喫茶店の危機(雇われ魔王の喫茶店)
時折城にも帰りながら、何とか喫茶店での激務を乗り越え半月が経った。
やって来る客と言えばほぼ少女と言っても差し支えない年若い女性ばかりで、揃いも揃って何が嬉しいのかヴァンシュタインの一挙手一投足に一々声を上げて反応する。注文時や料理を運ぶ時など特に顕著に叫ばれ耳が痛い上に、滅多に現れぬ自国の魔王に寄せられる好奇を露にした幾つもの視線が容赦なく彼を攻撃していく。
元々間近で女性と接する事自体が皆無だったので尚の事身に堪えるし、おまけに目がかち合ったりなんてしたら何故かあからさまに顔を赤らめられ、その度に胸が痛み寿命が縮まっている気さえした。
嫌だ嫌だと言っておいて何だが、少なくとも魔王としてあの城に引き籠り書類の山に囲まれている方が幾分かマシだ。理不尽にもそう錯覚する位にはまともな思考を失いかけていた。
おまけに今日店に来ると、女性達だけではない他の嫌な気配も感じるようになった。遂に病気か、倒れる寸前かと現実逃避めいた事が片隅に浮かぶが、生憎魔族は病気などに滅多にかからない強靭な肉体と精神を誇っている為、残念ながら悲しい期待は夢のまま。
「はぁ……疲れた……」
普段なら客がいないという昼下がり、しかし店内は未だ熱気が占めている。正直辟易していた。だが庶民の仕事というものが皆一様に多忙なのならば、こんな程度で音を上げてはいけない。そう言って自分を奮い立たせるのはもう何度目か。
そしてあっという間に時間は過ぎていった。激務の中のただ唯一の楽しみと言えるものは――
「お疲れ様です! さ、晩御飯食べましょ!」
彼女が開店前と閉店後に振舞う食事だけだ。
「あ、そう言えば」
「何ですか? 魔王様」
芳しい香りが充満する静かな店内の一角でテーブルを囲み和気藹々と夕食を楽しむ最中、ヴァンシュタインは重要な事を思い出した。
「用事があるので確認なんですが、明日は定休日ですよね?」
「そうですよー。何時も半月ごとに休むんです」
そうは言っても特に用事などないので、結局は暇潰しとして店に構う事になるのだが。笑ってぼそりと呟くと、ヴァンシュタインは急に真剣な表情で言い難そうに口を開いた。
「……明日は店に行かない方が良いかも知れませんよ」
「へ……? な、何でですか?」
「詳しくは、何とも言えませんが……」
彼はそれきり口を噤んでしまい、それ以上は理由を聞き出せなかった。不可解な態度に疑問符を浮かべるも、聞いてはいけない空気を察し、アイメリッタも無言で食事に手を付けた。
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「それで、怪しい者が複数人いると」
「ええ。明日は定休、彼女にも釘を刺しておいたので特に被害は出ないと思いますが……」
何故あの喫茶店を狙うのか、何処であの店の存在を知ったのか。明らかに不穏な気配はこの国の民かそれとも他国の民のものか。それに関しては後者だと踏んでいる。
だが工業地帯に観光客がいるとも呼び込めるとも思えない。幾ら他国の旅行者から人気があるとはいえ工場だらけの町をアピールしてはいないし、あんな所に観光客が流れ込もうものならすかさず職人達が迷惑だと叫ぶだろう。
「……徹夜ですかね、これは」
「手伝いましょうか? 人手がいりましょう」
「そうですね。宜しく頼みますよ」
「御意」
夜は刻々と更けていき、魔王城の執務室の仄かな明るさが天で輝く星のようにぽっかりと浮かんでいた。
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流れ流れた風の噂でテイルファーゲンの工業地帯にある喫茶店の話を耳にして1週間。何処にでもある平凡な店がいきなり爆発的な人気を博し、特にかの国の女性達が訪れては悲鳴を上げて喜んで帰っていくという。工業地帯とはいえそこで働く職人達は絶対的に男性が多く、その店の客層もそれまでは他の喫茶店と変わりなかったらしい。
