珍客の誘い(雇われ魔王の喫茶店)
マロンシェード国での停泊を終え、戻ったヴァンシュタインを待ち受けていたのは山盛りの執務だった。
「確かに私は魔王代理ですが……私がやってしまっては失礼かと思いまして、敢えて全て残して」
「もう良いです十分理解しました」
憎たらしい笑顔でそう宣う側近には目もくれず、気の進まぬ足取りでそれに対峙する。これに各地の首長との引見も溜まっていると思うと、気が遠くなりたい気分である。
「ボンジュール、ヴァンシュタイン。久しぶりだねえ」
貴族のような嫋やかな声に、遂に幻聴まで来たか、と切り捨てる筈だった。が結局、思考は側近の言葉に律儀に反応。
「おやアルセール様。お久しぶりで御座います」
遠慮も配慮も常識もない無法者の来訪に穏やかに応えるラルフローレン。何やら先日も似たようなシチュエーションを味わった気がする。
窓からではなくきちんと扉から現れた事だけは評価しよう。タイミングの悪さ――やはり主にヴァンシュタインにとって――だけは腹立たしい限りだが。
「城に来るのであれば事前に連絡して下さいとあれほど……」
「まあまあ、良いだろう君を驚かす位は。遊びがないと」
前触れもなく現れる事が遊びだと? 全く理解しかねる。
一体どうして自分の代の魔王には突拍子もない事ばかりしでかすのが多いのだろう。
「それで? パーティーですか」
「そう、招待状をね。それもあるけれど」
見慣れた装飾が施された白い封筒を中身も見ずに机に置くと、何やら聞き捨てならぬ言葉が飛び出した。
どうやら目的は他にもあるらしい。何故かその先の展開を読めてしまう己の勘の良さに恨めしさを抱きつつ、彼の声を待つ。
「おいこらてめえアルセール! 出てきやがれ!」
これは、間違っても眼の前の魔王から吐き出されたものではない。と言うか、つい先程別れたばかりの。
「また貴方ですか、フィリー……」
がっくりと肩を落とすヴァンシュタインに構わず扉を蹴破って登場した魔王に、辟易する。嗚呼、扉が哀れだ。
「散々俺をからかっておいて、無傷で帰れると思うなよ」
「やだなあ、事実を述べただけじゃないか。それに僕も気になってたんだよ? 彼女の事」
一直線に突っかかるフィリーをいなすように、アルセールが応対する。彼女、とは。
「お前は女に手を出し過ぎなんだよ! そんな奴に会わせられるか」
やはり、やはりそうであったか。もう驚きもしない。魔王会に連れていったのは本当に正しかったのだろうか。彼女の気分を和ませるだなんて、それ以外でも方法はあったろうに。自問自答に答えは出ない。
「一体どういう事です、フィリー」
抑えた筈の怒りは静かに漏れ出ていた。誰を責めても無意味とは解っているが。
「……あー……、あの後な……」
面倒な事になったと思いながら、フィリーは訥々と語り出した。
*************
――無事に二人を見送った直後、数分と経たぬ内。自身に勝るとも劣らぬ魔力を感じた時には既に傍にいた。
「おやあ、一足遅かったようだね。はいこれ、招待状」
フィリーがこの世で最も苦手な人種、いや魔王が口惜しそうに言う。彼女がこんな奴に会わずに済んで良かったと安堵するフィリーに、アルセールはにやりと口角を跳ね上げた。
「君も成長したねえ。レディに優しいなんて」
会話をしたくない。だが己の代わりに言葉を紡いでくれる存在は今此処にいない。
フィリーにとっては、おっとりとした彼の喋り方は調子を崩されかねない鬱陶しいものだった。
「君やヴァンシュタインを虜にするなんて、あの時は思わなかったよ。素朴で庶民らしい女性ではあったが」
ぷつり、と意図的に間を空けた彼に悪寒を感じ、思わずその表情を凝視する。
「何故あの時に手を出しておかなかったんだろう。僕とした事が、本当に残念だよ」
残念なのはお前のそのイカレた思考だ!
