そして宴は花開く(雇われ魔王の喫茶店)

 ――そして宴は花開く。

 辿り着いた宮殿をまじまじと見回し、アイメリッタは溜息を吐いた。世界でも指折りの大きさであるパーティーホールは、エルヴァ国を象徴するものの一つである。
 その姿が今、己の眼前に晒されている。魔王会で味わったあの虚しさを、再度感じる事になろうとは。いや、申し出を受けたのは他でもない自身の意志の下だが。

「ひ、広いですね……」

 本当に良いのかと怖気づくのは参加者唯一の庶民のみ。当然ながら、魔王の名を冠して久しいヴァンシュタインとフィリーは、見慣れた景観に何を思う事もなく。

「そりゃあ、魔王の居城ですからねえ」
「大した事ねーよ。こんなん俺んとこにもある」

 昔から、それこそ魔王を継ぐ前から交流のある者同士、特に感嘆する必要は皆無であるし、こういったお呼ばれも腐るほどある。
 そんな彼等との格の違いを見せ付けられても、彼女には持て余されるものであった。

 会場となるホールには既にエルヴァ国中の紳士淑女が雰囲気作りに一役買っていた。遠くから眺めるだけでも気が遠くなる世界に、自分も飛び込まねばならないというのは恐ろしい。
 神経を強く保とうと人という字を掌に書いて飲み込んでみた所で、焼け石に水。
 所詮は庶民。この中の誰一人として、出自が宜しくない魔族などいないのだから。
 些か開き直り――もとい、諦めの境地に到達したアイメリッタは、慣れぬドレスを静々と引きずり光る世界へと進んだ。
 その脇を固めるようにして立つのは、テイルファーゲンとマロンシェード、二大国の魔王。瞬く間に貴族達の目を攫う事になる。

「おや、あの方々は……」
「まあ、久しぶりにお目にかかれましたわ!」

 口々にざわめく彼等に視線を配るのはヴァンシュタインのみ。
 アイメリッタは躓かぬよう足元に集中しているし、フィリーに至っては彼女を気にする事こそあれ、他人にはまるで興味がない。仕方がないので彼等の代表として会釈すると、一層会場が沸いた。
 歓声に気付かぬは隣の少女だけかと思いきや、更に隣の魔王に至っては見事な無視っぷりを発揮している。面倒臭いのは解るが、少しくらいはこの黄色い声を背負って欲しいものである。

「あ、のわぁっ」

 呆れている暇は数秒と持たず。だだっ広いホールにおいては至極小さな叫声に横を向くと、あれほど地面を見つめていた甲斐もなくアイメリッタがドレスの裾に引っかかっていた。
 この国に降り立ってからずっと気を張っていたのが途切れたのだろう。魔法で止める余裕もないのではと危惧したが、割とあっさり、彼女は己の魔力で体の動きを止めた。
 咄嗟に伸ばした両脇の魔王達の腕は、働く事なく空を彷徨う。

「ふう、焦ったー……」
「全く、俺の方がびびったぞ」
「え、それはごめんなさい」

 丁度良い、ここらで足を止めよう。そうヴァンシュタインが呼び掛けるとほっとしたように、壁際に置かれた椅子に腰を落ち着けるアイメリッタ。慣れない衣装に四苦八苦しながらも、決して文句は言わない。
 きらびやかなホールの装飾や豪奢なシャンデリア、そして目移りしそうな程の艶やかな貴族様の衣装。大きなガラス窓の先に見える夜景。
 これが立食パーティーというものなのか、ゆっくりと休める椅子は最低限、壁に沿うように設置されていた。その椅子すら、庶民の生活では凡そ不必要とすら思える彫刻が縁や脚になされており、異国どころか異世界に来た気分になれる。
 たまには、極たまには、こういった非日常を体験するのも悪くない。早く料理が出ないかと今から待ち遠しい。

「――ところで、こっちに熱い視線を感じるんですが」

 急に拍手も沸き起こっているし。

「それは僕が現れたからだろうね」
「はあ、そうですか……って」

 今の声は。やたら近くで聞こえたその主は。

「ボンソワール。とてもよく似合っているよアイメリッタ」

 するりと彼女の手を取ってキスなど零し、歓迎の挨拶を済ませるエルヴァ国魔王。その様を二人の魔王に睨まれながらもするりと躱し、人波へと手を振って舞台へ上がる。
 相変わらずの白いマントを靡かせ、絹糸のように滑らかな金髪が美しい青年。一端の令嬢ならば、彼が目に止まらない訳がない。
 事実、眼前では少女から奥方まで、皆彼にラブコールを送っている。こういうのを、魅力的な男性と言うのだろうか。他国の田舎者には少々理解しづらい光景である。あの熱い空間に行く自信がない。

「流石、王様ですねー……」

 何故あそこまで熱狂的な表情になれるのか、恐れ入るどころか引いてしまう。心なしかホールを抜ける風がひんやりしているように感じる。肩を露わにしたこの格好では、幾ら首筋を覆っていても肌寒い。

「コートお貸ししますよ? リッタ」
「いや、良いですよ。魔王様が冷えます」

 壇上にいる主催者の開会の言葉などまるきり耳に通さず、気付けばフロアはダンスホールと化していた。ワルツを奏でる楽団が、離れた所に見える。
 パートナーを決めていないのは角の方で縮こまっている三人と遠巻きに踊りを眺める貴族の子供達。あぶれたのは別段どうでも良い。どうせ参加した所で相手の足手纏いになるだけ。二百数歳の一介の魔族に、生まれてこの方ダンスの心得などないのだから。

