魔王の彼女・序章(雇われ魔王の喫茶店)

 どういう訳か今、私は海外旅行に来てしまっている。自室に戻り、今頃ならのんびり明日の賄いの献立を考えていただろう。なのに。

「あの……」

 この人は確か、私を攫ったこの人は、この間連れて行かれた魔王会で会った人。ええと、お名前は――魔王様何て呼んでたかな。

「フィリーだよ。前に自己紹介したろ」

 そうそう、そんな名前だった。国名のインパクトが強くて、すっかり忘れてた。ならば此処は、言わずもがな彼が治める国だろう。

「あー、と……フィリー、さん? いや、魔王だから“様”か」

 呼称に悩む私に溜息がかかる。あれ、口に出てた?

「はー……こんなのがあいつのお気に入りかよ……」

 何だろう、あからさまに呆れられている。酷いなあ、もう。て言うかお気に入りって、誰が誰の?
 とにかく、と、フィリーさんは現状を説明し始める。

「俺にはやたらと突っかかってくる奴とやたらと言い寄ってくる女がいる」

 はあ、それで。何故私を連れてくる必要が。

「そいつらが余りに鬱陶しい。特に女の方。俺にその気がないのを解ってて結婚しろだの言ってくる」

 うーん。もしかして、ストーカー? 近頃は多いって言うし。

「しかも本気でだ。恐ろしいまでに本気だ。こいつをコテンパンにしない限り、俺に平穏は訪れない」

 格好良く物騒な事を宣うフィリーさん。魔王って大変なんだなあ。色々と。

「そこで俺は思い付いた。そいつを撃退するには、彼女を作れば良いと」

 ん? 何でそうなるの? 女の人に直接説明した方が早いんじゃ……?
 えらく自信満々なフィリーさんを前に、私は何も言えなかった。

「そんで、手頃な女がいないかと思って、閃いた。魔王会で会ったお前が適任だと」

 何て傍迷惑な。魔王ともなれば、その辺に女性を侍らせていてもおかしくないのに、わざわざ私?
 それに、同じ魔王仲間に一人女性がいたような。

「あの人は?」
「あ?」

 うっ、この人怖いなあ。今の突き刺さった。

「魔王の中に、女性がいたでしょう? その人じゃ駄目なんですか?」

 軽い、極々軽い私の一言に、フィリーさんの頬がカッと赤くなる。マズい事を口走ってしまったらしい。

「な、ばっ……お、お前、いきなりなんつー事言い出すんだよ!」

 うわあ、怒られた。やっぱりマズかったみたい。

「ええと……ごめんなさい」

 素直に謝った私に、言葉を詰まらせるフィリーさん。許してくれる、かな。

「べっ、別にっ……気にしてねーよ」

 嘘。滅茶苦茶動揺してるのに。何でかは、薄々解ってるけど。

「あの人も魔王だから、忙しいですよね。それなのに誘ったりなんて、しないですよね」
「う、ま、まあ、な……つか何でお前が笑ってんだ」

 未だに顔の赤いフィリーさんが、思わず微笑んでいる私の頬を摘む。

「仕返しだ、バーカ」

 上手く笑えていないフィリーさんの表情にまた可笑しさがこみ上げ、それに面食らったフィリーさんが今度は両手でパチンと挟む。

「い、いひゃいれす……フィリーさ」
「笑った罰だ。有難く受け取れ」

 フィリーさんの少し冷たい手が、涼しい風と重なって心地良い。
 この人にはきっと、あの女性の魔王様は大切な存在なのだ。だから、私がその代わりとなっただけ。ただそれだけの、事。

*************

 一刻も早く、早く辿り着かねば。彼女が酷い目にあう前に、救い出さねば。かつてない猛スピードで海を渡る。
 ――見えた。犯人の居城が。予想が正しければ、彼女は此処にいる。
 適当な場所に降り、勝手知ったる他人の家を歩き回る。上に上がれば上がる度、彼等の気配が強くなる。

「見付けましたよ、フィリー」

 扉をけたたましく開く。自分にしては粗野な音だ。

「魔王様!」
「よお、数時間ぶりだなヴァン」

 ちらりと見えた愛しい彼女の喫驚した顔と、彼女の視界を遮って立つフィリーの勝ち誇ったような横顔が対比され、嬉しいやら腹立たしいやら感情が綯い交ぜになる。良かった、まだ無事だ。

「リッタを返しなさい」
「断る」
「あ、あの魔王様!」

 二人の魔王の間に出来上がった、緊迫の糸が張り詰める空気を壊す少女。フィリーの背後より顔を見せる表情が、ヴァンシュタインの次の行動を止めた。

「フィリーさんには理由があるんです。だから、怒ったりしないで下さい」

 魔王達の体が強張る。怒りをぶつけようとしたヴァンシュタインも、応戦しようとしたフィリーも。
 アイメリッタが静かに説明を始めて、ヴァンシュタインの感情はすっかり影を潜めた。

