真実と混乱と(雇われ魔王の喫茶店)

 ヴァンシュタインの父である先代魔王と妃が隠居している家屋で一泊した翌日。

「どうでしたか、久々にお会いして」
「どうもしませんよ別に」

 帰ってくるなり嬉しそうにそう尋ねる側近を一蹴し、ヴァンシュタインはそそくさと私室へ向かう。その後をのろのろとついてくるのは同行者のアイメリッタだ。

「これはまた大変な荷物で。私が運びましょう」
「すみません。ダルケシア様から、お土産にと戴いて……」

 両手に持ち切れぬ位の袋を抱えているのはヴァンシュタインも同じだったが、彼女との違いは魔力か肉体的な力で運んだかであった。車を下りてから城までの距離はそう長くないので、一般の魔族でも力を継続出来ないものではない筈だが、彼女は端からそんな考えなど浮かばなかったといった風だった。

「そういえば……魔王様がいないから聞きますけど、何で私も連れて行ったんですか?」

 帰りの土産でも移動がネックになっているでもない。身代わりが何を指すのかも解らぬまま。

「それは、スキンシップの激しいお妃様に子供扱いされるのがお嫌だからでしょうね。幾ら母とは言え他人からベタベタされるのは昔から苦手なお方でしたし」
「へー……だから矛先を増やして遠ざけようと」

 構う時間を減らす所か逆に全く構われていなかったが。

「そういう事ですね。もう成人して大分経っているのですから、子供扱いと言ってもそこまで酷くはない筈ですが」

 先代魔王であるクレメンタインは特に彼を甘やかすとかそのような事はなかった。恰幅の良い暖かな人で、魔王を退いてからは周囲の田畑で毎日農業に従事していると元気に語ってくれた。

「そういえば……喫茶店の事ですが、従業員候補が3人見付かりましたよ」
「もう!」
「ええ。一応私が直に会いましたが、最終的な人柄は貴女が判断して下さい。明日来店するように言ってありますので、宜しくお願いしますね」

 何と用意周到な事だろう。店に貼紙でもと思ってポスターを作っていたのだが、魔王達の手際が良すぎて何も出来ず終い。店の主としての影が薄まっている気がする。他人からこんなに施しを受けた思い出などないので、歯痒いと言うか、申し訳ないと言うか、情けないと言うか。勿論感謝もしているが。
 それでも店員の最終決定権は自分にあるのだから、店の繁栄の為にも真剣にやらなくては。前の主の時よりも素晴らしい喫茶店にするという夢に反する事のないように。

「では、後は私が運びますのでゆっくりしていて下さい」
「有難う御座います。では!」

 ゆくゆくは城下街に店を構えようという夢はこの人達のお陰で早々に叶ったけれど、国一番の、引いては世界一の喫茶店にしたいという夢は自分の手で叶えるのだ。一人で家計と家族を支えられる位になるまで。
 一つに纏めた茜の髪を大きく靡かせ、赤茶けた瞳をより見開いてアイメリッタは城の自室へと駆け上がった。

*************

 店の研修日の天気はお世辞にも良いとは言えなかった。まるで不満でもあるかのように曇天が広がっている。だが、そんな天の事情すら吹き飛ばしてしまえる程アイメリッタの心は晴れていた。朝食を取ると間髪入れずに移転先へと向かい、店の清掃を隈なく行う。それが終わった頃には店員候補者が全員揃っており、半日とない短い研修がスタートした。

 研修が終了し、3人共に雇う事が決定した。店の新たな出発を喜び、アイメリッタが事の報告に一度自宅へ帰りたいと申し出ると難なく快諾され、その日の内に懐かしい故郷である首都の端くれに到着する。

「ただいま!」

 勇んで玄関を開くと、彼女の弟が偶然ながらに出迎えた。城下街で暮らし始めた姉の帰宅に複雑な表情をするのをさらりと流し、アイメリッタは居間へと進む。そこには母だけでなく仕事が休みらしい父もいた。相変わらずの顰め面にも臆さず、もう一度ただいまと告げるも、反応するのは母のみ。

「お帰りなさい。向こうの家はきちんとしてきた?」
「あー、うん。大丈夫!」

 屈託のない純粋な心配に、誤魔化して答える。笑顔が得意で本当に良かった。怪しまれる事なく、アイメリッタの母はそれに頷いた。

 城下街は今どんな所なのか、それからたっぷりと質問攻めにあった。と言っても男性陣は全く興味がないのか、聞いてくるのは何時も母から。長い間訪れていない所為か余程興味があるらしい。台所に立ち料理をしつつ、思いつくままに尋ねてくる。

「ねえ、向こうの家はどんな感じ? 一度行きたいわ」

 その思いがけない一言に、アイメリッタは持っていた包丁を落としかけた。危ないわね、と母が緩やかに注意する。

「え……え?」
「あらダメ? 何かあるの?」
「い、いや、何も、ないけど……」

 どうしよう。まさかこんな事を言われるとは思わなかった。お城なんて言っても魔王様の所しかないし、そうなると……。

「その、今、家片付いてなくて……来ない方が良いよ」
「なら手伝うわよ? でもアイメリッタ、荷物はそんなに持って行っていないわよねぇ。大きな買い物でもしたの?」

 手頃な嘘をついてみるも飲み込まれる。母以外からの視線がとても痛い。特に父。

「う、その、ま、まぁ何でも良いじゃん!」

 少々怪しまれても、そう押し切るしか方法はなかった。苦しい言い訳っぷりが家族に駄々漏れでないと良いが。

「……そう言えば俺、学校で変な噂聞いたんだけど」

 突然、居間にいる弟が思いついたようにそう言った。独り言ではなく、こちらにはっきりと聞こえるように。アイメリッタの不審な態度を追及する事なく母が興味深そうに振り向くと、それを確認して続きを話す。