「魔王様達は今からでも行かないんですか? お相手は沢山いそうですけど」

 まさか、自分みたく全く踊れない訳ではないだろう。それとも魔王が参加すると女性達が取り合いに発展するから、敢えて控えているのだろうか。
 他国の魔王に対するこの国の貴族社会の女性が彼等をどう見ているか、彼等にどんな風に感じられているかはよく解らないが。

「やれと言われれば嫌でもやりますが……強いてそんな気分でもないので」
「はあ……」
「めんどいだけだろあんなん。教養程度で良いんだよ」

 何だ、単に個人的な理由らしい。無用な心配だった。そう言えば、主催者は何をしているのだろう。

「サリュー。一曲お相手願えないかい?」
「のわあっ! ア、アルセールさん」

 いきなり現れた気配に脅かされ、アイメリッタは文字通り飛び上がった。この人も踊っていなかったのか。

「お相手って言われましても……」

 渋る理由は前述の通りであるし、且つこの一週間、店が忙しくてダンスを囓る時間などなかった。抑々料理が目的であって、ワルツがどうだのという考えは思い至らず。
 まともなパーティーなどこれが初めて。ならば情報を仕入れておけよという心の声がなかったのも問題だった。いや、少しは気にしたと思うが、多忙の前に賢い気付きは敗れ去ったのである。
 ――つまり、どうしても踊りたくはない。醜態を晒す結果が明白だ。隣の魔王達とは根本的理由が違う。

「おや、踊れないのかい? まあ庶民なら仕方ないか。折角だし、僕が手取り足取り教えて」
「止めろ変態魔王。俺がやる」
「いいえ此処は儂が」

 嗚呼、何だかややこしい事態になりそう。別に誰に教えて貰おうと構わないのに。
 そんな事より早く料理出ないかな。腰を上げる事もなくぼうっと、子供達のように物珍しさで以てホールに広がるメロディと床を鳴らすステップを見つめる。
 こういった世界に憧れる事は幾度となくあったが、諦めを達観しつつある彼女の瞳は輝かない。寧ろシャンデリアと身に付けられている数々の宝石の輝きに気圧されている。
 居心地は悪くないが、何しろ眩しい、眩し過ぎる。

「あ、終わったみたいですよ」

 タイミング良く曲が止まった事に心底ほっとし、さあ次こそ醍醐味である立食が始まるぞ、と急に意気揚々と立ち上がるアイメリッタ。その分り易い現金さに目を見張ったのはヴァンシュタインだけで済んだ。
 食に対する庶民の図太さを間近で見た経験がある故か、それとも他でもない彼女の性格とこのパーティーへの意気込みを察知しての事か。
 次々と配置されるテーブルと、バイキング形式の料理が彼女の視界を潤す。手元に紙でも持てたなら、閃いたアイデアをすぐに記録出来るのに。
 心が晴れぬまま訪れた魔王会とは違い、目に見えてはしゃぎだすアイメリッタ。その様子に、ヴァンシュタインは誘いをかけたアルセールにほんの僅か、感謝が生まれた。間違っても口には出さないが。

「さあ、たっくさん食べましょう!」
「……腹八分目ですよ、リッタ」

 やる気満々だな、この店長。そんな突っ込みも、喉の奥へと引っ込ませて。
 詰まる所、彼女が楽しめているなら、自分もそれで満足なのだ。勇ましく熱気へと進むその後ろを歩きながら、未だに繰り広げられているちゃちな言い合いを治める役目を放棄する。
 好きなだけやるが良い。年長者の余裕をかますも、次の瞬間には引き戻される。

「こら、抜け駆けかヴァン」
「止めなさい服に皺が付く」

 腕を引っ掛けて首を絞めにかかるフィリーを嗜めると、大人ぶりやがってと彼らしく口の悪い文句が返る。いや、お前も充分大人だろう。

「んで、あいつは一体……」
「まおーさまー、フィリーさーん! あ、それにアルセールさんも!」

 その姿はまさに驚愕に値。両手の大皿に並べられた、ありとあらゆる料理を食べ尽くさんという意志が。三人は誰からともなく顔を見合わせ、青ざめた。

「どうせならちょっとずつ色んなもの食べようと思って……って、どうしたんですかその顔色」

 腕に乗せられた皿に視線を固めたり、口を覆ったり、冷や汗をかいてみたり、三者三様の態度に訝しむ言葉を投げかけるアイメリッタ。何か変な事でもしたか。

「い、いえ、何でも、ありませんよ」
「……おま、それ全部、食うのかよ」

 眉を顰めてフィリーが尋ねると、ええそうですよ、とあっけらかんとした答えが彼等にダメージを与える。だからって、幾ら何でも取り過ぎである。がめついとかいう範疇を超えている。何と恐ろしい胃袋だ。

「あ、別にこれ全部一人で食べるって意味じゃないですからね! 皆で食べる為ですから!」
「……はは、全く面白いレディだよ、君……」

 勘違いされては困ると慌てて理由を言及する彼女に、三大国の魔王は引き攣った笑いを零すのが精一杯だった。


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