誰が為の、誰が為に(雇われ魔王の喫茶店)

 選択を誤ったのなら、今からでも変えなければならない。気付いたからには無視は出来ないのだ。そのままでいられるほど、彼女は無頓着ではなかった。

「よし、準備完了」

 長年世話になった気さえする、宛てがわれていた部屋を丁寧に眺める。アイメリッタは晴れた顔で荷物を携え、この城の、この国の主の居室へ歩を進めた。
 前回の暗々とした陰りは全くない。投げやりな気持ちもない。居場所が変わっても、自分は自分。迷いは不必要だ。

「失礼します。魔王様、いますか?」

 さあ、扉を開けて。己の意思を伝えよう。揺らぎはしない。真っ直ぐに。目の前の柔和な目元が、数秒後に驚きを滲ませても。

「今までお世話になりました。私、この城を出て行きます。あの時助けてくれて、更に部屋まで貸して頂いて、本当に有難う御座いました、魔王様」

 紅唇に心底からの笑みを湛え、深く辞儀するアイメリッタ。現状を咀嚼出来ない魔王を差し置いて、側近が応える。

「そうですか……お気をつけて」

 城に代わる住居を見付けたのだろう。何ら不思議を抱かず、自然な面持ちで彼は背を向けるアイメリッタを見送った。
 主は漸く言葉を零す。名残惜しさを隠す事もなく、彼女に届かぬその声はか細い。

「リッタ――何故」

 ラルフローレンは疑問に眉目を歪めるヴァンシュタインを気遣いはせず、使用人に知らせる為、執務室を後にした。 

*************

 仮眠室へ駆け上がる。何時もより早く到着したのは、生活感のない仮眠室を自室らしくし、中身の詰まった鞄から衣服や私物を取り出して居住環境を整える為だ。とは言えベッドを1つ置けるスペースでは、整えるという程のものではないが。

「こんな感じで良いかな」

 辛うじて確保されている僅かな収納スペースへ鞄を申し訳程度に押し込み、転がっていたハンガーを二三掴んで服をかぶせカーテンレールに引っ掛ける。忙しないというより寧ろ嬉しそうに、アイメリッタは階下へ移動した。卸業者がやって来る時間だ。
 入荷数を確認して食品を冷蔵庫に収めれば、次は店舗の清掃、テオ含む店員達の今日のシフト確認、朝晩行うレジスター内の現金と金庫の確認など、やることは様々ある。

「お早うリッタ」
「お早う御座います」

 店長であるアイメリッタを除くと、次に出勤するのは大体がテオである。次点で真面目なミモル、後の二人――オリゼルとウォルターが同着、といったところか。

「そう言えばリッタ、今は何処に住んでるの?」
「仮眠室です」

 訊かれたのが昨日でなくて良かった。特に意図のない世間話を振られ何処か自信すら交えて躊躇いなく答えると、問うた本人があんぐりと口を開いたまま固まった。冗談だろうと言いたげな目が、正気かと訴える。

「仮眠室って……この店の……?」

 恐る恐る、確認するように再度問う前店長。ええ、そうですよと間髪入れず返すと、次第にテオの表情は暗くなり。

「僕の住んでいるマンションにおいで」

 その真剣な口調にどことなく恐怖を感じたアイメリッタは、乾いた笑いでそれを断る。別に最低限の暮らしは出来るし。直後に鋭くなった彼の眼光に、ああ、不味いと気付くも遅し。
 何かスイッチを入れてしまったらしい。それからの言葉への力の入れようは凄かった。衣食住は大切なんだよ。それに、女性が一人であんな場所に住むのは良くない。仮眠室はあくまでも救済手段だ。間違っても生活空間じゃない。矢継ぎ早のテオの説教を受け、圧された事もあり次第に納得せざるを得ないアイメリッタ。

「解り、ました……そ、それなら今度、間取りの見学にでも、行こう、かな……」

 苦しげに誘いを受ける意志を示すと、打って変わって深い笑顔が雰囲気をがらっと変えた。内心あまり本気ではなく、見学に行くくらいなら良いだろうと思っての返答だったのだが、どうやら満足して貰えたようだ。
 命拾いをした。直感がそう誤解するくらいには、テオは鬼気迫るオーラを発していた。テオさんて、あんなに怖かったっけなあ?

