喫茶店主誘拐事件(雇われ魔王の喫茶店)

「そう言えば魔王様」

 その日の運営を終え帰路についた頃、アイメリッタは懐から慎重に小物を差し出した。
 手渡された黄色い袋の中身を確認すると硬貨が詰まっており、意図が掴めない彼はきょとんとした目を彼女に向ける。

「今更ですが、その……魔王様がウェイターとして働いてくれた給料と今までのお礼です。額は少ないけど、受け取って下さい」

 気恥ずかしそうにはにかむアイメリッタ。急な告白を受けてから、まともに彼の顔を見れない。
 だが直後開いた口からは望んだ回答を得られなかった。ヴァンシュタインが丁重に包を持って返してきたのだ。

「その気持ちだけで十分です。貴方から金銭を貰う為に働いた訳ではありません」
「でも、これは当然の事です。労働には給料という対価が付き物なんですよ」

 彼はそのつもりでも、こちらは違う。
 抑々、給料という単語は契約を交わした時分に聞いている筈。確かに彼が店で働いた日数は短いし、働き終えてから一ヶ月以上経ってしまっている。
 それでも、これは彼を雇った店主としての責任だ。果たさなければ、益々己が情けなくなる。

「ただ働きという言葉もあるでしょう。それで良いではないですか」
「それじゃあ私の気が済みません!」

 僅かでも働かせた店主としての責任から引き下がらぬアイメリッタ。
 意地の押し付け合いになってはいけないとヴァンシュタインは話題を転換する。今日彼女が歩いて帰ろうと言い出したのはこの為だったのか。

「あー……それよりリッタ、もう一度自宅に帰ってみたりはしませんか」

 露骨に話を逸らされた事に煮え切らぬ思いを抱えつつ、アイメリッタはそれとない誘いに即座に難色を示した。

「いいえ。自分の力で父から認められるようになるまでは、絶対に」

 言いくるめてはならないと相手が思う位に、瞳にも言葉にも堅い意志を宿して彼女はそう言う。
 ヴァンシュタインはその事についてもう黙っておいた。無理に聞かせる事が目的ではない。ただ、思ったよりも力強く否定された事には驚いた。

 程なく居城が見え足早に進み出す城主と反対に、次第に余所余所しくなるアイメリッタ。速すぎたかと歩幅を合わせるも、彼女はこちらを見ない。

「リッタ? どうしました?」

 覗き込んだその表情はお世辞にも明るいとは言えず複雑であった。やがて足を止め、か細い音が漏れる。

「良いんでしょうか……」
「は?」

 一つ話すと次からはすらすらと言葉を放つ。

「あんな形で出て行って、またふらふら戻るなんて……」

 嗚呼、不安だったのか。そんな心配などいらないのに。愛おしいと思う双眸を細め、ヴァンシュタインは茜色の髪を軽く撫でた。

「大丈夫。あの城は何時だって快く貴女を迎えますよ」

 だから、ね? 誘うように彼女の拱いている手を引いて、今度はゆっくりと歩き出す。
 絡めた指は固く、離れないように。指先に力を入れた途端に肩を震わせるアイメリッタが可愛くて、思わずからかいたくなるがそれは抑えた。

*************

 何ら変わりない執務室。誰の気配もない代わりに、封筒が机に鎮座していた。何時の間に、って、今日出かけていた間か。

「あれ、この筆跡は……」

 記された筆の動きに既視感を抱き、慌てて裏を見る。封蝋に象られた紋章は、つい最近この目に映したもの。珍しい、彼から手紙が来るとは。

「――……」

 感動は沸き起こらない。寧ろ無感動だ。温度がマイナスを記録しそうな程、周囲の空気は冷えた。

 何だこれは。柄にもない事をした挙句の内容が、どうしてこんなに酷なのか。主にヴァンシュタインにとって。
 わざわざ紙の上で言う事か、これが。いや、直接言われたって即お断りだ。TPO云々は関係ない。
 彼は後悔した。人生で一番と言っていい程悔やんだ。彼に彼女を会わせるべきではなかった、と。

「あああもう何でこう面倒な事に……」

 情けなさ丸出しの声で、見間違いであって欲しいと強く念じて再度確認する。そして数秒で玉砕。現実を砕いてくれる要素はなかった。魔法で細工されていないし、何より字の流れに迷いがない。
 大きく息を吐いて、今すぐにでもこの事実を無視してしまえば、まだ引き返せたのかも知れない。真白の便箋を灰にして、庭園にでも肥料として蒔けば良かったのかも知れない。
 なのに、どうして素直に彼女を呼ぼうとするのだろう。言う事を自ら聞こうとするのだろう。結局ツケは、彼女に回ってしまうのに。

