中心部への移転計画(雇われ魔王の喫茶店)

 意識が浮き上がり自分の状態を手探る。床、いやベッドだろうか。やたらとふかふかしており、両手を広げても終わりが来ない。この時点で自宅でも仮眠室でもない事を悟ると、アイメリッタは警戒して視界を開く。

「………………」

 呆けた。何にと問われれば、全てにである。こんな場所、二百数年生きて初めてこの目に映した。
 燦々と差し込む太陽の光に木目の壁が艶を出して輝き、何より自分が横になっている真っ白のベッドは両手を広げてもまだ広く、おまけにあの魔王の瞳の色と同じ透き通るライトブルーの天蓋が三方を囲んでいる。一体何処の富貴な人の家だろう。

「目が覚めたようですね」
「うぇっ?」

 聞いた事のないテノールに素っ頓狂な声を上げると喉に強烈な痛みが突き刺さり、大きく咳き込む。
 灰色の短髪に灰色の瞳、灰色の服を着る見知らぬ壮年の人物が優雅なオーラを放ち天蓋の向こうに立っていた。

「此処は魔王城。そして魔王であるヴァンシュタイン様の寝室で御座います」
「! まっ、う、げほっ」
「喉を痛めているのです。無理に喋らず、頷くなりで結構ですよ」

 穏やかに諭す彼は一体何者だろう。魔王様の知り合いだろうか。いやいや、それも大事だがそれよりも――それよりも、だ。
 自分にとって余りに分不相応なこの場所が、魔王城であるという事。目下の大きな問題はそこにある。
 通りで壁にかけられた絵画や繊細な彫刻が施された家具などが無造作にある訳だ。一つ一つが高級感を醸し出している。こんな所に庶民の自分がのほほんと寝込んでいて良いのだろうか、いや良くない。

「起き上がっては……」

 なりませんと制止される前に、力を入れた途端背中と腕に走った激痛が動くなと訴えてきた。苦虫を噛み潰したような表情で仕方なく柔らかいベッドに身を戻す。満足に動く事も出来ないとは。

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。私はラルフローレン。魔王の側近兼代理を務めております。以後お見知り置きを」
「あっ、わた、し」
「嗚呼、貴女の事は伺っておりますよ。何でも魔王様を店で働かせているとか」

 全身灰色づくめの壮年は緩やかにそう述べた。魔王代理、ということは魔王様の次に偉い人。しかもこちらの身元までばれている。内心びくびくして、もしや咎められるかも知れないと覚悟する。だが、何時まで待っても罵声や勧告は飛んで来ない。それどころか――笑われている。

「あの万年引き籠り魔王が外に出て路頭に迷っているかと思いきや、庶民の店で施しを受けた挙句手伝っているとは……全く以て可笑しい話です」

 ええと、こういう理解の範疇を越えた言葉にはどういう対処をしてどう返答すれば良いのだろう。抑々喉が痛いので声は出せないが。
 一目見たときの優雅さの欠片もなく腹を抱えて笑うラルフローレン。それに奇異な物を見る目を向けていると、戸が小突かれ、今まさに話題の中心人物であるヴァンシュタインがそろりと入ってきた。噂をすれば何とやらである。

「起きましたか? アイメリッタ……って、お前は何を下品に笑ってるんですラルフ」
「いや、面白い世間話をしていたもので……済みません。ふっ」
「大方儂の事でしょう。全く以て失礼な……さて、具合はどうですかアイメリッタ。一応軽く応急処置はしておいたのですが」

 二人は上司と部下と言うよりは漫才コンビだ、と直感的にそう思う。そんな感想を述べそうになったが、喉が痛いお陰で余計な事を言わずに済んだ。
 治癒魔法をかけられていた事実を知り改めて体の痛みを確認する。そう言われると受けた傷が大した事のないように感じられた。でも喉の痛みはそれで治まった事になってはいないので、本当に簡素な処置である。