*************

 テイルファーゲン魔王の居城。城の主である王の私室に一人の客人が訪れていた。

「つまり――儂が彼女を飼い慣らしていると、そう言いたいのですか」

 客人の言葉に険悪さを漂わせた声のヴァンシュタイン。顔色は至って穏やかである。だが納得はしていない。
 客人――エルヴァ国魔王・アルセールは、抑揚を抑えて返した。

「傍目にはそう見える。何か役割を与えるでもなく、言わばふわふわとした状態で、彼女を此処にいさせている――いや、いさせていた、か」

 意味深な台詞の最後にヴァンシュタインは悟る。すぐさま惜しげもなく皮肉を込めた。だが、魔王としても一人の魔族としても己より経験を積んでいる彼には、ちょっとした痛手すら与えられない。

「成る程? 貴方の差金ですか」
「僕は助言をしただけで、実際に行動したのは彼女だ。……怒っているのかい」

 率直な質問に反射的に首を振るヴァンシュタイン。此処で感情を荒らげる気はない。そうしたところで、彼女が戻る訳ではないのだ。

「いいえ全く。落ち着かないだけです」
「じゃあ、その焦りを鎮めてあげよう」

 ヴァンシュタインの心情を解ったように言い放つアルセール。不可思議な顔で待っていると、予想外の台詞がヴァンシュタインを射抜いた。

「君は、アイメリッタをどうしたいんだい」

 詰問のような力強さに息を止めるヴァンシュタイン。胸を突かれた気がして、思わず何も刺さっていないかと確認する。いや、その問い自体はおかしくはないだろう。ただ、思考しなかった。周囲に彼女をどうするのかと、尋ねられる事がなかった故に。

「君は何故、彼女を手元に留めようとした? 己の為にどうかしようと考えていたのかい」
「い、や……そんな、つもりは――」

 己は罪人かと錯覚する。急激に手元が震え、言葉に詰まる。やっとの思いで返答しても、ざわつきは治まらない。

「少なくとも、リッタを此処に留め置いた当初は……」
「へえ?」

 どうにか吐き出した言葉に、優しくも冷たくもない平坦な音が被る。未熟さを全面に晒しつつも、ヴァンシュタインは最低限アルセールと向き合う事は投げ出さない。今はそれよりも、己の感情に向き合うべきだが。

「気が変わったと?」

 その声が酷く自分を責めているように感じるのは、こちらに引け目があるから。とうとう黙り込み、苦虫を噛み潰したような顔で次第に俯く。返答を望めないと判断したアルセールは、徐にソファーより立ち上がった。

「じゃあ最後に、年長者からのお小言でもあげよう」

 動いた影の主を見上げるも見上げ切れず、狼狽えるように逸らされた視線を見遣りながら、昨日のアイメリッタを思い出すアルセール。彼女の澄んだ紅茶のような目が既に懐かしい。

「真面目なヴァンシュタインならもう理解しているだろうが……一国の魔王が庶民の娘を無意味に囲っていた事が公になれば、君とアイメリッタに害が降りかかるかもしれない」

 肝心の要点を告げると、覇気のない声が反応する。鏡のような水色の瞳は、立ち上がった位置からでは窺い知れない。見えたところで、哀れんで慰めるつもりはないが。

「……魔王史にある、王達のように……?」

 魔王として想像通りの言葉に満足気に「ご明察」と返す。だが、決して顔容をこちらに判らせようとしないヴァンシュタインの胸の内を推測した次の瞬間には、こちらが面食らう事になった。

