拾われた魔王(金づる)(雇われ魔王の喫茶店)
半ば無理矢理に店に連れ込まれ、適当な場所に座らされる。何が何だか分からず混乱するヴァンシュタインに、女性がにこやかに水を差し出す。
「何か食べたいものはありますか?」
「え、あ、ええと……そうですね、シーフードピラフが食べたいです」
「かしこまりましたー、少々お待ち下さいね!」
先程の雇う云々は、聞き間違いだったのだろうか。彼女の態度があからさまにこちらを客扱いしているが、何か企んでいたり……しないだろうか。何を食べようか決めていた為突然の質問にも難なく答えておいて、その裏を読もうとするのは邪推だろうが。
十数分後、カウンターより流れるバターと海鮮の烏賊や海老の香りが脳を揺さぶり、頬を緩ませる。
「出来ましたよー。さぁ、どうぞ召し上がれ」
「有難う御座います、えーと……」
「あ、名前忘れてました。アイメリッタと言います」
「良いお名前ですね。では遠慮なく、いただきます!」
自己紹介もそこそこに、抑えられぬ腹の虫を満足させる為作法を無視して彼はピラフにがっついた。
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「で、さっきの話ですが」
一粒残さず平らげ満足そうにナフキンで口を拭くと、皿も下げずにニコニコと深い笑みを湛えてアイメリッタが話しかける。思わずたじろぎ、喉をごくりと鳴らす。
「や、やはり本当に……」
「勿論じゃないですか。何の為にピラフを作ったと?」
あ、お金は後で払って下さいね。もしくは雇われてくれるなら少ない給料から天引きしますよ。同時にそんな脅しも飛び出し、その強かさに開いた口が塞がらなかった。庶民とは斯くも図太い生き物なのだろうか。それとも彼女が特別なだけか。まだ年若いというのに、何か勿体ない気がした。
「はぁ……仕方ない、手伝ってあげましょう……」
「よっしゃあ! バンバン役に立って貰いますよ!」
元々抵抗する気もない上に、さっきのピラフが結構美味しかったので、渋々ながらヴァンシュタインは了承した。どうせ手伝うと言っても、一日か二日だろうし。そう安易に見積もっていたのは誤りだったと直後に彼は思い知る。
「じゃあ、これからずっと、うちの店の名が売れるまで宜しくお願いしますね!」
「……はい? ……あの、働くのは数日で良いのでは?」
「何言ってるんですか、今日明日で知名度が上がる訳ないでしょう」
「いや、そう言われましても儂にも執務というものが……」
「一人称“儂”!? さっき“抜け出してきた”って言ったの何処の誰ですか」
ああ、会話の収拾がつかない。治め方も方向転換の仕方も分からない上に一人称に驚かれたし。そんなに変だろうか。
「確かに日々の公務を楽しんではいないし城に籠ってばかりで発散したかったから外に出た訳ですが、流石に何週間も空ける気はありませんよ」
公務などその殆どが送られてくる書類に目を通してサインをする程度で、平和であるこの国は事あるごとに魔王の決断を仰ぐなどという環境に置かれていない。つまり彼は大して変わり映えしない日常を送っているという事。
だが幾ら退屈と言ったって自分がやらねばならぬ事がなくなる筈はないし、完全にそれを拒絶してはいけない。これは、ほんの数日城も執務も忘れて過ごしたいという細やかな希望である。
「むう……ならばこうしましょう。この店をお城の近くに持って行って下さい」
「え……いきなり大胆な事を言いますね」
「もしくはたまにこっちに来て下さい。このどちらかなら、魔王様にも負担は少ないでしょ?」
「ううむ……確かに優位な条件ですが……」
粘りに粘ってこちらに寛大な提案もするとは、余程この魔王の手を借りたいらしい。きっと経営が芳しくなく生活に苦しんでいるのだろう。もっとネガティブに考えると、大きな借金でもあるのかも知れない。そう思っても不思議ではない強い熱意が十二分に伝わってくる。
「分かりました。ならば、時折こちらに来る事にしましょう」
「ホントですか! やった!」
そうして彼女のしぶとさを良いように解釈した彼は、最終的には憐憫の情から彼女の切なる申し出を快諾した。
「では、これから宜しくお願いします、魔王様!」
「はいはい、こちらこそ」
そう言って微笑みあうと、穏やかな柔らかい雰囲気が二人を何時までも包んでいた。
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城を飛び出したばかりで戻りたくないと告げると、それなら上にある仮眠室を使ってくれと案内された。店の奥、使われていない厨房の端に狭苦しい階段があり、薄暗いそこを上って扉を開くとベッドが二つ空間ギリギリに置かれていたが、滅多に使われていないらしくシーツには皺一つなかった。城の自室のベッドとは大きく違っており、手狭なそれに図らずも少々ショックを受ける。
「私の家に行っても泊められる程のスペースないし、此処で我慢して下さいね」
「はぁ……分かりました」
