魔王と元店主の関係(雇われ魔王の喫茶店)

 数日前に負った靴擦れが未だに治らない。
 初めてハイヒールを履いた代償が思ったよりも長引いている事に己の治癒力の低さを呪う。魔族なのだから、翌日にでも治りそうなのに。もうかさぶたは出来ているが、時折染みて痛い。こんな単純な事で集中力を失うのだから、呆れる。

「はあ……やっと山場が過ぎた」
「大丈夫?」

 何度も踵に気を取られるアイメリッタを気遣う言葉。彼女による遠慮から、彼はその怪我の原因を知らない。
 テオは魔王との関係を、表には微塵も出さないが余り快く思っていない節がある。再会以来魔王に関わる話題は二人の間に上らないし、その推測を導くにはあの一言だけでは浅慮だと思うが――その後に否定を取り消す発言もしている――あれは彼の本心だろう。
 一般人としての当然の忠告にも聞き取れるし、個人的な心配からとも思える。後者は一体何を案ずるのか解らないが。
 ともかく、そう思ってしまったからには魔王が絡む話は控えようと、この靴擦れの原因も誤魔化して伝えている現状である。

「リッタもまだまだ子供だね。はしゃぎ過ぎて踵を切るなんて」
「え、えへへ……全くその通りです……」

 我ながら下手な嘘を吐いたなあと反省しきりだが、今更訂正する訳にもいかない。いっそ真実を、という考えも恐ろしいのでしたくない。もっと図太くなれたらなあ。
 昼下がりに溢れる疲労を背伸びで払っても残る痛みに、最早漏れ出るのは苦笑のみ。怒涛の書き入れ時は山のような洗い物と共に過ぎ去り、今は客も店員より少ない。気も緩みがちになるのは致し方ないだろう。

「さて、お茶でも淹れよう」

 私用の冷蔵庫に、昨日作ったベイクドチーズケーキが一切れ残っている筈。賄いを食べ終えたミモル達はこの後休みなのでテオを連れて出ると言うし、幸運な事に客は更に減った。人通りは落ち着いているから、当分は誰も来ないと経験則で判る。
 彼等を見送るとアイメリッタはすぐさま厨房奥にある一人暮らし用の小さな冷蔵庫に向かった。

*************

 客の勘定を終えた後、その気配は突如訪れた。
 最後の一口をフォークに突き刺した所で、強い魔力を感じて首を回す。

「よお」

 久しぶり、ではない人物が、何気ない態度を装ってそこにいた。
 落ち着いた亜麻色の髪に熟れた杏にも似た瞳、体の線を強調するタイトな濃紺のスーツ。彼が店に現れるのはこれで二度目だ。

「フィリーさん、何で此処に?」
「えっ……いや、それはだな……そう、お前の淹れた茶が飲みたいと思ってだな……」

 言い難い理由でもないだろうに、彼は顔を逸らしてぼそぼそと述べる。驚くあたり、理由を問われる事を考えていなかったようだ。あろうとなかろうと別に気にはしないが。
 わざわざ裏口から入るのは自分の立場を弁えての事だろう。仕方ないが、この狭い厨房で我慢して貰うしかない。

「解りました。じゃあ、済みませんがこの場所で」
「はあ? それは止めてくれ」
「う、じゃあ二階にしますか? 此処より狭いですけど」

 王様が厨房で食事なんて、考えたら無礼だったかも。
 アイメリッタが提示し直すと、了承して彼はこの奥からかと進み出す。それと同時に店の扉に備え付けられたベルが鳴ると、彼女は真っ先にフロアへと向かい。
 余りの素早さに止める事も叶わなかったフィリーの手が、無意味に空に揺らぐ。

「……んだよ、折角会いに来たってのに……」

 不貞腐れる様に若干の子供さを宿し、立ち止まるマロンシェード国魔王。する事もないので厨房を見回すと、白いケーキ皿に残された食べかけのベイクドチーズケーキが映り。
 無用心だと思う前に、ラッキーだとポジティブ思考が働いた。すかさず瞬間移動し、毎日食べる程好きなそれを恍惚と見つめる。まさか此処に来てまでも味わえるとは、棚から牡丹餅だ。

「あいつはまだ戻ってこないよな……よし、いただきま――」
「ふう、歩いた歩いた……タイムカード切らな、きゃ……」

 目が合った。合ってしまった。がちゃりと重い音がしたので振り向くフィリーを、一足先に休憩を終えたテオが凝視する。数秒の沈黙に、先に声を上げたのはフィリーだった。

「――お、お前……」

 それに続くように、テオも言葉を紡ぐ。

「っちょ、何故貴方が!?」
「それはこっちの台詞だ! 何でお前が此処にいんだよ!」

  折角静かに客が過ごしているのに。騒がしくなった厨房に嗜める言葉でも入れようとやってきたアイメリッタに、二人が同時に突っかかる。

「リッタ、これはどういう事だ」
「はあ……? 一体何ですか?」

 勿論その意図など彼女は理解出来ない。

「何でテオがお前の店にいるんだよ!」
「それはこっちの言葉です! 何故フィリー王が此処に」

 ますます困惑である。彼等の説明を求める言葉ではなく、お互い顔と名前を知っている、という事が。

「ええと……二人共、お知り合いですか」

 驚くと、揃って驚き返される。全くややこしい。一旦情報を整理しよう。

「とりあえず、関係をはっきりさせましょう。テオさんはこの店の前店主で、私の師匠。フィリーさんは魔王様の幼馴染で、マロンシェード国王。ですよね?」

 頷く二人。続いて疑問を口にする。

「私が解らないのは、何でその二人がお互いの名前を知ってるのかって事です」
「それは簡単な話だよ。修行中にお世話になったんだ」
「全世界回って、最後に俺の所に来たんだよ。偶然街中で会って城で雇ってた」