「好きだからですよ」

 唐突に、淀みのない言葉がアルセールを圧そうとする。やたらとはっきりした一言が、静かに沈む空気を切り裂いて形を成す。

「アイメリッタが愛おしくなったからこそ、少しでも多くの時間を過ごしたかったのです。初めは単純に、彼女が危険に晒されたから場所を提供しただけで」
「君が彼女を大切にしているのは知っているが……それはどちらかと言うと孫を見る祖父のようだったけれど」

 続けて発された駄目押しの答えに、目を見張ってすかさずアルセールは紡ぐ。彼女を妃にするのかい。優しさを最小限に抑えた声で是非を問う。

「誰を好きになろうと個人の勝手だが、レディを振り回すのは感心しない」

 言ってアルセールは普段の温厚さを秘して退室し、ヴァンシュタインは彼の態度に胸を思い切り押されたような違和感を味わった。どうせもういないだろうと見送るのを諦め、らしからぬ大きな音を立ててソファーに倒れる。
 もう震えはない。その代わり、脳は虚ろだ。

*************

 先日、末恐ろしい気迫に圧され決定した物件の見学。数日経った今日、大家に話をつけたとテオの知らせが舞い込んだ。

「次の休日に決めておいたよ。善は急げって言うしね」
「解りました。有難う御座います」

 すんなりと礼を言えた事に、アイメリッタは安堵した。一度は断っていたものの、湧いてでた喜びが少なからずある事にほっとする。城を出て以降、店に現れなくなったヴァンシュタインを気にかける感情はもう薄れていた。

「わあ! 広いんですね!」
「そうなんだ。僕もそこが気に入ってね」

 見学当日。店で待ち合わせをし向かった先は、大通りから徒歩で30分のマンションが多く立ち並ぶ町。その中の一つ、落ち着いたベージュの壁が真新しい、3階建てのマンションの最上階。その一室――テオの隣室である――に彼女等はいた。
 一人暮らし向けの物件らしい。そう聞いていたが、しかし思ったよりも広さを感じた。彼女が素直に感動するとテオは、景色も割と良いんだよ。周りも静かで落ち着くんだ。と、余程嬉しいのか利点を次々述べる。それに一々感心するアイメリッタ。

「でも、こんなに良いマンションなのに、閑散としてますね」

 到着してから気にかけていた余りの人気なさを指摘すると、苦笑して頷くテオ。今はまだ昼間だというのに、人気がまるでない。いや、寧ろこの静けさが正しいのだろうか。一人暮らしの経験が浅い上に、集合住宅での生活など知らないので感覚が掴めない。

「うん。入居者が少ないんだよ」

 アイメリッタの素朴な疑問に、1階なんて誰も住んでないからね。自虐でもするかのように笑って言うテオ。
 入居者が少ない――つまりは穴場。今のうちがチャンスだ。問題は、家賃だが。

「他の物件と比較してないから言い切れないけど、大通りに近い所にしては、良心的な値段だと思うよ」

 実際に住むのは君だし、じっくり考えてみて。そう言って渡されたのは紙袋に入った物件の資料。まるで物件の担当者のようにさらりと持ち出されたそれを受け取り、俄然引越しへのやる気が強まったアイメリッタ。
 これで堂々と家族をこちらに呼べる。そう思うと嬉しく、にんまりと笑顔を浮かべてアイメリッタは大事そうに資料を抱えた。
 自立への一歩を今、踏み鳴らす。

*************

 城は静寂が似合う場所である。パーティーか使用人等の住む階下でない限りは、それが常だが。
 王の待つ執務室に颯爽と歩むラルフローレンの手には、ヴァンシュタイン宛の封筒が1通、握られていた。軽いノックと共に主に声をかける。

「魔王様。今年も喫茶博覧会への招待状が届きましたよ」

 気怠げに顔を上げ、そこにと指示するヴァンシュタイン。あまり明るいとは言えない声は、しかし頼りないと感じるほどではない。

「今回はどんな店が並ぶでしょうね」

 最早恒例となった、マロンシェード国で開かれる喫茶博覧会への参加。他愛ない世間話を振る側近を無視し、丁寧に封を切るヴァンシュタイン。心密かに楽しみにしている招待状の中身を確認すると、彼は悩む隙すらなく参加を決定する。

