魔王の彼女・終章(雇われ魔王の喫茶店)

 がくんと首が揺れて目が覚めた。どうやら座り込んで眠りこけてしまったようだ。青々とした蒼空が眩しい。

「二人共、お疲れのようですね」

 裾の長い衣装をばさばさと靡かせ、ヴァンシュタインがやって来る。
 あれ、俺はどれくらい寝ていた?

「リッタは預からせてもらいますよ。ついでにお風呂も借りますので」

 優雅な動作で、フィリーの腕の中で眠るアイメリッタを掬い上げる。べっとりと頬に引っ付いている髪を丁寧に払いながら、そのまま彼に背を向けた。

「貴方は暫くそうしてなさい。何があったか知りませんが」

 ヴァンシュタインは何も責めない。“知らない”なんて、よくも質の悪い嘘を。
 だらりと腕を垂らしたまま、離れていく姿に侘しさを感じて。ずっと抱き締めていたかった、なんて、本能にも近い直情は鳴りを潜める。どうでも良いんだ。もう、どうでも。

 手放したくないのは、お前の勝手な感情だ――数日前にそう言ったのは確かに己。今その言葉に苛まれるのも、また同じ。巡り巡って、誰でもない自分が一番、叱責を浴びせていた。

『儂が何もしないのは、貴方の言葉の所為ですがね』

 ――嗚呼、そう言う事か。あれは、そう言う事だったのか。

「畜生……ただの馬鹿なガキじゃねーか……」

*************

「気が付きましたか、リッタ」
「……まおう、さま」

 異常に気怠い少女の体が、すぐさま魔王の腕から降りようと試みる。

「無理をしてはいけません」
「でも、魔王様も」
「大丈夫。それよりも、メイドに風呂を沸かすよう頼んでありますから」

 そのままでは帰り辛いでしょう。お伽話の天使のようなふんわりとした微笑に、何故か照れてしまう。そんじょそこらの女性よりも綺麗な顔立ちである。

「あれ……フィリーさんは?」

 一緒に来たのではないのか。周りを見回すと、人の背の何杯もある天井に大きな硝子窓が等間隔に設置された、まさに屋内。絨毯や壁の色からして、まだ此処は彼の国。

「さあ、彼はまだ転寝しているのでは?」
「そ、そう、ですか……」

 転寝――そうか、二人共寝てしまったのか。どうりで記憶が飛んでいる訳だ。

「さて、着きました。お願いしますね」
「畏まりました、ヴァンシュタイン様。ではアイメリッタ様、どうぞこちらへ」

 客人用の浴室で待ち受けていたメイドに連れられる彼女を見送ると、何時の間にか階段の踊り場で項垂れている友人に近寄り語りかける。

「お互い、まだまだ青いですねえ」
「るせ」

 自分だけ人生を達観したような口ぶりが気に入らぬ。端的に不機嫌さを表した片言に苦笑して、ヴァンシュタインは詰め寄った。

「で、彼女に何をしたんです」
「てめ、やっぱり気付いて!」
「勘付いてはいますが、知りませんよ。と言うか、本当に何かしたんですね」

 焦るフィリーに、さあ吐け、とばかりに鬼気迫る。本当に分り易い。

「言わねーよ」
「ほう、貴方に黙秘権があるとでも?」

 口を尖らせても無駄だ。意地でも聞き出してやる。変なスイッチが入ったヴァンシュタインは、意地悪い悪魔の笑顔を滲ませた。

「聞いてもいい事ねーぞ」
「損得の問題じゃないでしょう」
「だーっ、もう分かったよ! 話せばいいんだろ話せば!」

 圧迫感満載のヴァンシュタインの態度に、早々に根負けしたフィリー。覚悟を決めた彼は、漸く切り出した。

*************

 蚊の鳴くような声で囁かれた事実に、ヴァンシュタインは相槌を打つのを忘れた。冷静になりつつあったフィリーが、何かしらの反撃があるだろうと若干身構える。
 単語自体は風に乗って見失う程度の軽いもの。だがそれは、鉛のように重い響きを伴って彼の耳に届いた。

「――貴方……本気ですか、それは」
「ふん、せがんでおいてよく言うな。こんな器用な嘘があるか」

 開き直る余裕を見せるフィリーに、ヴァンシュタインが突っかかる。どうしても彼の行動が解せない。

「今回の一連の出来事は、全てエレン嬢を欺く為のものだったのではないのですか」
「欺くとか、人聞きの悪い事言うなよ」
「どう言い繕うとも同じでしょう!」

 最初から彼女を追い払う為の、いわば戦略であった筈なのに。

「首謀者の貴方自ら、その策を捨てたと言うのですか」
「違う。演技が本物に変わっただけだ」

 澱みなく真っ直ぐ、伝播されたのは“嘘から出た真”そのもの。あれからたった二日である。それが突然、こう変化するとは。

「……彼女の頬に、涙の跡がありました」
「知ってる」

 独り言のように紡がれた言葉に、それがどうしたと言いたげなフィリー。あの潤んだ瞳を見た時点で想定される事だ。代償に得た悲しみなど、こちらも負っている。

「――貴方には、随分と呆れますよ」
「自分勝手だからだろ」

 一向に罵声や魔法を浴びせる様子のないヴァンシュタインに、彼は問いかけた。

「何で抑えるかね。素直にキレろよ」
「……それこそ自分勝手でしょう」

 そうやって良い子ぶる必要が何処にあるんだ。フィリーにとっては全く不可思議である。

「ほーう、怒ってないと」

 煽り立てこちらの激情を引き出そうとする彼に辟易し、ヴァンシュタインは眼光鋭く返す。

「黙りなさいフィリー。……怒りますよ」

 ――ほら見ろ、やっぱり。大馬鹿者だと罵られた方が、下手に怒りを我慢されるよりマシだ。

「昔から、聞き分けの良い子過ぎんだよ。お前は」

 それが媚を売る奴等みたいで、だから気に入らないんだ。

*************

 旭日が天を支配し燦然と光を増す昼時、湯上りの直後にアイメリッタは異変に気付いた。
 服が――着ていた服が下着ごとなくなっている。そればかりか、高級そうな絹のドレスが何食わぬ顔で在している。どう見ても、自分のものではない。
 目を点にして脱衣所をあちこち探し回る彼女に、可愛らしいメイドが声をかけた。