魔王でありながら庶民に雇われるという奇異な体験はそうそう起こる事ではない。切羽詰まっている(と勝手に思っている)彼女を救うという、統治者としての素質を今頃になって試されている気がして、ヴァンシュタインは思わず背筋を伸ばした。まずはこのせせこましいベッドに慣れなくては。
階下に戻り、話は具体的な内容に入った。
「さて実際の仕事ですが、魔王様にはウェイターをやって貰います」
「つまり、客の案内や注文、料理を運べば良いと」
「そうですそうです。レジや調理は私がするので」
不特定多数の魔族に接するという仕事を経験するのはこれが初めてなのだと気付くと、些か所ではない不安が悪寒となって背を走る。
「儂に務まりますかね……」
「大丈夫ですよ!誠意があれば何とかなります!」
極めて楽観的な言葉をかけられ、何と返していいか分からぬヴァンシュタインは引き攣った笑いを零すに留めた。
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耳朶に触れてくる階下と外の騒がしさに眉を顰めて固いベッドから起き上がり、何事かと申し訳程度に陽光を届ける窓から見下ろすと何をどうやって集めたのか、早朝からどうみてもこの町の勤め人ではない若年層の魔族が店の扉を凝視していた。しかも何故か女性ばかりである。
「あ、起きてたんですね魔王様! 早く来て下さい!」
「ちょ、ちょっとこの騒ぎは一体」
寝起きで思考もままならぬ上体を無理矢理引っ張られ困惑混じりに尋ねると、「何って、お客さんが開店を待ってるんですよ」と酷くあっけらかんとした答えが返ってきた。何が問題かと言ったその口調に項垂れつつ身だしなみを整えているとウェイターの必需品だと黒いエプロンを付けられ、そのまま店内へと押し出される。
店の奥から現れた此処にいる筈のない魔王の姿に気付くと、誰からともなく女性達が黄色い声でガラスを割らんばかりにきゃーきゃー叫ぶ。その熱気が入口である木製の扉を閉め切ったままでもこちらにビシビシと伝わり、間近で多数の視線を浴びる事に恐怖感を抱くヴァンシュタインはその場に固まってしまった。
「うう、緊張する……」
「もうすぐ開店ですから、頑張って下さいね!」
ていうかこの店仮にも工業地帯にあるのにお客は職人の雰囲気の欠片もない女性ばかりなんですか。幾らなんでも意外と言うか不自然じゃないですか。そんな質問を投げ掛けようにも、状況がそれを許さなかった。
一日が終わった頃には、ヴァンシュタインは意識が遠のきそうになるのを堪えて立つのが一杯一杯という有様だった。
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たった二日ぶりだというのに、何ヶ月も城を開けていたような気分だ。疲れ果てた体に鞭打ち戻ってきた魔王の壁伝いによろよろした歩行に、偶然居合わせた側近が死にかけの動物を見るような哀れな目を向けて傍に寄る。
「おやおや、あれだけ嬉しそうに出て行って……魔王として何とも無様ですな」
「煩いですよ……庶民の図太さに打ちひしがれているんですからほっといて下さい」
「ほう、民と交流なされたと」
二日の間に何があったか知らないが魔王としての威厳だとかはとうに失われ、庶民以上に弱々しい様が何とも笑いを誘う。側近であるラルフローレンからしてみれば、の話だが。
「誰かを手伝うというのは中々に労力を費やしますね……恐ろしい」
「日頃引き籠っているからでしょう。まともに働ける方が奇跡ですよ」
依然と何等変わりない低音の嫌味に懐かしみの効果など求めてはいないし、癒される事もない。だが図らずも変わらぬ側近の態度に、嗚呼城に帰ってきたのだ、いう実感が沸き起こったのは事実だった。真に不本意である。
「さて……廊下で寝転がるのは止めて、何をしてきたのか話して頂けませんかね」
「うう……実はかくかくしかじか……」
「首都の東ですか。あんな工場だらけの町によく降り立ったもんですな」
あまりの疲労感にまともな会話を放棄したヴァンシュタインの台詞を、どういうメカニズムで汲み取ったか知れないラルフローレンが頷く。
「でもあのピラフは美味しかった……」
「見知らぬ一般人に食事の世話までしてもらった、と。全くふてぶてしいですなぁ魔王様は」
成り立っているのか、いや端から成立させる気はないのだろう。好き勝手に呟く魔王の言葉を適当に解釈する側近の姿はあまりにちぐはぐで、その場にいたら出来れば他人の振りをしたい位浮いていた。だが幸いにも最上階の廊下には二人以外の魔族はおらず、誰にも怪しく思われずにいる。
「さて……戻らねば」
「嗚呼、手伝いの続きですか。行ってらっしゃいませ」
またこの城を出ていくと暗に示した台詞だったが、存外何の咎めもなくヴァンシュタインは突き離された感覚を味わった。あれだけ邪魔しておいて、出た後はあっさり態度を翻されるなんて、腑に落ちない所か魔王としての立場が危うい。
「放任主義に早変わりですか。全く都合の良い……」
苦々しい表情でそう言うなりパッと姿を消して、ヴァンシュタインは喫茶店の仮眠室へと移動した。現在魔王代理としての執務を務めているラルフローレンは、何事もなかったように執務室へと向かっていった。