「ではそのように」

 主が“喫茶”に反応し彼女の名を出さぬ事に以前との差を感じ、僅かばかり意外性を感じたが、それが当然だと、おくびにも出さず退室する側近。
 主は主で、執務室を後にする彼を一瞥し、己が彼女をどうするか何故問わずにいたのか、策かそうでないかを一瞬気にかけるも、二週間後の博覧会を励みに無言で執務を続ける。

*************

 何やら重要な事が書かれているらしい。店に着くなり真剣に手紙を見つめるテオを気にかけたアイメリッタが声をかける。

「何ですか、それ?」

 余程集中しているようだ。降った彼女の言葉に、テオは遅れて反応した。

「ああ、これは――喫茶博覧会の招待状だよ」
「喫茶博覧会?」

 聞き慣れぬどころか、初耳であるアイメリッタが反芻すると、テオが頷いて説明が始まった。

「年に二度、マロンシェードで5日間開かれる博覧会でね。世界中の喫茶店の食事が楽しめるんだ」

 何と、そんな魅力的な博覧会があったとは。興味と意欲をそそられる。俄然身を乗り出すアイメリッタに微笑ましげな視線を送り。その微笑みを受け流し、アイメリッタは更なる質問をぶつける。

「何でテオさんに招待状が?」
「修行時代に参加した事があるんだ。お知らせも兼ねているんだよ」

 おお、そうだったのか。納得すると同時に、彼を見遣る紅茶色の目に羨望が混じる。
 隠し切れていない爛々とした光が、彼にある閃きを齎した。この流れでは自然な思い付きでもあるが。

「そうだ、この店も参加してみたら?」

 突然、いや、願ってもない申し出を受け、うずうずしていた店長は当然ながら困惑する。

「募集締め切りが今週末なんだ、この機会に是非お勧めするよ」
「い、良いんですか?」
「構わないさ。店側も来場者も、国や貴賎の別なしだ。絶対損はしない」

 余りの言い切る力強さに、以前のそこはかとない恐怖に似たものを感じたアイメリッタ。
 中身の気になるそれを見ても良いかと尋ね、差し出された一枚の便箋を、彼女は僅かな震えと共に受け取り。瞳は招待状を穴が開く勢いで捉えている。

「……分かりました。――応募します!」

*************

 応募した翌日、早くも参加店に向けた案内が届き。真っ先にそれを手に取ったのは店長であるアイメリッタ。次いでやってきたテオ含む4人の店員に、異国の地で開かれる博覧会への参加が決定した事を知らせる。
 案内状には参加店名が国毎にずらりと並べられ、締め切り間近に応募したこの店も、テイルファーゲン国参加店舗の最下部に記載されていた。

「マロンシェード……本当に、行くんですか……?」
「ま、マジで……?」

 現実味が沸かず、ざわつくミモル達。度胸の強さを自他共に認めているオリゼルすら、本当かと怖気づく。その背を優しく支えるテオ。僕がいるからと、過去マロンシェードに数年いた事を伝え、励ましとする。
 本当に参加出来る現実と、どんな場面かも想像が出来ず、少々浮かれ気味になる一同。アイメリッタに至っては、引越し先も決めたので益々心が逸る。


 アイメリッタ達に博覧会参加が知らされた同日、ラルフローレン宛にも参加店名の記された封筒が届いた。自室で目を通していると、自国の参加店舗に見知った店名を見付ける。

「…………」

 思わず声を上げそうになり、即座に口を閉ざした。誰も居ないとはいえ、不用意に騒ぐ気はない。
 同名の他店舗かとも思ったが、どちらでも構わない。大して驚きもせず、執務中の主が傍にいないのを良い事に己が胸に秘す事にした。
 今の彼に知る必要はないだろう。


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