五王家の魔王(雇われ魔王の喫茶店)

 アイメリッタは現在の己の環境に酷く戸惑っていた。
 目の前に聳える宮殿は何処までも豪奢で、庶民である彼女には一生縁のない場所の筈。
 にも拘わらず当然のように着飾った自分がこうして彼の隣に立ちそこへと歩む姿は、彼女にとって余りにも落ち着かぬ事で。

「……本当に、本当に私が行っても良いんですか?」

 心底不安げに尋ねると、魔王はそれを取り除くかのような柔らかい笑みでもって大丈夫だと答える。
 未だに自分が、各国の王が一堂に会する魔王会という催しに参加者として認められた事に真実味を持てない。それが隣を歩く魔王からの厚意でも。

 宮殿の中に進むと、その思いはより増した。
 綺麗なマーブルを描く大理石の壁と床に、金の手摺りが輝く階段に敷かれた真っ赤な絨毯。計算しつくされたであろうその絶妙な配置に目眩を覚えたのはきっと彼女が初めてだろう。魔王城ですら目を瞬かせて驚いたのだから、無理もない話である。
 嗚呼、これが夢ならどんなにホッとするか。きっと笑って受け流せるだろうに。

「ようこそいらっしゃいました。テイルファーゲン国のヴァンシュタイン様とそのお連れ様ですね。皆様がお揃いになるまで今暫くお待ち下さい」

 燕尾服を纏った七三の白髪の老人が優しい物腰で二人を出迎え深々と礼をすると、慌ててアイメリッタも辞儀をする。その様子に和みながら、ヴァンシュタインはその手を取って宛がわれた待合室へと向かった。

「どうですか? リッタ」
「え、ええと……凄いですね、別世界です」

 その存在感の大きさにただただ圧倒される。小物のような庶民が一人で来ていたなら、この宮殿が放つオーラに跳ね返されてしまうだろう。
 中に入れば一段と、磨かれた年季のある装飾品達の劣らぬ光に圧されてしまう。いずれにせよ、それらは各国を治める魔王にしか似合わない。

 ヴァンシュタインからの魔王会への誘いは、仮眠室で一晩を経て城に戻った時に聞かされたものだった。
 一瞬興味が湧いたが、心が晴れぬまま、まして今は店の開店を控えている。更に、一国民でしかない自分が行ったとて華やかさの足しにならないのは分かりきっている。
 その場で即断りを入れたのだが、何時の間にか己の力の及ばぬ所で決められたようで、仕方なしについてきた。そして案の定、自分が想定していた通りの気持ちを味わっている。

「失礼致します。皆様お揃いになりましたので、会場へのご案内をさせて頂きます」

 もう此処まで来ると引き返す気もなくなり、気乗りしない本心を押し隠してヴァンシュタインと案内人の青年についていった。

*************

 今回彼女を誘ったのは、前回母の元へ訪れた時とは全く違う理由だった。
 およそパーティなどに縁のない彼女を魔王会へと連れて行って、その反応を見てみたいとか、他国の魔王の実物を見せてあげたいとかいった、世話心のようなものからだ。
 だが先日の早朝、自宅から戻って来た彼女の顔は何時もの陽気さが欠片もない程大人しく、今度は曇った顔を笑顔にしたいと、結局はそちらの想いが勝って魔王会への参加を勧めたのだが。

(楽しんでくれるでしょうか……)

 前回同様半ば強制的に連れてきた分、素直に彼女が魔王会を楽しんで過ごすだろうとはおこがましくて言えない。
 それでも、ほんの僅かでも気分転換になればそれに越した事はないので、出来る限りを尽くして彼女を楽しませたいと思う。

「ようヴァン」
「フィリー、久しぶりですね」

 黒の生地に白いストライプのスーツを着こなした亜麻色の髪の青年が、親しげにヴァンシュタインの肩を叩く。
 魔王ばかりのオーラに包まれて居た堪れず、アイメリッタはヴァンシュタインの影に隠れた。普段の威勢の良い彼女なら、臆さずそれを見つめていただろう。

