魔王の想い(雇われ魔王の喫茶店)

 ゆったりと、且つ力を込めて叩かれるドアを開けたのは、アイメリッタの母だった。
 来訪者は彼女にとって到底予期出来ぬ人物であり、顔を一瞥した後堪らず空間を遮ろうとする。だがやんわりと制止が入り、話があるので中に入れて欲しい、と彼は穏やかに頼んだ。
 応えるべきか考えあぐねていると、奥の方から驚嘆の声が上がる。相談しようかと思い浮かべた彼女の夫、すなわちアイメリッタの父が文字通り目を見開いていた。
 その視線の先で真っ直ぐに受け止め応えているのは――

「初めまして、アイメリッタのご両親。ヴァンシュタインです」

 言い終わらぬ内に彼は一瞬にして、微笑みを浮かべて会釈するヴァンシュタインの元へ移動し、床がめり込む程に深く土下座した。
 それにはヴァンシュタインだけでなくアイメリッタの母も驚いたようで。

「我が娘が魔王陛下に多大なご無礼を働いたとの事、誠に申し訳ありません。娘に代わって深謝致します」

 平身低頭を具現したような詫びに苦笑し、話したい事があるので中に入っても良いかと尋ねる。すぐさま顔を上げて丁重に断ろうとする彼の言葉を制し目で訴えると、それ以上何も言わず彼は手振りで内へと誘った。


「貴方はアイメリッタが儂に迷惑をかけたとお思いのようですが、そうではありません。何故儂が此処に来たか、貴方がたに理解して欲しい事があるからです。ご家族にそのような認識を一方的にされたままでは、彼女の立つ瀬がないからです」

 二人はただ黙っていた。尤も、ヴァンシュタインには反論の言葉を選んでいるようにも見えた。

「もう幾日前でしょうか。儂はふと外に出て、首都の外れであるこの街に降り立ちました」

 ふらふら歩いていた所アイメリッタと出会い、彼女に料理を振る舞われ、その見返りに働けと頼まれ。思えば彼女と会ってから、あっという間に時間が過ぎた。初めて顔を合わせた時がとても遠い。
 最初はこのようながめつい民がいるのかと圧倒され、雇われてくれと言われた時など逃げ出そうかと思う位良い気分ではなかったが。

「最初は――良いですか、最初は、です。確かに快く思わぬ部分もありました」

 当初の印象を正直に伝えると、彼等は嗚呼やはりと嘆かわしい表情を零す。
 しかし、彼女に抱いたマイナスの感情は間もなく変化する。彼女と彼女の店が他国の賊に襲われた時がそれだ。
 彼等を処罰した後荒れた店を整え、いざ彼女を連れて居城へ戻らんと華奢な肩を起こした瞬間。白い首の広範囲に及んでいた魔力の紅い痕。初めて彼女の肌に触れた、あの時。
 痛々しいそれに眉を顰め、悲しみを覚えたヴァンシュタインは即座に彼女を抱え上げ、その場を後にした。

 聞けばあの喫茶店に家族が来た事は一度もないとアイメリッタは言っていた。家では店の話題は控えていたとも。
 ならば自分があの店に訪れてから何があったかを包み隠さず話そう。きっと彼女への態度が良い方向に変わる筈――。
 そう決めて事件の事を話し、その上でヴァンシュタインはこう締め括った。

「儂はアイメリッタを大事に思っています。ご両親もそうでしょう。でも、彼女はもう子供ではない。一人前の大人であり、立派な喫茶店主です。店の事は彼女の好きにさせて下さい。サポートは儂が幾らでもしますから」

 話が進むにつれ、時折目頭を押さえながら話を聞いていたアイメリッタの母はその言葉に申し訳なく思いながらも、しかし口元には僅かな笑みを湛えていた。
 だが父は硬い表情を変えぬまま押し黙っている。かと思えば、彼は恐々と口を開いて。

「御厚意は有難く思います……しかし、これは我が家の問題。そして娘の責任です。貴方が気遣う必要はない」
「いいえ、そういう訳にいきません。彼女に手を貸している以上、儂も無関心でいられないのです」
「ならば関わりを絶って頂きたい。娘があらぬ噂に巻き込まれるのは御免だ」

 幾ら魔王でも引き下がる気はない。吐き捨てるように語尾を低く言って、彼女の父は拳をより固くした。魔王と問答をする空気が徐々に冷える。
 その空間の変化には頓着せず、聞き慣れぬ言葉を反芻するヴァンシュタイン。

「噂……?」
「貴方がある民を懇意にしているという噂です。ご存知ないのですか」

 まさかそんな事が国民の間に流れていたとは。何時の間に、何処で。
 しかし今気にすべきなのは、“ある民”が誰かという事だ。

「しかもその民はアイメリッタに似ているとまで聞きました。噂が正しいと言うのなら、貴方が懇意にしているのは我が娘という事になる。丁度良い、今此処で是非を伺いましょう」