たった半月で一体どうやって名を広めたか知らないが、他国から一般の旅行者としてやってきた男達にとってはどうでも良い。此処数日間の目的はそのノウハウを盗むとか理由を探る為ではない。ただの下調べと様子見である。
「……おい、明日は休みらしいぞ」
魔法を駆使し店内の会話で都合の良い部分のみをこちらに引き出す。リーダー格の男が楽しげに口を歪めると残りの四人も同じように怪しい笑みを零した。
ようやっと、計画を実行に移す時がきた。もう暫くの辛抱だ。
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喫茶店での仕事以外特にする事もないアイメリッタは、案の定時間を持て余していた。唯一の趣味である料理は普段店で嫌という程行っているのでやる気も起こらない。自室で寝転がり文字通り暇人を体言している。
昨日のヴァンシュタインの気掛かりな注意を今受け流してしまおうか。気にしていない訳ではないが、かと言って素直に受け取る気も生まれない。彼女からすればまさに微妙な忠告。
「……うん、店に行こう」
気の所為だ、あれは接客で余りにも疲れて発した言葉だ。無礼にも魔王の有難い忠告を丸きり無視し、アイメリッタはいそいそと自宅を後にした。
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定休日の看板が扉にかけられ、出入口も窓もカーテンがかかっとおり通りから店内の様子は分からない。だがその裏へ回ると、何者かに施錠を壊され無人の筈の喫茶店内を歩き回る足音が微かに聞こえてくる。
どうしよう。鍵はきちんと閉めたのに何で開いてるの? もしかして――いやいや、まさか。そんな訳ない。今まで一度だって、それこそ前の店主の時から、そんな事件に出くわした事はない。
――でもじゃあ、一体誰が?
「ええい、じっとしてられない!」
何があっても何を見ても驚いてはいけない。何とかするのは店主であるこの私なんだから!――そんな強い意気込みとともに厨房へと侵入する。
原因はすぐに分かった。見るからにこの町の勤め人ではない五人の男が店内のあちこちを物色していたのだ。
止めようと構えて魔法を撃たんとした手は背後の人物に制止された。
「おーっと店長さん、こんな所で何をやってんのかなぁ」
低い、奥底に響くような声。静かに、足元からじわりじわりと恐怖を沸き起こらせる声。
「可哀相だが、見付かったからにゃあ、死んで貰わなきゃなぁ」
他の、店内で金目の物を探していた仲間が一人二人とやって来て、遂にアイメリッタは四方を囲まれてしまった。くつくつと喉元を鳴らし、背後を塞ぐリーダーが面白げな瞳で仲間に同意を求めると、それに逆らう間抜けはおらず。当然ながら、誰も彼女を見逃す気はないらしい。
アイメリッタは俯いて押し黙ったまま、努めて冷静に立ち尽くす。混乱する頭の隅で、抜け出す間合いを計っていた。あわよくば誰かを攻撃しようと手は握り締めている。そして全意識を頭に、なけなしの魔力を右手に集中させ、アイメリッタはほんの小さな隙――リーダーの視線が外れた所でアクションを起こした。
「あっ!」
っという間に、彼女は彼等をすり抜けて厨房から店内へと瞬間移動する。僅か数秒、リーダーが目を離した隙。仲間の一人を右手で吹っ飛ばす事も忘れず。
「……っの野郎!」
「ガキが盾突くんじゃねぇ!」
すぐに彼等も店内へと移動してきた。落ち着きかけた心がまた煩く逸る。激昂し危害を加えようとする他の仲間の攻撃を何とかやり過ごしていくも、女性一人に体格のある男性五人の相手はきつい。魔力を貯める時間があれば、少しは対抗出来るのだが。
「いたっ」
「手間かけさせやがって……大人しくしてろ!」
あっさりと残りの仲間に捕らえられ、押さえ込まれる。嗚呼どうしよう。頭は更に真っ白になり、もう考えも纏まらない。身に迫る命の危機に青ざめる唇と凍りつく背中。恐怖が振り払ってはまた生まれ、必死にそれを繰り返す心。
リーダーの男が押さえ付けられているアイメリッタの首を掴み、冷静でありながら血走った眼で見下ろす。怯みそうになった身体の震えを抑え、それに負けじと強い目で見上げる。