「そいつか? 特例参加」
「ええ、そうですよ。アイメリッタ、こちらはマロンシェード国の魔王、フィリーです」

 マロンシェード。その国名に思い当たる節でもあったのか、こそこそしていた彼女の態度が変わった。

「わ、私はアイメリッタと申します! あの、何時も美味しそうな国名だなって思ってました!」

 国名への可笑しな印象を堂々と国の主の目の前で言ってのけたアイメリッタに、二人が揃って笑う。特にマロンシェード国王フィリーは、余程ツボに入ったのか肩を震わせていた。

「下品な笑い声がすると思えば……貴方達でしたのね」
「おやマリリア、お久しぶりです」

 柔らかな蜂蜜色の髪を結い上げた女性が、高貴な薄紫の瞳を細めて言う。
 何時の間に近くに来たのだろうか、アイメリッタは彼女の呆れた声に振り返ってから気配のなかった事に吃驚した。

「あ、あの、アイメリッタと申します。宜しくお願いします!」
「嗚呼、貴女が特例の……。マリリアですわ、宜しく」

 深々と頭を下げるアイメリッタに見定めるような視線を送ると、マリリアはそそくさとその場を去った。
 彼女はターナント国の魔王だと、後でこっそりヴァンシュタインが教えてくれた。

 それから二人の魔王と挨拶を交わしたアイメリッタは、振る舞われている料理に目をつけた。バイキング形式のそれらをじっと見つめ、大皿に盛られた各種料理を店のメニューに活かせないかと目論む。
 だが店の事が浮かんだ途端、食べようと伸ばした腕がピタリと止まった。そんなつもりはなかったが、問題を抱えている事を忘れていたのだろうか。

「アイメリッタ、どうしました?」

 次第に下を向く自分にハッと気付き、ヴァンシュタインの声に弾かれたように顔を上げた。歓談に花を咲かせる他の魔王を差し置いてこちらを気遣う彼に、申し訳なさが沸く。
 やはり、こんな重要な場所に庶民がいて良い訳はない。宮殿の外までとはいかないが、せめてこの部屋を出るべきだ。
 そう決めて、手持ちの皿に乗せた少量のご馳走を食べ切ると、トイレに行くと言って素早く会場を離れた。

*************

 様子がおかしい。何時もの彼女ではあるが、見え隠れする違和感。その違和感が何かを隠しているのではないかと疑わせる。

「あれ、何処行くんだよ」
「ちょっと席を外します。すぐに戻りますので、楽しんでて下さい」

 彼女が消えた数分後、ヴァンシュタインもその後を追った。

 会場を出て左右を確認すると、階層の端で窓に凭れて佇む彼女の姿があった。憂いを帯びた表情と切なげに伏せる瞼を気遣わしげに見つめながら、控えめな靴音と共に近付く。

「何かありましたか、リッタ」
「魔王様……パーティはどうしたんですか?」
「抜け出してきました。貴女が気になって」

 嗚呼、自分の所為か。そう瞬時に判断して、彼女は謝った。
 だが、それで彼の表情に何か変化があるかと言えば、そうではなく。

「悩みでもあるのでしょう?」

 ぎくり。背中に分かりやすく衝撃が走った。どぎまぎする心臓を抑え、何と答えるべきか言葉を練る。

「話してくれませんか、力になれる事がある筈です」
「いえ、ダメです。きっと迷惑をかけますから」

 迷惑ならもう既にかけているだろう、内心でそう己に突っ込んだ。だからこそ、これ以上はなくさねばならない。
 決意を固めた声音で告げると何処か残念そうにしているヴァンシュタインがいて、思わずアイメリッタは瞠目した。

「遠慮などしないで。今は話せなくとも、必ず何時か、出来るだけ早くに教えて下さい」

 儚げに揺れる水色の瞳は寂しそうに呟く。それが心を突き動かそうとする。
 だけど、言おうとすればこんがらがる頭に涙が浮かび、まともに話せたものではない。そんな自分の様子が鮮明に見えるのだ。

「……分かりました。心の準備が出来れば、お話します」

 否定する思考に反し、口から飛び出したのは彼の思いを汲み取る言葉だった。
 どうしてだろう、この人に頼まれると、何時も強く反発出来ない。
 世話になっている居候心からか、自分の国の魔王だからか、出会った時の態度の反動か。
 前回の一泊旅行や、今回の魔王会の参加が与り知らぬ所で決められた事も災いしていそうだ。
 柔和な笑みを満面に零し、ヴァンシュタインはホッとしたらしい。曇った水色はすっかり透き通っていた。
 戻りましょうと肩に回された手が、ほんのりと暖かさを伝えてくれる。

(優し過ぎるよ、魔王様は……)

 それが頑なな筈の意思を融かしてしまうと、知っているの?