「魔王様が近頃国民の一人を懇意にしてるらしいってさ」
「あらまぁ。それは珍しい話ね。一体誰と付き合ってらっしゃるのかしら」
「さぁ、そこまでは誰も知らないみたい。姉貴何か知らないの? 城下街でなら噂とかよく聞くんじゃね?」

 もしかしてそれは自分の事を指しているのかもしれないとドキリとして、それでも口からは「知らない」と無意識に誤魔化しの言葉が突いて出ていた、が。

「何か怪しいな、姉貴」
「な、何でよ。魔王様の事なんて、私が知る訳ないじゃん」

 弟のじとりとした視線にそう言ってから、ほんの少しだけ胸が痛んだ。でもそれは押し隠さねばならない。どうしても。

「で、この噂の何が変って、その人物が姉貴に似てるらしいって事なんだよなー」

 確信しているのかからかっているのか、彼がアイメリッタへ意味深な笑いを向けながらそう言うと、アイメリッタは気の緩みからか包丁で危うく指を切りかけてしまった。
 此処で、あらぬ方向から声がかかる。一番恐れていた、父からの。

「何か隠しているな、お前」

 新聞に視線を送ったまま、ちらりともこちらを見ずに低い声で。途端に何処からかその声が重苦しい空気を運んでくる。
 そりゃああれだけあからさまに不自然な返答をしていればばれるのも時間の問題だろう。アイメリッタは不器用な口に自己嫌悪しつつ、努めて落ち着いた態度をとる。母も弟も我関せずで至って普通に過ごしており、気まずい思いでいるのはただアイメリッタ一人であった。

「店が城下街に移る以外に、言ってない事でもあるんじゃないのか」

 息苦しい空間に包まれているのはアイメリッタと彼女の父のみ。張り付いたような笑顔はじわりじわりと潰され、次第にそうしていられなくなる。必死に言い訳を考えるも、脳は空回りばかりを繰り返す。
 嗚呼、折角言わずにおいたのに結局此処で言わねばならないのか。彼がいるからついた無難であろう嘘もお陰で無駄。思えば父の笑顔というものを一度も見た事がない。

「こっちに来い」

 素直に従い、台所から離れ居間へと移る。新聞を下げこちらを睨める視線が途轍もなく痛い。真実を述べようが述べまいが、きっと怒られる。

「あ、あの……実は、お店の移転を、勧めてくれたのは……」
「……お前、まさか」

 言い難そうにしている喉元から何を察したのか、突如目を見開いてより眉間を深くした父が新聞を投げ捨て予感を告げる。

「ふざけるな! そんな事があって良い筈がない! もう向こうには行くな!」

 その叫びに肩を震わせたのはアイメリッタだけではない。他人事のようにしていた母と弟もである。

「何で? 嘘じゃない、本当に魔王様が……!」
「魔王様がお前如きの店に加担するなど恐れ多い事だ! 何故そう言わなかった、身の程を知れ!」

 その激怒ぶりは彼女の母ですら初めて見るものだった。怒りを抑えようと手を止めて言葉をかけても、効き目はまるでない。
 店を移転すると言うだけでもかなり不機嫌そうにしたのを何とか宥めて許可を出したのに、あまつさえその時話されなかった移転の支援者が今更になって分かったのだ。騙されたという気持ちになるのは分からなくもない。しかもそれが国の王とくれば、尚更である。厳格な父の性格を考慮してついた嘘が、無意味な塵と化した。

「おい、何処へ行く! 戻れ、アイメリッタ!」

 それ以上、何を言っても頭ごなしに潰されるだろうと押し黙ったアイメリッタは、耐え切れなくなったのか顔を俯けて足早に家を出て行った。追いかけようとする家族を振り切り、夜の町へと飛び出す。そして彼女の姿は跡形もなく闇に消えてしまった。

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 判らない。どれだけ歩いて、どれだけ空を飛んで、自分がどんな表情でいるかも。色んな事が脳内を駆け巡り、泥だらけの体みたくぐちゃぐちゃだった。
 逃げるようにして家から離れたのは良かったが、これからどうしよう。もう家には戻れないし、城へ行くにも気分が乗らない。

「そうだ、仮眠室」

 然程悩む事もなく行き先を決め、アイメリッタは城下町の大通りへと移動した。ひっそりとしている地元とは違い、華やかで暖かい光の中を人々が賑やかに通り抜けていく。それがとても眩しくて、自分だけが落ち込んでいるように思えてならない。

 店の鍵は休日でも肌身離さず持ち歩いているので、急用が出来てもすぐに入れる。前の店主が設置して今も使わず仕舞いの厨房を抜けあの狭苦しい階段を上りベッドに倒れ込むと、タイミング良く身体が空腹を訴えてきた。そういえば、昼から何も食べてない。

「良いや、寝ちゃおう……」

 とても腹を満たす気にはなれない。アイメリッタは靴を脱ぎ、しっかりと寝る体勢に入った。
 明日になって落ち着いたら、きっと良い案が浮かぶ筈だ。そう信じて、赤茶の瞳をゆっくり閉じた。


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