「では、もう一つ。今アイメリッタがあの城に居続けるのは――それは、君の意思かい」
「え……?」
「君があの場所にいる事に、そこにアイメリッタの意思はあるのかい?」

 アイメリッタの――私の、意思。意思……?
 面食らって声を返さぬ彼女の心に、彼はそっと近付くように言う。揺らぐ赤茶色の眼が恐る恐る彼を見遣る。

「ヴァンシュタインは僕等の中でも真面目な方だ。さっき僕が言った話も当然識っている筈。識っていて尚、何故そうしたのか。厳しい言い方をするが、何の繋がりもない赤の他人である異性を一人、しかも庶民を、妃にするでもどうするでもなく何日も城にいさせるのははっきり言っておかしい。そうせざるを得ない意図があるか、そうでなければ変人か。何故家臣なり両親なり誰もその行動を止めなかったのか、そう出来ぬようにされていたのか」

 長々と語られる事実に疑う余地はなく。かと言って、彼女にはどう反応して良いやら思考する事もままならぬ。その意見が正しいとまでしか理解は進まない。少なくとも本心では、アルセールの言わんとする事に納得しているのだ。

「イレギュラーなんだよ。この出来事は。気の遠くなるほど長い魔王史の中でも、実際はどうあれ、あまり良いように語られていない。少なくとも、僕はアイメリッタにそうなって欲しくはない。僕の勝手な杞憂だがね」
「……私は……」

 君はあの城を出た方が良い。遠回しに釘を刺されたと思い込み、言い淀むアイメリッタ。俯く彼女に苦笑して、アルセールは最後に慈愛を零し、茜の髪を数回撫でながら諭す。

「仕事の前に沢山話して悪かったね。でも君に関わる事だから――今晩にでも、よくよく考えてみると良い。但し、思いつめ過ぎぬようにね。前例が必ずしも当て嵌まる訳ではないんだ。ただ知識として、そういう過去もあったという事実を識って、忘れないで欲しい。その上でどうするか、自分と相談してごらん」

 アイメリッタは『はい』と答えたつもりだったが、現実は奮わない音のみ。あまりの覇気のなさに哀れみを抱いたアルセールが、更に優しく、精神を労るように声をかける。

「大丈夫。僕はレディの味方だ。僕に訊きたい事があれば、何時でも力になるよ」

 額に口づけして、その肩を支えると、彼女はやっとこちらを見て。

「有難う……御座います」
「さて、そろそろ御暇するよ。美味しい紅茶を有難う。またこっそりお邪魔するけど、良いかい?」
「ええ、勿論……お待ちしてます」

 安堵して、今はまだ人通りの少ない城下町へと引き返すアルセール。それを追って見送ろうとするアイメリッタ。その心も、今は落ち着きを取り戻している。それを確認して、彼は背を向けた。

「ではアイメリッタ、御機嫌よう」
「お気をつけて、アルセールさん」

 静けさはその質を変えて、もうすぐやって来る忙しさに備えていた。


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