 打って変わって饒舌に喋るアイメリッタの父が立ち上がってこちらを見下ろす。是非も何も、彼女以外に当て嵌まる人物はいない。

「ええ――そうですね」

 存外落ち着いた態度でヴァンシュタインは詰問に答えた。
 この国は温暖な筈なのに、この場所だけ気温が著しく低下している気がする。

「それが何か?」

 組んだ足に肘をつけ上体を前のめりにし、続けて問い返す。
 そろり、窺うように、有無を言わさぬように、ヴァンシュタインが氷の如き鋭い目線で見上げる。それだけで空気はより冷たく、重くなった。

「儂が彼女を懇意にしている事が、貴方の人生に支障をきたす程の事柄ですか。儂が庶民に好意を抱くのは“お門違いだ”と」
「……では更に問いましょう。貴方が例え我が娘を快く思っていたとして、娘がそれを受け入れるとお考えですか? きっと恐れ多いと身を引いて、貴方の元を離れますよ」
「何故そう断言出来るのです。親だから彼女の心が解ると? 店に対して理解を寄せていない貴方が」
「それとこれとは話が別でしょう、陛下」

 ヒートアップする二人の会話に割り込む余地を与えられず、アイメリッタの母は手をこまねいている。
 国民の前では温厚な表情しか見せた事のない魔王が、今目の前で険しく夫を見つめている。対する夫も、未だ引き下がる様子を見せない。
 本人のいない所で事態が険悪化していく様をどうしようもなく思うものの、一触即発の気を壊す程の勇気は持てない。
 だが想像していた考えが杞憂で終わった事に、アイメリッタの母親は安心した。
 対立を崩したのは魔王側。争いになってはいけないと早々にムードを改善し、温和な笑顔で母親を一瞥する。夫はと言うと、こちらも思いを吐き出して少しは落ち着いたようだ。

「嗚呼、すみません年甲斐もなく。そろそろ失礼致します」
「いえ、こちらこそ。ご足労感謝致します。先の件、平にご容赦を」
「構いませんよ。店の事に口を出さないと約束して下さるなら」

 最終警告とばかりにヴァンシュタインが念を押すと父親は諦めたように溜息を吐いて、渋々ながら頷いた。それを見たお陰か若干湧いた苛立ちは溶け、何処か新鮮な気分でヴァンシュタインは彼女の自宅を後にした。

*************
 
 今日は今年一番の快晴であるらしい。何にせよ、行動を起こすにはもってこいの天気だ。
 何時もより丁寧にベッドを整え、アイメリッタはなるべく音を立てぬよう気遣って部屋を出る。こちらに来る時に持ってきた、衣服を詰めた鞄も忘れずに。
 城の主は既に留守。その理由を推察出来る彼女にとっては複雑であるが、そればかりを気にしてもいられない。
 手早く朝食を摂り店へと向かう。開店まではまだ時間があった。

「……お世話になりました」

 感情を押し隠して、飲み込まれそうな程大きな城に頭を垂れる。溢れそうになると予測していた寂しさは、不思議と影を潜めていた。

 足取りは重く、まるで背後に黒い雲でも背負っているような気分だった。道のりが何時もより長く見える。
 自分から望んで出てきた、その筈なのに。お通夜のようなそろそろとした足運びが、普段の強く大地を踏みしめるものに変わりはしない。自分が如何にこの場所に馴染んでしまったかを痛感する。

「ええい、湿っぽいのはダメだ!」

 思いっ切り力を込めて頬を引っぱたき、神経に活を入れる。
 自分の力で、働いてくれている店員達の為にも店を成長させるのだ。それが知り合いから偶然受け継いだものでも。

*************

「お帰りなさいませ魔王様。帰城早々すみませんが、彼女は城を発ったようですよ。部屋に荷物がない事をメイドが確認しています」

 辿り着いて間もなく書類を抱えたラルフローレンが現れ、仕事だろうと受け取る前に放たれた一言が胸を刺した。
 そのまま足をUターンさせ周辺を探索すると、ぐるりと角を回った辺り、遠く消えかかる位の場所に人影が見えた。
 良かった、時間はそう経っていない。安堵すると共に瞬間移動で追おうとする。だが、ふと浮かんだ彼女の父の言葉に、少しだけ心がぐらりとした。
 好意を示せば、本当に彼女は彼の言葉通り離れていくのだろうか。

「待って下さい」

 静かな空間から突如湧いたたおやかな声音に、肩を揺らして素直に立ち止まった。
 アイメリッタがぎいぎいと音が立ちそうな程ゆっくりと顔を振り向けると、見慣れてしまった姿が視界を占めており。