「彼女は酷く体を痛めていますし、声も出せない状態ですよ。何の遠慮か知りませんが全快する措置を講じるべきだったでしょう」
「う、その点については……直前に結構大きな魔力行使をしたので完治する程は無理でした……精進します」

 側近が正論を突き付けるとヴァンシュタインは至極申し訳なさそうにアイメリッタに平身低頭した。
 こちらとしてはじっとしている分には無痛なので、それなりに治癒効果はあるだろう。アイメリッタは表情筋を駆使し、日頃の接客で鍛えた成果である笑顔を彼に見せ。
 気にしていないという意味を悟ったヴァンシュタインはいたく感動し、涙を流すのではないかと思う程悲しそうに瞳を揺らしながらアイメリッタに近付くと、そっとその手を握った。
 突然手を掴まれどぎまぎする彼女の両手を気遣うように優しく握り、細長くしなやかな指を絡ませる。慣れない動作にアイメリッタは心臓を高鳴らせ、頬に若干の朱が差して。
「貴女が無事で良かった……一瞬間に合わなかったかと己の無力を悔いたのですが……本当に、無事で良かった」

 心底から、本音を吐露してくれたのだろうと疑いなく信じられる、悲哀を帯びた言葉。それがとても嬉しくて、そして気恥かしい。
 握り返すべきか迷った手は動かず、伝わる熱が火傷するんじゃないかと思う位に熱さを増す。自分の国の魔王から直々にこんな事をして貰えるとは、予想外過ぎる出来事だ。

「それで……お詫びのついでと言っては何ですが、一つ提案があります」

 感動の場面はあっさりと終わり、今度は真剣な面持ちのヴァンシュタイン。お詫びと提案と、どう繋がるのだろうか。

「店を城の近くに移しませんか」

 差していた朱が一気に引いた。その言葉に、瞬時にあの記憶が呼び出される。以前、魔王と出会った時にどうしても彼を雇いたいと食い下がり自分が選択肢の一つとして出したものだ。それが彼の口から出てくるとは、どういう風の吹き回しか。

「あそこはギリギリ首都とはいえ、貴女のように若い女性がいるには不似合いだと思うのです。近辺なら有事の際に儂がすぐ駆け付けられるし、それに此処は物流規模も非常に大きいので喫茶店のメニュー等に幅が出るでしょう。また元々の人口もあの町より多いし、老若男女問わず色んな人々が往来するので全世代に店をアピール出来ますよ。勿論、貴女と貴女のご家族に了承が得られれば、ですが……」

 手をしっかりと握ったまま、ヴァンシュタインは彼女が納得出来るであろう理由を話す。
 ゆっくりと脳に染み込ませ、自分なりによく考え、アイメリッタは数秒後静かに頷いた。受け入れて貰えた事に安堵したのか、破顔するヴァンシュタインの瞳が光を受けた水のように明るむ。少年のように眩しいそれが彼の美しさをより増幅させ、貴重な物を見た気がしてアイメリッタも嬉しくなって微笑んだ。

「では、店の移転もほぼ決まった所で……」

 ヴァンシュタインが徐に輝く瞳を閉じてしまい食い入るように見つめていたアイメリッタは少々残念に思ったが、掴まれていた手の一部が解放され、そして彼の片手が彼女の痛めている首筋に腫れ物を触るようにふわりと触れる。
 びくり、と判り易く肩を揺らすが、避けようにも避けられない。不意に首を捕らえられていたあの時の事がフラッシュバックした。感覚が残っているのか恐怖に赤茶の瞳が翳る。

「大丈夫。怖がらないで、儂に身を任せて下さい」

 そう言った彼の残った片手が今までよりも力強く彼女の両手を掴む。真夜中に降り注ぐ星のようにすとんとアイメリッタの心に落ちる温和な青年の声が、強張った神経を解き解していった。