「成程……それでリッタを身代わりにしようと」

 やはり碌な理由じゃない。手紙に書かなかったのはわざとだ。必ず儂が反対すると知っていたから。小賢しい真似を。

「おい、その不機嫌な顔止めろ」
「貴方に言われたくありません」

 何処までも空間を悪くする二人に、アイメリッタが子供みたいだと呆れる。全くどうしようもない。

「良いでしょう。ならば儂も此処に居座ります」
「そう来たか。とっとと帰れ保護者」
「人攫いが良く言いますね」
「んだと」

 保護者は寧ろアイメリッタだ。頭を抱えてベランダへと向かう。自分は異国にいるという事実を思い出す為に。そして、余計な事まで思い出した。

「あ、お店!」

 目まぐるしく環境が変わり過ぎてそれどころではなかったが、自分は明日も喫茶店に向かわねばならないのだ。仕事をすっかり忘れていた。

「店? 働いてんのか」

 そうか。彼は知らない。先に言っておけば良かっただろうか。

「喫茶店の店長です。それで、フィリーさん」
「しょうがねーな……でも、終わったらこっちに戻って来いよ!」

 あ、やっぱりそうなるのね。まあ、良いか。今更どうこう言っても何ともならないし。
 早くも諦めを覚えたリッタは、暫く彼に付き合う事にした。何時までも納得いかないと膨れるヴァンシュタインを放って。

*************

「で、どうして私は客間じゃないんでしょうか」
「考えてなかった」

 即答かよ。何て事。フィリーさんの策を手伝うからって、これはない。幾ら何でも。

「良いじゃん。もうめんどくさい」

 ちょっと、そんな理由で貴方のベッドで寝なきゃならない私を気遣って下さいよ。

「俺は隣の書斎で寝る。文句ないだろ」
「は、はあ……」

 書斎って寝る所だっけ。王族の考える事は解らない。あれ、そう言えば。

「魔王様は?」
「……あいつは勝手に客間を陣取りやがった。ムカつく」

 あら、そうですか。私もそうすれば良かったのかも。なんて考え込む私に、フィリーさんの指がしなやかに伸びる。

「なぁ、お前」
「あのう……名前を覚えてくれませんか、フィリーさん」

 私も人の事は言えないが、一度も名前を呼ばないフィリーさんも大概だ。触れた指が、ピタリと止まった。

「リッタで良いだろ」

 選りに選って魔王様と同じ呼び方。いやまあ構わないけど、何故かあの人に対抗している気がするのが不思議。

「お前、俺の事は魔王様って呼べよ」
「……は?」

 意味が判らない。確かにフィリーさんは魔王だけど。二人共同じ呼び名じゃややこしい。

「さん付けなんておかしいだろ。彼女役するのに」
「そ、そうでしょうか……」

 そういう関係なら逆に魔王様って呼んだ方がおかしいような。

「るせー。あいつだけ“魔王様”で俺は“さん”とか、不公平だ」

 何と言う我儘。何と言う屁理屈。まるで子供そのもの。

「もしかして、魔王様にライバル心でも」

 あるんだろうな、と思いながら、フィリーさんの返事を待つ。

「別に。俺も魔王なんだから、敬えよ。リッタ」

 敬え、だなんて。肯定も否定もしないその返答に、素直じゃないなあ、と目を細め。

「大丈夫ですよ。フィリーさんも立派な魔王様ですから」
「何が大丈夫だよ。訳わかんね」

 ほら、照れた。嬉しいんだろう。きっと。

「……リッタって神経図太いよな」
「え、何でですか」

 予想外の一言に驚く。うーん、「がめつい」とかの金銭絡みなら言われるけどなあ。

「普通魔王に囲まれたら少なからず萎縮するだろ」
「滅茶苦茶しましたけど」
「いつ」
「魔王会の時」

 あの時はどの魔王様も初対面で、どんな人かも知らなかったから。萎縮と言うか、世界が違いすぎて緊張したと言うか。お店の事でそれどころではなかった部分もある。
 そう返すと、フィリーさんが唐突に笑い出した。えっ、今の笑う要素入ってたかな。

「ふっ……おま、面白い奴!」

 そんな感想は生まれて初めて貰った、気がする。「変な奴」と言われる事は学生の時にあったけど。

「彼女役宜しくな、リッタ」

 この人、こういう風に笑えるんだ。そう思わずにはいられないくらい、優しくて楽しげな笑顔。

「はい、頑張ります。フィリーさん」

 私も負けじと、ありったけの笑顔を向けた。それを見たフィリーさんが、何でか顔を逸らしたけど。


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