魔王より強き者(雇われ魔王の喫茶店)

「こちらで御座います」

 そうメイドに案内されて中に入ると、魔王の私室より劣るとはいえ余りの豪華さに持っていた旅行鞄を落としてしまった。
 これで普通と言うのだから、城というのは恐ろしい場所である。本当に自分が此処で暮らすのか、これが夢なら悪い冗談もいいところである。

「天井めちゃくちゃ高いし……お城の部屋ってこんなもんなの?」

 同じ首都とは思えないと田舎者丸出しの思考をぶちまけるもメイドは華麗に無反応で、案内が終わるとじゃあこれで、と去ってしまった。落とした旅行鞄をそのままに、調度品や絵画、ベッド――天蓋は流石になかった――、そして絶景のテラスとあちこち見回る。

「うわあ、良い景色……国中見渡せそう……」
「失礼します。アイメリッタ、魔王様がお呼びですよ」
「あ、はーい」

 開きっぱなしの扉を小突きラルフローレンがやって来た。朝から忙しいヴァンシュタインがようやっと纏まった時間を取れたらしい。側近の後を付いていきながら、執務室に向かう。

「失礼致します魔王様。アイメリッタを連れてきました」
「御苦労ラルフ。さぁアイメリッタ、入って入って」
「失礼しまーす……」

 彼の予想外の申し出から数日の内にアイメリッタは家族の了承を得、ヴァンシュタインは店を置けそうな場所を見つけて、何の障害もなく中心部への移転は決まった。今日は喫茶店にとって記念日である。

「魔法で無事に移転は完了しました。客間への案内も済んだようですね」
「はい。何から何まで有難う御座います魔王様」
「いえいえ、お安いご用ですよ。そして最後の仕上げとして、従業員を雇いましょう」

 あんな小さい店に従業員? とは、アイメリッタの直後の感想である。

「あの広さなら3人いれば繁忙期もやり過ごせるでしょう。店は城が見える大通りに設置したので、呼び込みでもすれば人の入りも多いですよ」

 さっきの感想撤回。かなり良い案だ。店主である私以上に喫茶店の事を考えてくれている感じがする。

「じゃあ、開店前にまずはそこからですね!」

 ガッツポーズをして誰よりも意気込むアイメリッタをヴァンシュタインとラルフローレンは微笑ましげに見つめていた。

*************

 執務室の隣の私室で、ヴァンシュタインは読書をしながら優雅に紅茶を飲んでいた。夕日に照らされる全身が、平静よりも神々しく透き通る。
 コンコン。控えめなアピールが空間の静寂を破った。彼はやや間をもって入室を許可する。

「魔王様、お手紙が届いておりますよ」

 手紙。魔王仲間からだろうか。でも恭しく文箱を掲げるメイドの相好からは何も判断出来る手がかりは出てこない。他の王家からではないなら、後は誰が候補に挙がるだろう。

「有難う。此処に置いて下さい」

 とりあえずメイドが早くしろと訴えてきそうなので、彼女を文箱から解放させてやる。感情を込めることのないままメイドが去ると、読書を終えて手紙に構う。封筒に押された焼印を一瞥した所で、柔和だった相貌に亀裂が入った。

「こ、これは!」

 戦慄く腕を抑える事もせず、ヴァンシュタインは恐る恐るペーパーナイフで封を切り一枚の便箋を取り出す。予感した通り、滑らかな筆跡は飽きる程見慣れたもので、彼は肺に残った二酸化炭素を絞るように吐き出した。何度見たって間違いではない。

「失礼します魔王様。おや、その手紙は?」
「あの方々からですよ……」

 側近の登場に思う所は何もなく、彼はただただ目の前の紙切れに嘆きを零していた。机に置かれた文箱の中の封筒を手に取り印を確認すると、ラルフローレンは成程と頷いた。

「ならば明日からのご予定は変更ですね。嗚呼魔王様、折角ですし彼女も連れて行ってはどうです」
「良いんでしょうか……良いですよね……儂一人ではきっと一日も持たない……。店の雇用は後日に回しましょう」

 この場にいないアイメリッタの了解も得ず彼女の予定をも変更させてしまう程、ヴァンシュタインは魔王らしからぬ覇気のない声で強制的に決めた。彼女にどう説明しようか、もう正直で良いよな。取り繕う気にもならないのだから。

「はぁ? 旅行に私も?」
「申し訳ありませんが既に決定事項です。却下出来ません」
「そ、そんな……お店は」
「それも申し訳ないですがストップします。大丈夫、管理はきちんとなされていますから」

 執務室に移動しありのまま彼女に告げると、当然ながら納得出来ないといったような声が上がる。
 彼の心は従業員云々よりも、苦手なものへの恐怖心が勝っていた。一人で相手をしたくない。誰かにいて貰いたい。その誰かに適しているのはアイメリッタしかいないのだ。