手を出すなどと言う直接的な表現までするとは。女に見境がない、なさ過ぎる。
「まあ良いか。どうせヴァンシュタインの所にも行くんだし。彼女の可愛らしい顔を一目見ておこう」
おぞましい。背筋が凍るどころか割れそうな位、おぞましい。人畜無害な眉目が柔和な弧を描く度に吐き気がする。
止めねば。被害が及ぶ前にこの変態をどうにかしなければ。沸き起こった使命に突き動かされると招待状を手荒く置いて、動こうとするアルセールの腕を掴む。
「あいつに会わせる訳にいかねーな」
「なんだいフィリー。独占する気かい? 挨拶位構わないだろう」
レディは等しく愛されるべきなんだよ。彼特有の持論を盾にされても、フィリーは怯まない。例え体中に鳥肌が立とうとも。
――今すぐ蹴り飛ばしてやろうか、こいつ。
「それに、そうやって引き止める程、僕が本気になるのを知ってるのかい?」
「! ちっ……」
静電気が腕に伝わり、ばちばちと痛む。咄嗟に使われた魔法に対処する暇もなく、気付けば彼――アルセールは消えていた。畜生、と精一杯に顔を歪め、フィリーも後を追った。
*************
「――成る程? それでおめおめとこちらに」
何故這いつくばってでも止めなかったのか。
「はあ? おめおめとか言われたくねーなお前に」
必死で止めてやったのに何だその言い草。
どちらからともなく睨み合いを始めたヴァンシュタインとフィリーに、蚊帳の外を決め込んでいたラルフローレンが割って入る。
「お二人共、宜しいのですか? アルセール様がいらっしゃいませんが」
冷静に降った言葉に、二人は即座に我に返る。まさか彼は、もう彼女の元へ――。
居ても立ってもいられず、彼等は同時に執務室を飛び出した。
「大丈夫ですかリッタ!」
「魔王様。あれ、フィリーさんも? どうして」
必死の形相でやってきた魔王達に驚くアイメリッタ。その隣では優雅に足を組みながら彼女の隣を陣取るアルセールがいた。まだ何もしてはいないらしい。
「サリュー。どうしたんだいそんなに慌てて」
「てめー……勝手に動きやがって……」
「なんだい、僕は一々君に許可を取らなきゃ歩く事も出来ないのかい? 不便だねえ」
お前の性癖が問題だからだ! などと叫ばなかっただけフィリーは落ち着いていた。隣からどす黒い瘴気を発する彼に比べれば。
「全く以て、貴方という人は……本当に、傍迷惑ですね」
今この三人の魔王で誰が一番それらしいかと訊かれれば、一も二もなくヴァンシュタインだろう。遅れてやってきたラルフローレンが、黒いオーラを発する彼を久々に見たと宣う。
「先の魔王会で碌な挨拶が出来なかったからねえ。傍迷惑なんて酷いよ? ヴァン」
城主の怒りなど意にも介さず、マイペースを貫くアルセール。睨めつける二人の魔王。それを他人事として眺める側近。
綯い交ぜになった空気の中心で、アイメリッタはただ一人きょとんとしていた。何故彼等が金髪の青年に邪悪な気を醸し出すのか、理解を寄せかねていたからだ。
「そんな事より。パーティーには彼女も連れておいでよ」
その言葉に、アルセール以外の全員が目を丸くした。誰もそんな話を聞いていない。
それが彼の思い付きであると真っ先に見抜いたのは魔王二人。即座に、庇うように彼女の前に移動する。アイメリッタはますます困惑した。
「まあ、君等にその気がなくても連れて行くけれど。アイメリッタも行きたいだろう?」
「え、えー、ええっとぉ……」
三人の顔を順に見つめ逡巡するアイメリッタに、アルセールは自慢げに鼻を鳴らす。
「庶民が手を付けられないようなディナーも出るんだよ。見るだけでも良いからおいで?」
口説いている訳ではないのに、必要以上にきらきらした彼の笑顔が眩し過ぎて直視出来ず。応対の言葉も思い浮かばない。
そりゃあ、日々メニューの開拓を試みる喫茶店主として、出される料理が気にならないと言えば嘘にはなるが。
「彼女は仕事があります。パーティーには儂とフィリーが参加するのですから、それで充分でしょう」
口を開かないアイメリッタの代わりにと、ヴァンシュタインが不参加を告げる。フィリーもそれに同調する。しかし彼は納得していないよう。
「君が答えちゃ意味がないだろう。僕は彼女に訊いているんだ」
尤もな意見である。此処で再び彼女に注目するアルセール。その視線を一心に受け考え込むアイメリッタ。
店は夕方に終わるので、時間はあると言えばある。翌日の朝起きれるか不安だが、店に泊まり込めば何とかなるだろう。何よりも、ディナー。
「あの……少しだけなら、構いません」
「本当かい? 有難うレディ! これで決まりだ」
意気揚々と立ち上がり、アルセールは立ちはだかるヴァンシュタインとフィリーを押し退け、了承したアイメリッタを抱き締めた。
ふわりと靡く真白の衣装から、甘い香水が彼女の鼻孔を擽る。これは何の香りだろう。何処かで嗅いだ事がある。
「良い香りですね」
「僕の好きな花の香りさ。気に入ったかい?」
思い出した。家の裏に沢山咲いていた、金木犀の香りと似ている。程良い甘さの香りが控えめな花の力強さを表しているようで、とても好きだった。嗚呼、暫く家に帰っていないな。皆、元気だろうか。
「はい。私も好きです、この匂い」
懐かしいと微笑むアイメリッタに「それならずっと抱き締めててあげようか?」などと発言するアルセールを引剥し、険悪な目で二人が笑う。
「良いでしょう。リッタが行くと言うのなら」
「やっと来る気になったかい。それじゃあ、一週間後を楽しみにしているよ」