「そんな大きな荷物を持って何処に行くのです」

 ふいと目を背け、アイメリッタは淡々と、感情を込めずに返した。

「魔王様には感謝しています、本当に。今まで有難う御座いました」
「それは質問の答えとは言えませんね。どうして急にこんな事を」

 彼女は何も答えない。その意志を示すように歩みを再開しただけ。

「“これから”は、ないという事ですか。貴方のお父上は理解して下さいましたよ」

 ピタリ、とまたも足を止めた彼女と、今度こそ目が合った。赤茶色の瞳がそれは真実かと訴える。

「彼は、貴方の店の事に口は出さないと仰いました。思い悩む事はないのですよ」

 それなのにどうして、と言外に理由を問い質す意図を含めたそれに、アイメリッタは何処か悲しそうに、遣る瀬ないと言いたげに顔を顰めて返した。

「魔王様は優し過ぎます。確かに相談はしましたけど、それは私が解決すべき問題なんですよ」

 その問題にぶち当たった当初は考えが纏まらない事を理由に疎外してしまったが、解決する気がなかった訳ではない。まずは店の開店を迎え、次に父の理解を得ようと決めたからだ。
 なのに、こちらが行動を起こす前に彼がそっくり事を収めてしまった。

「貴方もお父様と同じ事を言いますね。儂にとっては他人事ではないのです」
「それは、国民全体に言える事でしょう?」
「何故そこで民を秤にかけるのです? 儂は貴方個人の事を言っていて、他の誰もそこにいない」

 よく口の回る人だと、アイメリッタは第三者の如く思った。
 何故自分の事にこうも積極的に関わろうとするのだろうか。店を支援しているからか、自国の国民だからか。それともただのお節介か。

「何でそこまでしてくれるんですか」
「言ったでしょう。他人事ではないからです。貴方が……アイメリッタが、大事な人だからです」

 大事な、と言ったって、それには色んな意味がある。魔王という立場を考えれば、それは偏に自分が彼の“大事な”国民の一人だからだ。それが妥当な理由だろう。
 でも、どうもそうではないらしい。店の協力でも性格でもないのなら、他に何があるというのか。皆目見当がつかない。
 心中で理由を測りかね首を傾げるアイメリッタに、ある程度の距離を保っていたヴァンシュタインがそれを破った。
 一歩、二歩、三歩進んだ所で足を止め、赤茶色の瞳をじっと見つめる。数秒後、再度視線がかち合った瞬間に、彼は重そうに口を開いた。

「貴方が好きです、アイメリッタ。だから貴方を助けたいのです。城にいて欲しいのです」

 透き通った水色の瞳には自分の姿が写っていた。耳で咀嚼した言葉が脳で受け入れられず、瞳の中の自分は呆けたまま彼を見上げている。

「分かって頂けましたか?」

 不意に顔が近付き、耳元でそう柔らかく囁くヴァンシュタインの肉声に飛び上がらんばかりに心臓が跳ね、血液が混乱するんじゃないかと心配する程体中を巡る。
 ちょっと待て、落ち着け私。よくよく考えろ、もしかしたら聞き違いかも知れない。好きの意味だって色々ある。早とちりは良くない、試しに頬を抓って――

「儂は、貴方という女性が好きなのです。国民だからとか、そんな理由などなしに」

 ――嗚呼、駄目だ。夢じゃない。
 どうしよう。今この人、私が好きって2回も言った!
 ダメ押しとばかりに再度そう告げられると、アイメリッタはもう気が気ではなかった。思考が高まり、今なら頭上でお湯でも沸かせそうだった。
 堪らず顔を真っ赤に染めて俯くと、ヴァンシュタインは緊張と羞恥心で固く握られた彼女の右手から旅行鞄を引っ手繰って、当然のように城へと引き返す。遅れてアイメリッタがそれに反応すると、彼は未だに顔の赤い彼女にどうしますか、と尋ねた。

「う、そ、その……」

 条件反射で手を伸ばすも、混乱した状態では鞄を取り返したり反論したり、逆らう余地は頭になかった。口が上手く動かせず、降参したアイメリッタは「残る」という言葉の代わりにただただ頷く。
 するとクスクスと笑い声が耳に入り、弱った顔で見上げるとヴァンシュタインがふわりと笑んでいた。笑われた事に恥ずかしさが沸き、とにかく早く時間が過ぎ去って欲しいと願う。
 さっきから気分が振り回されっ放しでぐったりしそう、いや、確実にしている。

「良かった。傍にいてくれるのですね」

 足元が浮いた事に驚く余裕はなく、濁りのない清水のような瞳とまたぶつかる。だが今度は視線の位置が違っていた。逆に彼を見下ろしている。そこでようやっと、自分が抱っこされているのだと気付く。
 向かい合った顔と顔が、近い。

「さぁ、城に帰りましょう」
「え、でも店に……」

 何事もなければ、もう店に着いて準備を始めている頃なのだが。これから開店するというのに余計な精神をすり減らしてしまって、大空のように気分は晴れてくれない。

「では荷物を置いてから二人で一緒に行きましょうか」
 やたらと嬉しげに言うヴァンシュタイン。心なしか“二人で一緒に”が強調されて聞こえたのは何故だろう。やはり混乱しているのか。

「え!? い、いやそこまでしなくても一人で行きますか、らっ」

 アイメリッタの必死の抵抗も虚しく、ヴァンシュタインは彼女を肩に抱えたまま歩き出す。
 彼女が解放され地を踏みしめる事が出来たのは、城に荷物を戻して店の裏口に着いた時だった。


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