「……いや、まずは彼が直談判に来るのを待ちましょう」

 文言のそこはかとない圧力に、とりあえずは屈する事なく冷静になった。起こりうる被害は未然に防ぎ、或いは最小限にせねば。

「そう言われると思って来てやったぞ」
「うひゃあ!」

 ガッツポーズは保てなかった。すぐ傍の背後で降った声に、ヴァンシュタインはまたしても魔王らしからぬ叫びを上げる。

「ぶっは! おま、真面目だな! あはははは!」
「く、くそう……出会い頭に大笑いされるとは……しかも貴方に」

 遠慮なくこちらを虚仮にする彼を床に膝を付き睨むも、効果はまるでない。同じ魔王と言う職業に就いていながら、何と言う差。

「人を脅かしておいて、よくもそこまで笑い泣けますね。泣きたいのは儂の方ですよ」
「だってお前、律儀に悲鳴上げっからさあ……あーっ、面白かった!」

 これでもかと言うほど存分に腹を抱え涙を零す彼に呆れ、好きにしていろとやけになる。いっそこいつの目の前で手紙を破って燃やそうか。今ならどんな仕打ちも跳ね返せる。多分。

「あ、それで例の件だが」

 あっさりと笑顔が止み、彼――マロンシェード国魔王・フィリーは、ヴァンシュタインが掴んでいる便箋を指した。

「そういう訳だから。喜んで貸してくれるよな? 親友」

 わざとだ。物凄くわざとらしい。取って付けたように親友とぬかすとは。こういう時は何時も碌な事がない。本能というか、経験で判る。

「それは儂がどういう返答をするか知った上での発言ですか」
「ほお、脅しとは偉くなったなヴァン。勿論、有無は言わさねえぜ」

 何が偉くなっただ。年下の癖に。たった今こっちを脅しておいて、何と言う言い草。

「悪いが今回の貴方の我儘には付き合いかねます。儂だけならまだしも、彼女を被害者にする訳にいきません」
「……それは、お前があいつを手放したくないから、だろ?」

 背を向けていたヴァンシュタインが、図星を突いたと言っても過言ではない一撃を喰らい振り向く。それにニヤリと笑むフィリー。

「はっきり言って、そんなのお前の勝手な感情だ」
「――ええ、そうですね。それが何か」

 うわ、こいつ開き直りやがった。ありありと顔に浮かべながら、フィリーは続ける。

「そして、俺にも事情がある。判るだろ」

 強くなりだしたヴァンの口調に微かな焦りを覚えつつ、彼は尚も交渉を続ける。勝ち目など、無理にでも作り出してやる。

「理解はしましょう。て言うか貴方理由を書いてないじゃないですか」
「書かずとも察しろよ。昔から物分りだけは良い癖に」

 だが二人の信念、もとい言い分は揺らがない。このままでは平行線である。埒が明かないと判断したフィリーは、大人しくその場を離れる。

「はっ……良い兄貴分じゃなくなったな、お前」

 吐き捨てた言葉に僅かばかりの哀愁を漂わせ、外へ飛び立った。唇に、悪戯な笑みを浮かべた事を隠して。

*************

 やけに根に持たず引き下がったフィリーが気にならないと言えば嘘だが、解ってくれたのだろうと思う胸の内を占めるのはやはり安堵。彼女に迷惑をかける前に、彼を追い返せた事。

「うむ、今儂は希望に溢れていますよ! 満ち満ちて……」

 はしゃいだセリフの途中、忘れていた部下と目が合った。あれ、ノック聞こえたっけ。

「……魔王様が珍しくご希望に満ち満ちていらっしゃる所大変申し上げ難いのですが」

 絶対に薄ら笑っている。敢えて口には出さないが、いやしかし、数秒前の自分が恥ずかしい。

「な、何ですかラルフ」
「アイメリッタがまたもや消えました」

 その一言に浮かび上がったのは絶望。短い栄光があっという間に崩れた。

「な、何ですと!? それは本当ですか!」

 悪寒が背筋を走っては抜け、走っては抜けていく。まさか、嗚呼、まさか!

「しかし荷物は置かれておりましたので、ただの私用の可能性もありますが」
「まさか! きっと彼だ!」

 彼、の単語に物分りの良い部下が反応する。

「……では、私が先程強い魔力を感じたのは、嘘ではないという事ですね」

 何故素直に帰らせたのだろう。浮かれた己の責任か。間違いなくそうだ。

「何て事だ、今すぐ追いかけねば!」

 勇んで出ていこうとする魔王を、側近が引き止める。

「お待ち下さい。仮にそうだとしても、証拠がありません。部屋に荒らされた形跡は……」
「そんな事はどうだって良い!」

 彼の至極真っ当な意見を破り捨て、ヴァンシュタインは露骨に焦りを剥き出す。フィリーがアイメリッタをどうするのかは知らない。でもきっと、彼女にとって良い事ではない。確かなのはそれだけだ。

「はぁ……貴方もまだまだお若いですね。……なるたけ早く戻って下さいよ」

 苦笑いを零した側近の気遣いに感謝し、ヴァンシュタインは窓を飛び出した。


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