「もう良いですよ。動いてみて」

 落ち着いた心と同時、ほぼ一瞬。触れていた手が離れ魔力を使われたと気付くと、握られていた手を離して起き上がり平生に戻った腕と背を確認する。次いで思うように出せなかった声を確かめる。

「あ、あー、只今マイクのテスト中、本日も晴天なり……ホントだ、治ってる!」

 喉の調子を確かめるには些かどうかと思う単語が飛んだが、どうでも良いとスルーしてヴァンシュタインは「ね、」と念を押した。アイメリッタは元通りの体に感動し、ベッドから飛び上がらん勢いでヴァンシュタインに抱きついた。

「! ちょ、いきなり来ますね貴女は」
「有難う御座います魔王様!」

 それはもう目一杯全身で喜びを示す直球の感謝によろめきつつも踏ん張り、彼女を支える。後ろの扉の方で控えているラルフローレンがごほんと咳払いすると、まだ言うべき項目があった事を思い出したヴァンシュタインは彼女の勢いを抑えて言った。

「そうそう、もう一つ言う事があったんです。ご家族の許可を得て正式に店を移した後ですが、この城の客間の一室を貴女に与えようとなりまして」

 ずさぁっ。効果音と共に弾かれたようにベッドを滑っていくアイメリッタの急な反応に意外そうに首を傾ぐと、彼女はわなわなと肩を震わせ腕をぶんぶん振るい魔王からの有難い申し出をそれはもう盛大に固辞した。

「ダメ! ダメですそれは! ダメですよ! 絶対!」
「……そ、そこまでダメダメ言われると傷付きますね……何故です?」

 かなりの拒絶っぷりに若干引きつつ薄笑いを浮かべて尋ねると、彼女は真面目な顔でぽつりと信条を漏らす。

「私、人様からの施しは受けないと決めていますから」

 硬い声音というのが普段の底抜けに明るい声と無意識に対比された。どれだけ本気であるかが窺われる。だがそれに理解し難いと言いたげにヴァンシュタインが問う。

「ならば衣食住はどうするんですか?」
「えーと……寝るだけなら店の仮眠室で十分ですよ、そんなの。部屋を借りるのでも良いですけど」

 今度衝撃を受けたのはヴァンシュタインだった。雷にでも打たれたように身体を仰け反らせ、手の甲を顔に添えて大仰に驚嘆する。

「な、何と……ダメですダメですそれはいけません幾ら庶民でもそんな物臭はいけませんよ! 女性なんですから気を遣わなきゃ! それに魔王城近辺は家賃高いですよ! 絶対城に住むべきです!」
「はぁ……そう、ですか?」
「魔王様、流石に引きますよその台詞」

 生温かい視線を送るアイメリッタと無表情で突っ込むラルフローレンに気付かず、ヴァンシュタインは現実を突き付けられ夢を砕かれた幼い子供のようにそれはそれは手痛い醜態を晒す。ご丁寧に周囲の家賃事情まで教えてくれた彼に同情、もとい珍妙な感情を抱いて、アイメリッタがそろりと近付く。
 何だろう、この異種的思考。理解出来ない。この人女性に夢見てるのかも。などと酷いレッテルを張りながら、極めて優しく声をかける。

「……分かりました……お城でお世話になります」
「! ……本当ですかっ」
「はい。……あそこまで熱心に勧められたら、ね……」

 折れるしかない。家賃高いだの、物臭だの、信条をズタズタに引き裂かれた気がしないでもないが、そこまで言ってくれるならいっそお言葉に甘えた方が良い。不覚にも自分が魔王を雇おうとした時の熱意と同じものを感じてしまったから。
 あの時の私も、不思議なテンションに見られていたんだろうなぁ、きっと。

「……? 何を笑っているんですアイメリッタ」
「いーえ、何でもー」

 そう考えると可笑しくて可笑しくて、その後暫く笑いが止まらなかったアイメリッタだった。


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