元・喫茶店主の帰還(雇われ魔王の喫茶店)

 今日も快晴、明日も快晴。雨など滅多に降らないテイルファーゲンには、青空と太陽が平等に輝いている。
 その国の首都、更にその中心部。都心でも往来の多い通りの一つに、朱色の看板が鮮やかな少スペースの喫茶店がある。

 国の主が住まう城が見えるその通りは正しく此処が彼のお膝元である事を示している。
 魔王城から一番近い大通りは常に人でごった返しており、それゆえ商店や飲食店などの店舗が多い。毎月のように新たな店が生まれては消えていく、この国の流行を肌で感じる場所だ。
 この世界で名の知れたブランドや個人が経営する小さな店、各種専門店など、買い物と言えばまずは此処。一度歩けば欲しい物は全て揃うと言われるのも過言ではない。
 そして疲れた足を和ませ食を楽しむのにも事欠かぬ。首都一番の賑やかさは、平時でも祭のようである。
 この通りを突き抜け城が少し遠くなると、そこはもうオフィス街。静かな木漏れ日溢れる、大人の街。スーツ姿のサラリーマンが行き交う紳士の街。
 この辺りは一等地が多く、ビルを構えるのは大企業に分類される会社の本社が殆どである。

 ――と、この国の首都の実情を少し話した所で、先に述べた喫茶店の中を見てみよう。
 まだまだ若い少女が店主を務めるこの店は、元々この通りにあるものではない。以前は彼女が住んでいた首都の東部、そのまた外れに存在していた。
 首都とは言え工場や農村が多く、労働者や下流階級が多い町の色が強い。はっきり言ってしまえば充分な田舎であった。労働に汗水流し続ける彼等の胃袋を満たす飲食店の一つとして、店は居を構えていた。

 否、元は彼女の店ではない。抑々、現店主は一店員であり、当時の店主より突然その座を譲られたのである。
 それはつい数十年前の事で、長命の魔族からすれば瞬きをするのに等しい僅かな期間。だがその間に店は大きく様変わりした。
 具体的に述べると、店舗の場所、そして背後に魔王と言うこの世界で最強のスポンサーが付いた事。
 とは言え金銭的に魔王が何かしたかと言えばそんな事実は全くない。せいぜい店舗の移転と店員の確保に手を貸した位である。
 店自体の管理は変わらず店主である彼女が行なっている上、店の内装等も全く変わらぬまま。傍目にはこんな小さな喫茶店に一国の魔王が協力しているなどと思えないレベルだ。
 ましてや魔王を雇ったなどと言う、以前の場所で起こした大きなイベントなど、もう此処では忘れ去られている。一時期は話題を攫い新聞記事にもなったらしいが、栄光はほんの一瞬でしかなかった。
 尤も、張本人である彼女は有名にしようと行った過去の暴挙について、却ってそうして人々の記憶から消えた方が良いとすら思っていた。
 今思えば黒歴史、と言う奴である。時が経てば経つ程、脳は冷静に過去の行動を分析し、そして恥だと認定する。灯台もと暗しとも言える、誰もが通る道。その渦中においては、己の思考の一ミリも疑う余地を持たないが。
 熱に突き動かされる、あの熱さは恐ろしいものである。

 などと物思いに耽る余裕は、店内で忙しなく動く彼女にはない。同じくその店員達も。
 何せ此処は首都の中心、文字通り大都会である。昼食時にはオフィス街から訪れる客と、買い物に疲れた人々の食欲を満たさねばならない。
 只管、注文を受けては一心不乱に料理を作り、それが一時間は絶え間なく繰り返される。
 全ての飲食店において、場所に関わらず稼ぎ時となる時間帯。大小問わずどの店にも来客が一定数あるこの通りでは、当然だが人が全くいないという事がない。
 同じ首都とは思えない故郷との差に最初は面食らった彼女も、今ではすっかりこの慌ただしさに慣れている。最近ではこれが心地良いとすら感じる有様なのだから、人の順応性とは感嘆に値するものだ。
 働く、働いている、という感覚が、今の彼女の原動力である。

 オフィスの昼休みも終わる頃には、洗い物が山と積まれていた。これらを片付けたら、彼等に賄いを作ろう。そう計画を立て、いざ皿に立ち向かわんとした時。店員の一人であるおかっぱの少女ミモルが呼びかけた。

「あの、店長……店長へのお客様が、いらしてます……」

 引っ込み思案らしい彼女が、遠慮がちにそう告げる。
 個人的な来客とは珍しい。一体誰だろうと知り合いの顔を思い浮かべる前に、久々に聞いた優しい声が近付いた。

「やあリッタ。久し振りだね、元気そうで良かった」
「――テオさん!」

 明るい茶髪に少し垂れた黄土色の瞳。それは、そう。それはもう何十年も見ていなかった、思い出になりかけていた存在。自分をこの店の主と定めた、元店主である。

「どうしたんですか? 修行は……」

 二十数年前、世界中の食を味わいたいと言って旅立った彼が、手を伸ばせば届く位置にいる事が信じ難い。
 この店を売り飛ばす事も潰す事もなく、アルバイトとして働いていた自分に責を置いた、前店主。

「それはもう終わったんだ。それにしても驚いたよ。町に帰ったら、店ごとなくなってたから」

 まさか都心に移転していただなんて。

「ご、ごめんなさい……連絡もせずに」
「いや、良いんだよ。此処はもう君のものだ。わざわざ僕に許可を取らなくても」

 罰が悪そうに謝罪するアイメリッタを慰めるテオ。何とも邪魔をしづらい空気を作り出す二人に、近くにいたらしいミモルがおずおずと声をかける。

「あ、あの……店長、その人は……」

 そう言えば、彼等は知らないのだった。説明も兼ねて、早く賄いを用意しなければ。勿論、彼の分も。

*************

 空が太陽を蹴散らして、次第に夜へと世界を移す頃。あと僅かで陽が沈む時間に喫茶店は閉まる。
 これからこの通りは、勤めを終えたオフィス街のストレスを癒す場へと徐々に変貌していく。子供の姿など影も形もない。
 閉店ぎりぎりまで居座る最後の客を見送ると、張っていた気がどっと緩む。今日も無事に営業を終えた。何故かテオまで、タダで良いからと手伝ってくれているが。