「有り金は頂く。他に金目の物があるだろう。出せ」
有り金……それはつまり、入り口近くに設置しているレジの中の売上金の事。それが目的だったのか!と気付いたとて、両手を掴まれ地に臥せっているこの状態では思うように動けない。
しかし金目の物はと聞かれても、前の店主である知り合いが引っ越す時に持って行ってしまったし、そもそも昔から高価な物は置かれていない。そんな物まであると思っているのだろうか。寧ろそれが目的?ただの工業地帯の一角にある小さな喫茶店なのに。
売り上げを取られたという事よりも、小さな町の店に対して金品を持っていると思い込んでいる彼等の抜けた思考に戸惑った。
さぁ、どう返答したものか。正直に「ない」と答えても状況からして絶対に勘ぐられる。
「早く答えろ!」
「ぐ……っ」
痺れを切らしたリーダーの手に力が込められる。そこには若干の魔力も存在した。男性の腕力にプラスされた魔力がきゅうきゅうと首を締めつけていく。痛い。きっと痕が残るに違いない。他人事のような考えを漏らす脳味噌に、我ながら余裕があるものだと感心した。
でも早くしないと笑っていられなくなる。のんびり構えている所ではないのだが、こう苦しくては声帯は振るわないし何と言えば良いか知恵も働かない。おまけに視界も薄れてきた。
このまま意識も失われるのか。今此処で死んでしまうのか。酸素を欲しようにも男はそれを許さない。
「待ちなさい外道。我が国で犯罪を犯す事は許しませんよ」
此処数日ですっかり聞き慣れたその声に、アイメリッタは吃驚すると同時に酷く安心感を抱いた。昨日意味深に店に来るなと忠告した、いやしてくれた、誰あろう魔王その人である。
何故此処にいるのだろう。用事があるって、言ってなかったっけ……。そんな小さな疑問が浮かんで、同時に意識が飛んでいく。
男達にとっても彼の登場は予想外だったらしく、アイメリッタにかけられていた力はたちどころに治まった。彼女がその直前に気絶した事には誰も見向きしない。
「誰だ!」
「おや、儂の事を知らないとは。この国の下調べが足りないのでは?」
薄暗さで判らなかった声の主の全貌が少しずつ明らかになると、リーダーの男が一番に叫んだ。あれは、この国を統治している――
「魔王か!」
言って悔しげに口を噛みしめる様を見下すように睨めつけ、テイルファーゲン国の魔王ヴァンシュタインは声高らかに告げる。マントに隠れている全身から真っ白い手袋に包まれた片手をそろりと出し、手袋を外すと男達に向けて翳した。
「儂の国民に手を出したからには、それ相応の罰を下しますよ」
手にははっきりと魔力が結集していくのが視認出来、男達は冷や汗をかいたまま固まっている。アイメリッタなどの一般庶民の比ではないその強大な力に脅えているのか、目に見えて鋭さを増す氷のように冷ややかな水色の瞳に恐れをなしたのか。
「さあ……死にたくなければ、奪ったものを大人しく置いて行け」
その言葉には普段の人の良い温かな雰囲気など微塵も感じられず、ただひたすら地を這い獲物を追いかける獅子のように彼等を攻め立てていく。逃げ場のない男達はそれでも金の入った鞄を手放さず、表面上は魔王に屈するものの、ともすれば先程のアイメリッタと同じように展開を変えるタイミングを見計らっていた。
その隠れた抵抗の意思を悟ったか、ヴァンシュタインは魔力の塊が放つ光に目を細め、リーダー個人に狙いを定めて迷いなくそれを放った。且つ彼の足元にいたアイメリッタを己の腕の中へと移動させる。
吹っ飛ばされた男は声を上げる間もなくピクリとも動かない。その変わり果てたリーダーの姿に最早立ち向かう気をなくした仲間達は、今度こそ鞄を手放すと皆筋肉が抜け落ちたかのようにその場に倒れ込んだ。
「……魔王の目を盗み罪を重ねようとする他国の愚か者よ。今此処でその生を終わらせたくなくば、即刻我が国より消え去れ」
彼等は何も言えなかった。情けなく口をぱくぱく動かす様子からは当初の威勢はもう読み取れなくなっていた。ヴァンシュタインはそれまでよりも神経を集中させ、男達を纏めて国外へと強制退去させた。