「失礼致しますアイメリッタ様。わたくしこの城で侍女をしておりますキロと申します」

 突然の自己紹介と辞儀に戸惑いつつ、同じように頭を下げる。彼女は続けて言った。

「僭越ながら、アイメリッタ様の服はこちらでお洗濯させて頂いております。ご面倒ですが、乾くまではそちらの服をお召しになって下さい」
「ええっ」

 まさか、何故そこまで? 言いたい事が浮かんでは消えたがアイメリッタは礼を返すだけで止めておいた。
 タオルで水分を拭き取り終えると、メイドはドレスを持ち出し、ずずいと彼女の眼前に押し出す。

「ささ、湯冷めしない内に」

 抵抗の二文字を忘れ、手際良く着替えを進めるメイドに感心する。半時間後には、何処ぞの貴族の令嬢と見紛う程の衣装を身に纏う庶民の娘が出来上がった。

「まあお美しい。とても良くお似合いですよ」

 褒められても喜べないこの心情は、何と形容すれば良いだろう。更に困った事に、服が乾くまでする事がない。昼食を作ろうにも、今からでは遅い。さて、何かお礼が出来ないか。

「キロさん、ちょっとお願いがあるんですが」
「はい、何でしょう」

 突如閃いた作戦に心躍らせ、アイメリッタはメイドに耳打ちする。

「――畏まりました。お安い御用ですよ」
「本当ですか? 有難う御座います!」

 この上質な服でするような事ではないかも知れないが、それでも思い付いたからには。

*************

 昼下がりの午後三時。執務室で黙然と山の書類にサインするフィリーに、時折ヴァンシュタインがちょっかいを出す光景が一時間は続いた頃。昼食以降見かけないアイメリッタを気にかけている両人に、明るいノックが響いた。

「失礼致します。午後の紅茶をお持ちしました」

 唄でも歌い出しそうなそれに訝りつつ、入室を許可すると。

「二人共、お仕事お疲れ様です!」

 ――ガタン。声の主とその格好に唖然としたのは同時。そこにいたのは、この城の侍女服に身を包んだ――

「リッタ!」
「えへへ、びっくりしました? キロさんにお願いして、服を貸して貰ったんですよー」

 いたずらの成功した子供のように楽しそうに、がらがらとカートを押しながら言う彼女に、二人の魔王は見事に目を奪われていた。

「さあ、お茶にしましょう! デザートも用意したんです」

 嬉々としてカップと皿を並べるアイメリッタ。やがて部屋には爽やかな林檎とチーズの香りが充満した。

「林檎とにんじんのチーズケーキですよ。美味しそうでしょ」

 真白のケーキの上には、人参と林檎を磨り潰したジュレが赤々と光を放つ。二人はただただ見蕩れていた。どちらに、とは言わないが。

「? 二人共、早く食べましょうよ」

 ボーッとしてどうしたんだと着席を促すアイメリッタに背中を押され、言われるがままソファーに腰を下ろす。鼻腔を掠める目の前のケーキ。

「これはリッタが?」
「そうです。厨房を借りて作ってみました。遠慮なくどうぞ!」

 楽しいティータイムは刻一刻と過ぎていき、見事ワンホールを三人で食べ切った。間もなくそこへ侍女長が入り、アイメリッタにきらびやかな紙袋を差し出す。中身を確認すると、自分が朝まで着ていた衣服と、先程のドレス。

「そのドレスは貴方に差し上げよ、との仰せです」
「はあ……誰が?」
「何をおっしゃいます、今貴女の側にいるお方ですよ」

 傍には魔王が二人だが、もしや彼等が? きょろきょろと一瞥するも、顔を逸らされては判断しかねる。

「それと。今お召しのメイド服は、侍女キロよりの贈り物だそうですので、そのままお持ち帰り下さい」
「ええっ、これもですか!?」

 ちょっと厄介になっただけで何と言う特別待遇だろう。大きなどんでん返しでもなければ良いが。
 想定外の事態に申し訳なさを感じるが、断れそうにない雰囲気におずおずと厚意を受け取る。

「……では、そろそろお暇しましょうか。リッタ」

 肩に置かれた手を見つめ、一呼吸。そして、振り返る。

「はい。2日間お世話になりました。フィリーさん」

 あれから、飲み込まれそうに怖くてその双眸を避けてきた。目を合わせないよう会話するのが思うより難しく、怪しまれずにいたかは不安だが。

「今はまだ応えられません。でも何時か、出来るだけ早く、答えを出しますから――」
「待つよ」

 さらりと遮った言葉にきょとんとすると、子供っぽい無邪気な笑顔が彼女の想いを受け止めた。裏表のないそれに心臓が跳ね上がり、周囲に聞こえていないかと無意味に心配してみる。

「その代わり、返事は必ず返せよ。この俺が待ってやるんだからな」
「は、はい。努力します!」

 ほのぼのとした空間に、年長者として微笑ましく見つめる侍女長と相対するヴァンシュタインの複雑な表情が混じる。暫し別れを惜しむと、二人は故郷テイルファーゲンへと帰った。


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