「すみませんテオさん。戻ったばかりなのに、有難う御座います」
「構わないよ。久々に動きたかったし」

 奥にしまっておいた紺色のエプロンを当然の如く身に付け働く様は、見事にこの店の一員と見える。流石は元店主。初対面の店員達にもすぐに馴染むとは。
 ミモル達三人のアルバイトを見送った後、彼女は今日の売上を帳簿に記録する。
 店を受け継いだ当初は紙幣の数え方すらあたふたしていたものだが、今となっては銀行員並みに素早く枚数を捌けるようになった。大きな数字にも、それこそ庶民のように驚く事もなくなり、着実に店主としての成長を遂げている。一店員のままであれば、決して知る由のない感覚だ。

「ふう、今日も稼いだ稼いだ!」

 客の対象が労働者しかいなかった町外れに比べれば、此処は随分と恵まれている。ひっきりなしの往来のお陰で、顧客の幅が広い。それだけでも儲けものである。

「……あ」

 等間隔に刻まれた罫線の隙間に金額を書きながら、彼女はある事を思い出した。
 もうすぐ彼が迎えに来る時間だ。そして彼とテオとは、まだ一度も引き会わせていない。双方にその存在を知らせていないのだから、致し方ない事ではあるが。
 ――でもまあ、紹介するだけだから大した問題じゃないよね。仲良くしてくれると嬉しいなあ。

「ご苦労様ですリッタ。お迎えに上がりました」

 思ったすぐ傍から振って沸いた声に、反応を示したのはテオが先であった。顔色を窺うと、ただただいる筈のない風貌に驚嘆している。それは現れた魔王も同じで。

「あ、紹介しますね。こちらテオさんで、このお店の前の店長さんです」
「……はあ、どうも……」
「それでテオさん、こちら……」
「知ってるよ。この方は――この国の、魔王じゃないか」

 ですよねー。などと突っ込む者もなく、余り爽やかとは言えない空気がひゅるりと駆ける。主に彼女を除いて。
 急に真剣な声音で、テオはアイメリッタに諭した。

「リッタ、一体どういう経緯でこうなったか知らないけど……一国の主と一庶民がこんな風に気軽に付き合える訳がない」

 彼が言わんとする内容を理解したのか、彼女は視線を落とした。こういった否定的な反応は想定していたが、いざそれを見てしまうと少し悲しい。

「そ、そうですよね……」
「――でも、今の責任者は君だ。もう辞めた僕が言えた事じゃないよね。ごめん、今のは忘れて」

 責めるような言葉は続かなかった。何時も通りの優しい音が耳に届き、受け入れてくれたらしい事にアイメリッタは酷く安堵した。
 二人の会話に入り込むタイミングを見失った当のヴァンシュタインは、腑に落ちない表情で彼を見遣る。

「それでリッタ。戻ってきて早々だけど、話がある。僕、此処の店員としてまた働こうと思っているんだ」

 ヴァンシュタインは、何故この状況が自分にとって消化不良なのかを悟った。
 彼の――テオの表情が穏やかなまま変わらない上に、一度もこちらと目が合わない。よって、彼の感情を読み取ろうとしても特殊なバリアでも貼られたかのように尽く避けられる。
 前店主が魔王に向けている一面など知らぬアイメリッタは、その申し出を快く受け止めた。自分よりもこの店の事をよく知っている彼がいれば、これほど心強い事はない。
 ただ立場が逆転してしまうのは複雑である。彼女にとってテオは、師とも仰ぐべき存在。その彼に今度は店長として接しなければならない。受け身を取る方から、受け身を取られる方へ。

「本当ですか? 嬉しいです! でも、テオさんを雇う側になるのは……」
「昔の立場なんて関係ないさ。今は君が主で、僕はその一員。それを忘れないで」

 近付いて彼女の茜の髪に触れるその手付きは何処までも儚く、壊れ物に対するのと同じに見えた。
 嗚呼、彼にとって彼女はとても大切な女性なのだ。何も知らぬ他人すらそう思わせそうな程、テオがアイメリッタに抱く感情がヴァンシュタインにも波及する。
 そして彼はこちらを見ない。勿論それは意図的なものだろうが、それにしても露骨である。そうされる理由も不明だ。

「じゃあ、そろそろお暇するね。また明日」
「は、はい! これから宜しくお願いします!」
「こちらこそ」

 久しぶりの人物から「また明日」と言葉を交わされる事に喜びを隠さず、彼女は満面の笑みで彼を見送る。魔王にとってもそれは喜ばしい事、なのだが。

「儂が何かしましたかねえ……」

 本人がいない所で呟いても無意味とは思うものの、あの様子ではいても同じだろう。
 確かに長年の知り合いがちょっと見ない間に交友関係を広めていたら、萎縮するというのも有り得る。しかしあれは、萎縮と言うより――

「考え込んでどうかしました? 魔王様」
「えっ、ええ、ああ、いやー、特に何も」

 支離滅裂な返答に素直に笑うアイメリッタ。それにあっさりと癒される自分の神経の甘さにももう慣れている。
 ――まあ良いか。日々の執務に比べれば瑣末な問題だ。
 そうして、彼は彼女を連れて店を後にした。


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