「正式な開店は遅れますが、これは急を要する問題なので」
「はぁ……分かり、ました」

 本当に困っているのだと顔面中に書かれており、アイメリッタは強く反発出来なかった。お世話になっているのだから仕方ない、自分も彼の役に立たなくては。

「でも、私が付いていっても良いんですか? 大事な方にお会いするんだったら、寧ろ邪魔じゃ……」
「いいえ全然全くそんな事はありませんよ! 貴女がいて貰わなきゃ困るんです儂が切実に」
「そ、そんなに恐ろしい人なんですか?」

 机に肘をついて格好良く決めていたヴァンシュタインが椅子を倒して立ち上がりアイメリッタの肩を掴む。あまりの必死さに暑苦しいと嫌味を言いたくなった。

 そうして翌日、彼が会う人物の詳細は何も知らず、いや意図的に知らされず、アイメリッタは鬱屈とした彼に同行する事になった。

「到着致しましたよ」

 首都を大きく離れた北の町の更に外れ、烏の濡れ羽色の車が向かった先には小さな一軒家がぽつりとあった。周囲は田畑に囲まれ、高いビルも立派な建造物も無く地平線と遠くに海が見渡せる絶景の場所である。老後はこんな場所で暮らしたいと思う事間違いなしの実にのどかな風景を楽しみつつ車を降りる。

「うわあ、良い所ですね!」
「ええ、そうですね……」

 昨日から相変わらず彼の顔色は暗い。瞳は濁った雨水のようだった。
 こじんまりとした家の暖色の屋根が太陽に照らされその眩しさに手を翳すと、肩で切り揃えた銀髪を靡かせ、淡い紫のドレスを身に纏う熟年の女性が安楽椅子に腰掛けてこちらに手を振っているのが見えた。それは隣を歩く彼の視界にも漏れなく入ったようで。

「アイメリッタ、一つだけお願いが」
「何ですか?」
「これから会う方々と儂の関係を知っても、驚かないで下さいね」

 困難に行き詰ったような普段よりも低い声でそう言われ、そこまで敬遠するとは一体どんな人なのかと益々疑問が募る。悪い人には見えないのだが。

「久しぶりねヴァンシュタイン。あら、こちらの女性は?」

 待ち切れなかったのかこちらが近付く前に彼女は近付き、そして親しげに魔王の名を呼ぶと隣にいる見知らぬ少女(彼女からすれば)に話を振る。

「初めまして。アイメリッタと言います」
「まあまあ可愛らしい! 私はダルケシアよ。さ、ヴァンはほっといてお茶でもしましょ!」

 丁寧に辞儀すると女性は空色の瞳を瞬かせ、満面の笑みでアイメリッタの背を押して家へと引き込む。置いてきぼりのヴァンシュタインはそれを呆れた様子で眺めているだけだった。

「この家に女の子が来るなんて久しぶりだわ! ゆっくりしていってね!」
「はぁ」

 応接間に通され、二人が此処に着いてからずっとテンションの高い女性――ダルケシアは終始笑顔でアイメリッタにあれこれと声をかける。
 その間当然のようにヴァンシュタインは無視され、空気のような存在だった。不思議な事にそれを咎める声は彼の口から聞けず、ヴァンシュタインはヴァンシュタインで自由に過ごしていた。この女性からの扱いに慣れているからか、それにしては悠々と羽を伸ばし過ぎているように見える。

「あの……ダルケシアさんは、魔王様とどういう関係なんですか?」

 おずおずと、喜色満面を崩さずアイメリッタを歓迎してくれる女性に尋ねる。離れた所で休んでいるヴァンシュタインに聞こえないよう、音量を下げて。
 だが女性にその質問は意外だったらしく、目を丸くして彼女は問い返した。

「あら、聞いていないの? 私はあの子の母よ」
「え」
「もう、ヴァンったら肝心な事を言わないのね。私はダルケシア・テイルファーゲン。先代魔王クレメンタインの妻にして、現魔王ヴァンシュタインの母よ」
「ええっ!」

 衝撃の事実に叫ぶアイメリッタ。昔からの知り合いかはたまた親戚か位には当たりをつけていたものの、まさか血の繋がった母親とは考えが至らなかった。
 あ、そういえば驚くなって魔王様に言われてたんだった。でも取り返しつかないし良いや。

「そ、そうだったんですか……どうりで、青い瞳が魔王様と似ているなぁと」
「有難う。初対面の人には必ず言われるのよ、目の色が同じって。あの子も昔はそれを聴いて喜んでくれてたのにねぇ」