*************

 酒宴になりつつあるパーティがお開きとなり、今夜はそのまま宮殿に泊まる事となった。
 とてもじゃないがこんな豪華な部屋で寝れる気がしない。同じ国だからとヴァンシュタインと相部屋にならなかっただけマシだ。
 それでもすぐ隣の部屋には彼がいる。これはもう、話してしまえと言われているのか。

「失礼します、魔王様」

 恐る恐る、彼の部屋の扉を小突く。手だけでなく、身体が微かに震えている。
 冷えた外気の所為か。いや、心の怯えだ。

「どうぞ入って下さい」

 取っ手にかけた力は反対側、つまり部屋の内部からの力に奪われ、わざわざ開けてくれるとは思っていなかったアイメリッタは思いがけぬ扉の動きに少々面食らった。
 部屋は、用意されていた薄手のパジャマしか着ていない彼女には丁度良い暖かさであった。
 暖炉にくべられた薪の燃える音が耳に心地良い。各客間に備え付けられていると言うが、不思議とこちらの方が暖かく穏やかに感じられた。

「さあ、そこに座って。お茶を用意しますから」

 部屋のほぼ中央には一服する為の小さな丸机と椅子が二脚あり、その奥には天蓋付きのベッドがあった。
 位置は若干違うものの置かれている物に相違はなく、そう言えば自分に当てられた部屋のベッドもお洒落な天蓋が付いていたなあと、アイメリッタはしみじみ思った。

「無理はしなくて良いのですよ、リッタ」
「でも、もう決めましたから」

 先程と対称的に遠慮がちに言うヴァンシュタインの申し出に、首を振って彼女は応える。己でそう決めたなら、決めたままに従う。それは昔からのポリシー。
 机に置かれた白地に青い文様の描かれたカップを両手で包み、一口啜る。ほう、と呼吸すれば白い息が霧のように吐き出され、それが消えるのを見届けてから、アイメリッタは口を開いた。

「……実は、喫茶店の移転に協力してくれたのが魔王様だという事は、家族には黙っていたんです」

 慎重に発された事実に、ヴァンシュタインは事の顛末を予想した。それは決して良いものではなく。

「それで……この間家に帰った時に、ふとした事からそれを話さなきゃいけなくなって……規律に厳しい父に、“そんな事があっていい訳ない、もう向こうには行くな”って言われて」

 息も切れ切れになりながら仮眠室に辿り着き、ベッドへ腰かけていざ寝ようとするも大事な店がピンチだと思うと何か策を考えずにはいられなかった。
 だが焦った頭では幾ら捻っても有効な手段は浮かばず、結局そのまま眠ってしまった。翌日になって落ち着いたら、必ず良い案が出てくると、明日の自分に全てを託して。
 でもそんな期待は無駄だった。あの厳格な父を納得させ認めさせるだけの完璧な方法など、あったとて彼女には実行出来ない。魔力行使を施しても、負けてしまうのだから。

「でも私は、あの店を手放すつもりはないんです。まだ始まったばかりで、何もしていないのに……魔王様とも、出会ったばかりなのに」

 哀しくなって、少し滲んだ視界を隠そうと俯くアイメリッタの頭に、そっと手が置かれた。
 彼女の感情を全て理解したかのような悟った笑みが、涙を抑えるアイメリッタを優しく見守っている。

「大丈夫。貴女のお父上とは、儂が直接話をしましょう。気に病む事はありませんよ、リッタ」

 芯の通った宥める声に、アイメリッタは彼を見上げる。流れそうになった涙を何とか留めて、何か喋ろうと口を動かすも言葉は出ない。
 本当に大丈夫かと心配そうに見遣るアイメリッタに、彼は強い眼差しで言った。

「任せて下さい。必ず、お父上を納得させてみせますから」


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