 何と言う因果。世間の狭さを感じる。まさかテオがフィリーの城で雇われながら修行をしていたなんて。
 じゃあ去年届いた手紙に書かれてあった“奇特な人”って――
 事態に納得がいったところで、彼女は早々に店のカウンターへと向かった。面倒なので大した追求もせず、何事もなかったかのように紅茶を淹れ始める。
 腰掛けている客を放置する訳にはいかない。同じようにしてテオも店内へ進む。
 またしても一人厨房に取り残されたフィリーは、食べ損ねたケーキを乱暴に口に放り込んだ。

「……美味い」

*************

 結局フィリーは閉店まで居座り続け、その間何をしているかというと紅茶を飲むかぼうっとするか、たまに厨房を出入りする二人に話しかけたり、充分に暇を持て余していた。
 そこにアイメリッタを迎えに来るのがすっかり日課となった魔王が入ると、現場は騒然とした。それもヴァンシュタインただ一人。

「魔王様、知ってましたか? この二人知り合いだったんです」
「――はい?」

 テオの控えめなのにあからさまな態度を気にかけつつ来てみたら、見飽きた顔が追加されている上に訳の解らない事を開口一番に教えられ。
 一体誰と誰が、知り合いだって?

「一回言って理解しねーとか、耄碌したなヴァン」
「貴方は黙ってなさい。それよりもリッタ、二人が知り合いと言うのは?」

 此処ぞとばかりにニヤつく幼馴染は無視し、更なる説明を求める。

「フィリーさんとテオさんが、顔見知りだったって今日聞いて」

 放たれた言葉に咀嚼を繰り返す。つまりは何だ、彼の修行にフィリーが付き合っていた、という事か。

「世界って狭いんですね、リッタ……」
「ええ、そうですね……」

 二人揃って遠くを見遣り、しみじみと納得する。人の縁というのは真に不思議なものだ。
 益々あの台詞が腑に落ちない。何故彼は「一国の主と一庶民が気軽に付き合える訳がない」とアイメリッタに諭したのか。その真意は。
 それを尋ねるには一人欠けて貰わねばならない。

「さてフィリー、感動の再会を果たしたのでもう良いでしょう。国に帰りなさい」
「はあ? おい背中押すな。そんなに邪魔か」

 明らかに何かを急かそうとしている彼の態度に容赦なく苛立ちをぶつけるフィリー。ええ邪魔ですよとヴァンシュタインが答えようとした時、魔王達より些か背の小さいテオがやり取りに加わった。

「……お二方、ちょっとお時間宜しいですか」

 やけに下手に出て人の良い笑顔を振り撒く彼に、警戒を抱くヴァンシュタインと疑問符を浮かべるフィリー。ぽかんとする彼女をほっぽって、裏口から外へと移動してしまう。どういうつもりか、この優男。

「リッタについてはっきりさせておきたい事が一つ、言っておきたい事が一つあります」

 彼女に見せるのとは違う声色で、釘を刺すように彼は言う。いまいち展開が読めないフィリーとは反対に、ヴァンシュタインは目付きを鋭くする。

「お二人は、リッタの事をどう思っていますか」

 たった一言で彼が言わんとする目的を悟ったのか、此処でフィリーの顔も真剣になった。悪どい笑みが場の温度を下げる。

「嗚呼、そういう事か。――成る程? お前があいつに近付くには、俺等は邪魔な訳」

 遠慮も躊躇いもなく、彼は直球を投げ付ける。修行に付き合っていただけあって、口調が強い。余りテオに良い顔をされないヴァンシュタインでは、こうは言えないだろう。此処は大人しくフィリーに任せた方が懸命かもしれない。
 押し黙る、かと思えば。怯む様子もなく発せられたそれは、明らかな敵意を含んでいた。

「申し訳ないですが、そうなりますね。彼女は僕の大切な人ですから」

 にっこりと、屈託のない笑顔が歳の割に幼い顔に貼り付けられる。そんな事に何を思う必要もない。問題は言葉の方。

「それで、貴方達は? 彼女の事を――」

 それは愚問というやつだ。返される答えが一つしかない事を解っていて、敢えてはっきりさせようとする。それに乗るも乗らぬも、此処では野暮。

「……ええ、貴方のご想像通り」
「好きだっつったら?」

 煽るような疑問符。フィリーの面白げな挑発に続くは、微塵も崩れぬ笑み。

「そうですか。ならば残りの一つ。――幾ら魔王とは言え、余り調子に乗らないで下さいね」

 魔王であれ貴族であれ、身分が吊り合わないなどと下世話な事は言いませんから。忠告でその場を一方的に締めて、彼はそそくさと厨房へ戻った。

 ――斯くして、一人の少女を巡る魔王達と庶民の戦いの火蓋が切って落とされたのだった。


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