 手を頬に当て困った仕草をするヴァンシュタインの母ダルケシアに、ちらりと彼の方を一瞥し視線をまた戻す。

「あの子が魔王を継いで私達が田舎で隠居し出す頃からね。月に一度手紙を出して、最初はすぐ様子を見に来てくれたりしたのに……大人になったって事だろうけど、寂しいわ……」

 何時の間にか一人の女性の顔からすっかり母親としてのそれに変化していた。しかも薄ら涙まで浮かべて切々と語る始末。うーん、こういう時、何と言って励ませば良いのだろう。それなりに真剣に返す言葉に悩んでいると、背後に影が聳え立った。

「母上、アイメリッタに余計な事を吹き込まないで頂けますか」
「えー、何よ事実でしょ。あんたがつれないからリッタに聞いて貰ってるんじゃないの」

 出会って間もないというのに愛称までつけられたアイメリッタは、痴話喧嘩を始めた二人に挟まれたまま苦笑して取り持とうとする。

「ま、まあまあ、今日こうして此処に来たんだから良いじゃないですか」
「そうしなきゃ誰かが煩いですからね」
「あら、もしかして貴方、リッタを身代わりにしようと連れて来たのかしら?」

 ダルケシアが嫌みたっぷりにそう返すと、ヴァンシュタインはぐ、と喉を鳴らして押し黙った。その表情に、ダルケシアがふふん、と勝ち誇ったように青い目を細める。

「図星ね。あーあ、リッタが可哀想。肝心な事も言わずに無理矢理連れて来られて……」

 我が子のようにアイメリッタの頭を撫でて抱き寄せるダルケシアをキッと睨みつけるも、突き付けられた言葉は事実。されるがままのアイメリッタ本人だけが、一連の会話の意味を理解していない。

「まあ、私としては女の子大好きだから有難いけど。一体何処で知り合ったの? リッタに訊いたけど教えてくれなかったのよ」

 そりゃあ『貴女の息子さんとは道端で出会い、餌付けして喫茶店で接客をさせました』とは堂々と言えないだろう。こちらとしても仕事に疲れて城を飛び出したとかいう事をこの人に知られたくない。絶対に笑われる。暫く話のネタにされるに決まってる。しかし中途半端に下手な嘘をついても無意味だ。

「ええーと、彼女とは……道端で出会いました。それで、色々あって……今は城で暮らしています」
「色々って、何?」
「え、ええと……かくかくしかじか」

 頭を撫でられっぱなしのアイメリッタは笑顔を張り付けたまま固まって、視線を送ってもまるで気付かない。じとりと見定めるような瞳に耐え切れず、またも肝心な部分を端折って説明しようと試みる。曖昧表現が如何に彼にとって有益であるか、よく分かる。
 だがそんなぼやけた言葉ではダルケシアは納得せず、私に話せない事なのと益々目力を強める。暫し間が空き、ありったけの頭脳を呼び集めて慎重に言葉を選ぼうと忙しい息子に溜息を零し、ダルケシアはアイメリッタを抱き締める腕を緩めた。

「仕方ないわね。話せないなら悪いけど、こうさせて貰うわ。恨まないで頂戴ね」
「え、ちょ、母上……っ」

 何を、と問うて、集結した知恵は見事に散らばってしまった。ダルケシアが二人の前頭部に両手を押し当て、急激に魔力を結集させる。
 それは一瞬の出来事だった。皮膚を突き破って脳を直接弄られているような不思議で気持ち悪い感覚。堅く口を閉じた記憶を、第三者に霰もなく見られているという末恐ろしい感覚。隠そうとするプライバシーの壁を悉く破られ、容赦なく侵入してくる気配。

「ふうん、そう……判った、もう良いわ」

 何がどう分かったのか、何がもう良いのか、くらくらする神経に酔いながらも持ち堪えたヴァンシュタインが抗議の目を向ける。幾ら見られたのが彼女との出会いの部分だけとはいえ、黙秘権も与えないとは酷過ぎる。

「だってどうしても知っておきたかったんだもの。どうやって出会って、どんな関係なのか」

 口に出さずとも考えは自然と漏れていたのだろう。心を読んだかのようにダルケシアが答えた。

「もう二度とこのような振る舞いはなさらないで下さいね、母上」
「ええ、貴方が話してくれるなら。結構魔力消費するし……彼女には刺激が強すぎたみたいね」

 顔を顰めて唸るアイメリッタを母から奪い返し、ヴァンシュタインは応接室を出ていく。

「儂ならまだしも、アイメリッタは一般人ですよ。魔力差を考えて下さい」
「はぁい」

 諌められても尚、年甲斐もなく可愛らしく笑うダルケシアに呆れ果て、ヴァンシュタインは階上の客間へと上った。


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